最後のHR
「篠岡塞」
「はい!」
ヨハンナ先生に名前を読み上げられて、僕は立ち上がる。
緊張しながら通路を歩いて、講堂のステージで校長先生から卒業証書を受け取った。
「新巻ないる」
ステージ脇で、次々にクラスメートの名前を読み上げるヨハンナ先生。
先生は、紺色の袴に淡い桜色の着物で、金色の髪をアップにしている。
卒業式っていう緊張した場所なのに、一年ぶりに見る袴姿の凜々しいヨハンナ先生に見とれてしまった。
朝、寝坊して、慌てて袴に着替えた先生とは大違いだ。
「篠岡先輩、おめでとうございます!」
式が終わると、バレー部の麻績村さん達数人に囲まれた。
「ありがとう」
みんなから、花束やプレゼントの紙袋を渡される。
「篠岡先輩、受け取ってください」
以前お世話したサッカー部マネージャーの宝諸さんと、野球部マネージャーの君嶋さん達からも花束をもらう。
弓道部の諏訪部さんも、手作りのケーキですって、可愛い包みを持ってきてくれた。
「さすが、女たらしの篠岡先輩ですね」
弩にそんなことを言われながら花束をもらった。
「普通の高校生シリーズ最後にふさわしい写真です」
萌花ちゃんが花まみれになった僕の写真を撮ってくれる。
みんなから祝福を受けたあと、最後のホームルームのために教室に戻った。
「みなさん、卒業おめでとう」
ヨハンナ先生が、このクラスで最後の教壇に立つ。
「クラス全員が、目標にしていた進路に向かうことが出来て、先生、安心しています。これも、みんなの努力の結果だね。それは誇っていいよ」
先生がクラス全員に満面の笑顔をくれた。
大学受験したクラスメートは、全員、合格して進学する(一部、第一志望を逃した生徒もいるけど)。
「大学に進学するみんなは、勉強に、遊びに、頑張って青春を謳歌してください。それから、それ以外の進路を選んだ人も、その道で一生懸命頑張ってね」
このクラスでは、僕と新巻さんが大学進学以外の道を選んだ。
「そして、先生からみんなに報告があります」
ヨハンナ先生が言うと、なんだなんだって、教室がちょっとざわざわした。
「先生は、今年度でこの学校を辞めて、新設される高校に赴任することになりました。だから、今住んでいる寄宿舎から引っ越して、遠くへ行くことになります」
先生が言ったら、「ええー!」って声が上がる。
「時々、会いに来ようと思ったのに」
みんな、そんなふうに残念がった。
「受験を控えたみんなを混乱させたくなかったから、今まで黙ってたの。ごめんね。だけど、他の学校に行っても何かあったら私に連絡しなさい。みんなは、いつまでも私の生徒だから」
先生が言ったら、あちこちから鼻を啜るような音がする。
女子にも男子にも、涙ぐんでいる生徒がいた。
「それから、もう一つ、報告があります。篠岡君、こっちに来なさい」
先生に呼ばれて、僕は教壇で先生の横に立った。
先生、ついにあのことをみんなの前で発表するのだ。
このことは、昨日の夜、先生から聞かされていた。
そして、僕も覚悟を決めている。
「ええと、どういうふうに言おうかな」
先生がそこで少し考え込んだ。
最後まで、どう言おうか迷ってるみたいだ。
「そうだね」
少しして、踏ん切りを付けた先生が言葉を継ぐ。
「そう、この篠岡塞君は自分の夢を叶えて、主夫になります。それで、そのパートナーになるのが、私です。この篠岡塞君は、私のお婿さんになりました。私、霧島ヨハンナと篠岡塞は結婚します」
ヨハンナ先生が言ったら、一瞬、クラスの中が静まり返った。
先生がしている腕時計の秒針の音が聞こえるような静寂だ。
「ええっ!」
「嘘でしょ!」
「はあ?」
「マジか!」
「信じらんない!」
数秒間の沈黙のあと、窓ガラスが割れるかっていう悲鳴や怒声が、教室に響く。
「はい、みんな落ち着いて」
普段、ヨハンナ先生の指示にはちゃんと従うクラスメートなのに、先生が話せるくらいまで静まるに数分の時間を要した。
数分後、やっと話せるようになる。
「私と篠岡君は結婚します。私は新しい高校で教壇に立って、篠岡君は主夫として、私を支えてくれることになりました。私達は、愛し合っています」
先生が言って、さらに数分間、教室に悲鳴や怒声が続いた。
「先生達、私達が受験勉強してる最中に、愛を育んでいたってことですか?」
落ち着いてから一人の男子生徒が訊いた。
「まあ、そうなるね」
先生が答える。
「ずるい!」
女子のクラスメートが言った。
「だって、好きになっちゃったんだもの。しょうがないじゃない。先生、篠岡君のことが、たまらなく好きなの」
先生が言うと、教室が静かになった。
こんなふうにはっきりと言われたら、もう、黙るしかない。
先生に、たまらなく好きとか言われて、僕は、心臓をキュッって掴まれたみたいに苦しくなった。
「どっちからプロポーズしたんですか?」
別のクラスメートが訊いた。
「それは私から。去年の年末、素敵なレストランのバルコニーでね」
先生が答える。
あ、先生、あのトイレでの件を記憶から抹消している。
「篠岡のどこがいいんですか?」
「全部。頭の天辺から爪先まで。優柔不断な性格も、女子には誰にでも優しくしちゃうところも、全部好き」
「初めてのキスの場所は?」
「内緒」
「子供は、何人くらい欲しいですか?」
「うーん、五人くらいかな? もっと多くてもいいけど、それは、篠岡君次第」
………
「お互い、なんて呼び合ってるんですか?」
「私は、二人でいるときは塞君。塞君は、私のこと『先生』としか呼んでくれない。ホントは、ヨハンナとか、名前で呼んで欲しいんだけど」
ヨハンナ先生が、クラスメートから芸能人がされるみたいなインタビューを受ける。
先生が一言答えるたびに、歓声や怒声が上がった。
その間、男子生徒から僕に向けられている視線が痛い。
無数のアイスピックで体中を突き刺されてるみたいな感じだ。
「やっぱり、ずるい!」
一人の女子生徒が言った。
「確かに、みんなが受験勉強している間に、先生が篠岡君と仲良くなってたことはごめんね。だけど、先生は学校ではみんなにも篠岡君にも分け隔てなく接してたつもりだよ。それに、みんなもこれから新しい場所に旅立って、新しい出会いがたくさんあるんだもの。いっぱい、恋愛しなさい。先生が悔しがるような大恋愛をして、私が篠岡君を見付けたみたいに、未来を一緒に歩む運命のパートナーを見付けなさい」
ヨハンナ先生が教室を見渡して言う。
「恋愛って、素敵なものだよ。恋愛してるだけで毎日に張りができる。やきもきしたり、不安になったり、嬉しいことばかりじゃないけど、それも含めて生活が楽しくなる。だから、みんなも、いっぱい、いっぱい恋愛をしなさい。あなた達の前には、無限の可能性が広がっているんだから」
先生の言葉にみんなうっとりしていた。
うんうんと、頷いているクラスメートもいる。
先生の幸せそうな笑顔を見れば、誰だって、恋愛したいって思うだろう。
「おめでとうございます」
長谷川さんが、そう言って拍手してくれた。
「おめでとうございます」
菊池さんや松井さん、蒲田さんも続く。
「おめでとう!」
するとそれがクラス全体に広がって、みんなが僕達に拍手してくれた。
女子達が席を立って、「おめでとう」ってヨハンナ先生を囲む。
相変わらず男子が僕に向ける視線は痛いけど、ヨハンナ先生を射止めた男ってことで、女子が僕を見る目が変わった気がした。
クラスメートの猿渡が僕の肩をポンと叩く。
「おめでとう。だけど篠岡、しばらくは夜道を一人で歩かないほうがいい。校内外にヨハンナ先生のファンが、どれくらいいると思ってるんだ」
猿渡は真顔で忠告してくれた。
その忠告には、素直に従っておこうと思う。
「キッス! キッス! キッス!」
悪乗りした男子が、僕とヨハンナ先生をけしかけた。
「絶対にしません!」
ヨハンナ先生が顔を真っ赤にして言う。
照れた顔も可愛い、これが僕のお嫁さんだ。




