僕
「入寮したいと思ってるんですけど、見学は可能ですか?」
寄宿舎の玄関に現れた、制服の女の子が訊いた。
中学校の紺のブレザーに、スカートの制服。
髪は、二本の三つ編みを交差させて、サイドに寄せてリボンで結んでいる。
ほっぺたがピンクに染まっていて、人懐こい目の、初々しい女の子だ。
背丈は、弩より少し高い。
玄関から続く階段ホールでひな祭りパーティーの最中だった僕達、主夫部と寄宿舎の住人が、彼女を囲んだ。
「見学、大歓迎よ。見ての通り、私達はひな祭りのパーティーを開いていたところなの。ここは、こんなふうに季節の行事も欠かさないし、少数精鋭のアットホームな寄宿舎です」
ヨハンナ先生が答える。
先生、とりあえず、口から出てるスルメのゲソ、引っ込めてから言いましょう。
それに、少数精鋭でアットホームは、ブラックのフラグです。
「お名前は?」
鬼胡桃会長が訊く。
会長は寄宿生候補を逃すまいと、さりげなく後ろに回って、彼女の退路を塞いだ。
「はい、僕、『宮野たくみ』っていいます」
その子は言った。
「えっ?」
そこにいた全員が訊き返す。
「え、あ、あの、僕、宮野たくみ……です、けど……」
宮野と名乗ったその女の子は、全員に見詰められて困った顔をしていた。
「僕、なんか、おかしいですか?」
宮野さんは小首を傾げて、訊く。
「ぼっ、僕っ娘だー!」
みんなが大きな声を出した。
「ぼくっこかわいいよぼくっこ」
新巻さんが、ほっぺたスリスリしそうな勢いで、宮野さんに顔を近づける。
懐からメモ帳を出して、なにかメモっていた。
新巻さんの萌えポイント、僕っ娘だったのか。
その横では「かわいー!」って言いながら、縦走先輩がくんくんと宮野さんの匂いを嗅いでいた。
先輩、匂い嗅いでどうするんですか。
「かわいいから、ホワイトロリータあげますね」
弩がそう言って、ポケットから出したホワイトロリータを一本、宮野さんに渡す。
おい、飴ちゃんあげる感覚で、ホワイトロリータをあげるな!
「見学記念に写真撮りましょう」
萌花ちゃんが言って、いつも首に提げている一眼レフで、写真を撮った。
でも萌花ちゃん、そんなに連写してどうするんだ。
後輩の寄宿生が出来るってことで、女子達はみんな、興奮している。
浮き足立っている。
しかもそれが、僕っ娘なのだ。
「私は、ここの管理人をしている、霧島ヨハンナよ。この学校の教師でもあるわ。よろしくね」
先生が髪を掻き上げて腰に手を当て、ポーズを取った。
ちょっと、お酒くさいけど。
「あ、先生なんですね。凄くお綺麗で、僕、モデルさんがいるのかと思いました」
宮野さんが言う。
「まあ、なんて素直な良い子なんでしょう」
先生はそう言って宮野さんを抱きしめる。
女子達、ちょっと浮かれすぎだ。
みんなに歓迎されながら、宮野さんが僕達のことを不思議そうに見た。
「あの、ここ、男子禁制じゃないんですか?」
僕達を指して宮野さんが言う。
「ああ、男子禁制だ。でも、彼らは主夫部と言って、部活動の一環でここの家事をしているんだ。とても頼りになる連中だぞ」
縦走先輩が紹介してくれた。
「主夫部さん、ですか……家事をしてるんですね」
宮野さんは、今一納得していないような顔をしている。
「見学したいのね。それじゃあ、生徒会長であるところの私、鬼胡桃統子が、直々に中を案内してあげ……」
会長の言葉の途中で、
「わあー!」
って言いながら宮野さんが階段の手すりまで走って行って、それに目を凝らした。
「この飾り彫刻、すごいですね」
宮野さんは手すりに施された複雑な彫刻を、目をキラキラさせて観察する。
「あ、あのう……」
半分無視された鬼胡桃会長が、面食らっていた。
「あっ、すみません。僕、こういう建物に目がなくて」
会長を戸惑わせる、面白い女の子だ。
気を取り直して、会長が寄宿舎の中を案内する。
僕達はそれについて回った。
「ここが食堂よ。食事をしたり、会議室になったり、勉強したり、のんびりくつろいだり、色々な用途に使ってるわ」
会長が説明する。
「わあ、サンルームが付いてるんですね」
宮野さんが、奥に走って行った。
サンルームには、ちょうど夕日の木漏れ日が差し込んでいる。
漆喰の壁に、オレンジ色の濃淡で模様が出来ていた。
「ここで、日向ぼっこしながら本を読んだり、お茶を飲んだり、まどろんだりするのは最高よ」
会長が言う。
「窓枠とかも、本当に丁寧な作ってあって美しいですね。金具の真鍮とかも、すっごくおしゃれです」
宮野さんが、それらを食い入るように見て、目を輝かせた。
「そ、そうね」
宮野さんの興味は建物にあるのか。
「個室は一階と二階で二十四部屋あって、ほとんどが空いてるから、好きなところを選べるわよ」
鬼胡桃会長が今度は個室に案内した。
サンプルとして、玄関の隣、107号室を見てもらう。
空き部屋だけど、母木先輩の掃除の結果、中は塵一つない状態で保たれていた。
「どう? この出窓と備え付けのクローゼット、素敵でしょ?」
会長が自慢げに言う。
「この腰板、一枚板の彫り下げじゃないですか! やっぱり、こんな丁寧な仕事がしてあるんですね」
壁の腰板を触りながら、宮野さんが言う。
「え、ええ、すごいでしょ」
会長もたじたじだ。
やっぱり、なんか、宮野さんは見るところが違う。
「ここがランドリールーム。寄宿生の洗濯物は全部ここでするんだ」
ここの説明は、会長に代わって僕がした。
「先輩が、洗濯するんですか?」
宮野さんが僕に訊いた。
「うん、洗濯は、僕がする。でも安心して、僕は毎日、妹達のパ」
僕が言いかけたところで、弩に手で口を塞がれる。
ちゃんと説明しようとしたのに、何するんだ。
「先輩、それは追い追い、説明していきましょう」
宮野さんに微笑みかけながら、弩が、僕の耳元で言った。
弩は、僕がなんかまずいことを言うとでも思ったんだろうか。
そのあと、風呂場やトイレ、多目的ホールに裏庭と、宮野さんに寄宿舎を隈無く見てもらった。
宮野さんは、終始、興味深そうに目を爛々とさせていた。
「それで、宮野さんはなんで寄宿舎に入ろうと思ったの?」
玄関に戻ったところで、御厨が訊く。
「はい、だって、ここ、青村喜太郎の設計なんですよ。そんな建物に住めるなんて、幸せじゃないですか」
宮野さんが、あらためて玄関から階段ホールを見渡して言った。
「その、青村喜太郎って、有名な建築家なの?」
ヨハンナ先生が訊く。
「はい、あんまり有名ではないですけど、素晴らしい洋館を残している、僕が一番尊敬する建築家です。残念ながら夭逝で、その数は多くありません。でも、ここ『失乙女館』は彼の作品の一つで、五棟しかない、現存する建物でもあります」
宮野さんが言う。
「私達、そんな立派な建物に住んでいるんですね」
弩が頷きながら感心していた。
「もしかして、ここに住むために、我が校を受験したとか?」
まさかとは思うけど、僕は、一応訊いてみた。
「はい! その通りです!」
すると宮野さんが屈託のない笑顔で言う。
「元々、興味があったんですけど、文化祭の時この建物におじゃまして、憧れに変わりました。ここに住むために一生懸命勉強しました」
宮野さんが堂々と言った。
これは、建物萌えってやつなのか?
「宮野さんは、建築に感心があるの?」
錦織が訊いた。
「はい、僕の家は工務店をやっていて、僕も、将来、家を建てる仕事をしたいと思っています。だから、こんな素晴らしい建物に住んで、勉強したいんです」
宮野さんが言う。
「へえ」
そういうことなら、僕達、主夫部は協力を惜しまない。
目標を持ってそれに向かって進んでいる女子は、すべからく僕達主夫部の妻だ。
「僕、決めました。ここに入らせて頂きます。みなさん、よろしくお願いします!」
宮野さんが言って、頭を下げた。
「良かった。大歓迎よ!」
ヨハンナ先生が声を弾ませて、みんなからも歓声が上がる。
宮野さんは女子達にもみくちゃにされた。
もうすぐこの寄宿舎では辛い別れがあるけど、少しの間それを忘れさせるような、嬉しいニュースだ。
「じゃあ、宮野さんも入って、ひな祭りの続きをしましょう!」
ヨハンナ先生が言う。
その日のひな祭りパーティーが、夜まで続いて盛り上がったのは、言うまでもない。