漂流
目が覚めたとき、天窓から青空が見えた。
丸い天窓からベッドルームに朝日が差し込んで、僕の顔を焼いている。
時間を見ると、午前5時を少し回ったところだった。
疲れていて、朝までぐっすりと眠ってしまったらしい。
まわりを見ると、女子達はまだ夢の中だ。
寝入りは僕の体を枕にしていたのに、寝相が悪くて、ベッドのあちこちに散らばっている。
萌花ちゃんと宮野さんが抱き合うみたいにしてるし、弩の足が新巻さんの頭を踏みつけていた(起きたとき怒られるぞ!)。
僕は、そっとベッドルームを抜け出した。
ヨハンナ先生が心配になって、キャビンの上の操縦席を見にいく。
「おはよう」
ラダーを登った僕に、操縦席の先生が笑いかけた。
先生はやっぱり徹夜で見張りをしていたらしい。
「おはようございます」
僕は挨拶して助手席に座った。
朝の海は少し波立っていて、遠くの空に重そうな雨雲も見える。
「どうですか? 船とか通りました?」
「それがねぇ、今のところ一隻も」
先生が海面を見たまま言う。
「ここ、どのへんなんでしょう?」
「GPSを見ると、だいぶ沖に流されてるみたいだね。水深が深すぎて、アンカーも使えないし」
さすがに先生、ちょっと疲れているみたいだった。
金色の髪がボサボサだし、青い瞳もしょぼしょぼしている。
「先生、お腹空いてませんか?」
「うん、ちょっと」
先生がお腹をさすった。
「分かりました、少し待っててください」
僕はラダーを下りてギャレーに入る。
冷蔵庫や棚にあった食材から、ズッキーニとタマネギ、トマトとベーコンを角切りにして、コンソメスープを作った。
具がたっぷり入ったスープを、先生に届ける。
「ありがとう」
先生は宝物でも受け取るみたいに、両手で恭しくカップを受け取った。
おいしそうに、全部飲んでくれる。
「それじゃあ、あとの見張りは僕が代わります。先生は寝てください」
「ううん、私はまだ大丈夫」
「ダメです。先生は寝てください」
「平気よ、これくらい。年上だからって、私をお婆ちゃん扱いする気?」
先生がふざけて言った。
「体調を崩して先生に倒れられたら、僕達どうなるんですか? 先生が下りないなら、僕は悪い生徒になります。先生を、力尽くで無理矢理下ろしますよ」
僕は、怒られるのを覚悟で、ちょっとだけ強く言ってみる。
そしたら先生が僕の髪をくしゃくしゃってした。
「分かったよ。ありがとう」
先生はそう言って僕を抱きしめる。
僕は、先生の胸元に深く抱かれた。
先生からは、潮の香りがする。
「なにか変化があったら、すぐに呼びなさいね」
先生はそう言い残して、ラダーを下りた。
下で挨拶を交わす声が聞こえたから、起き出した女子達と入れ替わりになったのかもしれない。
「先輩、おはようございます!」
弩が笑顔を見せた。
新巻さんも萌花ちゃんも宮野さんも、みんな元気だ(或いは元気を装ってるだけかもしれないけど)。
腹ぺこの女子達にもさっき作ったズッキーニのコンソメスープを出した。
スープだけだと物足りなそうだったから、クラッカーも添える。
せっかくだから、クラッカーには冷蔵庫にあったキャビアとチーズを載せた。
「漂流中のサバイバルなのに、朝からキャビアとか、贅沢だよね」
新巻さんが言って、みんなで笑う。
朝食のあと、日よけを広げた操縦席の下で、みんなで見張りをした。
近くを通る船がいないかを見て、時々スマートフォンの電源を入れては、繋がらないか確認する。
だけど、二時間たっても近くを通る船どころか、遠くを行く船影さえ見えない。
海は海のままで、何も変化がなかった。
ずっと海を見ていると、段々、目が痛くなってくる。
風が出て波が立ってるから、太陽を受けた水面がキラキラ光って、それが目に障るのだ。
「あのう、提案があるんですけど」
しばらく監視を続けていたら、宮野さんが手を挙げた。
「僕達で、帆を作りませんか?」
宮野さんが言う。
「風が出てきたし、陸地のほうに向かって吹いてるみたいだし、帆を張れば少しは陸に近づくんじゃないでしょうか?」
確かに、昨日までは凪のような状態が続いたのに、朝から波立って船が揺れるようになっていた。
「そうね、気休めでも、やってみましょうか。帆を張れば、この船も今より目立つようになるでしょうし。誰かが、見付けてくれるかもしれないし」
新巻さんが頷く。
「そうですね。どうせやることないし」
萌花ちゃんも賛成した。
みんなで、船の中から帆の材料になりそうなものを探す。
デッキの左右にある道具入れや船倉を探ると、釣り道具やブルーシート、ステンレスのポールにロープ、ダクトテープなんかが出てきた。
「これで作れそうですね」
大工仕事が得意な宮野さんが、指揮を執る。
まずは、三枚あったブルーシートを釣り針と釣り糸で縫って、一枚の大きな帆にした。
その作業は、弩と新巻さん、萌花ちゃんの三人が担当する。
その間に、僕と宮野さんで、帆を掲げるマストとヤードを作った。
ステンレスのポールと釣り竿を使って、T字型の骨組みを作る。
接合部分は、ロープで固く縛った上に、ダクトテープでぐるぐる巻きにした。
それをキャビンのラダーに縛り付けて立てたら、四方にロープを張って、倒れないように補強する。
弩達が作った帆の端を輪にして、釣り竿を通したら、釣り竿の両端にロープをくくりつけて、ヤードに引っかける。
ここまでで三時間もかかって、もうすぐお昼だ。
「それじゃあ、帆を上げてみましょう」
宮野さんの合図で、ヤードに引っかけた二本のロープを手繰ると、帆が少しずつ上がった。
上まで伸びきったところで、ロープを手すりに括りつける。
ブルーシートの帆は、横に8メートル、縦に4メートル弱の広さがあった。
見た目は悪いけど、これで帆船の出来上がりだ。
一陣の風を受けて、帆がぱんぱんに膨らむ。
マストのステンレスポールが、ギシギシと音を立てた。
すると、船体がぐぐっと、前につんのめるみたいに揺れる。
「やった、成功じゃない!」
新巻さんが声を上げた。
僅かに、船が前に進んだ気がする。
「すごい! ヨットみたい!」
弩が、興奮して僕のTシャツの裾を引っ張った。
しかし、喜びは一瞬だった。
次に風が吹いたとき、ボキッっと鈍い音を立てて、釣り竿が折れる。
ステンレスのポールと結びつけたところから、真っ二つだった。
釣り竿は、ダクトテープで首の皮一枚繋がって、惨めにぶら下がっている。
「ダメでしたか……」
宮野さんが肩を落とした。
ロープとダクトテープで繋いだだけでは弱すぎた。
それに、元々この大きな船を動かすには、力不足だったのかもしれない。
惨めに垂れ下がったブルーシートを、強くなってきた風が、バタバタとはためかせた。
「それじゃあ、みんな一旦キャビンに戻ろう。何か飲み物出すから」
長いこと作業したし、みんなを休ませないといけない。
みんなで、すごすごとキャビンに戻った。
だけど、ただ一人、弩だけがいつまでも恨めしそうに折れたマストを見ている。
中々、戻ろうとしない。
「弩、仕方ないよ。他の方法を考えよう」
僕が声を掛けた。
それでも弩は、マストを見てぼーっとしている。
「弩、どうした? 諦めよう」
僕は弩の肩を揺すって言った。
でも、弩は、遠くを見るような目をしている。
「いえ、そうじゃないんです。先輩、あれ、船じゃないですか?」
弩が見ていたのは、折れたマストじゃなくて、その先の海面だった。
「船?」
キャビンに入っていたみんなが、一斉に外に出る。
みんなで、弩が見ている方角を向いた。
水平線の上。
陽炎のように揺らめく遙か先に、何か、黒い影のようなものが見える。
それは、こっちに向かってきているみたいで、段々、大きくなった。
にじり寄るようなスピードだけど、確実にこっちに近づいている。
「船だ! あれ、船だよ!」
「船だね! 船だよ!」
僕達は、声を上げて抱き合った。
新巻さんまで、興奮して僕に抱きついてくる。
「おーい!」
思わず、みんなで手を振った。
まだ向こうから見えるはずもないのに、全員で手を振る。
僕達の声が聞こえたのか、ベッドルームにいたヨハンナ先生が駆け上がってきた。
その頃には黒い影はもっと大きくなっていて、それが船だってはっきりと分かるくらいになっている。
先生が船の舳先で発煙筒を焚いた。
シューシューと音を発して、発煙筒からオレンジ色の煙が上がる。
船はこっちに気付いてるみたいで、発煙筒に反応して、ボーッって、汽笛を鳴らした。
「良かった、助かったね」
ヨハンナ先生がデッキにへたり込んだ。
女子達が先生の周りに集まった。
「ゴメンね。怖い思いをさせて」
ヨハンナ先生が、女子達の背中を抱く。
弩も、新巻さんも、萌花ちゃんも宮野さんも、女子達は涙ぐんでいた。
顔には出さなかったけど、みんな相当怖かったに違いない。
みんなの姿が、霞んで見える。
僕も、涙ぐんでいるのかもしれない。
段々と近づいて来る船。
大きくなるグレーの、その船体。
「あれ?」
僕は思わず声を上げてしまった。
「僕、あの船知ってます」
あの船影に、僕は見覚えがある。
右側に寄せられた艦橋、広大な飛行甲板、そして甲板上の戦闘機、F-35。
間違いない。
「あれ、護衛艦『あかぎ』です」
僕が言って、みんなが僕を振り返る。
「あれ、母が艦長を務める艦です」