約束の花火
「ねえ、今日がここに泊まれる最後だし、みんなでジャグジーに入ろうよ」
僕達がコテージの広間でぐだぐだしていたら、ヨハンナ先生がそんなことを言い出した。
暑さも和らいだ昼下がり、漂流の疲れもあって、僕達はソファーに寝転んでいる。
相変わらず、僕は女子達に昼寝の枕にされていた。
「いいですね。入りましょう!」
弩がサッと体を起こす。
あの、屋上デッキにある、海と空が見える真っ白なジャグジー。
いいなぁ、女子達。
女子達、みんなできゃっきゃうふふしながら、楽しく入るんだろう。
海と空を見ながら、色々ガールズトークで盛り上がるんだろうなぁ。
僕が色々と妄想していたら、
「篠岡君、君も一緒に入るんだよ」
ヨハンナ先生が僕を指さした。
「えっ?」
先生、今なんとおっしゃいました?
「みんなでジャグジーに入って夏休みの疲れをとって、新学期に備えましょう」
先生が笑顔で親指を立てる。
「いえ、でも、そんなの、僕、ダメです。一緒に入ったら、どこを見てたらいいか分からないし、疲れをとるどころか、逆に、疲れちゃいそうだし……」
「どこを見てたらって、あなた、今までだって平気でみんなと水着で遊んでたじゃない」
「ああ」
そっか、水着か。
「ああってなに? 私が、裸で一緒に入ろうって誘ったとでも思ったの?」
ヨハンナ先生にジト目で見られる。
「いえ、そんなわけじゃ、別に……」
思ってました、すみません。
「それとも、私達とジャグジー入るのは嫌なの?」
「いえ、全然、そんなことないです。全然ないです。嫌っていうか、むしろ大歓迎というか、大歓迎って言ったら、語弊がありますけど。いえ、語弊があるって言ったら、嘘になりますけど……」
僕があたふたしてたら、ヨハンナ先生が僕のおでこを指で突っついた。
「みんな、篠岡君と一緒にジャグジー入るの、いいよね」
先生が女子達を見渡して訊く。
すると、女子達全員が無言で頷いた。
いいのか……
いや、嬉しいんだけど。
控えめに表現して、すごく嬉しいんだけど。
「それじゃあ、みんな、水着に着替えて屋上に集合!」
ヨハンナ先生が、僕達を追い立てるように手を叩く。
屋上に一番最初に駆け付けたのは僕だった。
なんか、新巻さんに「必死か!」って突っ込まれそうで恥ずかしい。
真っ白い円形のジャグジーには、もうお湯が張ってあった。
お湯の温度はぬるくて、プールに入るみたいな感覚だ。
「おまたせ」
僕が先に入って待っていたら、ヨハンナ先生を先頭に、水着に着替えた女子達が屋上に現れた。
ヨハンナ先生の、黒いホルターネックのビキニ。
弩のフリルが付いたピンクのビキニ。
萌花ちゃんの黄色い花柄のビキニ。
宮野の、下がショートパンツみたいなデザインで、上が白いチューブトップのビキニ。
新巻さんのネイビーのオフショルダーのトップに、下がボーダーのビキニ。
ここに来てから見慣れた水着姿なのに、なんだか、一緒にジャグジー入るってなったら、目を逸らしてしまった。
ヨハンナ先生と弩が僕の両側に座る。
その横に萌花ちゃんと宮野さんが座って、新巻さんが僕の正面に座った。
丸いジャグジーの中で、僕達は膝を突き合わせて座る。
「本当に、絶景ですね」
萌花ちゃんが言った。
日が傾いて、もうすぐ夕焼けに染まる真っ青な海と、ライトブルーの空が、水平線を境に上下に分かれている。
岬の突端だし、手すりもないから、遮るものがなくて、その光景がすぐ目の前に広がっていた。
「篠岡君は、こんな美女達に囲まれて、別の意味で絶景なんじゃない?」
ヨハンナ先生が訊く。
先生、あんまり僕を弄らないでください。
ジャグジーの中にみんなで入って、お互いの膝が触るくらい近くにいて、それでなくても、僕はのぼせてしまいそうなんだから。
「ちょっと、水流を入れてみようか」
ヨハンナ先生が操作パネルにあるジャグジーのスイッチを押した。
すると、底から無数の細かい泡がぶくぶくと湧き上がってきて、水面で弾ける。
プチプチと弾ける泡が全身を撫でて気持ち良かった。
「くすぐったい!」
「もう、暴れたらだめだってば!」
女子達が、キャッキャと声を上げた。
みんなが水の中で動くから、足の指が僕の脛を触ってこそばゆい。
操作パネルには、水流の強さを調節したり、水中の照明の色を変えられるスイッチがあって、弩がそれで遊んでいる。
「あっ、ここ、テレビまであるんですね」
操作パネルにはテレビのマークもあった。
弩がそれを押すと、床の一部がせり上がって、50インチくらいのテレビが現れた。
テレビは水に濡れても大丈夫なように、ガラスのカバーで覆われている。
テレビ画面には、夕方のニュース番組が映っていた。
女性キャスターが、深刻そうな顔で原稿を読んでいる。
「もう、テレビなんかいいじゃない。この海と空を見ていれば、ずっと飽きないんだし」
新巻さんが言った。
「そうですよね」
弩が、もう一回ボタンを押してテレビを仕舞おうとしたときだ。
「ちょっと待って!」
ヨハンナ先生がそれを止めた。
テレビ画面に、自衛隊の艦船が映る。
洋上で何か作業をしている、大きなグレーの船が映っていた。
先生がテレビのボリュームを上げる。
要約すると、某国の潜水艦が、航海中に機関の故障で日本近海の海底に座礁して、それを自衛隊が救助したっていうニュースだった。
海上自衛隊の潜水艦救難母艦「ちよだ」が海の上で作業する様子を、上空からヘリコプターで撮影している。
「えっ? これって、私達が遭難した辺りじゃない」
テレビ画面に映し出された地図を見て、新巻さんが言う。
驚くことに、そこは僕達が漂流していた海域だった。
母の艦に救助された海域でもある。
座礁した潜水艦の100人を超える乗組員は、全て「ちよだ」によって無事救助されたみたいだ。
相手国の外務省報道官が、「日本国政府の協力に感謝する」っていう声明を読み上げている(なんか、感謝するっていうわりには、仏頂面だったけど)。
「あの、まさか、僕達が乗ってたクルーザーがぶつかったのって……」
僕がヨハンナ先生を見ると、
「まあ、そういうことだよね」
先生が言って、みんなが、「えええー!」ってジャグジーから立ち上がる。
お湯が溢れてデッキが水浸しになった。
「私が事情を訊かれた自衛官の話によると、私達の船がぶつかったのは、潜水艦本体じゃなくて、通信用のブイじゃないかってことだったけどね。本体は、私達のずっと下で座礁していたみたいで、通信しようとしてブイを上げたら、それが偶然、あのクルーザーに当たったみたいなの」
ヨハンナ先生が説明する。
先生は話を聞いて、真相を全部知っていたらしい。
僕達のクルーザーの下に100人を超える人がいたなんてゾッとする。
それも、暗い海の中で動けなくなって、救助を待っていたなんて……
あの時、ヨハンナ先生が浮かない顔で戻ってきた理由が分かった。
そんな話を聞いたら、今この安全なところにいても震えがくるくらいだ。
ちょっと寒くなったから、みんなでジャグジーに入り直した。
「ニュースでは機関の故障とか言ってますけど、もしかして、水面下で激しい戦闘が行われていた、とかじゃないですよね? 国籍不明の潜水艦が、自衛隊に追い詰められて浅瀬に乗り上げて座礁しちゃったとか。そこで本国に連絡をとろうとして、私達の船にブイがぶつかったとか」
新巻さんが妄想の翼を広げている。
「機関の故障って言ってるんだから、そういうことなんでしょ」
先生がテレビを消した。
「大人の事情ってヤツだよ。まあ、そういうことにしておきましょう」
そう言って肩を竦める先生。
「だから、このことは私達だけの内緒だよ。あのクルーザーも、鯨か何か海洋生物にぶつかったことになってるから」
大人達の間では、もう、そんなふうにシナリオが書かれていたらしい。
「なんか、スパイ映画見たいですね」
宮野さんが言った。
「小説書いちゃダメですか?」
新巻さんが訊く。
新巻さんの目、興味で輝いていた。
「今はダメだよ」
先生が強く言って、新巻さんがしょんぼりする。
「そうね、10年後くらいならいいんじゃない」
新巻さん、10年後にノンフィクションデビューか。
国家間の陰謀とか大きな話だけど、大きすぎてなんだか実感がなかった。
ただ、それに巻き込まれた僕達は無事で、こうして呑気にジャグジーに入っている。
そういうことだ。
僕達は、お湯に入ったり、のぼせそうになると海風を浴びたりして、ジャグジーを楽しんだ。
行く夏を惜しんで、最後まで目一杯楽しむ。
夕焼けのオレンジに染まった海が黒くなって、空も段々、星が目立つようになった。
「先生、もう出ませんか?」
長くお湯に浸かっていて、僕は手の皮がふやけてしまった。
「そうね。でも、もう少し待って」
ところが、先生がなぜか粘る。
僕達をいつまでもジャグジーに留め置いた。
僕は、最後の夜のディナーの用意をしたいし、女子達も好い加減のぼせそうだ。
「そろそろかな」
先生がチラッと時計を見て言った。
そして、ジャグジーの照明を消す。
あたりは真っ暗になった。
「さあ、始まるよ」
すると、向こうの岬のほうから、ひゅーって、あとを引くような音が聞こえた。
みんな反射的に音のするほうを向く。
と同時に、ドーンってお腹に響くような音がして、夜空に大輪の花が開いた。
視界いっぱい、はみ出すような花火が上がったのだ。
花火は、岬の崖上の建物にいる僕達の、ちょうどの前で弾けた。
視界いっぱい伸びきった火の粉が、燃えながらゆっくりと落ちていく。
キラキラと瞬く火の粉が、みんなの目を輝かせていた。
浜辺に金色の火の粉が降る。
まわりが昼のように明るくなった。
みんな、口が半開きになって見とれている。
しかしそれは一瞬で、火の粉は何事もなかったみたいに空中で消えた。
辺りはまた、星明かりだけの暗がりに戻った。
儚い、刹那の輝きだった。
「これって、もしかして、僕達のために」
僕はヨハンナ先生に訊く。
「もちろん、私、最終日に盛大に花火やるって言ったでしょ?」
先生が得意げに言った。
「先生……」
確かに言ってたけど、こんな大きな花火だったなんて。
それも、こんなところから見せてくれるなんて。
「先生、このために無理したんじゃないですよね」
僕は訊いた。
「無理はしてないよ。まあ、ボーナスから捻出したから、この一発だけなんだけどね」
先生がケロッとした顔で言う。
最後の最後に、こんなサプライズを仕込んでくれたヨハンナ先生。
「だけど、ここを無料で借りられたし、篠岡君はホテル並みのサービスをしてくれるし、夏休みに海外旅行にでも行ったと思えば、安いもんだよ」
先生が言う。
「あなた達と良い思い出を作れたんだから、安い安い」
先生はそんなふうに言って星空を仰ぐ。
ビキニで、ジャグジーで、花火で。
忘れられない、最高の夏休みになった。
「さあ、それじゃあ、夕飯にしようか」
ヨハンナ先生が、ジャグジーから立ち上がる。
最後の夜だし、やっぱり今夜はバーベキューだろう。
肉とか、残りの食材全て食べ尽くすし、先生にはここにあるお酒、全部飲ませてあげたい。
色々あった僕達の夏は、そんなふうに終わった。