観覧席
「着心地、どうですか?」
浴衣を着た新巻さんに、僕が訊いた。
「うん、いいみたい」
脱衣所の鏡の前でくるっと回って、新巻さんが言う。
ミントグリーン地に椿の柄の浴衣を着た新巻さん。
帯は白で、帯留めはグリーンと赤の二色だ。
新巻さんは、いつもハーフアップにしている髪を、今日は後ろの低い位置でお団子にしている。
それだから、一回も太陽を浴びてないみたいな真っ白のうなじが見えた。
「すごく、綺麗です」
僕が言うと、
「そう、ありがとう」
新巻さんが、ちょと俯いて言う。
あれ? いつもの新巻さんなら、僕が綺麗とか言ったら、「もう、からかわないでよ!」とか言って、そこから、僕と新巻さんで二言三言掛け合いがあるのに、今日はなんだか素直だった。
もちろん、僕はからかってるわけじゃなくて、新巻さん、本当に綺麗なんだけど。
「僕もこれ、気に入りました」
宮野さんも、同じように僕が縫った浴衣に着替えていた。
宮野さんの浴衣の生地は、青にひまわりの柄で、帯は朱色。
「初めての浴衣ですけど、パリッとした感じがするし、涼しいし、最高です。篠岡先輩ありがとうございます!」
宮野さんに笑顔でそう言ってもらえると、一生懸命、夜鍋して縫った者として、こんなに嬉しいことはない。
「それで、パンツは脱いだ方がいいんですか? よく、着物のときはパンツ脱ぐとか言うじゃないですか?」
宮野さんが訊いて、腰の辺りに手を掛けた。
「いや、はいていてください!」
僕が言って、脱衣所にいた他のみんなが笑う。
「ひすい、ほら、お兄ちゃんに浴衣ありがとうて言わないとね」
北堂先生が、抱いているひすいちゃんに語りかけた。
ひすいちゃんが「あーあー」って、僕の頭を小さな手で撫でてくれる。
僕が縫ったひすいちゃんの浴衣は、白地におもちゃの自動車の柄で、北堂先生のは、赤紫の金魚の柄だった。
弩は僕が去年縫った藤色の地にピンクの朝顔の浴衣を着てるし、萌花ちゃんも黒の市松模様に桜柄の浴衣に着替えている。
こうやって着替えた女子達を見ていると、我ながら、良い出来の浴衣だと思う。
浴衣を縫うのは三回目だし、僕は将来、結婚してくれる相手に、どこに出しても恥ずかしくない浴衣を縫ってあげられるはずだ。
また一つ、主夫部部員として、成長できた気がする。
「それじゃあ、そろそろ出掛けましょうか?」
北堂先生が言った。
僕達はこれから、浴衣で揃えて花火大会だ。
「あれ? ヨハンナ先生は?」
さっきまでここで浴衣の着付けをしていたヨハンナ先生が見当たらない。
「先生はバルコニーです」
弩が言った。
「またか」
僕達がバルコニーの「からくり」を見付けて以来、あそこはヨハンナ先生のお気に入りの場所になっている。
風が吹き抜けて涼しいし、見晴らしはいいし、先生は時々バルコニーで空に上がっていた。
そこで一人で考え事をしている。
「先生! そろそろ行きますよ」
僕は二階の窓から天空の先生に声を掛けた。
「はーい。今下りるね」
空から先生の声が聞こえる。
空に上がっていたバルコニーが、ゆっくりと小刻みに揺れながら下りてくる。
初めてこのバルコニーで空に上がったとき、下りる方法が分からずに僕達は一瞬戸惑った(トイレに行きたいヨハンナ先生が焦りまくっていた)。
辺りをよく調べたら、バルコニーのレリーフの後ろにハンドルが出ていて、それを回すと徐々に下がることが分かって、事なきを得た(先生もトイレに間に合った)。
ハンドル一回転で1㎝くらいしか下がらなかったから、人力で元の位置に戻るまで時間がかかったけど、宮野さんが電動工具のドリルを改造して、ハンドルをモーターで回せるようにしてくれたから、今ではボタン一つで上げ下げが出来るようになっている。
「それじゃあ、行きましょうか」
ヨハンナ先生も、去年僕が縫った藍色の地にあざみの花の浴衣を着ていた。
まとめた髪のうなじが色っぽくて、僕はしばらく見入ってしまう。
金色の後れ毛で、先生に後光がさしたように見えた。
「どうしたの、篠岡君?」
ヨハンナ先生に訊かれて僕はどぎまぎする。
「先生に惚れ直した?」
先生はそんなことを訊いた。
やっぱり、大人の女性はずるいと思う。
花火大会会場の河原は、大混雑していた。
先週予定されていた近くの花火大会が雨で中止になったから、その分、多くの人がこっちの花火を待ちわびていたのかもしれない。
河原から道路にはみ出した人達を警備員さん達が戻していたり、道路が渋滞してクラクションが鳴ったりしていた。
週末だし、人でごった返している。
日が暮れて、会場では頭上を渡る提灯や、川沿いに並ぶ屋台の明かりが目立ってきた。
ひすいちゃんが、初めて見る夏祭りを、食い入るように見詰めていた。
浴衣の女性もたくさん来てるけど、やっぱり、うちの寄宿舎の女子には敵わないと思う。
金色の髪のヨハンナ先生を筆頭に、浴衣美人が歩いていると、みんなが振り返った。
そして、なんでこんなちんちくりんが彼女達を連れてるんだって、みんながそんな目で僕を見てる気がした。
「どうですか? 美女軍団を率いてハーレムの王になった気持ちは?」
ヨハンナ先生が、僕の顔を覗き込んでそんなふうに訊く。
ハーレムの王って……
「大丈夫、自信を持ちなさい。あなただって、十分素敵な男の子なんだから」
ヨハンナ先生が僕の頭をくしゃくしゃってした。
先生、自信なさげにキョロキョロ周りを見ていた僕に気付いて、勇気づけてくれたのかもしれない。
花火の前に、僕達は屋台を見て回った。
綿菓子の屋台で一本買って、みんなで摘まむ。
金魚すくいの屋台では、30匹くらい捕まえている人がいて、どこまで記録が伸びるのか、みんなで見学した。
「あっ、PS4とSwitchが当たるくじがありますよ!」
弩が一つの屋台を指す。
弩……それは闇っぽいものが見えそうだから、止めておこうか。
お面を売っている屋台で、たくさんの顔が並んでいるのが怖かったのか、ひすいちゃんが泣き出した。
「ほーら、大丈夫だから」
北堂先生が背中を優しく叩いて、ひすいちゃんをなだめる。
僕がヨーヨー釣りで取ったヨーヨーをプレゼントすると、漸くひすいちゃんが泣き止んだ。
「今日は、車じゃないからいいよね」
ヨハンナ先生は飲み物の屋台でさっそく一杯のビールを手にする。
お酒が飲めない僕達は、ラムネで乾杯した。
浴衣の女子に囲まれて飲むラムネは、今まで飲んだどんなラムネよりも甘酸っぱい。
そしていよいよ、花火が打ち上がる頃になって、僕達は途方に暮れてしまう。
花火を見物する河原は、人で一杯だった。
人が溢れていて、もちろん座ることは出来ないし、立っていても、後から後から人が集まってきて、ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車みたいになった。
背が低い弩は見るのが大変そうだし、ひすいちゃんもぐずり始める。
「これじゃあ、花火どころじゃないよね」
新巻さんが言った。
「それじゃ、みんな、場所を変えましょう」
ヨハンナ先生が号令をかける。
ヨハンナ先生はいつも僕達のことを考えて周りの状況を見てるし、状況判断も素早い。
「もうお祭りの屋台は楽しんだからここはいいよね。私達には花火見物に丁度いい場所があるじゃない」
ヨハンナ先生がそう言ってウインクした。
「あっ、そうですね」
それがどこかは、みんなに鈍感って言われる僕にも分かる。
僕達は、会場で花火を見るのを諦めて、寄宿舎まで夕涼みしながら歩いた。
寄宿舎に帰ると、階段を上がって、宮野さんが壁のレリーフの面を入れ替える。
みんなでバルコニーに乗って、空飛ぶ車のスイッチを押した。
バルコニーはガタガタ揺れながら、空に上がっていく。
「わあ、綺麗!」
女子達が思わず声を上げた。
目論見通り、空中のバルコニーからは、木々に邪魔されることなく、夜空の花火が全て見える。
遠い河原の方で、地上から花火がにょきにょき生えるのがはっきりと見えた。
ドンドンドンと、音が遅れて聞こえてくる。
「特等席ですね」
宮野さんが言った。
宮野さんは、座って手すりの間から足を出して、下でぷらぷらさせる。
それを真似して、弩も萌花ちゃんも、新巻さんも足を出して座った。
僕とヨハンナ先生、北堂先生は、その後ろで手すりに寄りかかって見る(ひすいちゃんは、手が辛そうだった北堂先生から預かって僕が抱いている)。
僕達は、青村喜多郎が作った空飛ぶ車の上で花火を見た。
月の使者の車の上で花火を見るって、これ以上の場所はない。
「さて、それじゃあ、私は失礼して」
バルコニーの手すりに寄りかかったヨハンナ先生が、プルトップを引いた。
ヨハンナ先生はバルコニーにちゃっかりと缶ビールを持ち込んでいる。
さっき屋台で買った焼きそばに、たこ焼き、イカ焼き、チョコバナナと、おつまみも揃っていた。
僕達はそれを食べながら花火を見る。
「玉屋!」
宮野さんが大きな声を出した。
「鍵屋!」
萌花ちゃんも続く。
「うーわー」
ひすいちゃんもご機嫌で声を出した。
そんな女子達の楽しげな声は、花火大会が終わる夜9時までずっと続いた。
僕達を見下ろす月は、満月には足りなくて、ラグビーボールみたいな形をしている。