青春男子
「いってらっしゃい!」
寄宿舎の玄関で、僕達主夫部は並んで妻達を送り出した。
「いってきます!」
二人の先生と、教育実習の大学生、四人の寄宿生と、保育園のひすいちゃんが、玄関を出て行く。
衣替えで、寄宿生は夏服のセーラー服を着ていた。
僕がパリパリに仕上げた夏服の白が、朝日に眩しい。
ヨハンナ先生とアンネリさんはすっかり仲直りして、今朝は、先生がアンネリさんのシャツの襟を直したり、アンネリさんが先生の髪を梳かしてあげたりしていた(普段、ヨハンナ先生の髪を梳かすのは僕の役目だから、ちょっとだけ妬けた)。
新巻さんは新作を書き上げて、肩の荷が下りた感じだし、寄宿舎は、土曜から日曜の朝まで続いたパーティーの後の虚脱感もあって、緩い空気が流れている。
「こうやってみんなを送り出す瞬間が、たまらなく愛おしいですね」
玄関で女子達の背中を見送りながら、子森君が言った。
「子森君、解ってきたじゃないか」
僕は、子森君の肩を叩く。
女子達は、林の獣道を歩いて学校に向かった。
こうして毎日、彼女達を送り出すとき、その後ろ姿が愛おしく感じるのは、僕達、先輩の主夫部部員も、皆、同じだ。
これから職場や学校で、世間の荒波に揉まれる彼女達の背中に、頑張れって、言ってあげたい。
そこで戦う彼女達が愛しくてたまらない。
そんな気持ちになる。
彼女達が帰る場所を作って、そこを守りたい、そんな気持ちになる。
まだ僕達は本当の主夫じゃないんだけど……
「それじゃあ、お茶、入れますね」
御厨が言って、台所に向かった。
妻達を送り出したあと、食堂でお茶を一杯飲んでから登校するのが、主夫部男子の日課になっている。
一仕事終えて、主夫から普通の高校生に戻るための、クッションみたいな時間だ。
御厨が用意した今日の紅茶は、ニルギリのレモンティーだった。
僕達は、食堂のサンルームで同じテーブルに着いて、ボーンチャイナの艶やかな白のティーカップを傾ける。
朝日の木漏れ日が、キラキラとお茶のオレンジ色の水面に反射した。
食堂は、すっきりとしたレモンの香りに満たされる。
世間的には忙しい月曜の朝でも、ここでは、小鳥のさえずりと若葉が擦れ合う音しか聞こえなかった。
早起きして朝練をした僕達は、贅沢な時間を過ごす。
「僕、やっぱり、主夫部に入って良かったです」
僕の対面に座った子森君が、あらたまって言った。
言いながら、照れてはにかむ笑顔が爽やかだ。
「本当にやりたいことが見つかったっていうか、もっと早く、決断してれば良かったです」
サッカー部だった子森君がここに移って、二ヶ月くらいになる。
「まだまだ、先輩達や、御厨には敵わないけど、早く結婚して、本当の主夫になりたいです」
子森君が突然、青春ドラマみたいに真っ直ぐに心境を吐露するから、聞いているこっちまで、耳が赤くなってしまった。
「早く結婚って、相手はいるのか?」
錦織が茶化すように言う。
錦織も、ほっぺたにほんのりと赤みがさしていた。
「いえ、相手はいないですけど……」
「けど?」
僕が訊く。
なんか、含みがある言い方だった。
「まだ相手はいないんですけど、気になってる女子はいます。気になってるっていうか、はっきり言って、好きな女子はいます」
子森君が下を向いて言う。
「おおお」
僕と錦織と御厨、三人が野太いどよめきをあげた。
今日の子森君は、なんだか大胆だ。
「誰だよ」
子森君の隣に座る錦織が、肘で突きながら訊いた。
「言っちゃえば?」
御厨も加勢する。
「誰かは言えないけど、すごく、近くに居る人」
子森君は、意味ありげに言って、勿体振った。
「近くってことは、うちの学校の生徒?」
僕が訊く。
「はい、まあ、そうです」
子森君は、頭を掻きながら言った。
「もしかして、この寄宿舎の住人?」
錦織が核心に迫る。
「それは、ノーコメントで」
子森君は、最後のところで言葉を濁した。
だけど、ノーコメントって言ったら、寄宿舎の住人って言ったも同然じゃないか。
この学校の生徒で、寄宿舎の住人って言ったら、新巻さんと、萌花ちゃんと、宮野さんと、そして弩。
「で、寄宿生の誰なの?」
御厨が突っ込む。
子森君が想いを寄せる相手って、誰だろう?
一つ年上で、バリバリ稼いでいる新巻さんの背中に憧れてるんだろうか?
それとも、大きなカメラや機材を持って、どこにでも突っ込んでいく、萌花ちゃんに惚れたのか?
あるいは、一つ下でボクっ娘、建築家志望の宮野さん?
まあ、でも、弩ってことはないだろう。
弩は可愛いけど、ちんちくりんだし。
大財閥の後継者だけど、ホワイトロリータをちらつかせると、お手とかするし。
柔道の使い手なのに、ホラー映画が苦手で、夜トイレとか行けなくなっちゃうし。
自分に相当才能があるのに、僕達のこと凄いって、キラキラした目で見るし……
「そういう、みんなはどうなんですか?」
今度は子森君が反撃してきた。
「僕は、もう、今すぐにでも結婚したい人がいますから」
御厨が言った。
御厨は顔を真っ赤にして縮こまっている。
それはもちろん、縦走先輩のことだろう。
「そういえば、縦走先輩はどうしてるんだ?」
僕は訊いた。
「実業団はきついって、先輩、弱音を吐いてましたよ。この寄宿舎に戻りたいとか、愚痴を言ってます」
御厨が教えてくれる。
二人は、頻繁に連絡を取り合っているらしい。
それにしても、あの、縦走先輩をして弱音を吐くなんて、いったい、実業団はどんな練習をしてるんだ。
「寮の食堂のご飯が美味しくなくて、量も少ないんだそうです」
御厨が言った。
ああ、そっちか……
縦走先輩らしい。
「俺の場合は、もう、手の届かないところに行っちゃったからな」
錦織が遠い目をした。
錦織が憧れていた古品さんの「Party Make」は、時々、テレビ番組で見るようになっている。
ラジオでは「Party Make」の名前を冠した番組も始まった。
この夏もフェスには引っ張りだこみたいだし、活動は順調だ。
「それで、篠岡先輩はどうなんですか?」
子森君が僕に顔を近付けて訊いた。
「先輩は、誰か好きな人いるんですか? 結婚して、その人の元で主夫をしたいって人、いますか?」
子森君がぐいぐい迫ってくる。
突然、子森君に言われて、その時僕の脳裏に、パッと一人の女性の顔が浮かんだ。
浮かんだのは、あの人の笑顔だ。
だけど、僕はそれを言わなかった。
「内緒」
僕はそう言ってごまかす。
不意を突かれて、その人のことが第一に浮かんだけど、僕自身、その人のことが本当に好きなのか、まだ分からなかった。