眠れる林の美女
「あとの一人のことは考えなくていいわ」
鬼胡桃会長が言った。
言って、めざしを頭からバリバリと食べる。
バリバリ食べて、尻尾まで全部食べ尽くしてしまう。
「それは、どういう……」
錦織が食い下がろうとすると、
「私が考えなくていいと言ったら、考えなくていいの。それ以上の意味でも、それ以下の意味でもないわ」
ピシャリとはねつけられた。
「おかわり!」
縦走先輩が勢いよく三杯目を差し出す。
御厨がニコニコしながらご飯茶碗を受け取った。
御厨のぽっちゃり計画は順調に進んでいる。
「弩さんもおかわりどうですか?」
御厨が、大根おろしを避けて卵焼きを食べている弩に訊いた。
卵焼きを頬張る弩のほっぺたには、ご飯粒が一粒、付いている。
「ほら、弩、ここ、ほっぺにご飯が」
僕が弩のほっぺたに付いたご飯粒を取ってあげて、自分の口に運ぼうとすると、みんなの食事の手が止まった。
やおら注目を集めてしまう。
まずい、いつも妹の花園にやっている感覚で、自然にほっぺたのご飯粒を取って食べようとしていた。
ギリギリのところで、ご飯粒を皿の隅に置く。
「危ないです。もう少しで篠岡先輩と結婚しないといけないところでした」
弩が言う。
いつから相手のほっぺたのご飯粒を取って食べたら結婚しなければならないという決まりが出来たんだ。
ってゆうか、それは危ないことなのか、弩。
その様子を見ていた縦走先輩が、口のまわりにご飯粒をたくさん付けて僕達にアピールする。
でも僕達はそれをスルーした。
「ふわーあ」
大あくびをしながら、食堂に一人の女子生徒が入って来る。
「あー疲れた。管理人さん、今日も風邪で病欠ってことにしといて」
女子生徒はあくびをして大粒の涙を流した。
セーラー服のリボンが赤だから三年生だろう。
彼女は制服の上に淡い水色のスプリングコートを羽織って、肩にトートバックを掛けている。
「夕方まで寝るから、起こさなくていいよ」
細い縁なしの眼鏡の下の目は眠そうで、彼女は眉間に皺を寄せていた。
前髪を左に流してヘアピンで留めて、おでこを出している。
スプリングコートの下が制服じゃなければ、この春入社して、そろそろ疲れが見え始めたOLさん、という雰囲気だ。
ただし、出社時というより退社時という感じがする。
朝帰りでもしたんだろうか?
「あれ? あれあれ」
彼女はたぶん、僕達主夫部、四人の男子を見付けて言った。
それはそうだろう、昨日まで男子禁制だった場所で、僕達は向かい合って堂々と朝ご飯を食べているのだ。
それも、実に平和そうに。
「ここは男子OKにはなってないし、男子を連れ込むことも解禁されてないわ」
鬼胡桃会長が女子生徒の思考を先回りして言った。
「それに管理人さんは昨日辞めて、もう来ないと思う」
会長の代わりに、母木先輩が、今後、主夫部がこの寄宿舎の家事を担うことになったと説明する。
同学年で、母木先輩は彼女を知っているみたいだ。
「ほう」
彼女はそう言って、改めて一人一人、僕達を品定めするように見る。
「まあ、なんだか分からないけど、とりあえず寝るね。今、考える気力もなくて。一晩中だったから、くたくたでさ……もう足腰がガクガクで」
彼女は眉間の皺を更に深くして言った。
「あのあの、私、弩まゆみといいます。弩のゆみとまゆみのゆみで『ゆみゆみ』って呼んでもらえると嬉しいです」
弩が突然立ち上がって彼女に自己紹介する。
女子生徒はカワイイ、カワイイを連発して、弩の頭を撫で繰り回した。
弩は「ふええ、ふええ」と言っている。
「あなた、カワイイから私のところに来ない?」
彼女が弩に言った。
「無垢な新入生を余計なことに関わらせてはなりません」
鬼胡桃会長が睨み付ける。
「こわーい」
と言いながら、彼女はもう一度あくびをして、食堂を出て行った。
「今のがこの寄宿舎の寄宿生、残りの一人、古品さんよ。古品杏奈さん。三年生だけど、出席日数が足りなくて一年留年しているから、年齢は私達よりも一つ上。彼女は殆どここにいないし、いても今みたいに寝に来るだけだから、いないものとして扱っていいわ」
そう言って、鬼胡桃会長が頭からバリバリとめざしを噛み砕く。
「さあ、遅刻しないようにさっさと食べて登校するわよ」
会長が僕達に発破を掛けた。
古品さんはずる休みの常習者みたいだけど、それを生徒会長が見逃しているようなのが、不思議だった。
「いってらっしゃい」
玄関に並んだ僕達主夫部五名でお見送りをした。
ここでは弩も僕ら見送る側に回る。
「いってまいります」
「いってきまーす」
鬼胡桃会長と縦走先輩がそれぞれ応えた。
いつものボルドーのワンピースの会長と、純白のセーラー服の縦走先輩。
寄宿舎を囲む林の獣道を通って、校舎のほうへ。
先輩達を見送って、これで主夫部の朝練も終わりだ。
まだこれから学校があるというのに、充実した朝練で、一仕事終えたような、まったりとした気分になっている。
「さあ、戸締まりをして、僕達も登校しようか」
母木先輩が言った。
玄関を振り返ると、柱に掲げられた銘板が見える。
昨日は暗かったから見えなかったけど、今朝先輩が掃除をして蜘蛛の巣を払ったから、この銘板が現れたらしい。
『失乙女館』
銘板にはそのように刻まれていた。
「これがこの寄宿舎の名前だ。失乙女館と書いて、『失われし乙女の館』と読むらしい。世界から全ての乙女がいなくなったとしても、この館には人類最後の乙女が残っている。乙女の最後の砦がこの館。そんな意味でつけられた名前のようだ」
母木先輩が言う。
「先輩、詳しいですね」
「いや、玄関にあったパンフレットに書いてあった」
「ああ、なるほど」
人類最後の乙女が残っている館。
今この館に残っている乙女は、朝帰りで深い眠りについているけど。