保護者
「先輩、どうしたんですか?」
ファインダー越しに、萌花ちゃんが問いかけてきた。
一眼レフカメラのレンズを僕に向けている萌花ちゃん。
僕は制服で、ネクタイをちょっと緩めて、寄宿舎廊下の窓枠に手をかけている。
窓から外の森を漠然と眺めていた。
「先輩?」
「あっ、そっか。ごめん、撮影だったよね」
そこで漸く我に返る。
僕は、窓辺に立たされてポーズをとっていた。
萌花ちゃんの「普通の高校生シリーズ」の撮影をしていたのだ。
「あの、先輩、いつもみたいな顔してもらっていいですか?」
萌花ちゃんが僕の顔を覗き込んで言った。
「ああ、うん」
「いつもみたいな自然な表情でお願いしますね」
いつもみたいな顔って言われても、いつもどんな顔をしているのか分からない。
とりあえず、顔から少し力を抜いて、微笑んでみた。
萌花ちゃんは僕の周りを動きながら、パシャパシャと何枚もシャッターを切る。
「やっぱり、いつもと違うんですよね」
だけど萌花ちゃんは写真に納得してなくて、首を傾げるばかりだった。
そのうち、カメラを下げて撮るのをやめてしまう。
「あー、疲れた」
僕達が撮影をしていたら、二階から新巻さんが下りてきた。
新巻さんは、おでこに冷えピタを張って、眉間に皺を作っている。
肩をぐるぐる回していた。
執筆の途中で、気分転換に飲み物でも取りに来たらしい。
「新巻さん、篠岡先輩が変なんです」
萌花ちゃんが新巻さんに駆け寄って訴えた。
「どうしたの?」
「はい、篠岡先輩、なにか考え事をしてるみたいで、どこか物憂げでカッコイイんです。変なんです。こんなの先輩じゃありません」
萌花ちゃんが言った。
カッコイイのが変とか、それじゃあ、いつもの僕はなんなんだ……
「ああ、そういえば篠岡君、いつも教室で休み時間にクラスの女子に囲まれて、キャッキャしながら嬉しそうに話してるのに、今日はなんだか窓から外を見て考え込んだりしてたよね。確かに、教室でもちょっとおかしかった」
新巻さんが言った。
新巻さん、僕は別にクラスの女子とキャッキャしてるわけじゃないです。
長谷川さん達の四人組が、何かとちょっかい出してくるから、それに答えているだけだし。
「篠岡君、何かあったの? なんか、悪い物でも食べた?」
新巻さんが眉をひそめて訊いてくる。
僕が物憂げに考え事してるふうな顔は、別にお腹壊してるからじゃない!
「そうなんですよね。先輩、鬼胡桃会長と母木先輩のところに行って帰って来たくらいから、なんか変なんです」
廊下の向こうから弩が歩いて来て、僕達の会話に加わった。
白い大きな襟がついた上品な紺のワンピースの弩。
「おかしいって、どんなふうに?」
新巻さんが訊く。
「はい、いつもみたいに、私の大切なホワイトロリータを隠したり、中身を入れ替えたり、洗濯が終わった靴下を裏返しにして畳んだり、タンスの中のブラジャーの紐を絡ませて一つ取ると全部のブラジャーが出てくるみたいな悪戯を全然しないんです。だから私も、どこか体調が悪いのかなって思ってました」
弩が答える。
「篠岡君、あなた、いつも弩さんにそんな悪戯してるの?」
「まったく、先輩、小学生ですか!」
新巻さんと萌花ちゃんに引かれた。
ドン引きされた。
そこだけ切り取ると、確かに僕は変な奴だ。
だけど、弩に悪戯するのは、なんか弩を見てると構いたくなるってだけのことだし。
「篠岡君、もしかして、向こうで鬼胡桃会長と母木先輩になんか言われたの? 怒られたり、説教されたりした?」
新巻さんが訊いた。
弩も萌花ちゃんも、心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。
「いや、そういう事じゃなくて……」
怒られたり説教されるどころか、二人は僕の進路を考えて親身になってくれた。
鬼胡桃会長は、就職先の世話までしてくれた。
「そういうことじゃないなら、なに?」
新巻さんが突っ込んでくる。
「そ、それは……」
みんなには言えないけど、鬼胡桃会長から、弩とヨハンナ先生、萌花ちゃんと新巻さんが僕のことを好きとかいう話を聞いて、僕は帰ってから四人を意識するようになってしまったのだ。
今こうやって囲まれていてもドキドキするのだ。
鬼胡桃会長があんなこと言うから、朝はヨハンナ先生を起こすとき緊張して、歯磨きしてあげるのに、歯ブラシに歯磨き粉を付けすぎて、先生の口の中を泡だらけにしてしまった。
なぜか先生の唇が気になって、上手く歯磨きしてあげられなかった。
「あっ、そっか、篠岡君、今日、三者面談だったよね? だから緊張してるのか」
新巻さんが気付いたように言う。
「なんだ、それでですか」
弩が頷いた。
「相手はヨハンナ先生なんだし、先輩、そんなに緊張することないのに」
萌花ちゃんも安心してパチリともう一枚、僕の写真を撮る。
三人とも勝手に納得してしまったみたいだ。
全然、そんなことじゃないんだけど……
「お兄ちゃん」
いつの間にか僕の後ろに枝折がいた。
僕達が話している間に、玄関から上がってきたらしい。
セーラー服姿の枝折が、「お兄ちゃん」って言って、僕の制服の裾を引っ張っている。
「枝折ちゃんいらっしゃい」
「枝折ちゃんも、おやつ、食べてけば?」
弩と萌花ちゃんが声をかけた。
「いえ、用事があるので、また今度」
枝折は頭を下げる。
「どうした? 枝折」
「お兄ちゃん、今日、三者面談でしょ、ほら行くよ」
枝折がそう言って裾を引っ張る。
「行くよって?」
「お母さんもお父さんも出られないんだから、保護者として、三者面談には私が参加します」
枝折が言って胸を張った。
「はっ?」
「お兄ちゃんの進路は、私と花園にとっても重要なことだし、家族として私が参加するから」
確かに、僕の進路は二人にとっても重要なことかもしれないけど、三者面談に妹を連れてくるとか、聞いたことがない。
「そうだね。枝折ちゃんはお兄ちゃんよりしっかりしてるから、保護者として出ればいいよ。枝折ちゃんにはその資格が十分にある」
新巻さんが言って、枝折の頭を撫でた。
新巻さんの大ファンである枝折は、「はい」って小さな声で答えて、顔を真っ赤にしている。
「ちょうど良かった。先輩、三者面談が心配で緊張してるみたいだったし、ちょっと変だったから、枝折ちゃんが付いていてくれれば心強いよね」
弩も言う。
「いいなぁ、私もこんな出来る妹欲しいなぁ」
萌花ちゃんが言った。
だから、そうじゃないんだけど……
「さあ、お兄ちゃん行こう」
「う、うん」
まあ、確かに枝折が隣にいてくれると心強い。
母や父がいないとき、僕達は兄妹三人で肩寄せ合ってきた。
僕が兄として枝折と花園を励まして、枝折と花園も僕を励ましてくれた。
僕達は一心同体だった。
「それじゃあ、教室まで手を繋いでいこうか」
僕が提案すると、
「はあ?」
枝折に一蹴された。
き、きっと、みんなの前で、照れてるだけだと思う……
僕の順番が回ってきて、枝折と二人でドアを開けると、放課後の教室では、ヨハンナ先生が笑顔で僕達を待っていた。