土産話
「この、手に吸い付くようなフォムルに、適度な弾力」
「ふええ」
「艶々でいて、しかもサラサラな髪の感触」
「ふええ」
「手のひらを丁度良く載せられる、適度な大きさ」
「ふええ」
「撫でるたびに髪から立ち上る、清潔なシャンプーの香り」
「ふええ」
「そして、この『ふええ』という、気の抜けた鳴き声」
「ふええ」
「嗚呼、なんて心地いいんだ」
やっぱり、弩の頭を撫で繰り回すのは最高だ。
手が寂しい時に、しっくりとくる。
こうしていつまでも撫でていられる。
「あ、あの、篠岡先輩、撫でてもらうのは嬉しいんですけど、話の腰が折れるので、ぶつぶつと何か呟きながら撫でるのはやめてください」
弩が言った。
「はっ!」
マズい。
目の前にある弩の頭を撫でてたら、僕はいつの間にか言葉を発していたらしい。
心の中の声が、ダダ漏れだった。
「弩さん、まあ、許してあげて。篠岡君、弩さんと萌花ちゃんがいなくて寂しがってたから、帰って来たのが嬉しくてしょうがないんだよ」
ヨハンナ先生が肩をすくめて言う。
「そうそう、寂しすぎて、他所の部の女の子に手を出してたくらいだからね」
新巻さんがそう言って意地悪な顔をした。
他所の女の子に手を出してたとか、失礼な。
「後でいつまででも撫でてていいですから、今は話をさせてくださいね」
弩に言われて、僕は「はい」と答える。
弩に、説教されてしまった。
僕達主夫部と寄宿生は、食堂に集まっている。
夕飯を済ませてテーブルを隅に片付けて、食堂の床には布団を敷き詰めてあった。
その上に輪になって座って、二年生から修学旅行の土産話を聞いている。
御厨のスイーツ修行の話や、萌花ちゃんの撮影秘話で盛り上がった。
みんなお風呂にも入った後で、寝間着姿だ。
布団の上で行儀が悪いけど、お菓子とか飲み物(先生はビール)も用意してあった(お菓子は、白い恋人にバターサンド、じゃがポックルの北海道土産)。
朝まで夜更かしする体制は整っている。
食堂の隅にベビーベッドを置いてひすいちゃんを寝かせて、北堂先生も参加していた。
ひすいちゃんの安眠のために、照明は僕達の輪の中心に置いたランタンの明かりだけだ。
だけどそれが却って、キャンプのテントの中で話してるみたいで、わくわくした。
こういうキャンプみたいな雰囲気って、突然誰かが告白とかしそうで楽しい。
「それで、どこまで話しましたっけ?」
弩が訊く。
イチゴの柄の、ワンピースみたいなデザインの寝間着の弩。
「猪に追われて、森の中を逃げ回ったところだね」
萌花ちゃんが助け船を出した。
萌花ちゃんは、ミントグリーンのチェックのパジャマを着ている。
「そうそう、突然、茂みから出てきた大きな猪の追われて逃げてたら、転んで、棘がある枝が、ほっぺたをかすってしまったのです」
弩が、ほっぺに貼った絆創膏の理由を説明した。
「大丈夫だったのか?」
僕が訊く。
深い傷だったりしたら大変だ。
「はい、一緒に猟に出た三鹿さんが、唾でも塗っとけば治るって言ってたくらいの、かすり傷でした」
あの、ワイルドな三鹿さんらしい。
「それに、そのとき偶然、そこにヘリコプターに乗ったお医者さんが通りかかって、私の傷を診てくれたので、治療も完璧にしてもらいました」
弩が言う。
深い森の中で猟をしてるところに、ヘリコプターに乗ったお医者さんが偶然通りかかるって……
そんな馬鹿な。
きっと、弩の御両親が待機させていた医療チームが駆け付けただけなんだろう。
弩を危険から守るって、特殊部隊みたいな人達が、終始、見守っていたと思われる。
「そのうち綺麗に直るそうです。」
弩が笑顔で言った。
確かに、弩の御両親が派遣した医療チームなら間違いないかもしれない。
僕は、笑顔を見せる弩を、もう一回撫で繰り回した。
「ふええ」
弩が鳴く。
三鹿さんについて野山を駆けまわってきた弩は、どこか逞しくなった感じがする。
「あっ、それから、あの農家民宿の益子さんに、また、赤ちゃんが生まれたんですよ」
弩が思い出したように言った。
「えっ?」
僕と新巻さんが声を揃える。
「丁度、私達が帰る前の日に奥さんが産気づかれて、二人で病院に行きました」
「へえ、私達の時と同じじゃない」
新巻さんが言う。
一年前の僕達の時もそうだった。
あのときは、あの農家民宿『ひだまり』に泊まる初日で、周囲に人がいない民宿に、新巻さんと二人だけで置き去りにされて、途方に暮れたものだ。
幸い、食材には困らなくて、美味しい夕食が食べられたし、露天の五右衛門風呂にも入れたから、結果的に良かったんだけど。
「修学旅行の日にまた赤ちゃんが生まれるなんて、すごい偶然だね。赤ちゃんは、女の子? 男の子?」
新巻さんが訊いた。
「女の子だそうです」
弩が答える。
僕達のときに生まれた子も女の子だったし、あの山の中の家に、可愛い姉妹が暮らすことになるんだ。
森を駆け回るわんぱくな姉妹を想像して、頬が緩む。
「ちょっと待って、そうすると、弩と子森は、一晩、二人だけで過ごしたのか?」
錦織が訊いた。
みんなそれに気付いて、びっくりして弩と子森君を見る。
そういえば僕と新巻さんの時もそうだった。
オーナー夫妻が不在になると、あの、10㎞四方に一軒も家がないところに、二人だけで取り残されることになるのだ。
僕達のときは、ヨハンナ先生が車で遭難寸前になりながら駆け付けてくれたから、結局三人で夜を明かしたけど。
「はい、二人だけで一夜を過ごしましたよ。でも、子森君のおかげで快適でした。ご飯も美味しかったし、お風呂も用意してくれたし、洗濯もしてくれたし、全然、不自由なことはありませんでした。さすがは部活で毎日厳しい練習をしてるだけあります」
弩が、ケロッとした顔で言う。
「いえあのね、弩さん、そういう問題じゃなくて……」
新巻さんが苦笑いした。
「せ、せ、せ、先輩達、二人で一緒に寝たんですか?」
宮野さんが訊いた。
訊きながら、顔が真っ赤になっている。
「うん、私は一緒に寝ようかって言ったのに、子森君が別々の部屋にしようって言って、別々の部屋に寝たよ。私は、篠岡先輩と何回も一緒に寝てるから、一緒に寝てもいいよって言ったんだけど」
弩が、そんなふうに言う。
あの、弩、誤解を招くようなことは言わないように。
僕達は確かに何度も一緒に寝たことはあるけど、それはヨハンナ先生が一緒だったり、妹の枝折や花園が一緒だったじゃないか。
二人っきりで寝たことなんて、なかったし。
「確かに僕達は二人っきりで過ごしましたけど、僕と弩には、なにもありません」
子森君が口を開いた。
それを聞いて、なんだかみんながほっと胸を撫で下ろす感じだった。
子森君は誠実な奴だし、嘘なんかつかないし、子森君が「なにもなかった」って言えば、なにもないんだろう。
「だって、僕、弩のこと大切に思ってますから」
子森君が続けた。
「大切な人だから、こんなことで……」
「子森君、ありがとうなのです」
弩が笑顔で言う。
弩は、なにも分かってないみたいだった。
たぶん、僕の思い違いじゃなければ、今、子森君は、弩に告白したんだと思う。
でも、弩は、なにも分かってない。