土手鍋
ぐつぐつと、牡蠣が煮えている。
ゴボウにえのき茸、ニンジン、長ねぎ、白菜も柔らかく煮えた。
綺麗な焦げ目がついた焼き豆腐が、たっぷりと牡蠣の旨味を吸っている。
土鍋のふちに塗った味噌が溶けて、香りが寄宿舎の食堂に広がった。
味噌は御厨が四種類の味噌をブレンドした、特製合わせ味噌だ。
さあ、あとは春菊を入れて、牡蠣の土手鍋の出来上がり。
それを美味しく頂くだけだ。
壮絶な決闘のあと、黒龍剣山高校家政部のみんなを、夕食の鍋に招待した。
寄宿舎の建物を見学しに来た西京極さん達、清廉乙女学園の三人も、どうせだから食べていってくださいと、夕食に招いた。
寄宿舎の住人と主夫部、それに家政部と清廉乙女学園の三人を交えた、賑やかな鍋パーティーが始まっている。
「御厨君の料理の腕は本当に確かですね」
鍋をつつきながら西京極さんが言った。
「僕だけじゃありません。九品仏君にも手伝ってもらいましたから」
鍋の番をしている御厨が答える。
「そんな、俺は何もしてないっす。御厨君を手伝っただけっすから」
九品仏君が照れて答えた。
九品仏君が照れているのは、料理を褒められたからだけじゃない。
九品仏君の両隣が、宮野さんと清廉乙女学園の宇佐美さんだからだと思う。
鍋パーティーの席順は、なるべく男女が交互になるように配置した。
鉄騎丸君の隣は新巻さんと西京極さんだから、鉄騎丸君は大きな体で、肩をすぼめるようにしてお椀を持っている。
西京極さんの肘が間違ってちょっと触れるだけで、鉄騎丸君がビクッとするのが可笑しかった。
「はぁー、さっぱりした」
僕達が鍋を囲んでいるところへ、スリップ一枚のヨハンナ先生が頭にタオルを巻いたまま入ってくる。
先生は仕事終わりで一番風呂を浴びたのだ。
ただでさえ顔が赤かった黒龍剣山高校四人が、一瞬で郵便ポストみたいになった。
先生が僕の隣に腰掛ける。
先生のスリップの肩紐が落ちたから、僕が直した。
「お仕事ご苦労様でした」
僕は、ヨハンナ先生に風呂上がりのビールを注ぐ。
土鍋から美味しそうなところを見繕って、先生のお椀に取り分けた。
「ほら、先生、椅子の上で立て膝したらダメですよ」
お客さんもいるし、行儀が悪いから注意する。
「はーい」
先生が子供みたいな声を出した。
「あの、ヨハンナ先生は、いつもそうなんでありますか?」
僕達の様子を見ていた鉄騎丸君が、真っ赤な顔のまま訊く。
「うん、大体こんな感じです」
僕が答えた。
ってゆうか、普段はお客さんの目がないから、もう少し甘えてくるけど(あ~んして、とか言ってくるし)。
「あなた達、女子に幻想を抱き過ぎだよ。女子なんて、家に帰ればみんなこんなものよ」
ヨハンナ先生がそう言ってビールを飲み干す。
「いえ、こんなのは確実に先生だけです!」
僕が言ったら、ヨハンナ先生が「いじわる」って言いながら、僕のほっぺたを人差し指で突っついた。
それを見ていた鉄騎丸君達、黒龍剣山高校の四人が震えている。
「篠岡君! 君を、兄さんと呼ばせてくれ! 俺達は君に一生ついていく!」
鉄騎丸君がそんなことを言って、他の三人も頭を下げた。
「俺も、君のように女子と自然に付き合えるようになりたい! 俺も、君のように女子の気持ちが分かる男になりたいんだ!」
鉄騎丸君が、僕に迫ってくる。
ところが。
「はぁ? 篠岡先輩が、女子の気持ちが分かるですって?」
弩が言って、箸を落とした。
「えっ? 篠岡君が、女子の気持ちが分かるですって?」
新巻さんの箸の間から牡蠣がつるんと滑り落ちる。
「んっ? 篠岡先輩が、女子の気持ちが分かるって………」
萌花ちゃんが構えていたカメラを下ろした。
「篠岡先輩が、女子の気持ちが分かるって、僕、なんの冗談かと……」
宮野さんがそう言って咳き込む。
「篠岡君が、女子の気持ちが分かるって、おかしいね、ひすい」
北堂先生が抱いているひすいちゃんに話しかけた。
「わうわうわう、わーわ」
ひすいちゃんまで、何か言いたげだ。
「ししし、篠岡君が、じょ、じょ、じょ、女子の気持ちが分かるですってぇぇぇぇ!」
ヨハンナ先生、驚き過ぎです。
先生のスリップの肩紐が落ちたから、僕が直した。
なんか、寄宿舎の女子達全員が、ジト目で僕を見ている。
なんなんだこの女子達の一体感……
「ま、まあ、兄さんはともかく、これからも主夫を目指す者として、一緒に切磋琢磨していきましょう」
僕は女子達の視線に耐えながら鉄騎丸君に言った。
「だから、家政部も、もしよかったら『主夫部』を名乗ってください」
僕が言うのに、
「そんな、おこがましいっす!」
鉄騎丸君は首を振る。
「ところで、鉄騎丸さんは、どうして主夫になろうと思ったんですか?」
子森君が訊いた。
鉄騎丸君は最初話しづらそうにしてたけど、みんなが注目して待ってたら、渋々、口を開く。
「俺の母親は小児科の医師をしていて、毎日徹夜が続くような生活を送ってて、俺、家事とか手伝ってたんだけど、そんな母親を見てたら、支えてやりたくなったっていうか、家のことは全部引き受けてやっりたくなって……子供達のために一生懸命な母親には、安心してそっちに取り組んで欲しいし……」
鉄騎丸君が恥ずかしそうに言う。
「それなら、鉄騎丸さん達も『主夫部』を名乗る資格がありますよ」
子森君が言って、「ぐっ」って親指を立てた。
「私達、起業部としても大賛成だわ。あなた達のような男子が増えてくれることは大賛成。ね、みなさん」
西京極さんが訊いて、宇佐美さんと遠峯さんが頷いた。
「篠岡君なんて、このままお婿さん候補にしたいくらい」
西京極さんがそう言って「うふふ」と笑う。
「ダメです!」
突然、弩が立ち上がった。
弩が西京極さんを睨み付けるようにする。
このまま、噛みつきそうな勢いだった。
「なんですの? このちんちくりんは?」
西京極さんが訊いた。
「ああ、えっと、彼女も将来働くことを考えている女子でして、主夫部の一員です。主夫を目指す男子の生態が知りたくて、この部に入りました」
僕が弩の代わりに説明する。
「ふうん、まあ、せいぜい頑張りなさい」
西京極さんが余裕の笑みを浮かべて弩を見た。
弩、一応、大弓グループの後継者なんだけど……
でもまあ、弩、ほっぺに万能ネギついてるし、全然そう見えないかもしれない。
そのあとも、僕達は大いに語り合った。
ここには、将来仕事をしていこうという女子と、主夫になりたい男子しかいなくて馬が合うから、話も盛り上がった。
鉄騎丸君達も、最初ここに来たときより少し女子に慣れたみたいだ。
最後の方になると、鉄騎丸君が隣の西京極さんのために、牡蠣を取ってあげたりしていた。
午後9時を回って、名残惜しいけど、鍋パーティーもお開きになる。
「鉄騎丸君、もう夜だし、西京極さん達を送ってあげてね」
ヨハンナ先生が言った。
先生のスリップの肩紐が落ちたから僕が直す。
「はい、分かりました!」
鉄騎丸君が緊張の面持ちで立ち上がった。
「それじゃあ、あの、い、行きましょうか」
「ええ、しっかりとエスコートしてくださいね」
西京極さんが鉄騎丸君に笑いかけた。
案外この二人、お似合いかもしれないと思った。
僕達は玄関でみんなを見送る。
「それでは、ごきげんよう」
西京極さん達が頭を下げた。
「兄さん、また、よろしくお願いします!」
鉄騎丸君は僕にそんなふうに言い残して帰って行く。
黒龍剣山高校の四人と、清廉乙女学園の三人が、林の獣道に消えた。
「さあ、それじゃあ、締めの雑炊作りますね」
御厨が台所にお櫃を取りにいった。
旨味が凝縮された鍋にご飯を入れて、生卵を割る。
僕達の鍋パーティーは深夜まで続いて、結局その日は男子も寄宿舎に泊まった。