厳しい採点
「ただいま」
獣道を通って、弩が学校から寄宿舎に帰って来た。
「おかえり」
僕が玄関で弩を出迎える。
弩が靴を脱ごうとして、僕は鞄を預かった。
真面目に教科書を持ち帰ってくる弩の鞄は、すごく重たい。
華奢な弩は、毎日、この鞄に振り回されているんだろう。
廊下を並んで歩いて、弩の部屋である112号室へ向かった。
弩の鞄は僕が持つ。
「学校どうだった?」僕が訊くと、
「楽しかったです」弩が答えた。
「今日クラスの子に、主夫部ってどうなの? 面白い? って話し掛けられて、いっぱい答えました」
弩が嬉しそうに言う。
他県からこの学校に入学してきた弩は、周りに中学校の知合いもなく、しばらくぼっちだったから、それは何よりだ。
このままクラスに馴染んで、友達が出来ればいい。
112号室に着いて、弩と一緒に部屋に入ろうとすると、
「着替えるから駄目です!」
と、部屋の外に追い出されてしまった。
仕方なく、僕は部屋の前で弩を待つ。
ドア越しに衣擦れの音がした。
続いてドンと硬い音がしたのは、恐らく弩が制服に入っていたスマホを落とした音だ(基本的に弩はおちょこちょいだと思われる)。
音のあとで、「ふええ」と聞こえたから間違いない。
しばらく部屋の外で待っていると、弩が部屋着に着替えて出て来た。
「一周回ってみて」
僕のリクエストに答えて、弩が廊下でくるっと回る。
ピンクのパーカーとショートパンツの弩。
「似合う、似合う」
お世辞でなく言うと、弩はほっぺたを真っ赤にした。
「今着てた制服貸して、洗うよ」
僕は弩からセーラー服を預かる。
明日までに、洗濯して、アイロンをかけて、パリパリにして返そう。
「お風呂にする? それともご飯? どっちも用意出来てるけど」
「ご飯にします」
弩が答えて、僕達は二人で食堂へ向かった。
台所には御厨を中心に主夫部で料理した夕食が用意してあって、僕は弩の分だけそれを取り分ける。
本日のメニュー。
豚肉の生姜焼き。
ポテトサラダ。
切り干し大根の煮物。
水菜のおひたし。
エビ入りワンタンスープ。
美味しそう、と目を輝かせる弩。
このメニューに弩の嫌いなものはなさそうだ。
「いただきます」
弩が手を合わせる。
「召し上がれ」
と、僕が言う。
「見られていると、食べづらいです」
弩が茶碗で顔を隠そうとした。
弩が食べている横で、見入ってしまっていた。
弩の食事をガン見していた。
「ごめん、なんか小動物みたいで可愛いなと思って」
僕が言うと、弩は「ふええ」と言う。
「と、こんな感じでどうだ、弩」
僕が弩に訊いた。
「そうですね、今のところ八十点です」
弩は少し考えてから、冷静に答える。
「鞄を持ってくれて、軽々と運んでくれたところは、すごく頼もしかったです。それと、部屋着を似合うと褒めてくれたところなんかも、すごく気分が良いです。あと、食べ方が可愛いと言ってくれたところも、恥ずかしかったけど、なんか幸せでした」
弩が言った。
「二十点減点の理由は?」
「私が渡したセーラー服の匂いを、先輩が嗅いだところです。一日中着ていたんだし、匂いなんて嗅がれたら、恥ずかしいです」
弩が眉をひそめる。
「あれ、そんなことしてたっけ?」
指摘されても、まったく覚えがない。
「してました。先輩、くんくん嗅いでました」
「じゃあ、無意識でやっちゃったんだな。今度から気をつけるよ。でも、一日中着ていた制服の匂いを嗅いじゃう気持ち解るだろ?」
「全然解りません。今ので更に十点減点です」
弩の採点は厳しい。
放課後の主夫部、今日の活動は模擬夫婦練習だ。
主夫部部員と寄宿生がそれぞれペアになって、模擬的な夫婦になる。
それで、僕達が主夫になったときのシミュレーションをする。
僕は弩とペアを組み、
母木先輩は鬼胡桃会長と組む。
御厨は縦走先輩と組んで、
錦織はヨハンナ先生と組んだ。
これは厳正なる、くじ引きの結果だ。
本当は錦織と古品さんで、ペアを組むはずだったけど、古品さんはどこかに出かけてしまったから、寄宿舎にいて暇そうなヨハンナ先生が駆り出された。
部活で磨いた腕を使って、帰ってきた妻(寄宿生)に心地よい環境を提供するのが、今日の課題だ。
「なんで私が、主夫部の練習なんかに付き合わなきゃいけないのよ!」
廊下から、鬼胡桃会長の声が聞こえた。
「そこからかよ!」
母木先輩の声も聞こえる。
「主夫としても失格よ。もっと私を気持ち良くさせなさいよ!」
「夫婦とは一方的に気持ち良くさせるとかじゃないだろ。お互いの協力があってこそだ!」
二人は廊下で言い合いをしていた。
まあ、あれはあれで、仲の良い夫婦なのかもしれない。
だけど、食堂に辿り着くまで、まだまだ時間がかかりそうだ。
一方で、似合い過ぎているペアもある。
食堂の別のテーブルでは、御厨が縦走先輩に夕食を給仕していた。
「おかわり!」
部活終わりで腹を空かせた縦走先輩にとって、御厨は絶好のパートナーだ。
「はい、たくさんありますから、どんどんおかわりしてください」
御厨が嬉しそうにご飯茶碗を取る。
御厨にとっても自分の作った料理を美味しそうにたくさん食べてくれる縦走先輩は、ぴったりの相手なんだろう。
御厨は全ての女性をぽっちゃりにしたいという野望を持っているけど、朝から相当な運動をこなしている縦走先輩は、すごくカロリーを消費している筈で、中々ぽっちゃりにはならないだろうし。
そして、その隣には絶望的なペアもあった。
「お前らはいいよな」
僕達を見て、錦織が言う。
錦織の前にはヨハンナ先生がいて、食事のテーブルには着いていた。
けれど、先生は食事をせずにスマートフォンに夢中だ。
「先生、そろそろゲーム止めてください」
見かねて錦織が言う。
「ごめん。今、イベント中だからね。とりあえず、スタミナ全部使い果たす所までやっちゃいたいの」
先生がスマートフォンの画面を見たままで言った。
食事どころの話ではない。
「そうやって、ゲームに嵌っててこっちを見向きもしないパートナーを振り向かせるのも、練習のうちなんじゃないの?」
僕が言うと、錦織は適当なこといいやがって、と頭を抱える。
「あーあ、古品さんどこ行ったのかなぁ」
錦織の悲痛な声が食堂に響いた。
「どうせ彼氏の所に行ったとかでしょう」
錦織の叫びに、鬼胡桃会長が答える。
ようやく、廊下での口喧嘩を終えて、鬼胡桃・母木ペアが食堂に入って来たみたいだ。
「ずっと前からあの調子だからね。朝帰りをしたり、学校をずる休みしたり」
腕組みでテーブルについた鬼胡桃会長。
それに対して、母木先輩も、ドン、と音を立てて茶碗を置いた。
その振動で、ワンタンスープの水面が波立つ。
「なんで、会長は古品さんを見逃してるんですか?」
僕が訊いた。生徒会長からすれば、古品さんの朝帰りや、ずる休みは、風紀の乱れとして、正す立場だろう。
「もし、彼女がここを去ったら、また一人寄宿舎から人が減るでしょう? あんな人でも居てもらわないと」
古品さんがいなくなったら、ますますこの寄宿が舎廃止の方向へ動いてしまうということか。
「それに彼女は一つ年上でもあるしね」
母木先輩の給仕が終わると、鬼胡桃会長は、
「食べてあげるわ」
と言って、食べ始めた。
古品さんは本当に彼氏の所に行っているのだろうか。
出席日数が足りずに留年したそうだけど、彼氏に会いに行くためにそれほど休むだろうか。
僕が考えていると、
「篠岡先輩、妻の前で他の女性の事を考える人は、もう十点減点です」
弩に言われてしまう。
妻である弩は、思いのほか手厳しい。




