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「やっぱり、秋は梨ですよね」

 弩が言って、僕がいた梨をシャリシャリといい音を立てて頬張った。

「本当ですね。この食感、甘さ、香り、奇跡のようなフルーツです」

 宮野さんも笑顔で梨を口にする。

 水色のワンピースの弩と、紺のパーカーにグレーのキュロットパンツの宮野さん。


 僕達は食堂のサンルームで、秋の味覚を味わっていた。


「まだ食べるなら、もう一個剥こうか?」

 僕が訊くと、

「はい!」

 二人とも、小気味よい返事をした。


 この梨は、北堂先生宛に届いた。

 ひすいちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんから、寄宿舎の皆さんで食べてくださいっていう差し入れだ(北堂先生は、自分の御両親からは縁を切られたとか言ってたから、先生の旦那さんの方のおじいちゃんとおばあちゃんなんだろう)。

 段ボール箱に五箱も届いたから、こうしてそのまま食べたり、御厨がこれでスイーツを作ったり、おいしく頂いていた。


 放課後、サンルームの木漏こもれ日の中で食べる梨は、また、格別だ。

 暑さも一段落して、涼しい虫の音を聞きながら、瑞々しい梨を頂く。



「あっ、おいしそうじゃない」

 三人で梨を味わっていたら、食堂に制服姿の新巻さんが入って来た。


「三者面談、終わったんですか?」

 弩が訊く。


「うん、終わった。私の場合、進路が決まってるから、あっという間にね」

 新巻さんが言って、僕達のテーブルに着いた。


 夏休み明け、三年生は保護者を交えての三者面談が始まっていて、放課後、一日に四、五人ずつが呼ばれている。

 今日はその新巻さんの順番だった。

 ホームルームが終わって、新巻さんに似た上品な感じのお母さんが来ていたのを見た。

 ヨハンナ先生と三人で今まで面接をしていたのだ。


「新巻さんは、やっぱり、作家業に専念せんねんするんですか?」

 宮野さんが訊く。


「うん、大学進学も考えたけど、二足のわらじはもういいかな、こっちで真剣にやってみようと思って。時間を全部、執筆に当てたいしね」

「ふええ」

「すごいですね」

 弩も宮野さんも、尊敬の眼差しで新巻さんを見た。

「人気商売だし、このまま続けられるかは分からないんだけどね」

 新巻さんは言うけど、もう覚悟を決めて、すっきりとした顔をしている。



「それで、篠岡先輩はどうするんですか?」

 弩に、痛い所を突かれた。


 新巻さんの進路も決まったし、錦織も、卒業したらしばらく父親のデザイン事務所で働くことに決まっている(あの古品さんとのスキャンダルで、錦織の父親が、息子は私のところで修行しているって公に嘘の発表をしたから、そのアリバイ作りのためにもしばらく働くのだそうだ)。


 だから、寄宿舎と主夫部の三年生で、まだ進路が決まっていないのは僕だけだった(っていうか、三年生全体でも僕くらいかもしれない)。


 ヨハンナ先生は、僕がまだ進路を決めかねているのを知ってるから、面接を最後の方の順番にしてくれた。

 連休明けまで、少しだけ猶予ゆうよがある。


 もちろん、僕は主夫になる。

 それは決まっている。

 だけど、連休明けまでに僕と結婚してくれる人なんて見つからないだろうし、だとすると、それまで何をするのか決めないといけない。



「あのさ、もし良かったら、もしでいいんだけど、篠岡君、私のところで働かない?」

 新巻さんが何気なく言った。


「えっ?」

 僕も、弩も宮野さんも、びっくりして新巻さんを向く。


「篠岡君、主夫を目指してるけどまだ相手がいないんでしょ? だったら、それが見つかるまで、私の所で働けばと思って」

 新巻さんが、僕の目を見ずに明後日あさっての方を見て言った。


「べべべ、別に、深い意味はないんだよ。ほら、私、作家業に専念するから、卒業したら前に買ったマンションを拠点にして、そこで執筆するんだけど、知ってのとおり、私、家事とかまるで出来ないし、料理も出来ないし、身の回りの世話をしてくれる人がいたら嬉しいなって思ってて。だ、だったら家政婦さんとか雇えばいいかもしれないけど、やっぱり、知らない人よりは、気心が知れてる人のほうがいいじゃない? 篠岡君は、私の好みとか全部知ってるでしょ? 食べ物の好みも、好きな柔軟剤の香りだって知ってるし、パンツの畳み方だって知ってるし。ああ、パンツとか何言ってるんだ私。あっ、あと、待遇たいぐう面で言えば、それなりのお給料は出せると思う。私、お給料が出せるように頑張るし。身の回りの世話をしてくれて、執筆に専念できれば、もっともっとたくさん書けて、お金も稼げるだろうし。かえってそっちの方が、お給料を払わないといけないっていう責任感が増して、頑張れるかもしれない。今だって、それなりのたくわえはあるの。だから、そっちは心配しないで。執筆は深夜に及ぶこともあるし、徹夜になることもあるだろうけど、ちゃんと篠岡君の部屋も用意するから。大丈夫、部屋のベッドとか家具とかは、全部こっち持ちで揃える。残業代だってちゃんと出すし、週休二日にもするし、パワハラは絶対にしないし。ホワイト中のホワイトだから。目が痛いくらいに白いから。それにその、篠岡君にお相手が見つかったら、いつでも辞めていいし。その人と結婚して主夫になっていいから」

 新巻さんがまくし立てた。


「だから、もし良かったら、もし進路が決まってないんだったら、私の所にくれば?」

 新巻さんが言って、僕が剥いた梨を一つ噛んだ。

 シャリって、いい音がする。


「マンションで、一日中、二人っきりで過ごすんですよね」

 宮野さんが言った。

「篠岡先輩を独占するなんて、ずるいです!」

 弩が言う。


「いや、だから、違うってば!」

 新巻さんが慌てる。

「もう、この子達ったら……」

 新巻さんが、弩と宮野さんの頭を笑顔でぺしぺしと叩く。


「うん、ありがとう。考えておく」

 僕は答えた。


「そっ、そう。返事はいつでもいいから」

 新巻さんが言って、梨をもう一かけ手に取ると、逃げるように食堂を出ていく。


 新巻さん、あんなに慌てて、どうしたんだろう?


「僕が進路決めてないから、新巻さんにまで心配かけてるんだな」

 僕が言うと、

「いいえ、違うと思います!」

「僕が言うのも失礼ですけど、篠岡先輩はにぶすぎです!」

 弩と宮野さんが、なんか怒っている。

「えっ?」

 二人は、「まったくもう!」とか、「鈍感!」とか、ぷりぷり怒りながら、僕が剥いた梨を全部持って、食堂を出て行ってしまった。

 僕は、サンルームに一人、取り残される。


 一体、なんなんだ。


 だけど、こんなふうに高校三年生の夏休み明けに進路に迷ってるような奴じゃ、下級生に呆れられても仕方ないかもしれない。

 クラスメートなんて、夏休み返上で予備校の合宿に行ったり、勉強漬けの毎日を送っていたのだ。

 それなのに僕は、いつも以上に楽しい夏休みを謳歌おうかしていた。

 進路に対する思いはあったけど、それを心の隅に追いやっていた。

 当然、そのツケが回ってきたんだろう。



 気がつくと、僕は母木先輩にメールをしていた。

 相談する相手って思ったら、第一に母木先輩の顔が浮かんだ。

 僕は、メールに現状と思っていることを正直に書いた。


 すると、メールを送って五分もしないうちに母木先輩から電話がかかってくる。


 僕はすぐに電話を取った。


「ああ篠岡、メール見たぞ」

 電話口から母木先輩の声が聞こえる。

 その優しくて落ち着いた声に安心する。

 普段、LINEやメールでお互いのことは報告してるけど、やっぱり声を聞くのはまた違った。


「なあ篠岡、もし良かったら、うちに来ないか?」

 母木先輩が、そんな提案をしてくれる。


「連休を利用して、うちに来いよ。進路のことも含めて、久しぶりに色々話そう。統子も喜ぶと思う」

 母木先輩が言った。

 統子とか、鬼胡桃会長のことを呼び捨てにしていて、二人はすっかり夫婦って感じだ。


「いいんですか?」

「ああ、構わない。喜んで招待するよ。連休だし泊まってけ」


 母木先輩と鬼胡桃会長の愛の巣か。


「はいうかがいます」

 僕は答えた。


「そうか、それじゃあ、ご馳走作って待ってるから」

 母木先輩がそう言った後でさわやかに笑ったのが、電話口でも分かる。



 頼もしい先輩を持って良かったって、改めて思った。


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