校舎裏の報告
「へえ」
僕がヨハンナ先生との結婚を報告すると、錦織は眉一つ動かさずにそう言った。
「いや、あの、もっと、びくりした! とか、ヨハンナ先生を射止めるなんて、主夫部の誇りだ! とか、篠岡、嘘はよくないぞ、熱でもあるのか? とか、そういう反応は?」
僕が訊く。
結婚のことはまだ学校には内緒で、誰かに聞かれたらいけないから、わざわざ校舎裏に呼び出して畏まって報告したのに、錦織の反応はあっさりしていた。
「いや、そうなるだろうって思ってたし」
錦織が言う。
「全然、意外じゃありません」
一緒に呼び出した御厨も言った。
「むしろ、遅きに失したくらいです」
子森君まで、そんなふうに言う。
「そ、そうなの?」
僕が訊くと、三人が頷いた。
僕とヨハンナ先生が結婚するってことは、僕以外、みんな当然と思ってたらしい。
「でもまあ、ちゃんと決断出来て良かったよ」
錦織が僕の肩をぽんぽんって叩いた。
「そうですね。先輩も、やっと勇気を出しましたか」
御厨が腕組みして目を瞑る。
二人とも、僕より先に、古品さんや縦走先輩といい関係になってるからって、言いたい放題だ。
「先輩、主夫部と寄宿生、そして、花園ちゃんと枝折ちゃんのことは、僕達に任せてください。先輩から引き継ぐものと、大切な妹さん達は、在校生の僕と御厨で、全力で守ります」
子森君が頼もしいことを言ってくれる。
「これで、主夫部から二人も主夫を出してるし、来年の新入部員呼び込みのときにセールスポイントになるな。運動部でいえば、うちの部からプロ野球選手が二人出ました、とか、Jリーガーが二人出てます、とか、そういうことだろ?」
錦織が言う。
ちょっと違うと思うけど、まあ、大体そういうことかもしれない。
「とにかく安心しました。先輩、おめでとうございます」
御厨が言って、三人は周りに響かないよう、小さく拍手して祝ってくれた。
主夫部の男子に報告して、次は、寄宿生だ。
「本当ですか! 篠岡先輩、おめでとうございます!」
最初に報告した宮野さんは、目をぱっちりと開いて声を弾ませた。
この反応は、僕が思い描いてた反応に近い。
「先輩、先生と暮らす愛の巣を建てるときは、僕に相談してくださいね。うちの工務店で建ててもいいし、最高の建築家を紹介しますから」
宮野さんが言った。
宮野さん、話が先走りすぎだ。
それに、「愛の巣」って……
「二人が愛を育むダブルベッドなら僕が作りますし、ベビーベッドも作りますから」
だから、話しが先走りすぎだって。
宮野さんに報告を終えた後は、萌花ちゃんだ。
「そうですか、これが、結婚を決めた男の横顔ですか」
一眼レフカメラのシャッターを切りながら、萌花ちゃんが言う。
いつものように寄宿舎の廊下で萌花ちゃんに写真を撮られながら、僕は、先生との結婚を報告した。
「先輩、結婚を決めたら横顔が精悍になったような気がします」
萌花ちゃんが続けてシャッターを切る。
「そんな、まさか」
鏡で見る限り、相変わらず冴えない顔だけど。
「先輩のこと毎日撮ってる私が言うんだから、間違いありません。先輩は、確実にカッコよくなってます」
萌花ちゃんが直球で言うから、照れるのを通り越して「ありがとう」って答えてしまった。
「結婚式の写真は、私に任せてくださいね」
萌花ちゃんが、ファインダーから目を離した。
「ああ、うん。もちろん」
結婚式とか言われると、僕とヨハンナ先生の結婚が、途端に現実味を帯びる。
「先輩のこと、一番上手に撮れるのは、私なんですから」
「えっ?」
「いえ、ほら、私、こうやって毎日、『普通の男子高校生シリーズ』で、先輩の写真撮ってたから、先輩のことは撮り慣れてるし、それで上手に撮れるって、そういうことです」
急に萌花ちゃんが慌てた。
「とにかく、おめでとうございます」
そう言って、もう一枚、パチリと写真を撮る萌花ちゃん。
次に僕は、二階の新巻さんの部屋のドアをノックした。
「そっか、やっとプロポーズしたのね」
僕が報告すると、新巻さんはノートパソコンに向かったままそう言った。
「おめでとう、って言っておくね」
新巻さんが、そのタイミングでエンターキーを押す。
「篠岡君があんまりプロポーズを迷ってたから、もしかしたら、ワンチャン、こっちにもって…………ううん、なんでもない」
新巻さんがノートパソコンの画面を畳んでこっちを向いた。
「ねえ、篠岡君が管理人やらないなら、私がやろうかな?」
新巻さんが言う。
「えっ?」
「だって、ここは環境もいいし、主夫部のみんなにお世話してもらえるでしょ? わざわざ他にマンションを借りて執筆するよりも、ここで書けばいいんじゃないかって思ったの。私は今までここで暮らしてたから、ここのことは詳しいし、管理人としての仕事は執筆の間にやるし、ただでさえここは静かなのに、昼間は寄宿生も主夫部も学校に行ってもっと静かだから、落ち着いて小説が書けると思うの。それに、来年、枝折ちゃんが寄宿舎に入って来れば、篠岡君にやってもらってた小説の下読みもやってもらえるし、いいことずくめだよ」
森園リゥイチロウの新作を、まだ世に出る前に読めるとしたら、枝折は嬉しすぎて気絶するかもしれない。
「北堂先生が管理人やるって言ってたけど、まだ、ひすいちゃんにも手が掛かるし、教師と育児と管理人、三足の草鞋を履くのは大変でしょ? だから、一足分は私が履くよ。もし、私が売れなくなっても、それで食べていくことは出来そうだし」
新巻さんが売れなくなることなんて、ないと思うけど。
「それに、ここで暮らしてれば、毎年、家事が得意な主夫部の男の子達が新入部員として入って来るでしょ? 私も、その中からカワイイ子、見付けられるかもしれないしね。誰かさんみたいな年下のお婿さんに出会えるかもしれないし」
新巻さんは冗談めかして言った。
「私が管理人するの、どうかな?」
新巻さんの眼鏡がキラリと光る。
「うん、いいと思う」
新巻さんが残ってくれれば、この寄宿舎も主夫部も、そして、妹達も、もっと安心だ。
「ねえ、篠岡君」
新巻さんが、表情から笑いの要素を追い出した。
「弩さんには、結婚のこと報告したの?」
新巻さんが訊く。
「いや、まだ」
「私が見る限り、彼女はヨハンナ先生と同じくらい、あなたのことが好きだったんだから、ちゃんと報告しないとね」
新巻さんが、心配そうに眉尻を下げた。
「うん、分かってる」
それはヨハンナ先生からも言われていた。
弩には、自分の言葉でちゃんと報告しなさいって、言われている。
「大丈夫、弩さんは、見た目と違って芯の強い子だし、失恋の痛みからもすぐに立ち直るよ、きっと、私よりも早くね」
新巻さんが言った。
僕は、最後に弩の部屋へ行く。
「弩、ちょっといいか」
そう言って、部屋のドアをノックした。




