また今度
「はー、すっきりしたぁ」
バスタオルを頭に被った古品さんが、風呂場から戻ってきた。
すっぴんになって、スエットの上下になった古品さんは、アイドルの「ふっきー」じゃなくて、いつも寄宿舎でうろうろしてる古品さんだ。
弩達と「Party Make」の曲を三曲披露した古品さんは、汗を流すためにシャワーを浴びてきた。
この送別会に間に合わせるために、マネージャーが運転する車で、仕事場から直接ここに来たらしい。
「さあ、古品さんも、今日は大いに飲んで食べて、楽しんでいきなさい」
ヨハンナ先生が、ビールジョッキ片手に、古品さんをテーブルに招いた。
「はい、もちろん!」
古品さんは、錦織と弩の間の席に座る。
スケジュールは明日の午後まで空けてもらったってことで、久しぶりのオフに、古品さんはくつろいだ顔をしていた。
「そういえば、僕達がこの寄宿舎で初めて見た古品さんは、朝帰りで眠そうな顔をしてましたね」
錦織が言ったのを切っ掛けに、僕達は思い出話を語り合う。
初めてこの寄宿舎に来て、鬼胡桃会長に怒鳴られたこと。
縦走先輩に恋をした下級生男子と先輩が、ガチンコで勝負したこと。
夜、寄宿舎を抜け出す古品さんを追いかけて、怪しげなライブハウスに潜入したこと。
鬼胡桃会長の強面のお父さんに、母木先輩が立ち向かったこと。
文化祭のことや、みんなで夏フェスに行ったこと。
大雨で、ここが陸の孤島になったこともあった。
思い出がありすぎて、話が尽きない。
「それじゃあ先生、そろそろ、管理人として、皆さんに挨拶をお願いします」
料理も一通り食べ終わったところで、弩が促した。
「ああ、そっか」
ビールから焼酎に切り替えて、ご機嫌のヨハンナ先生。
先生がグラスを置いて立ち上がる。
「ええと、三年生の皆さん、卒業、おめでとうございます」
先生はそう言って、頭を下げた。
酔って顔は赤いけど、まだ足元はふらついていない。
「ちょっとだけ先に社会人になった先輩として言わせてもらうと、これから、世の中に出れば、自分の思い通りにならないことがいっぱいあると思う。先生にもたくさんあった。例えば、突然、わけの分からない部活の顧問にされちゃうとかね」
ヨハンナ先生が、僕をチラッと見て言った。
「薄気味悪い洋館の管理人になっちゃうとかさ」
先生が言って、みんなが笑う。
確かに以前の寄宿舎は、薄気味悪い洋館だった。
「だけど、そのおかげで、いいこともたくさんあったし、いろんな経験も出来た。今のところ、差し引きゼロより、ちょっとプラスってところかな。結局、面倒臭いことに関わらないと、何にも得られないっていうのが教訓だって、先生は思う」
「まあ、卒業する四人は、しっかりしてるし、自分から困難に挑戦していくような人達だし、私がそんなこと言う必要もないんだろうけどね」
先生はそう言って、先輩達にウインクする。
「って、ことで、これから色々あるだろうけど、何があっても、そこそこやっていけるから、腐らずに目の前のことをこなしなさい、って、これが先生からの送る言葉。ゴメンね、こんな取り留めがない話で」
先生が照れ隠しに笑って、みんなが拍手した。
故事を引いた固い挨拶なんかより、ずっといいと思う。
ヨハンナ先生らしいし。
「それでは次に、在校生を代表して私、弩まゆみが、送辞を述べたいと思います」
今度は弩が立ち上がった。
普通、こういうのは、みんなやりたがらないものだけど、弩はこの役割を自分から買って出た。
どうしても、自分から先輩達に、言葉を伝えたかったみたいだ。
「皆さん、卒業、おめでとうございます。皆さんがここを去ってしまうのは、寂しくて仕方ありません。一人っ子の私にとって、皆さんは、お姉ちゃんであり、お兄ちゃんでした。周りに誰も知り合いがいないこの学校に入って、身の置き場がなかった私も、学校生活や、寄宿舎での日常生活で皆さんに助けて頂いて、どうにかこの一年、無事に過ごすことが出来ました。思い出もたくさん頂いて、皆さんといたこの時間は、私が生きてきた中で、一番印象深い一年でした」
弩は、用意してきた原稿を丁寧に読んだ。
「これから、皆さんはそれぞれの道で活躍されると思いますが、どうぞ、何時までも私達の良いお手本でいてください。先輩方の後輩であったとこを、私は誇りに思います。また、夏休みにでも、帰って来てください。寂しかったら、五月の連休でもいいですよ。いつでも、待ってます。このたびは本当に、卒業、おめでとうございました」
読み終えて、弩が笑顔を見せた。
弩のことだから、泣いてボロボロになるんじゃないかって思ってたら、最後までしっかりと読んだ。
逆に、鬼胡桃会長や縦走先輩、古品さんのほうが、目を潤ませていた。
三人にとっても、一緒に暮らしていた弩は、可愛い妹だったんだろう。
「それでは、卒業生の皆さんにも、お言葉を頂きましょう」
弩が、司会に戻って促した。
「それなら、まず、私から」
鬼胡桃会長がそう言って立ち上がる。
会長は、話す前にまず、僕達を一通り見回した。
「今日は、送別会に加えて、私とみー君の結婚式まで開いてくれて、ありがとう。最後の最後まで、驚かせてもらって、この一年、本当に楽しかった」
会長が深々と頭を下げる。
「一年前、まだここが男子禁制だった頃は、ここに男子が出入りして、料理したり、洗濯したり、挙げ句の果てに、泊まって雑魚寝していくなんて、とても考えられなかった。これも、篠岡君が主夫部なんて作って、引っかき回してくれたおかげね、本当にありがとう」
会長は、僕に向けて皮肉っぽく言って笑った。
水を向けられて、僕はどういたしまして、と、頭を下げる。
「私達は卒業するけれど、残るみんなは、主夫部も、この寄宿舎も、守り立てて、何時までも続くように、後進に繋いでください。私達の帰る場所を残してください。約束よ」
会長が言って、僕達は頷いた。
「それから、いつか私が選挙に出るときには、応援よろしくね。それが私の総理大臣への第一歩だから」
冗談めかして言ってるけど、会長の目は本気だ。
僕達は、それに拍手で答えた。
次に、縦走先輩が立ち上がる。
「私はちょくちょくここに帰って来るつもりだから、大袈裟な挨拶はしないけれど、一言、言っておく。一年前、トライアスロン部で東京オリンピックを目指していた私が、なぜか、実業団の陸上部に入って、駅伝をしている。人生って、何が起こるか分からないってことだ。だから、まあ、みんなのんびりやってほしい。美味しいご飯が食べられていれば、あとはなんとかなるものだ。今日は、この会を開いてくれて、本当にありがとう」
縦走先輩も、そう言って頭を下げた。
実に、縦走先輩らしい挨拶だ。
縦走先輩の次は、古品さんが立ち上がる。
「みんな今日は、ありがとう。私のスケジュールに合わせてくれたのに、少し遅れちゃってゴメンね」
古品さんはそう言って可愛らしく頭を下げた。
「一年前の私は、売れない地下アイドルで、メジャーデビュー出来るとも思ってなかったし、学校を卒業出来るとも、思ってなかった。ただ、ライブやレッスンの毎日が楽しくて、踊ったり、歌ったりしてただけだった。それが、みんなの協力で、徐々にファンが増えていって、フェスに呼ばれたり、全国ツアーが出来たり、信じられないくらい活動の場所が広がっていった。これも、衣装を作ってくれた錦織君や、ライブ会場まで送り迎えしてくれたヨハンナ先生、そして、レッスンや生活の面倒をみてくれたみんなのおかげです。本当のありがとう」
古品さんはそう言って、ライブのときみたいに、深々と頭を下げた。
「この際だから、いつか武道館とか、東京ドームでライブが出来たら、とか、言っちゃいます。言霊だから、言っておいたほうがいいよね。その時はみんなを招待するから、楽しみにしていてください。今日は、本当にありがとう」
古品さんは、涙を流しながら言った。
釣られて、鼻をすする音が聞こえる。
錦織も、男泣きしていた。
最後に、母木先輩が頭を掻きながら立ち上がる。
「主夫部で一緒に活動したみんな、そして、僕達に活動の場を提供してくれた寄宿舎のみんな、今日まで、本当にありがとう」
先輩はそう言って、真っ白い歯を見せた。
どこまでも、爽やかだ。
「寄宿舎での活動は、本当に楽しくて、高校生活最後の一年、充実した毎日を過ごすことが出来た。おかげで、ちょっとした誤解から疎遠になっていたトーコとも、仲直り出来たし、さらには、同棲して、結婚まですることになった。僕とトーコのことを見守ってくれていた寄宿舎と、主夫部のみんな、ヨハンナ先生に感謝します。今日は、こんな立派な送別会と、結婚式を開いてくれて、重ねてありがとう」
「それから、主夫部のみんな、僕は主夫として、これからの生活で家事を実践していくから、それで得た知識は、みんなに報告する。楽しみにしていてくれ」
母木先輩が言うと、鬼胡桃会長が、
「えっ、みー君私達の生活を報告しちゃうの?」
と、ちょっと不満そうに言った。
「家事のことだけだからいいだろ」
「どうしよっかな-」
あの、二人とも、それは後でやってください。
「それじゃあ、あとは堅苦しい挨拶は抜きで、みんなで、大いに語らいましょう。お布団も干してありますし、食べ物も飲み物もまだまだありますし、朝まで大丈夫です」
弩が言った。
みんなから、一際大きな拍手が上がる。
「さあ、朝まで飲んじゃうよ!」
ヨハンナ先生が言って、さっそく、ワインのコルクを引き抜いた。
「よし、前菜が終わったから、本格的に食べよう」
縦走先輩が、箸を握り直す。
「私、もう一曲歌っちゃおうかな」
古品さんがカラオケの端末で曲を探し始めた。
「ちょっと、飲み物取ってきますね」
みんなが盛り上がる中、弩が席を立って食堂を出て行った。
「えーと、トイレ行ってきます」
僕は、少し気になったから、遅れて弩を追いかける。
台所を覗いてみたけど、そこに弩はいなかった。
人の気配がしたから、ランドリールームを見てみる。
「弩?」
すると弩は、ランドリールームの洗濯機の脇にいた。
そこで、こっちに背中を見せて、肩を震わせている。
「おい、弩」
近づいて顔を覗き込むと、弩は涙を流していた。
「弩、どうした?」
「先輩……」
弩が、鼻水も垂らして泣いている。
僕が声をかけたからか、余計に大泣きしてしまった。
僕は、よしよしって、背中を叩く。
「そっか、先輩達に泣いてるところを見せないように、我慢してたのか」
僕が訊くと、弩は、ゆっくりと頷いた。
きっと、ここを去って行く先輩達に、もう泣き虫の弩じゃないって見せたくて、我慢してたんだろう。
送別会の実行委員長として、責務を全うしようとしていたのだ。
「ほら、ハンカチ」
僕は弩にハンカチを渡した。
「ありがとうございます」
弩は受け取って、涙を拭く。
「鼻も、ちーんして」
僕がティッシュペーパーを渡すと、弩はそれで鼻をかんだ。
「せっかく、ここまで我慢したんだから、最後まで先輩達に涙を見せないで、寄宿舎を出てもらおう」
僕が言うと、弩が「はい」と頷いた。
弩は、涙を引っ込めて笑ってみせる。
無理して笑うところが愛おしかったから、とりあえず、頭を撫で繰り回しておいた。
「ふええ」
弩が笑顔で言う。
僕達は台所から飲み物を取ってきて、食堂に戻った。
「ほら、二人とも何してたの。罰として、なんか、余興でもしなさい」
ヨハンナ先生が言って、僕達はマイクを持たされる。
宴会は夜遅くになっても終わらず、結局みんな、寄宿舎に泊まった。
夜遅くまでどころか、ラグやクッションの上で雑魚寝しながら、窓の外が白んでくるまで続いた。
お昼前に起きて、朝食とも昼食ともつかない食事を、みんなで食べた。
「最後に、みんなで写真撮ろうか」
ヨハンナ先生が言う。
「それじゃあ、この寄宿舎をバックに撮りましょうよ」
鬼胡桃会長が提案して、写真は玄関で撮ることになった。
萌花ちゃんが三脚を立てて、カメラを据える。
僕達は玄関の石段に立った。
前列に、右から、母木先輩、鬼胡桃会長、縦走先輩、古品さん、ヨハンナ先生。
後列に、右から、僕、錦織、御厨、弩、萌花ちゃん、新巻さんの順番で並ぶ。
「それじゃあ、皆さん撮りますよ」
カメラのリモコンを持った萌花ちゃんが、みんなに呼びかけた。
「はい、チーズ」
念のため、合計五枚も撮ったのに、後でよく確認したら、五枚とも全部、僕の目が半開きで、みんなに笑われる。
「それじゃあ、またね」
「さようなら」
「じゃあ、行ってくる」
「また今度」
先輩達四人が、木漏れ日の中、林の獣道を去って行った。
僕達は、みんなが見えなくなるまで、玄関で見送る。
見えなくなっても、僕達はしばらくそこに立ち尽くしていた。
林の中は静かで、春の柔らかい風が葉を揺らす音しか聞こえない。
「あっ、桜だ」
弩が、何かを見付けて言った。
林のどこからか、桜の花びらが飛んできて、それが一枚、ヨハンナ先生の肩に止まる。
「春だな」
「春ですね」
寂しいけれど、これからまた、なにか楽しいことが起きそうな、そんな予感がした。