お花見
「おじゃましまーす」
寄宿舎の玄関で、妹の花園が無邪気な声を出した。
「ゆみゆみー、花園と枝折が遊びに来たよー」
花園が靴を脱ぎながら、弩の部屋のほうに呼びかける。
花柄のワンピースに、白いGジャンの花園と、白いブラウスにネイビーのフレアスカートの枝折。
花園や枝折が顔を見せれば、いつも子犬みたいにすっ飛んでくる弩が、一向に出てくる様子がない。
「弩、ゆみゆみ出ておいでー」
花園がもう一度呼んだ。
そんな、「まっ○ろ○ろすけ」的に呼ばなくても……
春休み、どこかに連れて行けとうるさい花園と枝折を、寄宿舎に連れてきた。
ここなら弩に遊んでもらえるし、二人が来ることで、三年生が卒業して寂しそうだった弩の慰めにもなると考えたのだ。
「ゆみゆみ?」
花園は弩の部屋の前まで行って、ドアをノックした。
それでも弩からの返事はない。
「そうだ! ゆみゆみのことだから、ドアの前におみやげのホワイトロリータ置いておけば、出てくるかも」
花園が言って、背負っていたリュックからホワイトロリータの袋を出して、一つ、ドアの前に置いた。
「おい花園、ホワイトロリータ置けば出てくるなんて、弩を馬鹿にしすg」
出てきた。
弩は、ドアの前のホワイトロリータを拾い上げて包みを剥き、ぽりぽりと子リスみたいに囓った。
水色のワンピースに、薄黄色のカーディガンの弩。
「ゆみゆみ、久しぶり!」
花園が、ひしと弩に抱きついた。
「やっぱ、ゆみゆみは可愛いのう」
愛おしそうに弩の頭をなでなでする花園。
弩と花園は背丈も逆転してるし、どっちが年上か分からない。
「弩、大丈夫か?」
反応が鈍かったのは、やっぱり、先輩達がいなくなって、ショックを引きずってるんだろうか。
「大丈夫です。ちょっと昼寝をしてただけですから。私は、落ち込んだりしてませんよ」
弩はそう言って、笑顔を見せた。
作ったふうではない、自然な笑顔だ。
「そうそう、やっぱ、ゆみゆみは笑ってないとね」
花園がそう言って、弩にホワイトロリータをもう一つ、渡す。
弩はそれを受け取って、ぽりぽり囓った。
おい花園、弩を餌付けするんじゃない。
「枝折ちゃん、花園ちゃん、いらっしゃい」
台所から、エプロン姿の御厨が出てきた。
昼食の支度を手伝っていた錦織も出てくる。
「二人が来るっていうから、美味しいランチを作っておいたよ」
御厨が言う。
「やったー! ありがとー」
花園は御厨に対して親指を立てた。
「あ、そうだ。枝折ちゃん、新しい制服直してあげるから、後でサイズ測らせてね」
錦織が声をかけると、枝折は少し俯きながら「はい」と返事をする。
そうだ、枝折も、うちの高校のセーラー服を着ることになるんだ。
卒業した三年生の色が新一年生に回ってくるから、枝折が結ぶのは黄色いリボンになる。
「錦織、職務上知り得た枝折の体のサイズに関する情報は、制服直し以外に使わないと一筆書いて、署名捺印しろ」
僕が言うと、
「もう、お兄ちゃん! 変なこと言わないでよ。恥ずかしいな」
枝折に怒られた。
「兄は私が心配なだけで、悪気があるわけではないので、どうか許してあげてください」
枝折が錦織に頭を下げる。
「大丈夫だよ、枝折ちゃん。篠岡のことは分かってるから」
錦織が笑いながら言った。
僕達が来たのに気付いて、二階から新巻さんが下りてくる。
自室で写真のプリントをしていた萌花ちゃんも出てきた。
「枝折ちゃん、花園ちゃん、こんにちは」
新巻さんが声をかけると、枝折は恥ずかしそうに、僕の後ろに半分体を隠してしまう。
やっぱり、枝折にとって憧れの対象の新巻さんは、直視するには眩しいらしい。
「枝折ちゃんと花園ちゃんが来てるし、せっかくだから、お花見しながらランチしましょうか?」
御厨が提案した。
「よし! そうだな。お花見しよう」
この辺りのフットワークの軽さは、母木先輩がいなくなった主夫部でも、健在だ。
寄宿舎を囲む林の中には、裏庭の方に三本の桜の木があって、満開の一歩手前だった。
僕と錦織が桜の木の下にブルーシートを敷いて、その上に緋色の毛氈をかぶせる。
作業してる間に、毛氈の上に桜の花びらが何枚か落ちて、風流な模様になった。
天気はいいけど少し肌寒いから、ブランケットと、クッションも用意する。
暖を取るのと、ちょっとした焼き物が出来るように、七輪に炭を入れて、火をおこした。
御厨が、ランチ用に作ったサンドイッチやおかずを、重箱に詰め替えて持ってくる。
お茶用のポットや、飲み物を用意すれば、それでお花見の準備は完了。
「わあ、本格的だ!」
「私、こんなお花見、初めてです!」
花園と弩が、じゃれ合いながら言った。
僕達はお重を囲んで、輪になって座る。
枝折がまだ照れてたから、わざと新巻さんの隣に座らせた。
「そういえば、ヨハンナ先生は?」
僕は、辺りを見回して訊く。
花見と聞いたら、一升瓶片手にすぐに現れると思った先生の姿が、見えなかった。
昼過ぎだけど、まだ寝てるんだろうか?
「先生、新しく寄宿舎に入る人のことで事務長さんに呼ばれて、校舎の方に行ったよ」
新巻さんが教えてくれる。
「新しい人って、あの、前に見学に来た宮野さん?」
あの、僕っ娘の新入生のことだ。
建築家志望で、この寄宿舎住みたくて我が校に進学したっていう、面白い女の子。
「ううん、あの子とは別の人の話みたいだったけど」
新巻さんも詳しくは分からないみたいで、首を傾げて言った。
「どうしようか? 先生を待ってようか?」
僕が訊く。
「いいじゃん。食べてようよ。どうせ、宴会は夜まで続くんでしょ」
花園が僕達の行動を見透かしたように言った。
「そうだな、ぼちぼち始めてようか」
錦織が言って、みんなが頷く。
御厨のごちそうを目の前にぶら下げられたら、みんな、これ以上、我慢できないのだ。
まあ、僕達がこうしてお花見をしていれば、ヨハンナ先生も嗅ぎつけてじきに来るだろう。
僕は、先生をおびき寄せるために、七輪でスルメを焼いておいた。
咲き誇る桜を愛でながら、晴天の空の下、みんなでランチをする。
御厨が作ったサンドイッチは、アボカドとタルタルソースのサンドイッチに、アンチョビとポテトのサンドイッチ。
レタスと豚肉の味噌漬けのサンドイッチに、卵とキーマカレーのサンドイッチ。
クリームチーズとわさびのサンドイッチ。
鶏の唐揚げや、揚げ餃子、卵焼きや生春巻きなど、おかずの方も抜かりない。
「もう、みんな、先にお花見始めてるなんて、ずるいじゃない」
お腹がいっぱいになって、のんびりと桜の下でだべっていたら、ようやく、ヨハンナ先生が僕達のほうに歩いてきた。
「先生、おかえり!」
靴を脱いだままの花園が、先生に飛びついた。
「みんな集まってるわね。丁度良かった」
先生が花園を抱えてあやしながら言う。
そんな先生の後ろに、誰かいた。
紺のジャンパースカートに、ボーダーのニットを着ている女子だ。
「今度、この寄宿舎に入ることになった彼女を案内してたの。みんなに紹介するわね」
先生がそう言って彼女を前に出した。
身長は、弩より少し高いくらいだろうか。
ウェーブがかかったショートボブの髪で、おおらかそうな目をした、丸顔の可愛らしい人だった。
すっぴんの顔に浮かぶそばかすと、ピンクのほっぺたが、童顔を一層幼くみせている。
僕達は、しばらく声も出さずに彼女を見詰めていた。
「みんな、どうしたの?」
ヨハンナ先生が、僕達に訊く。
だけど、僕達には言葉を失ってしまう理由があった。
だって、彼女はその胸に、赤ちゃんを抱いているのだ。