出席カードぶら下げて
「はい、みんな、元気がないよ! どうしたの?」
早朝から、ヨハンナ先生が張り切っている。
Tシャツにショートパンツで、金色の髪をポニーテールにしたヨハンナ先生が、スピーカーから流れる軽快な音楽に合わせてラジオ体操をしていた。
僕と寄宿舎の住人は、先生の対面に並んで同じくラジオ体操をしている。
先生に叩き起こされたから、みんなまだ眠そうな顔だ。
萌花ちゃんなんかパジャマのままだし、新巻さんは目を瞑って体操していた。
宮野さんは、Tシャツを後ろ前に着ている。
気を抜くと眠ってしまう弩が寄りかかってくるから、僕は体操しながら何度も弩を抱き起こした。
昨日の夜から今日の朝方にかけて、僕達は新巻さんの部屋に集まって、発売されたばかりの、イカっぽいキャラクターが主人公のゲームをしていた。
塗りまくっていた。
仕事があるヨハンナ先生と北堂先生、それにひすいちゃん以外で集まって、夜を明かした。
最後のほうなんて雑魚寝になって、気付いたら僕は、新巻さんと萌花ちゃんに顔を踏んづけられた上に、足を弩と宮野さんの枕にされていた。
そんな状態だったから、みんないつも以上に眠いのだ。
「ほら、みんな、最後までしっかり!」
深呼吸で手を目一杯、上に伸ばしたヨハンナ先生が、僕達を注意した。
夏休みに入った寄宿舎の中庭は、朝から賑やかだ。
音楽に負けじと、林の中ではたくさんの蝉が鳴いている。
眩しい木漏れ日を見ていると、今日も暑くなりそうだった。
この天気で洗濯物がすぐに乾くから、主夫としては実に有り難い。
「はい、それじゃあ、はんこ押すから、並んで並んで」
体操が終わると、ヨハンナ先生がみんなを集めた。
僕達は首から提げている出席カードを持って、言われるままに先生の前に並ぶ。
このカードは、昨日の夜、先生が僕達に配ったものだ。
並んだ順に、ヨハンナ先生がはんこを押していく。
「はい、篠岡君も、ポチッ」
今日の日付のマスに「霧島」って先生のはんこを押してもらった。
なんだか、小学生の頃を思い出す。
花園がカードをなくして、仕方なく僕のカードをあげたことなんかを、ふと思い出した。
「皆勤賞の人には、先生からプレゼントがあるからね。絶対に休んじゃダメだよ」
ヨハンナ先生が言う。
プレゼントとか言っても、どうせノートとかシャープペンなんだろう。
「どうせノートとかシャープペンって思ってるかもしれないけど、もっともっと良いプレゼントだから、期待してね」
先生はそう言ってウインクした。
僕は、思わずヨハンナ先生の唇を見てしまう。
いや、そんなことはない。
キスのプレゼントとか、ま、まさかな。
それにしても、今日、ヨハンナ先生は僕が起こさないでも起きたし、自分からラジオ体操始めたり、気力が漲っている。
夏休みに入ってから、先生はいつも以上に生き生きとしていた。
先生、最近なんか嬉しいことでもあったんだろうか?
ラジオ体操のあと、みんなで朝食のテーブルを囲んだ。
今日の朝ごはんは、アジの干物に、オクラと豆腐の味噌汁、卵焼き、ほうれん草の胡麻和えに昆布の佃煮っていう、シンプルな献立だった。
もちろん、用意したのは僕だ。
「御厨みたいに、凝った料理は出来ないけど……」
僕が言い訳すると、
「篠岡君の料理も、実家の手料理みたいで好きだよ」
ヨハンナ先生が言ってくれる。
「なんか、懐かしくて、結局ここに戻って来たくなる味なんだよね。お袋の味って言うの?」
年上の先生の郷愁を誘う僕の料理って、なんなんだ……
お袋とか言われてるし。
食事を終えたら着替えを手伝って、二人の先生と、保育園に行くひすいちゃんを見送った。
「いってらっしゃい」
「いってきます!」
玄関を出て行く二人の後ろ姿を見ながら、やっぱり二人はカッコいいって実感する。
職場に赴く背中が勇ましい。
後ろを、安心してついて行ける背中だ。
朝食の後片付けと、そのあとの掃除はみんなが手伝ってくれた。
「先輩一人だと大変ですから」
弩が言う。
「まあ、将来共働きになることもあるだろうし、パートナーが病気になることもあるだろうし、私だって一通りの家事が出来るようになってないとね」
新巻さんは、素直に手伝ってあげるって言わないで、そんなふうに言った。
みんな自分の部屋を掃除して、廊下の雑巾掛けもしてくれる。
おかげで、十時前には掃除も終わった。
掃除が終わって一息ついたら、食堂にみんなで集まって宿題をする。
「僕、7月中に宿題始めるなんて、初めてです」
宮野さんが言って、みんなが笑った。
「ボクっ娘カワイイよ、ボクっ娘」
新巻さんがニヤけた顔で、宮野さんの頭をなでなでする。
同じクラスの新巻さんの宿題を写させてもらったおかげで、僕の宿題も大いに捗った。
宿題に区切りをつけて洗濯物を取り込んだあとで、お昼にそうめんを茹でる。
おかずは、ナスの揚げびたしと、鶏肉のカシューナッツ炒めだ。
カシューナッツ炒めをピリ辛にしてあったからか、暑くてもみんな食が進んで、茹ですぎたかなと思ったそうめんを、ペロリと平らげてくれた。
お腹が一杯になったお昼過ぎの暑い時間帯は、玄関ホールにゴザを敷いて、そこでみんなで昼寝した。
林を抜けてくる風が涼しくて、クーラーなんていらなかった。
女子達がTシャツやタンクトップにショートパンツっていう、あられもない姿で寝ていて、寝相が悪くてお臍を出すから、僕は何度も起きて、みんなのお腹にタオルケットを掛ける。
昼寝から起きると、新巻さんは自室に戻って執筆にかかった。
萌花ちゃんは、今度写真家仲間と開く共同写真展のための、写真の現像に入る。
ライトが付いたヘルメットを被った宮野さんは、この館の調査で今から床下に潜るらしい。
弩が一人暇そうにしていたから、
「弩、夕飯の買い物付き合うか?」
僕が訊くと、
「はいっ!」
って、目をキラキラさせて返事をした。
リードを付けてもらって、これから散歩に行くって悟った子犬みたいに、尻尾をぶんぶん振る(注:振っているように見えただけ)。
「帽子忘れるなよ、日焼け止め塗った? 弩は日に焼けるとすぐに赤くなるから」
僕の言葉に、弩は恥ずかしそうに首を竦めた。
「どうした?」
「いえ、先輩は、母みたいに私のこと知ってるし、気遣ってくれるなと思って」
弩が照れながら言う。
「弩のお母さんの方が、僕より何千倍も何万倍も弩のこと知ってるし、気遣ってるよ」
僕はそう答えたけど、弩に母みたいって言われて、正直嬉しかった。
もう少しで弩を抱きしめてほっぺスリスリするところだった。
母みたいって言われて喜ぶ男子高校生も、どうかとは思うけど。
「ただいま!」
日が傾いて夕飯の支度が整った頃、まずヨハンナ先生が学校から帰ってきた。
「先にシャワー浴びますか? それとも、すぐにご飯にします?」
「塞君にする!」
ヨハンナ先生が、目を爛々と輝かせて言う。
「あ、はい」
先生のそんな言動にも慣れてきた。
まだ上手い言葉で返せないけど、とりあえず、大人の女性にからかわれても、うろたえることはなくなった。
保育園にひすいちゃんを迎えに行った北堂先生も、すぐに帰って来る。
みんなで夕飯の食卓を囲んで、そのまま晩酌をするヨハンナ先生におつまみを出した。
先生の学校での愚痴を聞きながら、お酌をする。
食事を終えても食堂でいつまでも話が途切れない女子達を促して、お風呂に入ってもらった。
「あれ? 弩さんって大きくなったんじゃない?」
「いえ、先生には敵いません」
お風呂場からキャッキャ聞こえる女子達の声に赤面しながら、僕は台所を片付ける。
御厨から預かった漬物のぬか床をかき混ぜて、明日の朝ごはんの下準備をした。
一番最後に僕が風呂に入って、お湯を抜くついでに掃除して、風呂から上がる。
「先輩、今日も塗りませんか?」
僕が風呂を出たら、廊下で弩が待っていた。
まだ長い黒髪が完全に乾いてなくて、リンスのフルーティーな香りがする、おいしそうな弩。
新巻さんの部屋には、もう、女子達が集まってるらしい。
「もちろん、塗りに行くよ」
僕は答えた。
自由な夏休みの夜、素敵な女子達に誘われて、断る奴がいるだろうか。
僕は、冷蔵庫から麦茶ポットを出して、新巻さんの部屋に馳せ参じる。
「先輩、ここどうぞ」
萌花ちゃんにクッションを勧められて、女子達の輪に入った。
テレビ画面の前に並んで座って、みんなで順番にゲームする。
だけど、これだけ警戒されないっていうのも、どうなんだろう?
みんな、タンクトップとかキャミソールとかで隙がありすぎで、肩と肩が触れあうくらい近くにいるのに、僕のこと全然気にしてないみたいだった。
弾みで腕とか脇腹とかに触っちゃっても、文句の一つも言わない。
僕のこと、男として見てないんだろうか?
弩やヨハンナ先生が言うみたいに、僕はお母さんなんだろうか?
そんなことを考えながら弩と萌花ちゃんに挟まれてゲームをしてたら、
「あなた達、何してるの!」
突然、ヨハンナ先生がドアを開けて入ってきた。
ミントグリーンのキャミソールに、ショートパンツのヨハンナ先生が、ドアの向こうで仁王立ちしている。
「もう、私も入れてくれないと、ずるいじゃない!」
先生はそう言って、僕の隣に割り込んで座った。
「先生、明日、研修あるって言ってませんでした?」
僕が訊いても、先生は「いいからいいから」って、プロコントローラーを握る。
先生はそのまま僕達と夜更かしした。
翌日、ヨハンナ先生が寝坊して、二日目にしてラジオ体操が中止になったのは、言うまでもない。
枝折、花園、別れて二日目だけど、元気にしてますか?
お兄ちゃんは、こんな夏休みを過ごしています。