すべての妹の悲劇
「弩、ちょっといいか」
弩の部屋をノックしても、反応はなかった。
「弩、入るぞ」
僕はそう声を掛けてドアを開ける。
部屋の中に、弩の姿はなかった。
だけど、部屋の真ん中に置いてあるコタツ布団の端が膨らんでいて、弩がコタツの中に隠れているのは明かだった。
ここは、いつものあれをするべきなんだろう。
「弩、どこだ?」
僕は、クローゼットを開ける。
「弩はここかな?」
次にベッドの下を覗き込んだ。
「ははぁん、弩はここだな」
最後に、チェストの引き出しを開けてみる。
「私はそんなに小さくありません!」
弩がそう言ってコタツから出てきた。
「ああ、そんなところにいたのか」
僕が言う。
「まったく、乙女の秘密が詰まった引き出しを、プルトップを引くみたいに気軽に開けないでください!」
弩がほっぺたを膨らませた。
「ああ、悪い悪い」
僕が手を合わせて謝る。
これは、コタツの季節に僕と弩が三日に一回はやっている、儀式みたいなものだ(チェストの引き出しを開ける代わりに、コタツの上の菓子盆に入っているホワイトロリータを僕が食べちゃって、弩が怒って出て来るパターンもある)。
これをやっていると、他の寄宿生や主夫部のメンバーが、またやってるよ、みたいな冷めた目で見るけど、これは僕と弩の大切なコミュニケーションだ。
弩とくだらない遣り取りをするのが楽しいし、ボケとツッコミを確認できた。
儀式が終わったところで、僕はコタツに入る。
弩の対面に座った。
「それで、なんのご用ですか?」
弩が、僕にお茶を入れながら訊いた。
ホワイトロリータとミカンで僕をもてなしてくれる弩。
「うん、今日はちょっと報告があって」
コタツ布団の下で、僕は正座している。
「どうしたんですか? 畏まって」
弩が首を傾げた。
僕は、あらためて弩を見る。
前髪をぱっつんにした、長い艶々の黒髪。
好奇心いっぱいのくりっとした瞳。
赤いもちもちのほっぺたと控え目な唇。
今日は白い丸襟のブラウスに、水色のカーディガンを羽織っている。
弩は、どこから見ても、女の子女の子していて愛らしいのに、見詰められるとドキッとするような、威厳、のようなものを感じた。
それは、のちに大弓グループを率いる者の、才能の片鱗だろうか。
「弩、僕はヨハンナ先生と結婚する」
小細工せずに、正面から言った。
「来春、この寄宿舎の管理人にはならずに、ヨハンナ先生と新しい場所へ行く」
僕は続ける。
「はい、分かってましたよ」
すると弩は、そんなふうに言って微笑んだ。
「分かってた?」
「はい、あの、立ち聞きするつもりはなかったんですけど、この前の金曜日、夜中にトイレに行こうとして、先輩がヨハンナ先生にプロポーズするのを聞いちゃったのです。だから、先輩の気持ちは分かっていました。もっとも、そのずっと前から分かってましたけど」
「そうか……」
「先生にプロポーズする先輩、カッコよかったですよ。あんなプロポーズされたら、誰だって、『はい』って答えますよね」
弩が言う。
それが、一回、反故にされた。
「おめでとうございます。ヨハンナ先生は、私が今まで出会った先生の中で、最高の先生だし、仕事をする姿がカッコいいし、美人だし、包容力があるし、その一方で、ここではだらしないし、甘えん坊だし、お世話のし甲斐があるし、篠岡先輩には最高の結婚相手ですよね。先輩、主夫部として、主夫になる夢を叶えられて、重ねて、おめでとうございます」
弩が笑って、ほっぺたに笑窪が出来る。
「ありがとう」
喉がカラカラだったから、僕は弩が出してくれたお茶を一口飲んだ。
「私、篠岡先輩のこと、大好きでしたよ」
弩が僕から視線を外して、湯飲みを見ながら言った。
「私、周りに友達がいないこの学校に来て、誰も知ってる人がいない寄宿舎に入って、不安で仕方ないところに、先輩と出会って、主夫部に入れてもらって、色々お世話してもらって…………先輩達のおかげで友達も出来たし、積極的にもなれたし、長い休みには、家にまでお邪魔して、ずっと、一緒にいてもらって、枝折ちゃんや花園ちゃんみたいな妹も出来て…………篠岡先輩がいなかったら、私の高校生活はどうなってたか分かりません。だから、先輩にはすごく感謝してるし、そして、大好きでした」
弩は、真っ直ぐに、大好きでしたって言った。
「私の高校生活のあらゆるところに篠岡先輩がいましたし、これからも、ずっと、いて欲しいなって、思ってました…………だけど、これは運命です」
「運命?」
「はい、篠岡先輩は、私のお兄ちゃんなのです」
「えっ?」
「私が困ったときには、すぐに飛んできてくれて。私に世話を焼いてくれて、ちょっかい出してくれて、笑わせてくれて、嬉し涙を流させてくれて……私、一人っ子だから、篠岡先輩は、こんなお兄ちゃんがいたらいいなっていう、理想のお兄ちゃんでした」
そんな、僕は枝折や花園からはいつも怒られる情けないお兄ちゃんだ。
「だから私は先輩の妹です。世の中のすべての妹の悲劇は、お兄ちゃんと結婚出来ないってことですよね。それは、運命だから逆らうことはできません。妹の私は、お兄ちゃんの結婚を祝福します。お二人は、本当にお似合いだし」
「弩……」
「心配しないでください。私、こう見えてモテモテなんですよ。黙ってましたけど、実はもう、三人から告白されたんですから」
弩が言って、自慢げに胸を張る。
「私も、いつか先輩みたいな素敵な人にプロポーズしてもらえるように、頑張ります。ヨハンナ先生みたいにカッコイイ大人になってみせます。いつか母の跡を継いだら、大弓グループを世界一の財閥にしてみせます。将来、うちが世界一大きな財閥になった暁には、『あのときの失恋が、私を目覚めさせた』って自叙伝に書くので、覚悟していてくださいね」
弩がふざけて言う。
弩は、この小さな体の中に底知れない力が詰まってるって、そう感じた。
「ふぅ、泣かずに言えました。あの夜は、本当に枕が水浸しになるくらい泣いたんですよ」
弩はそう言って、菓子盆からホワイトロリータを取り出すと、その包みを剥く。
「先輩にも一本、あげます」
弩がホワイトロリータを一本くれた。
「いいのか?」
「はい、結婚祝いです」
弩はそう言って笑う。
このホワイトロリータは、世界一価値がある結婚祝いだ。
「あの、これからも、私のお兄ちゃんでいてくれますか?」
弩が訊いた。
「もちろん」
弩は、花園と枝折と同じくらい、大切な妹だ。
弩と二人でコタツに入ってたら、ドアの外から異様な気配を感じた。
なんか、ドアや壁が、ギシギシと軋んでいる。
僕は、口の前に指を立てて、弩に「しー」って合図した。
弩が無言で頷く。
ドアまで忍び足で近づいて、一気に開けた。
すると、寄宿生と主夫部、ヨハンナ先生と北堂先生にひすいちゃんまで、全員が弩の部屋に傾れ込んでくる。
みんな、ドアや壁で聞き耳を立てていたらしい。
「あのね、先生は、盗み聞きはいけないって、注意したんだけどね……」
床に転がったヨハンナ先生が、口の端をヒクヒクさせながら言った。
「みんな、弩が心配だったから」
錦織も言い訳をする。
そこに集まったみんなが、苦笑いしていた。
「うわぁん、私、振られちゃいました」
弩が新巻さんに抱きつく。
「よしよし、泣かずによく頑張ったね。大丈夫、世間には篠岡君よりもいい男が、ごまんといるからさ。二人で、未来のお婿さんを探そう」
新巻さんが、そう言って弩の背中を優しく叩いた。
北堂先生に抱かれたひすいちゃんが、真似して弩の背中を叩く。
「それじゃあ、二人の結婚はまだ発表できないから、私達だけでお祝いしましょうか?」
北堂先生が言った。
「はい!」
みんなが返事をして、御厨が台所へ走る。
結局この日は、お祝いの宴会が長引いて、主夫部の男子部員もみんな寄宿舎に泊まった。
明け方までずっと、みんなで思い出話に花を咲かせた。
弩は自分のこと僕の妹だって言ったけど、ここにいるみんなが、僕や弩の家族なんだって思った。




