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白詰草の花冠

 朝、鬼胡桃会長にセーラー服を渡した。

 会長が長らくタンスの奥に仕舞っていた防虫剤臭いセーラー服は、昨日のうちに僕が洗濯してある。


「会長、セーラー服にアイロン掛けておきました。パリパリに仕上がってます」

 解任されても、ボルドーのワンピースを脱いでも、僕にとって会長は会長だ。


 その呼び方以外、考えられない。


「ありがとう」

 鬼胡桃会長はそう言って微笑んだ。

「えっ?」

 今確か、鬼胡桃会長の口から「ありがとう」という言葉が漏れた気がする。

 まあ、聞き違いだろう。


 疲れているのか、僕。


「いただきます」

 でも、聞き違いではなかったみたいだ。

 朝食の食卓で、鬼胡桃会長が手を合わせて「いただきます」を言った。

 いつもの「食べてあげるわ」ではなく。


「えっ?」

 びっくりした御厨が、縦走先輩のおかわりをよそっていたしゃもじを床に落とした。

 木製のしゃもじが床を転がる、カラカラと軽い音が、食堂に響く。


「ごちそうさま」

 そして会長は食後にごちそうさまと言って、手を合わせ、食器を台所まで運ぶ。

 錦織が「僕がやります」と食器を持とうとすると、会長はそれを断った。


「これは、困ったな」

 縦走先輩が零す。



「いってまいります」

 鬼胡桃会長が寄宿舎の玄関を出て行った。

 僕達は何かすごく心配になって、急いで追いかける。


 鬼胡桃会長が登校して普通に校内を歩いていると、

「誰だ? あれ」

「うちの学校にあんな子いたか?」

「転校生かな?」

「可愛いな」

 など、様々な声が聞こえて来た。


 確かに、今日はあのボルドーのワンピースを着てないし、いつものキメキメのメイクではなくて、ほぼすっぴんの鬼胡桃会長だし。


 午前中の校内は、謎の美少女の話題で持ち切りだった。

 そして、それが鬼胡桃元会長だと知れ渡って、その話でトラフィックが爆発的に増えたためか、校内の無線LANスポットが落ちるという珍事まで引き起こす。


 鬼胡桃会長が生徒会長を解任された理由については色々な憶測が飛んでいた。

 会長が生徒会費を使い込んだというもの。

 学校側と対立して追い出されたというもの。

 長年、会長の座を狙っていた副会長の策謀だというもの。

 酷いのは、失恋のショックから立ち直れなくなった会長が、自ら職を辞したというもの。


 生徒会が情報を流さないから、尾ひれをつけてどんどん広がった。

 解任の事実については、残念だという意見もあれば、いい気味だなどという意見もある。

 会長の座に戻って欲しいと願う生徒もいれば、永遠に戻ってくるなと、手厳しい生徒もいた。


 関心はあっても、誰も鬼胡桃会長には近づかないし、話し掛けないで遠巻きにしている。

 セーラー服を着ても、すっぴんになっても、会長が今まで放っていた畏怖のオーラの記憶は、全生徒の胸に刻み込まれているみたいだ。




 放課後になって寄宿舎に帰ると、事態はさらに悪化していた。


 サンルームで、弩と鬼胡桃会長がお茶しながら、きゃっきゃうふふしているのだ。


 二人で雑誌のページをめくって、新しいスイーツのお店とかをチェックしている。

 占いのページを見て、自分達の恋愛運に一喜一憂していた。

 古いカメラで撮ったような効果が得られるカメラアプリの話をしている。

 

 会長の隣の席にはテディベアが座らせてあった。

 いつかの朝、会長が抱いているのを見かけた、あの熊だ。

 熊の名前は「しふぉん君」というらしい。

 「しふぉん君」の前にも、ちゃんとティーカップとお菓子が据えてある。


 こんなの鬼胡桃会長じゃない。

 断じてない。

 鬼胡桃会長は、生徒の先頭に立って、ビシビシと突き進んで行く、そんな人だ。

 自分が正しいと思ったことには、周囲の反対意見もねじ伏せて進む人だ。

 今目の前にいる人は鬼胡桃会長ではない。


 僕達が呆気にとられて二人を見ていると、そんな視線を感じたのか、鬼胡桃会長は弩と手を繋いで、どこかへ行ってしまった。



 食堂は急遽会議室になって、緊急会議が開かれる。


「諸君、これはゆゆしき事態だ」

 母木先輩が言った。

「本当の鬼胡桃を取り戻そう。なんとしても、鬼胡桃の汚名をそそごう」

 おー!

 と、僕達は拳を高く突き上げる。


「それではまず、話を整理しよう。鬼胡桃は生徒会の備品を着服したとして生徒会長を解任された。匿名の投書があって、生徒会の備品のパソコンやカメラが、確かにこの寄宿舎の、鬼胡桃が使っていた部屋にあった。鬼胡桃はそれらを知らないと言っている。鬼胡桃が自らの関与を否定する以上、他の誰かが生徒会の備品を鬼胡桃の部屋に置いたとみるべきだろう」

 母木先輩はそこまで言って、僕達部員を順に見た。


「最初に聞いておくが、もちろん、この中に鬼胡桃の部屋に生徒会の備品を置いた者はいないよな」

 母木先輩が訊いて、僕も、錦織も、御厨も頷く。

 確かに、寄宿舎に出入り自由な主夫部の部員ならそれができるけど、部員にそんなことをする者はいない。


「では、誰かがこの寄宿舎に侵入して事を行ったということだろう」

 僕達のほかに、誰かがこの寄宿舎に入り込んでいる事実に、寒気がした。

 高い塀で囲った安全地帯だと思っていた場所に、ゾンビが一匹もぐり込んでいた、そんな感覚だ。


「誰かが侵入したとして、進入経路を考えよう。この寄宿舎に外からの出入り口は二つある。正面の玄関と、台所の勝手口だ。ほかに各部屋の窓が侵入口として考えられるが、そこには鍵があって、それが掛かっている場合、外からの侵入はできない。どの窓にも、ガラスを割ったような痕跡はない」


 かつて、厳格な良家の子女を預かる寄宿舎だったこともあって、ここは建物の大きさの割に出入り口が少ない。

 そこには、外からの侵入者を許さず、なおかつ、中の寄宿生を外へ出さないという、両面からの設計思想があったんだろう。


「正面玄関と勝手口には鍵が掛かって、その鍵は二組ある。その一つを管理人であるヨハンナ先生が持ち、もう一つを寄宿生の『鍵当番』が持っている。僕達、主夫部の部員は鍵を持っていない」

 だから僕達は鍵が掛かっている場合、中に入れない。


「鍵当番となった寄宿生は登校時、最後にここを出て施錠する。そして、放課後、下校して、鍵を開ける。昼間、寄宿生が学校に行っている間、ここは無人となって施錠されている。忘れ物をしたり、緊急に寄宿舎に戻る必要がある場合、寄宿生は鍵当番かヨハンナ先生に申し出て鍵を借り、用事を済ませたあと返す」

 面倒に思えるけれど、それがこの寄宿舎の鍵の管理の決まりで、それを守らせていたのは鬼胡桃会長だ。


「放課後、鍵当番が鍵を開けたあとは、午後九時の門限の時間まで、玄関の鍵は開いたままになっている。勝手口の鍵は基本閉まっていて、ゴミを捨てに行く場合など、その都度中から開けている。午後九時の門限の時間になると、鍵当番が玄関の鍵を閉め、勝手口の鍵を確認する。鍵は翌朝、次の当番に渡す。その繰り返しだ」


「放課後から午後九時までの玄関が開いたままになっている時間が狙われたのでしょうか?」

 御厨が訊く。


「いや、放課後からは、家事をする僕達主夫部部員も含めて、最低誰か一人はここにいる。職員室から逃げてきたヨハンナ先生が入り浸っていることもある。そして、寄宿舎でレッスンをするようになった古品や、古品のアイドルグループ『ぱあてぃめいく』の『な~な』と『ほしみか』が一緒に練習してることもある。不審者が玄関から侵入して、誰にも見つからずに二階の部屋まで上がるのは困難だろう。パソコンやカメラの箱を抱えていたとすると尚更だ」

 母木先輩が答えた。


「となるとやっぱり、昼間の人がいない隙を狙って入った可能性が高いということでしょうか?」

 錦織が訊いた。

 そうだとしたら、厄介だ。

 ここは林の中で、昼間でも目撃者の存在は絶望的だ。


「だが、そうなると鍵をこじ開けたか、なにか細工して開けたことになるが、玄関の鍵にも、勝手口の鍵にも、そのような痕跡は見られなかった」


 昼間は無人だけれど、鍵がかかっている。

 放課後は鍵が開いているけれど、複数の人が行き来している。

 このような状況で、犯人はどうやって大量の荷物を、鬼胡桃会長の部屋まで持ち込んだんだろう。


「動機という面からはどうでしょう? 鬼胡桃会長の失墜を狙う者の動機と、その人物像です」

 僕が訊く。

「あの性格だからな。逆恨みする奴は多いだろう」

 母木先輩が答えた。


 鬼胡桃会長のストレートな言動は多くの敵を作る。

 むしろ会長は自分から進んで敵を作っている嫌いさえある。

 生徒だけでなく、教師にも容赦無い言葉が飛ぶ。

 その中から犯人を捜すのは無理だろう。


 容疑者が多すぎる。


 さっき食堂を出て行った二人は、裏庭にいた。


 窓から鬼胡桃会長と弩の姿が見える。

 二人は裏庭で地面に何かを探している。

 どうやら、四つ葉のクローバーでも探しているみたいだ。

 二人の頭には白詰草で作った花冠はなかんむりが載っている。


 あれも断じて、鬼胡桃会長ではない。

 会長はあんなふうに少女趣味ではないのだ。



「御免下さい」

 僕達が会議をしていると、玄関の方から声がした。

 野太い大人の男性の声だ。

「御免下さい。どなたかおられますか?」

 声の主は少し苛ついているようだった。


 僕達がすぐに玄関に向かうと、男性が一人、立っている。

 五十代から六十代前半、黒に近い紺の三つ揃いを着た、恰幅の良い紳士だ。


 男性は僕達が出て来たのを見て、少し面食らっているようだった。

 男子禁制の場所に男子生徒がなぜ、と思っているんだろう。


「私は鬼胡桃という、娘はいるかな? ここの寄宿生の鬼胡桃統子だ」

 その男性は言った。


「娘を連れて帰りたいんだが」


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