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お・め・で・と・う

「合格、おめでとう!」

 玄関のドアを開けた枝折を、みんなで、声を揃えて祝福した。

 僕達の家の玄関には、寄宿生と主夫部全員、ヨハンナ先生と花園が集まっている。


「あ、ありがとう」

 面食らった枝折が、無表情のまま言った。

 そんな枝折に、みんなが拍手を送る。


 スエットの上にダッフルコートを羽織って、手に醤油のペットボトルが入ったエコバッグを持っている枝折。

 みんなに囲まれて拍手されて、居心地が悪そうだ。


「で、どうなの? 公認会計士の試験に史上最年少で合格した気持ちは?」

 鬼胡桃会長が枝折に訊く。


「いえ、まあ、ずっとがんばって勉強してたので、当然というか……」

 枝折が平然と言った。

「言ってくれるわね。いいわ、次は私達も大学受験がんばって、二人で絶対合格するわ。ね、みー君」

 鬼胡桃会長と母木先輩は、手を繋ぎ合っている。


 まったく、この二人は……



「それで、このお醤油は?」

 枝折が、手に持っていたエコバックの醤油を掲げた。

「枝折も甘いな。この家の台所を預かるお兄ちゃんが、醤油を切らすなんてこと、あるわけないだろ。醤油切れたから、買って来てって言ったな。あれは嘘だ」

 僕は言ってやった。


「騙したのね」

 枝折が僕を睨む。

「騙したっていうか、サプライズだよ」


 十一月の中旬に、公認会計士試験の合格発表があって、枝折が合格していることが分かった。

 僕が寄宿舎で部活をしていて、今日、兄妹でささやかなお祝いをすると話したら、鬼胡桃会長以下、寄宿生も一緒にお祝いしたいといってくれた。

 枝折は、寄宿舎に何度も泊まっているし、古品さんの身代わりになったこともあったし、夏休みにここで一緒に過ごしたりして、寄宿生とも繋がりが深い。


 そして、母木先輩も、主夫部のみんなも、その準備を手伝うと、快く引き受けてくれたのだ。


 一旦決まれば、主夫部は行動が素早い。

 ヨハンナ先生が車を出して、パーティーの買い出しに行って、御厨を中心に料理を作った。


 どうせならサプライズにしようということになって、僕が、夕飯の準備の最中に醤油が切れたと嘘をついて枝折を買い物に行かせ、その隙に、女子達がリビングダイニングを飾り付けて、主夫部は寄宿舎で作ってきた料理を運び込んだ。



「さあ、そんなところに立ってないで、入って入って」

 先生が枝折を呼び込む。

 先生、ここ、僕達の家ですが。



 リビングダイニングは、女子達によって飾り付けられていた。

 (枝折ちゃん合格おめでとう!)と書いた垂れ幕が下がっていて、輪つなぎの鎖が壁に張り巡らされ、色とりどりの風船が天井に浮かんでいる。


 テーブルを三つ繋いで作った席の上座に枝折を座らせた。

 テーブルの上には、御厨を中心に主夫部が腕を振るった料理が並ぶ。


 ちらし寿司にローストビーフ、とりの唐揚げ、フライドポテト、エビフライ、春巻き、スモークサーモンのサラダに、フルーツポンチ。

 時間がなかったから市販のベースにデコレーションしただけだけど、ケーキも用意した。



「それじゃあ、塞君、お兄ちゃんなんだから、乾杯の音頭を取ってあげて」

 ヨハンナ先生が言う。


 みんな、ジュースが入ったグラスを手に持って用意した。

 僕はグラスを持って立ち上がる。


「枝折、合格おめでとう。ずっと勉強頑張ってて、時々、お兄ちゃんが邪魔したりもしたけど、そんな妨害にもめげず、史上最年少の合格ってことで、難しい試験を突破した妹を誇りに思います。枝折、本当におめでとう。乾杯!」


「乾杯!」

 みんなが続いて、グラスを空けた。


「ありがとう」

 枝折が答えて、もう一度、拍手に包まれる。

 枝折は、拍手を受けながら、下を向いていた。

 元々、愛想を振りまくような枝折じゃないけど、お祝いしてもらってるのにこんなに無愛想に見えるのは、憧れの作家である森園リゥイチロウこと、新巻さんが目の前にいる緊張もあるんだと思う。


「それじゃあ、枝折ちゃん、食べて食べて。口に合うといいんだけど」

 御厨が言った。

「はい」

 枝折は、御厨に取り分けてもらったちらし寿司を、口に運ぶ。


「おいしいです」

 全然、おいしそうな言い方じゃないけど、枝折が凄く喜んでいるのは、兄の僕には分かる。

 枝折の口角が数ミリ、上がってるし。



「それにしても、こんな快挙、お父さんとお母さんも、鼻が高いでしょうね」

 鬼胡桃会長がそう言って、スモークサーモンを頬張る。


「航海中でも、枝折ちゃんが公認会計士試験に合格したことは、ご両親、知ってるんでしょ?」

 錦織が訊いた。


 僕達の両親が乗り込んだ護衛艦「あかぎ」は、横須賀の米空母ロナルド・レーガンらと共に、南シナ海に派遣されている。


「新聞とかニュースとかでも取り上げられてたから、耳には入っていると思う」

 答えない枝折の代わりに、僕が言った。



「そうだ!」

 花園が立ち上がって、テレビをつける。


 花園は、七時からのニュース番組にチャンネルを合わせた。

 トップニュースではなかったけど、三番目のニュースとして、南シナ海に派遣されている護衛艦のニュースが流れた。


「お母さんだ!」

 花園がそう言って、テレビの前に座った。


 画面の中で母は、護衛艦「あかぎ」に派遣された女性記者のインタビューを受けている。

 袖に一等海佐の四本線が入った黒い制服を着た母が、背筋をぴっと伸ばして、記者の質問に丁寧に答えていた。


「いつ見ても篠岡の母上は、凛々しいな。素敵だ」

 縦走先輩が憧れのような目で見ていた。

 母のことをそんなふうに言ってもらえると、なんか、嬉しい。


 テレビの画面には、「あかぎ」の飛行甲板から飛び立つ自衛隊のF35の映像や、僚艦「ながと」の映像を交えて、母が長々と映った。



 すると突然、テレビを見ていた枝折が、涙を流す。


 ぽろっと、一粒の涙がこぼれ落ちたと思ったら、次々に涙が溢れて、滝のようにほっぺたを伝った。


「枝折ちゃん、どうしたの?」

 隣にいた新巻さんが、心配して訊く。

 それで堰が切れたみたいに、枝折は声を上げて泣き出した。

 普段、感情をあまり出さない枝折が、それを爆発させたみたいに泣く。


「お兄ちゃん……」

 泣きながら枝折がもたれかかってきたから、僕は抱きしめて背中を優しく叩いた。


 なんで枝折が泣き出したのか分からないから、みんな無言になって、心配して枝折を見ている。


 でも、僕と花園には、なんで枝折が突然泣き出したのか、分かった。


 甲板の上で、右手に赤い旗、左手に白い旗を持った自衛隊員が、手旗信号を送っている。

 インタビューされる母の後ろに小さく映ってるけど、あれは多分、父だ。

 左右の旗を、大きな動作で、正確に小気味良く振っている父。


 その手旗信号が、


 し・お・り・お・め・で・と・う


 と、繰り返していた。


「父が、枝折におめでとうって言ってくれてるんです」

 僕は枝折を抱きしめながら、みんなに手旗信号のことを説明した。


 僕達兄妹は、幼い頃から、父に手旗信号を習っていた。

 父との遊びの一つとして、手旗信号を覚えた。

 兄妹で旗を持って示した言葉の当てっこしたり、遠く離れた川の両岸から、メッセージを送り合ったりして遊んだものだ。



「遠くにいても、こうして、お父さんもお母さんも、ちゃんと枝折ちゃんや、花園ちゃん、そして塞君を見守ってるんだよ」

 ヨハンナ先生が言った。


 先生がそんなことを言うから、枝折の泣き声が一際大きくなった。

 僕は、抱きしめた枝折の背中を、優しく叩き続ける。


「そうだよ、泣きなさい。枝折ちゃんは、そうやって、感情を外に出せばいいの」

 先生が言った。


 いつも冷静で、安楽椅子探偵みたいになんでも見通してしまう枝折も、母や父と離れていて不安な気持ちは、同じ年頃の子と変わらないのかもしれない。


 枝折が大泣きするから、弩と萌花ちゃんが、もらい泣きしていた。

 御厨も鼻をすすっている


「あれ、鬼胡桃さんも泣いてるの?」

 目ざとく見つけて古品さんが言った。


「な、泣いてなんかないわよ!」

 会長がそう言って僕達に背中を向ける。

 そんな会長には、母木先輩がスッとさり気なくハンカチを渡した。



「みんな、お祝いしてくれてるのに、ごめんなさい」

 一頻り泣いたあとで、枝折がそう言って涙をぬぐう。

 まだ泣いていたけど、無理矢理笑顔を引き出してみんなに見せた。



「よし、ここで一曲、歌っちゃおうかな。枝折ちゃんお祝いのための、特別ライブだよ!」

 古品さんが言って、眼鏡を外して「ふっきー」になる。

 錦織が自分のスマートフォンをリビングのコンポに繋いで、オケを流した。


 リビングから続く客間をステージにして、古品さん、ふっきーが盛り上げてくれる。

 沈んだ雰囲気を吹っ飛ばした。


「お祝いのシャンパン買ってきたんだけど、枝折ちゃんは未成年で飲めないから、先生が飲んであげるね」

 ヨハンナ先生が言って、枝折が笑う。

 まず、それならなぜシャンパンなど買ってきたのかという根本的な疑問は、不問にしておく。

 先生、枝折を笑わせるために道化を演じてくれているんだ。


 枝折のためのパーティーが、いつもの寄宿生と主夫部の宴会になった。

 でも、枝折も花園も、みんなが来てくれて楽しそうだから、それでいい。


 いつしか枝折の涙も乾いて、心からの笑顔を見せてるし。


 終電がなくなって、リビングと客間に布団を敷いてみんなで雑魚寝になるのは、予想できたことだった。




「枝折ちゃん、次は高校受験だね」

 枝折と並んで布団に横になっている弩が言った。


 パーティーは終わった。 

 灯りが消されていて、みんなが横になっている。

 布団に入るなり、縦走先輩は眠ってしまって、寝息を立てていた。

 酔っぱらったヨハンナ先生が僕や主夫部の男子部員を襲わないように、先生だけ、二階の僕の部屋のベッドに隔離されている。


「進学するのかな? 高校、どこに行くとか、決めてるの?」

 続けて、弩が枝折に訊く。

「はい、進路は決まっています」

 枝折が言った。

 僕はまだ枝折の進路について聞いてなかったから、二人の会話に聞き耳を立てる。


「私は、みなさんの後輩になります」

 枝折が言った。

「みなさんと同じ高校に通うつもりです。もちろん、受験して受かったらですけど」

 枝折が、きっぱりと言った。


「ええっ!」

 寝ていたと思ったみんなが、布団から起き上がった(縦走先輩以外、全員起きていた)。


「弩先輩、よろしくお願いします」

 枝折が頭を下げた。

「ふええ」

 布団の上で、弩が慌てる。


 来年、我が校に枝折が来たら、それはそれでまた、色々と騒がしくなりそうだ。


「枝折ちゃんずるいな。花園も行きたい」

 花園がそう言って、僕に抱きついてきた。


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