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スキットル

 校舎の屋上に行くと、そこに子森君が待っていた。

 夏服のパンツのポケットに両手を突っ込んだ子森君。

 子森君は夕日を背にしていて、屋上のコンクリートの上に、影が長く伸びている。


「呼び出してすみません」

 子森君は少しだけ頭を下に動かして言った。

 でも、ポケットに手を突っ込んだままだし、謝ってもらってる感じはしない。


「それで、話ってなに?」

 僕と子森君は、屋上の真ん中で向かい合った。


「はい、先輩に単刀直入たんとうちょくにゅうに訊きます」

 子森君は、僕の目を正面から見据えていた。


「篠岡先輩は、ヨハンナ先生と瑠璃子、どっちが好きなんですか?」

 子森君が、真顔で僕に問う。


「どっちって……」

 いきなりの質問に、反応できない僕。


「それとも、先輩は二人の気持ちを知りながら、それをもてあそんで、喜んでるんですか?」

 子森君が、強い言葉をぶつけてくる。


「そんなわけないよ」

 僕は、弱々しく否定した。


 すると、子森君がポケットから手を出した。

 そしていきなり、その手で僕の胸ぐらを掴んだ。

 掴まれたことで、制服のシャツのボタンが一つ弾け飛んで、屋上を転がった。

 僕は背の高い子森君に持ち上げられて、爪先立ちになる。


「先輩がそんな曖昧な態度をとってるから、二人とも、振り回されてるんじゃないですか」

 胸ぐらを掴んで僕を引き寄せた子森君が言った。

 僕と子森君の顔は、鼻の頭がくっつくくらい、近づいている。


「先輩が、ちゃんとけじめをつけるべきじゃないんですか」

 子森君が、怖い顔ですごんだ。




「カット!」

 弩の声が屋上に響く。


 相変わらず、ディレクターズチェアの上で、メガフォンを構えて偉そうな弩。


「子森君、演技、良かったです」

 弩が、拍手で子森君をたたえる。


「篠岡先輩も、優柔不断ゆうじゅうふだんで困り果てた男子高校生の演技、最高でした。決められない、優しすぎる男子の雰囲気出てました。先輩も本気になれば、こんな素晴らしい演技が出来るんじゃないですか」

 弩は僕のことも褒めてくれた。


 カメラマンの萌花ちゃんも頷いている。

 脚本の新巻さんも、今日は出番がなくて見守っていたヨハンナ先生も頷いていた。

 優柔不断な演技、上手かったのか。


 でもこれ、別に演技とかじゃないんだけど……


 それにしても、新巻さん、なんて脚本を書くんだ。

「先輩、痛くなかったですか?」

 子森君が心配して訊いた。

「ううん、大丈夫」

 僕は笑顔で答える。


 この前は水を張った浴槽に放り込まれたり、今日は胸ぐらを掴まれたり、僕は撮影のたびに酷い目にあってる気がする。





 その日、撮影を終えて帰ると、中学校から帰っているはずの妹の花園が、また、寄宿舎から消えていた。


 食堂にも、風呂場にも、ランドリールームにもいない。

 文化祭準備期間中、花園が枝折と二人で住んでいる108号室にもいなかった。

 花園に、メールやLINE、電話で呼びかけても返事はない。


 仕方なく、僕は校舎に探しに出掛けた。

 このままだと、誰かに見つかって本当に問題になりかねない。




 夜九時を回っても、学校内は残っている生徒の活気で満ちていた。


 耳や尻尾をつけて、「けもの」のコスプレをした女子が、廊下を行き交っている。

 ある教室では、合唱の練習で、真面目にやらない男子と、女子の代表がめていた。

 演劇に使う作りかけのセットの影で、カップラーメンをすする生徒がいる。

 その横には、お化け屋敷用のお墓が立っていた。

 同じく、お化け屋敷用のゾンビかと思ったら、徹夜続きで仮眠をとっている生徒だった。

 家庭科室からはパンケーキっぽい匂いがするけど、なんか、げ臭い。


 色々あるけど、みんな生き生きとしていて楽しそうだ。



 そんな校内で、教室を一つ一つ見回ったけど、花園の姿はなかった。

 知り合いにそれとなく訊いても、花園は見てないという。


 廊下を歩いていると、着ぐるみの黒ウサギとすれ違った。

 黒ウサギは、ビデオカメラを持っていて、校内の映像を撮っている。


「ねえちょっと」

 僕は気になって黒ウサギに話しかけた。

 もふもふで、つぶらな瞳の黒ウサギだ。


「うちの生徒じゃない女の子見なかった?」

 黒ウサギにも花園のことを訊いてみる。


 黒ウサギは首を振った。

 ウサギの長い耳が釣られて揺れる。


「そう、ありがとう」

 僕が言うと、黒ウサギはコクりと頷いて、そのまま廊下を歩いて行った。

 黒い、まん丸の尻尾を振りながら。


 この黒ウサギ、去年も見かけた気がするけど、どこの部活のウサギなんだろう?


 そのあと、文化部部室棟や、運動部の部室棟、体育館や、講堂まで探してみたけど、花園は見つからなかった。



 あきらめて寄宿舎に帰ると、食堂で、花園が、天方リタや北堂先生にまとわりついて甘えている。

 花園はお風呂に入ったあとらしく、パジャマに着替えていた。


「花園ちゃん、ちょっと」

 僕は、花園を廊下に呼び出した。


「なあに、お兄ちゃん」

 花園は迷惑そうに言う。


「さっき、ここにいなかったけど、どこに行ってたの?」

 僕は少しきつめに訊いた。

「どこも行ってないよ」

 花園は答える。

「それじゃあ、どこにいたの?」

「ちょと、お腹が痛かったから、ゆみゆみの部屋のベッドを借りて、休んでただけ」

 花園は、口を尖らせて言った。


「本当に?」

「本当だよ」

 僕が花園の目を覗き込むと、花園は目を逸らす。


「だって、部外者の花園が歩いてたら、誰か気付くでしょ? 校内には先生方もいるし、絶対に分かって追い出されるよ」

「それは、そうだけど……」

 花園の言うことは確かだけど、なんか、すっきりしない。



「それから、進路指導のアンケートは出した?」

 僕は訊いた。

「ううん」

 花園は首を振る。


 中学三年の花園には、学校から進路指導のアンケート用紙が来ていた。

 このあとの三者面談の資料として使うらしい。

 花園がアンケートを書きあぐねているのを、僕は知っていた。


「だって、まだ、どういう進路にしたらいいか、分からないんだもん」

 花園が言う。


 花園は、まだ悩み続けていた。

 優秀な姉や、立派な母、一芸に秀でた女性達に囲まれて、自分の将来をどうするのか、決められないでいる。


「期日までには、ちゃんと出すんだよ」

 口うるさいって分かってるけど、僕は言った。

「うん、分かった」

 花園は軽い口調で答えて、食堂に戻っていく。

 本当に分かってるんだろうか。



 背中に視線を感じて振り向くと、いつの間にか、僕の後ろにヨハンナ先生が立っていた。


「なんですか?」

 僕は訊く。

「うん、塞君、しっかりお兄ちゃんやってるなーと思って」

 先生は僕と花園の遣り取りを見ていたらしい。

 ただ、兄として、そして親の代わりとして、いつもと変わらないことをしてるつもりだけど、あらためて言われると、なんか恥ずかしかった。


「でも塞君、進路のことは、君だって真剣に考えないといけないんだからね」

 先生に言われる。


「はい」

 それを言われると、僕は立場がない。

 枝折が中三なら、僕は高三だ。

 僕だってとっくに進路を決めていないといけないんだけど、担任がヨハンナ先生だから、猶予ゆうよをもらっている。


「まあ、文化祭の期間中に、野暮やぼなことは言わないけどさ」

 先生はそう言って肩をすくめる。

 担任がヨハンナ先生で良かったって、心から思う。



「ところで先生、その、後ろに隠したものはなんですか?」

 僕は訊いた。


 Tシャツにキュロットパンツのヨハンナ先生。

 さっきから先生が背中に何かを隠しているを、僕は見逃していない。


「へっ?」

 先生はとぼけた。

「手を前に出してください」

 僕がきつく言う。


「もう!」

 ヨハンナ先生が観念かんねんして手を前に出した。

 先生の手には、ワインのボトルと、焼酎の瓶が握られていた。


「僕と取り決めたお酒の量は、どれだけでしたっけ?」

 僕が訊く。

「平日はビール一本。ワインなら、グラスに一杯まで、ただし、職場の飲み会や宴会の場合を除く、で、休日は、節度を守っていれば自由です」

 先生が小さな声で答えた。


「今日は?」

「平日です」


「ということは?」

「夕食のときにビールを飲んだので、このワインと焼酎は飲めません」


「はい良く出来ました」

 僕は小学校の先生みたいに言う。


「でも、御厨君のお母さんとか来てるし、女同士で飲みたいしさ……」

 ワインボトルと焼酎の瓶を持った先生が、僕に対して甘えるみたいに、上目遣いをした。


「決めたんだから、休日まで我慢しましょう。文化祭が終わったら、ご苦労さん会もあるんですし、その時たくさん飲めますよ」

 僕が言うと、

「はあい」

 って先生が返事をする。


 その顔が、お説教された少女みたいでちょっとカワイイとか、思ってしまった。


 いろんなストレスの中で戦っているヨハンナ先生には厳しいかもしれないけど、先生の酒量については、この前アンネリさんに言われたし、主夫には、妻を守る義務があるから、ここは我慢してもらう。


「あと、そのキュロットパンツの尻ポケットに入ってる、スキットルもダメです」

 まったく、ヨハンナ先生ったら、油断もすきもない。


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