ぶっつけ本番
「先輩、編集、終わりました」
ドアを開けて、弩が部屋から出てきた。
202号室の前の廊下で、壁に寄りかかってうとうとしていた僕は、部屋から出てきて倒れそうになった弩の腕を掴んで支えた。
「これに、編集した映画が入ってます」
弩が、手に持った外付けのハードディスクを僕に託す。
目が真っ赤で、髪もべったりと重たく見える弩。
時間を見ると、朝の五時を少し過ぎたところだった。
今日は土曜日で、数時間後には文化祭が始まる、ギリギリのタイミングだ。
「これから、皆さんに試写会してもらいましょう」
弩はそう言って、疲れた表情に無理に笑顔を引っ張り出した。
「いいから、弩は始業時間までちょっと寝ろ」
僕は、足がふらつく弩を支える。
「だけど……」
「少し寝よう。弩に倒れられたりしたら、そっちの方が迷惑だぞ」
僕はそう言いながら、弩の背中と膝の裏に手を入れた。
「えっ? わっ、わっ」
戸惑っている弩を、僕はそのままお姫様抱っこする。
「暴れたって無駄だぞ。絶対に寝かせるから」
ちょっと強めに言ってみた。
ここは、弩に抵抗されようと、大声出されようと、絶対に寝かせる。
「それじゃあ、お言葉に甘えます」
弩はそう言って目を瞑った。
すると、気を失ったみたいに、僕の腕の中で眠ってしまう。
やっぱり、相当眠たかったみたいだ。
編集室から一階の弩の部屋まで運んで、ベッドに寝かせた。
すーすーと寝息を立てる弩に、布団を掛ける。
危ない。
無防備な弩の寝顔が可愛いから、花園とか枝折にしてるみたいに、ほっぺたすりすりするところだった。
弩の部屋を出ると、廊下に部員と寄宿生、ヨハンナ先生や北堂先生まで、みんな揃っている(北堂先生に抱かれているひすいちゃんだけ、まだおねむだ)。
「僕達の映画、弩が完成させました」
僕は、みんなの前で弩から預かったハードディスクを掲げた。
みんなも、編集が間に合うか心配で、早起きしたらしい。
みんな、まだパジャマとか寝間着のままだ。
「弩さんがどんなふうに編集したのか、確認のために、これから急いで試写会する?」
新巻さんが訊いた。
僕達はまだ一度も完成した映画を見ていない。
本当に完成してるか確認したいし、それに、どこかおかしいところがあったら、直さないといけない。
「もう時間がないから、試写するなら急がないと」
錦織が言った。
僕達は、みんなで食堂の上映会場に向かう。
「ちょっと待ってください」
ところが、子森君がそれに異を唱えた。
「弩が完成したって言ってるなら、弩を信じてあげればいいんじゃないですか?」
子森君が言う。
「この映画作りに一番熱心だったのが弩だし、この映画のこと一番分かってるし、酷い編集はしないと思います。弩は、中途半端な仕事とかしないから」
子森君が続けた。
子森君はそのあとで、「生意気言ってすみません」って謝って、小さくなる。
「そうだね。それじゃあ、弩さんを信じて、これをそのまま上映しましょうか」
ヨハンナ先生が子森君の肩を叩きながら言った。
僕も、みんなも頷く。
確かに子森君の言う通りだ。
弩は、無責任なことはしない。
映画は、ぶっつけ本番で流すことになった。
「さあ、みんな。朝ごはん食べて、支度して、登校しましょう」
北堂先生が言う。
「はい!」
みんなが小気味よい返事をして、それぞれの部屋に散った。
みんなが行った後、ヨハンナ先生が僕に近づいてくる。
「ところで、塞君は大丈夫なの? 弩さんに付き合って、起きてたみたいだけど」
先生はそう言って僕の目を覗き込んだ。
僕は、眠たそうな顔でもしてただろうか?
「はい、大丈夫です。僕は見守るだけでなんにもしてなかったし、うとうと廊下で眠ってましたから」
僕が言うと、ヨハンナ先生が僕の頭をわしゃわしゃって、撫でた。
「無理しちゃだめだよ」
ヨハンナ先生が言う。
なんか、これだけで、眠気も疲れも吹っ飛ぶ気がした。
「文化祭に臨んで、私が言いたいことはただ一つだけだよ」
登校すると、朝のホームルームの教室で、ヨハンナ先生がクラスのみんなを前にして言った。
教卓に両手をついて、クラス全員を見渡す、スーツ姿のヨハンナ先生。
「高校生活最後の文化祭、思いっきり楽しみなさい!」
先生の言葉に、教室中から「おおー!」って、雄叫びが上がる。
これが終わると、三年生は受験一色になるし、文化祭は、高校生活で最後の大きな行事だ。
「悔いのないようにね」
先生が言って、僕達は「はい!」って揃った返事した。
クラスメートは、それぞれの部活のユニフォームを着ていたり、メイドの衣装を着ていたり、バンドのステージ衣装を着ていたりする。
みんな、それぞれの部活や団体で活躍するみたいだ。
「それから、女優、霧島ヨハンナが出演した映画の鑑賞もお忘れなく」
ヨハンナ先生がそう言って、ウインクした。
先生、ちゃっかりと宣伝してくれる。
ホームルームが終わると、講堂での開会式もそこそこに、僕は寄宿舎に戻った。
校舎裏から寄宿舎に続く林の獣道には、案内の看板と、ガイドロープが渡してある。
玄関には、観客用にスリッパを並べた。
映画を再生するパソコンをプロジェクターに繋いで、これで上映の準備は整った。
「私、もう一回、顔洗って来ますね」
監督の弩は、さっきから落ち着かない。
午前九時からの一回目の上映を前に、観客が少しずつ集まって来た。
最初のお客さんは、僕のクラスメートの長谷川さんと、菊池さん、松井さん、蒲田さんの四人だ。
僕は、四人に囲まれて小さな花束を渡された。
「篠岡君とヨハンナ先生の勇姿を見に来たよ」
長谷川さんが言って、あとの三人がクスクス笑う。
花束は、主演俳優に対するお祝いってことらしい。
普段から一緒にいるクラスメートを前にして、今頃になって急に恥ずかしさが込み上げてきた。
作ってる時は必死だったからあまり考えなかったけど、僕とヨハンナ先生のあんなシーンが満載の映画、本当に上映していいんだろうか?
「篠岡先輩、おはようございます!」
続いて、女子バレー部の麻績村さん達も来てくれた。
麻績村さんは、駅伝のとき僕がお世話したメンバーとか、バレー部員を引き連れて来てくれる。
「先輩が主役って聞いて、楽しみにしてました」
バレンタインデーのときチョコレート作りを手伝った、サッカー部のマネージャー宝諸さんと広瀬さん、野球部マネージャーの君嶋さん、藤田さん、沖さんも来てくれた。
「篠岡君、大丈夫、この周囲には何もいないわ。不穏な影は、なにもない」
超常現象同好会の拝さんも、部員の笛木君と、枝折と一緒に来る。
クラスメートやみんなのおかげで、一回目の上映は、五十席が埋まって、追加のパイプ椅子を出す盛況ぶりだった。
「篠岡君の女たらしが、こんな時には役に立つじゃない」
新巻さんが、肘で僕を突っついた。
「僕は、女たらしじゃないし」
僕が強く抗議すると、
「まったく、自覚がないのが困りものなんだよね」
新巻さんが笑いながら言う。
自覚って、なんなんだ。
でも、こうやってみんなが来てくれて、嬉しい。
「それでは、主夫部と寄宿生、共同制作の映画、『僕とヨハンナ先生の秘密』の、上映を始めます」
予定の午前九時になって、監督の弩が挨拶した。
食堂の照明が消される。
みんなが拍手をして、スクリーンにタイトルが映った。
映画は、僕とヨハンナ先生の食事シーンから始まる。