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愚兄

「うちの愚兄ぐけいが、いつもお世話になっております」

 枝折がそう言って頭を下げる。


「いえいえ、こちらこそ、お兄様には毎日毎日、本当にお世話になっておりまして」

 ヨハンナ先生も枝折に頭を下げた。


 なんだこの、二人のかしこまった感じは……



 放課後の教室、机を四つ合わせたスペースで、僕達は三者面談にのぞんでいる。


 僕とヨハンナ先生が向き合って、僕の左隣に枝折が座った。

 いつもの紺のスーツのヨハンナ先生と、セーラー服の枝折。


 二人とも、お正月を一緒に過ごしたり、枕を並べて寝たりしてるのに、こういう場では他人行儀たにんぎょうぎなのが可笑おかしい。



「それじゃあ、さっそく本題に入りましょう。篠岡君、進路はどうすることにしたのかな?」

 ヨハンナ先生が教師の顔で訊いた。

 机の上に進路指導用のファイルを開いて、ボールペンを手にしている先生。

 窓から吹く乾いた秋風が、先生の金色の髪を揺らしている。


 やっぱり、こうやって仕事場で見るヨハンナ先生は凜々しくてカッコイイ。

 毎日会ってるし、今朝も着替えを手伝ったり、歯磨きを手伝ったりしたのに、正面から見詰められると緊張してしまう。

 自分でも、ポッと頬が赤くなったのが分かった。



「進路は、どうすることにしたの?」

「はい、就職を考えています」

 僕は答えた。


 優柔不断な僕にしては、はっきり答えられたと思う。


 隣で「保護者」の枝折が、お兄ちゃんよく言えたね、みたいな顔で僕を見ていた(妹よ、心配かける兄ですまない)。


「そう、就職に決めたんだね」

 先生が頷く。


「はい、将来、主夫になるという夢は捨ててないんですけど、今のところ相手がいないので、就職して働きながらパートナーを見付けようと思います。もちろん、仕事をするからには全力で当たりますし、片手間に仕事するとか、そういうことではありません」

 そんなことしたら職場の人に失礼だし。


「うん、よろしい。君ならなんだって一生懸命やるから、その点は先生も信じてる」

 先生はそう言って微笑んでくれた。


「それで、就職先は?」

「はい、就職先は、鬼胡桃会長がお父さんに話をしてくれるそうですし、新巻さんも誘ってくれているので、その中から決めようと思います」

「そっか、まだ具体的には決まってないんだね」

「はい」

 連休に鬼胡桃会長に提案されたばかりで、まだそこまで話は進んでなかった。

 年内にはどうにか決めたいって考えている。



「うん、それなら、篠岡君の就職先のことで、先生からも一つ、提案があるんだけど」

 先生がパタンとファイルを閉じる。

 ボールペンを置いて、姿勢を正した。


「なんですか?」

 先生からの提案って、なんだろう?


 もしかしたら……


 鬼胡桃会長が、ヨハンナ先生も僕のことを好きだとか言ってた、それが思い浮かんだ。


 もしかして、もしかしてここでいきなり、僕にプロポーズとか……

 私のお婿さんになりなさい、とか言われて、そのまま指輪を渡されたらどうしよう……


 僕は緊張して息を呑む。


「篠岡君、あなた、寄宿舎の管理人にならない?」

 ヨハンナ先生が言った。


「へっ?」

 裏返った変な声が出てしまう。


「あなた、この学校の寄宿舎『失乙女館』の、住み込みの管理人になってみない?」


「は、はあ?」


「そうすれば、卒業して主夫部を辞めても、寄宿舎で家事が出来るよ。弩さんに萌花ちゃん、宮野さんに、北堂先生とひすいちゃんがいる寄宿舎で、家事の腕を磨ける。それに、主夫部のOBとして、御厨君や子森君の指導も出来るでしょ? 来年になれば新入生も来るだろうし、忙しくなる管理人さんにあなたはぴったりだと思うの。今は私が管理人ってことになってるけど、実質、この寄宿舎はあなた達主夫部が管理してるようなものだし、これほど管理人にふさわしい人はいないの。篠岡君の就職先に、寄宿舎はピッタリだと思う」

 先生が続ける。


 そして先生は枝折を見た。


「それに、花園ちゃんも来年この学校を受験するんでしょ? もし合格したら、花園ちゃんと枝折ちゃんも、二人共ここの寄宿生になればいい。そうすれば、篠岡君はここで二人の世話も出来て、家と二重の家事をしなくてすむから。あなたの御両親も、家を空けていても安心だとおもうの。一石二鳥じゃない」


 寄宿生と主夫部の後輩、それに最愛の妹達と一緒に寄宿舎で暮らす。


 なんか、夢のような話だ。


 そこで一日中家事をして過ごす。


 これほどの幸せはない。


「あとね、寄宿舎は今でも縦走さんとか古品さんとか、OGが時々顔を見せるけど、卒業しても、ふとしたときに戻ってこられる、寄宿舎をそんな場所にしてあげて欲しいの。卒業した女子達が、仕事で悩みを抱えたり、息をつきたくなったときに、立ち寄って話が出来る場所。そんな場所を用意してあげてほしい。篠岡君なら、それが出来ると思う」

 先生が優しい顔で言う。


 僕のことそんなふうに買ってくれるのは嬉しいけど、僕に、そんな重責が務まるだろうか?



「あの、男子のお兄ちゃんが、女子寮に住み込みで管理人とかしていいんですか?」

 冷静な枝折が先生に訊いた。


「うん、そうだね。でも、そこはなんとか理由を付けて学校関係者と他の先生達にねじ込んだよ。了承りょうしょうは得てる。対策もあるしね。それに、篠岡君は、どれだけ素敵な女子達を前にしてもまったく手を出さない、聖人のような男の子だから」

 ヨハンナ先生が言った。


 褒められているのか、けなされているの分からない。


「確かに、お兄ちゃんにそんな勇気はありませんね」

 枝折が深く頷く。


 おい! 枝折まで。


「それから、決定には強力なOGの後ろ盾もあったの。ちょっとずるいかもしれないけど、私が協力をお願いしたら、動いてくれたみたい」


 強力なOG……


 そうか、弩のお母さんも寄宿生だった。

 それどころか弩の家の女子は四代に渡って寄宿生だ。

 大弓グループCEOの後ろ盾ほど、強力なものはない。


 僕を寄宿舎の管理人にするために、色々な人が動いてくれたらしい。



「どう? 寄宿舎の管理人、引き受けてくれる?」

 先生が訊いた。


「はい、もちろん。お願いします」

 僕は即答そくとうする。

 断る理由がなかった。


 隣に座る枝折が、こっそりと机の下で僕の手を握る。

 お兄ちゃん、よかったね。

 握った枝折の手から、そんな感情が伝わってきた。


「そう、よかった。これで、先生も肩の荷が下りたよ」

 ヨハンナ先生がふっと息を吐く。


「あの、このことをみんなに伝えたいんで、行っていいですか?」

「うん、行っておいで。みんなもきっと喜ぶよ」

 先生が微笑んだ。


「もう、お兄ちゃんたら」

 子供みたいに走って教室を出て行こうとする僕に、枝折が呆れている。


 僕は完全に浮かれていた。


 だからこのとき僕は、ヨハンナ先生が言った「肩の荷が下りた」っていう言葉の意味を、深く考えなかった。


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