宴会
早朝、ヨハンナ先生は、一旦、富良野に帰った。
先生が林道に乗り捨てたレンタカーは、ここから二百メートルくらいの、目と鼻の先に止まっていた。
昨晩は暗くて分からなかったけど、道に迷った先生は、この農場のすぐそばまで来ていたのだ。
農場のガレージにあった携行缶のガソリンを借りて給油して、先生は慌ただしく出発する。
他のコースの大勢の引率があって、先生は相当無理してここに来たのかもしれない。
だから、ずっとここにいるわけにはいかないらしい。
「夜、また戻ってくるよ。あなた達を絶対に二人だけで寝かさないからね」
去り際に先生が言った。
先生はこれから往復で300㎞の道のりを走ることになる。
修学旅行から帰ったら、先生を少し甘やかしてあげようと決めた。
昼過ぎまで寝かせてあげるし、もう、寄宿舎の自室でゴロゴロしている先生を、掃除機で吸ったり、突っついたりはしない。
「君達、本当に大変だったね」
先生がたってすぐ、町役場の庄司さんが「ひだまり」に来た。
庄司さんがすまなそうにしているから、
「三鹿さんが来てくれたり、夜は先生も来て、楽しくやってました」
と、僕が説明した。
これは気を使ってるわけじゃなくて、本当のことだ。
「それで、今日は狩猟体験と、この辺の農家民宿の奥さん方による、野菜の収穫と料理教室の農家体験があるんだけど、君達はどっちを選ぶ?」
庄司さんが訊いた。
昨日マイクロバスでこの町に来た二十人を、二組に分けるらしい。
「僕は農家体験のほうで!」
「私は狩猟体験のほうで!」
僕と新巻さんが同時に言うと、庄司さんは少し戸惑ったような顔をした。
「ええと、篠岡君が農家体験で、新巻さんが、狩猟体験でいいんだね」
庄司さんが指で丁寧に確認する。
「はい」
僕達は声を揃えた。
程なくして、三鹿さんのジムニーが、畑の中の小径を上って来る。
「おはよう!」
オレンジ色のキャップを被って、オレンジのベストを着た三鹿さん。
早朝から目がぱっちっと開いていて、もう一仕事してきたような顔をしていた。
「新巻さんが一緒に行くんだね。よし分かった、預かるよ」
三鹿さんが新巻さんの肩を抱く。
「篠岡君、待ってなさいよ。私達で獲物仕留めて持って帰ってくるから」
三鹿さんが言って、新巻さんが「よろしくお願いします」と頭を下げた。
新巻さんは、三鹿さんからオレンジ色のベストを借りて身につける。
派手な色は、誤射を避けるためらしい。
「鹿に見えるのは白黒だから、こんな派手なオレンジのベストを着ていても、分からないの」
三鹿さんが言う。
「じゃあ、行ってきます」
新巻さんは三鹿さんの車に乗って、颯爽と狩に出かけた。
狩に出かける女性の銃後を守る僕のほうは、庄司さんの車で送ってもらって、農業体験と料理を教えてくれる、近所の別の農家民宿を訪ねた(近所と言っても、車で三十分はかかったけど)。
益子さんの「ひだまり」よりも二回りくらい大きい、立派な農家民宿で、四人の奥さん方が、僕達を迎えてくれた。
男で料理教室を選んだのは、僕だけだった。
他に同級生の女子六人と一緒に、料理を習う。
「ハーレムでうらやましいね」
農家の奥さん達に冷やかされた。
ここで、ちゃんちゃん焼きと、三平汁を教えてもらうために、まず、畑からキャベツとタマネギ、ジャガイモ、ニンジンを採ってくる。
さっきまで畑にあった野菜を、水で洗って、もう料理だ。
奥さん達が庭に大きな鉄板を用意していて、炭で火を起こしていた。
その上で、塩コショウで下味をつけた秋鮭を焼く。
キャベツをざく切りにして、タマネギは細切り、ニンジンは短冊に切ったら、焼いた鮭の周りに敷き詰めて、味噌だれをかけて蒸し焼きにした。
味噌だれが焼ける香ばしい匂いで、涎が出てくる。
味噌だれに入れたおろしニンニクが利いているかもしれない。
三平汁は、大根とニンジン、ごぼうを乱切りにして、ジャガイモを一口大に切り、昆布で取った出汁に入れて中火で煮たら、ぶつ切りにした鮭のアラを入れて、更に煮込んだ。出てくる灰汁を、丁寧に取る。
「包丁の使い方も、料理の手際も、あなたが一番上手いんだけど」
奥さんの一人に言われた。
毎日、花園と枝折にご飯を作っている上に、部活で寄宿生の食事も用意しているから当たり前かもしれない。
野球部員に、野球上手いですねって言うようなものだ。
昼ご飯は、香ばしいちゃんちゃん焼きと三平汁に、炊きたての新米を、庭の縁側に座ってみんなで食べた。
晴天の下、のんびりと、外で食べるご飯が美味しい。
「おかわり、いくらでもあるからね」
奥さん達が言う。
今頃、新巻さんや三鹿さんは、鹿を追いかけて山々を駆け回っているんだろうか。
小柄な三鹿さんが、鉄砲を抱えて山を駆ける姿を思い浮かべる。
午後は、ジャガイモとタマネギの収穫を手伝った。
普段、あまり嗅ぐことのない土の匂いを、たっぷりと吸い込む。
手伝ってくれたからと、ジャガイモとタマネギ、それぞれ一箱ずつお土産に貰った。
あとで宅配便で家に宛てて送ってくれるらしい。
これで花園や枝折、そして寄宿舎の住人にも、新ジャガやタマネギを味わってもらうことができそうだ。
家でも、寄宿舎でも、習ったちゃんちゃん焼きと三平汁を再現しよう。
三時のおやつに自家製カボチャのプリンを食べて、農業体験、料理教室が終わる。
庄司さんに車で送ってもらって、「ひだまり」に帰ると、ピックアップトラックがあって、益子さんの旦那さんが待っていた。
「本当に、すまなかったね」
益子さんが頭を下げるから、僕はそんなことないですと頭を上げてもらう。
家の中を勝手に使ったし、台所の物も勝手に食べたし。
「赤ちゃんは、産まれたんですか?」
「ああ、おかげさまで、元気な女の子。嫁さんのほうも無事で、三、四日で退院できそうだ」
「おめでとうございます」
僕が言うと、益子さんは「まだ親になった実感なくてね」と、照れ笑いしながらこたえた。
坊主頭で筋肉質、強面に見える益子さんが、笑うと少年のような笑顔を見せる。
「昨日、何もしてあげられなかったから、今日の晩ご飯は、豪勢に、こっちで用意するから」
益子さんが言った。
台所には、益子さんの妹という女性も来ていて、さっそく料理にかかっている。
台所には、鮭やいくら、ホタテ、花咲ガニに、ブドウ、りんご、なし、など、贅沢な食材が山と積まれていた。
僕が台所を手伝おうとすると、
「今日は、座ってて」
と、益子さんに止められる。
「風呂を沸かしてあるから、ゆっくり入っててよ」
と、件の五右衛門風呂を勧められた。
星を見ながら入る昨日の夜の風呂も良かったけど、まだ日があるうちに、雄大な景色を見ながら入る風呂も気持ちいい。
僕が風呂に浸かっていたら、三鹿さんのジムニーが畑の中の小径を走ってくるのが見えた。
三鹿さんと新巻さんが、帰って来たみたいだ。
「すごいんだよ。エゾシカを一頭仕留めて、解体するところまで見せてもらったの」
新巻さんが興奮気味に言う。
「よ、良かったね」
「三鹿さん、カッコイイんだよ。銃を構えて、一発で仕留めて」
新巻さんが銃を撃つ構えを真似して言った。
「へ、へえー」
「新巻さんこそ、他の男の子達が尻込みするのを先頭になって私についてくるし、解体の最中も目を背けないで、ちゃんとメモもしてるもんね。勇ましいよ」
三鹿さんが言う。
「そ、そ、そうですね」
「なに? さっきからなんか落ち着かない感じだけど」
三鹿さんが訝しげな顔で僕を見る。
「いえあの、少し恥ずかしいので、話は後で聞きます」
僕が風呂に入っているのをいいことに、二人は小屋の壁がない部分の前に立って、僕に語りかけてきた。
肩まで浸かってるし、タオルで前も隠してるけど、女性二人に囲まれて裸でいるのは、ちょっと恥ずかしい。
一人は同級生の女子だし。
僕達がそんなやり取りをしていたら、ヨハンナ先生のレンタカーも小径を上がってきた。
「他の先生に頼んで早めに出たから、今日は日が落ちる前に着いたよ」
ヨハンナ先生が言う。
「あなたがヨハンナ先生ですか?」
「あなたが、猟師の三鹿さん?」
二人は互いに挨拶した。
「うちの生徒がお世話になりました」
「篠岡君も、新巻さんも優秀な生徒さんで。それに主夫部の話、篠岡君から聞きましたよ……」
二人は、すぐに打ち解けたみたいだ。
「あの、だから、その話は後でゆっくりしてください」
ヨハンナ先生も加わって、女性三人に囲まれていたら、風呂から出るに出られなくて、のぼせてしまう。
「いっそ、ここにテーブルと椅子持ってきて、裸の篠岡君見ながらご飯食べようか?」
「いいですねそれ」
ヨハンナ先生と三鹿さんがそんなこと話し合っている。
酷いセクハラだ!
益子さんが用意してくれた宴には、三鹿さんも加わることになった。
リビングのテーブルには、収まりきらないくらいのごちそうが並ぶ。
真ん中には、秋鮭がたっぷり入った石狩鍋があって味噌のいい香りがした。
新米のごはんは、うに丼にイクラ丼になっている。
茹でた花咲ガニが山のように積んであるし、鮭のお刺身ルイべもあった。
丸ごとの野菜がごろごろ入ったスープカレーに、茹でたトウモロコシもあって、野菜もたくさん食べられそうだ。
「さあもう、どんどん食べてください」
益子さんが言う。
宴会が始まったら、ヨハンナ先生と三鹿さんは馬が合うみたいで、お互いにビールを注ぎあって、盛り上がっていた。
仕事を持つ女性同士、悩みとか打ち明けあっているのかと思って、耳を傾けると、二人は、どうやったら年下の男の子と付き合えるか、という話題で盛り上がっていた。
色気で無理矢理とか、仕事でいいところを見せて惚れさせるとか、色々、案を出している。
僕は身の危険を感じた。
新巻さんは、三鹿さんの狩の様子を僕に話してくれる。
物静かな新巻さんが饒舌になってるから、相当興味深かったんだろう。
きっと、メモも取りまくりだったはずだ。
やがて、ヨハンナ先生と三鹿さんは酔いつぶれて、ソファーの上で寝てしまった。
ビールから始まって、ワインも二人で四本空けて、焼酎と、益子さんのとっておきのウイスキーにまで手をつけていた。
益子さんが客間に布団を敷いて、二人をその上に寝かせる。
結局、ヨハンナ先生と三鹿さん、新巻さんと僕で雑魚寝することになった。
「君は、男の子だけど、襲いかかったりしないよな」
益子さんが笑いながら言う。
この三人を相手に、僕にはとてもそんな勇気はない。
「それじゃあ、おやすみ」
益子さんが電気を消して部屋を出て行った。
僕、ヨハンナ先生、三鹿さん、新巻さんの順番に並んで、枕を並べて寝る。
昼間の農作業で疲れたていたのか、僕は横になったらすぐに眠ってしまった。
ヨハンナ先生が涎を垂らす寝顔を見ながら、寝る。
夜中、寝相が悪いヨハンナ先生の足が僕の胸の上に乗っていて、苦しくて起きた。
時計を見ると、夜中の二時だ。
喉が渇いていたから水でも飲もうと立ち上がったら、奥の部屋から光が漏れていた。
襖が少し開いて中が見える。
隙間から部屋の中を覗くと、部屋には誰もいない。
座卓の上にノートパソコンが開いていて、ディスプレイは点いたままになっていた。
また、新巻さんがパソコンを使ったんだろうか。
でも、こんな夜中に?
部屋の中に新巻さんの姿はない。こっちの部屋にもいない。
こっちの部屋で寝ているのはヨハンナ先生と三鹿さんだけだ。
新巻さん、どこに行ったんだろう。
僕は周りを確認すると、奥の部屋に入った。
電波も届かず、無線LANもないところで、新巻さんはパソコンで何をしていたのか。
僕は、点いたままのディスプレイを見た。
新巻さんに見てはいけないと言われたのに、見てしまった。
「これは……」
そのとき、僕の背後で物音がした。
「見たのね」
新巻さんの声がする。