戴冠
「おめでとう!」
林の獣道を抜けた鬼胡桃会長が、玄関で待っていた僕に走ってきて、そのまま抱きついた。
会長にきつく抱きしめられて、懐かしい鬼胡桃会長の高貴な香りに包まれる。
鮮やかなボルドーのコートに身を包んだ鬼胡桃会長。
「篠岡、おめでとう」
その後ろから、会長の夫である母木先輩も、ゆっくり歩いて来る。
先輩は、黒のスーツにシルバーグレーのネクタイで決めていた。
ただでさえイケメンの母木先輩が、スーツなんか着ると、格段にカッコイイ。
「わざわざ、ありがとうございます」
僕は頭を下げる。
「なに言ってるの。今日みたいな日には、どんなことがあったって駆け付けるよ」
会長がそう言って僕をもう一回、抱きしめた。
母木先輩の前だけど、これは母性のハグだから、いいんだろう。
「これで、我が主夫部から二人目の主夫だな」
母木先輩が、僕の肩をぽんぽんって叩いた。
「結婚すると、後悔するぞ」
突然、母木先輩がそんなことを言い出す。
「えっ? どういうことですか?」
僕はびっくりして訊き返した。
「俺はなんでもっと早くこの素敵な女性と結婚しなかったんだって、後悔する。もっと早く結婚してれば、こんな幸せな生活を、もっと早くから送れたのにって、後悔しきりだ」
母木先輩が言ったら、
「もう、みー君たら」
って、鬼胡桃会長がボルドーのコートくらい、顔を真っ赤にする。
ああ、はい。
この二人、いつまでもこっちが恥ずかしくなるくらいラブラブだ。
「おう、二人も今来たところか」
鬼胡桃会長と母木先輩に続いて、縦走先輩が獣道を抜けて来た。
濃いグリーンのワンピースに、黒いボレロを羽織った縦走先輩。
「篠岡、おめでとう!」
縦走先輩が握手を求めてくる。
「ありがとうございます」
僕達はがっちりと握手した。
「ヨハンナ先生を射止めるなんて、本当に君は大したやつだ。私は姉として鼻が高い」
縦走先輩がそんなふうに褒めてくれる。
先輩、自分のこと姉って言ったけど、本当に、お姉さんみたいに僕を安心させてくれる人だ。
「それはそうと先輩。その、肩に担いだ段ボール箱はなんですか?」
縦走先輩は綺麗なワンピースを着てるのに、僕と握手する反対の手で、大きな段ボール箱を担いでいる。
ずっしりと肩に食い込んだ、重そうなダンボール箱だった。
「ああこれか。みんなで食べようと思って、いい肉を持ってきた」
先輩が笑顔で言う。
えっと、あの、これから焼き肉パーティーするわけじゃないんですが……
「ほら、これ、受け取ってくれ」
縦走先輩が僕にダンボール箱を渡した。
先輩が片手で軽々と持ってた箱だけど、それを渡された僕は両手で抱えてよろける。
「先輩! 会長!」
寄宿舎の中から、弩が飛び出してきた。
淡いピンクのドレスに、シフォンのショールを巻いた弩。
弩が鬼胡桃会長と縦走先輩にまとめて抱きつく。
「こらこら、せっかくのドレスが、皺になっちゃうだろ」
縦走先輩が、弩を受け止めて言った。
「お帰りなさい」
弩が言う。
「ただいま」
鬼胡桃会長と縦走先輩が優しい笑顔で答えた。
「弩、どうだ、初めての失恋の味は」
縦走先輩がいきなり突っ込んで訊く。
「はい、ショックでしたけど、私はもう泣かないって決めたので、大丈夫なのです」
弩はそう言って胸を張った。
「ふうん、弩さん、逞しくなったのね」
会長が弩の頭を撫でた。
「そうだな、篠岡よりもいい男は世の中にごまんといる。私は社会人になって、広い世界を見てそれを感じた。こんなに可愛い弩なら、引く手あまただ。今度一緒に、ナンパして回ろう」
縦走先輩が親指を立てる。
「はい! 私は、肉食系女子になるのです」
「おお、良い心がけだ」
なんか、女子達が物騒な会話をしていた。
玄関先で僕達がそんな会話をしているところへ、ベンチコートを着てフードを目深に被った三人が、獣道を抜けてくる。
「篠岡君! おめでとう!」
こんなふうに人目を避けてくるのはもちろん、古品さんと、な~な、ほしみか、「Party Make」の三人だ。
ベンチコートを脱ぐと、三人は下に鮮やかな色違いのドレスを着ていて、この場所の華やかさが一気に増した。
「忙しい中、ありがとうございます」
僕は心からお礼を言う。
「ううん、この日は絶対にスケジュール空けてって頼んでおいたから、全然平気。私がこうして『Party Make』の活動を続けられてるのも、篠岡君と、ヨハンナ先生のおかげだから。あなたが主夫部を作ってくれたおかげだし、ヨハンナ先生がライブ会場への送り迎えをしてくれたおかげ。マネージャーさんも、その辺を解ってくれてるから、明日までスケジュール空けてくれたの」
古品さんが言って、な~なとほしみかも頷く。
「特別にウエディングソング練習してきたから、三人で盛り上げるね」
ほしみかが言った。
「プロデューサーのヤスムラさんに、私達の曲をミディアムテンポのいい雰囲気にアレンジにしてもらったんだよ。ここでしか聞けない、一回きりのトラックで歌うから」
な~なも言う。
三人の特別なパフォーマンスを間近で見られるなんて、どれだけ贅沢なんだ。
「みなさん、遠いところを、二人のためにありがとうございます」
寄宿舎から、僕の両親とヨハンナ先生の両親が出てきて、先輩達に頭を下げた。
両親の他に、妹の花園と枝折、先生の妹のアンネリさんに、お姉さんのペトロネラさんもいる。
そしてもちろん、寄宿舎の住人と、主夫部部員も揃っていた。
今からここで、僕とヨハンナ先生の結婚式と、披露宴が始まる。
僕達がその会場に選んだのは、ここ、寄宿舎「失乙女館」だった。
ここは、僕達が一緒に長い時間を過ごして、愛を育んだ場所だ。
部活で青春の汗を流した場所、そして、僕が先生にプロポーズした場所でもある(あんな場所と状況でのプロポーズを、ヨハンナ先生はプロポーズって認めないけど)。
僕達にとってここは、どこにも代えがたい、式を挙げるのに最高の場所だ。
僕達がここで式を挙げるために、主夫部部員と寄宿生が準備をしてくれた。
親しい人達だけで挙げる手作りの結婚式。
だけど、手作りっていっても、食堂から続くサンルームのステージは宮野さんが作ってくれた本格的なものだし、料理は御厨によるプロ顔負けの料理が用意される。
そして、先生が着るウエディングドレスも、もちろん……
「篠岡君、おいで。ヨハンナ先生の着付け終わったよ」
先生の部屋で着替えを手伝っていた北堂先生が、僕を呼んだ。
今回、ヨハンナ先生が着るウエディングドレスは、錦織のお父さん、デザイナーの三武回多が先生をイメージしてデザインしたものだ。
それを錦織が先生のサイズに合わせて完璧に仕上げてくれた。
錦織はこのために父親に頭を下げてくれたらしい(もっとも、三武回多も、先生のためならデザインしたいっって、乗り気だったみたいだけど)。
「篠岡とヨハンナ先生の結婚式は、僕達主夫部の活動の集大成だから」
錦織は、そんなカッコイイことを言ってくれる。
僕は、北堂先生に続いてヨハンナ先生の部屋に入った。
「ほら、これがあなたのお嫁さんになる人だよ」
北堂先生がそう言って、後ろから僕の両肩に手を置く。
窓から差し込む木漏れ日の淡い光にヨハンナ先生がいた。
純白のウエディングドレスで、鏡台の前の椅子に座って、両手でブーケを持っている先生。
「どうかな?」
ヨハンナ先生が頬を赤らめて上目遣いで訊く。
頬が赤くなったから、それが彫刻じゃなくて、血が通った人間だって解った。
「綺麗です」
そんなことしか言えない自分がもどかしい。
「ヨハンナ先生、最後にティアラは君に載せてもらいたいんだって」
北堂先生が言った。
僕は、鏡台に置いてあったティアラを手に取る。
真ん中に大きなダイヤが入った、まばゆいばかりのティアラ。
これは錦織のお父さんが借りてきてくれた本物で、1500万くらいするらしい。
僕はそれを、震える手で、少し顎を引いたヨハンナ先生の頭に載せる。
戴冠したヨハンナ先生は、童話の世界から飛び出してきたような、完璧なお姫様だった。




