寒稽古
新学期前日、主夫部は寒稽古として、寄宿舎の掃除をして、鏡開きした餅でおしるこを作って、戻ってくる寄宿生を出迎えた。
もうすぐセンター試験だからやめてくださいと断ったのに、早朝から母木先輩も来て、一緒に掃除する。
「この方が気合いが入って、いい結果に繋がると思う」
先輩が真っ白い歯をみせながら言った。
先輩は、もう受験の準備は整った、ってことなんだろう。
雑巾掛けして、廊下はピカピカになった。
寄宿舎全ての窓ガラスには、指紋一つない。
食堂も、お風呂も、洗濯機も、いつでも使える状態だ。
セーラー服もパリパリに仕上がって、寄宿生の女子達を待っている。
お昼過ぎになって、寄宿生が続々とここに帰って来た。
「お帰りなさい!」
僕達主夫部は、玄関に並んで彼女達を出迎える。
「ただいま。あけましておめでとう」
まず、帰ってきたのは、ネイビーのPコートに黒いパンツの新巻さんだった。
新巻さんは旅行鞄を持って、ノートパソコンを小脇に抱えている。
ここに来るタクシーの中でも、原稿を書いていたらしい。
年明けから、忙しいみたいだ。
「ただいま戻りました」
次に帰ってきたのは、鬼胡桃会長だった。
会長はボルドーのチェスターコートにグレーのベレー帽を被っている。
晴れやかな笑顔をしていて、会長も受験の準備万端ってところか。
あと、帰って来てすぐに母木先輩と手を繋いで見せつけないでください。
「ただいまあー」
眠そうな目で、あくびをしながら古品さんも帰ってくる。
ダウンジャケットに細身のパンツの古品さんは、寝癖で跳ねる髪を、ニットの帽子で押さえていた。
眼鏡が半分ずれ落ちてるし、ここにあの、人気急上昇中のアイドルの面影はない。
でも、こんな飾らない古品さんも素敵だ。
「やあ、久しぶりだな!」
縦走先輩は大荷物を背負って、当然のようにジャージ姿で家から走ってきた。
「先輩、持ちますよ」
僕が先輩の荷物を受け取って、部屋に運ぶのを手伝おうとしたら、トートバッグの一つが重くて、持ち上げられない。
「先輩、このバッグ何が入ってるんですか?」
「そっちのバッグは鉄アレイだな」
「なんで、鉄アレイなんか入れてるんですか!」
「実家に帰って、手元にあると落ち着くと思ってな」
「そんな、縫いぐるみ感覚で鉄アレイを持ち運ばないでください!」
「篠岡の突っ込みは、鋭いな」
先輩が僕の突っ込みを先鋭的にさせてるんじゃないか!
「ただいま!」
最後に、ヨハンナ先生の車で送ってもらって、弩と萌花ちゃんと、三人が帰ってきた(結局、萌花ちゃんは冬休みの間ずっとうちにいた)。
僕は、太って少し丸くなったヨハンナ先生と弩を見た、寄宿生や主夫部部員の反応が気になって、身構えた。
みんなに言われていじけてしまったら、また二人を慰めるのに、時間がかかると思ったからだ。
でも、二人の変化のことは、誰も口にしなかった。
なぜなら、それ以上に風貌が変わった人物が、僕達の中にいたからだ。
「御厨、君は、一体、どうしたんだ!」
縦走先輩が御厨の肩に手を置いて、目を見ながら言った。
無理もない。
色が白くて、守ってあげたくなるような美少年だった御厨が、真っ黒に日焼けして、茶髪にして、チャラ男みたいになっているのだ。
「御厨、なんか辛いことがあったなら、遠慮せず、相談してくれ」
母木先輩が言った。
「なにか問題があるなら、一つずつ、解決していきましょう」
萌花ちゃんも心配そうに言う。
「いえ、僕は急にぐれたとかじゃありませんから!」
茶髪で日焼けした御厨が、慌てて否定した。
「御厨、高校デビューするなら、高校入る前にやっておくべきだぞ」
錦織が言う。
入学して九ヶ月してからのイメチェンは、遅すぎる。
「御厨君は、料理が出来てキャラも立ってるんだから、無理矢理、変なキャラ付けしないほうがいいよ」
新巻さんが、作家らしいアドバイスをした。
「いえ、本当に違うんです! 誤解です!」
御厨が一際大きな声を出す。
「バカンスで行ったニューカレドニアは南半球にあって、今真夏で、毎日ビーチに出てたら、こんなに焼けてしまったんです。あと、現地で髪を切ってもらおうと思って床屋に行ったら、髪型のニュアンスがうまく伝わらなくて、こんなになってしまいました」
御厨が半べそをかきながら言った。
おーよしよし、と、縦走先輩が頭を撫でる。
「まあ、そんなことだろうとは思ってたけれど」
鬼胡桃会長が言った。
確かに、御厨が急にぐれるとか、変なイメチェンしたりするとか、考えられない。
「まあ、冬休み中の気の緩みが、こういう結果になっちゃうのよね」
ヨハンナ先生が肩を竦めて言った。
その言葉、先生が今一番、口にできない言葉だと思う。
「茶髪だけは、明日までにどうにかしましょうか」
先生が言って、御厨が「はい」と頷いた。
まあ、ともかく、みんな無事に健康で寄宿舎に戻って来られて良かった。
「よし、縁起物だし、おしるこを頂こう!」
母木先輩が言って、食堂で、みんなで、おしるこを味わう。
みんなで食べるおしるこは、隠し味の塩が利いていておいしかった。
小豆を煮るとき、丁寧に灰汁をとったから、変な雑味がない、まろやかな味だ。
「それじゃあ、私とみー君は最後の追い込みに入るわね」
お雑煮を食べ終わると、鬼胡桃会長がそう言って、母木先輩と二人で二階に上がって行く。
手を繋ぎながら。
「早速だけど、もうすぐ、ほしみかとな~なが来て、レッスン始めるから、よろしくね」
古品さんが肩を回しながら言って、自分の部屋に着替えに行った。
「私も、夕方までに上げないといけない原稿があるから」
ギリギリなのか、新巻さんは歩きながらノートパソコンを広げる。
首からカメラを提げた萌花ちゃんも、
「年末年始に撮りためた写真の現像とか、整理が忙しいので」
そう言って席を立った。
正月から、寄宿舎の女子達はそれぞれの目標に向かって、忙しそうだ。
彼女達を支えたい、力になりたいという主夫心が、沸沸と湧いてくる。
今年も精一杯、彼女達のお世話をしようと、僕は誓いを新たにした。
「よし、それじゃあ、私達も。ヨハンナ先生、弩、荷物を置いたら、早速ランニングに行くぞ!」
縦走先輩が言う。
二人はこれから、縦走先輩の指導の下、ダイエットだ。
「ええー、明日からにしようよぉ。明日から本気出すし」
ヨハンナ先生がフラグを立てたところで、
「問答無用だ!」
縦走先輩が、強引に二人を引っ張って行った。
先生の立てたフラグなんて、縦走先輩に極細ポッキーくらい簡単にへし折られる。
「塞君、助けて」
「先輩、助けてください」
ヨハンナ先生と弩が、捨てられた子犬のような目で僕を見るけど、ここは心を鬼にして、縦走先輩に任せた。
「今日は初日だし、10キロ程度で勘弁してやろう!」
まもなく、ランニング姿の縦走先輩と、ジャージを着た二人が、寒空に飛び出して行く。
二人とも、死ぬな!
女子達が食堂を出て行ったあと、お椀の片付けをしていたら、
「先輩、僕は、先輩を心から尊敬します!」
御厨が言って、僕にがっちりと握手を求めてきた。
「なんのこと?」
僕は訊き返す。
それにしても、チャラ男の容姿の御厨には慣れない。
「ヨハンナ先生と、弩が、あんなにコロコロと理想的な姿になったことですよ」
そうだった。
御厨は、全世界の女性をぽっちゃりにするという、果てしない野望の持ち主だった。
「女性を短期間でここまでぽっちゃりに出来る人は、先輩を措いて、他にはいません!」
褒められてるのか、責められているのか、分からなくなってくる。
「ああ、でも、急な体重の変化は、体にもよくないだろうから、しばらく、ダイエットというか、体重を落とす方向で、ご飯のメニュー考えていこう」
僕は御厨に釘を刺しておく。
「なぜですか?」
御厨が首を傾げた。
二人のダイエットは、前途多難みたいだ。




