借り人競争
パンパンパンと、立て続けに三発、花火が打ち上がった。
薄曇りの空に、花火の煙だけが見えて、轟音は校舎に反射して響く。
花火を合図に、入場門をくぐっての行進が始まった。
一年生から順に、万国旗が宙を舞うグラウンドに、列を成して入っていく。
保護者の観客席から、拍手が上がった。
平日開催の体育祭でも、保護者とPTAの役員で、三百人くらいは来ている。
グラウンドが見下ろせる階段の観覧席から、僕達生徒に拍手を送っていた。
当たり前だけど、その中に僕の両親の姿はない。
去年の僕は、行進しながら、かったるいとか、面倒臭いとか、嫌々歩いてたけど、今年は、部活をアピールするっていう目的があるから、なんだか目が冴えていた。
早朝から主夫部みんなで、そのための仕込みをしていて、準備には余念がない。
入場が終わってグラウンドに整列すると、校長先生の挨拶、主賓の挨拶と続いて、選手宣誓があった。
生徒代表で宣誓するのは、鬼胡桃会長と母木先輩だ。
三年生の美男美女で、誰も文句を言わない人選だった。
「宣誓!」
と、手を挙げた二人。
二人は、掲げた手と反対の手を繋いだままで離さなかった。
それを見て、教師の何人かが渋い顔をしている。
生徒もざわついたけど、お似合いのカップルを見て、大体が頬を緩めていた。
選手宣誓のあとは準備運動のラジオ体操をして、午前九時、一種目目の百メートル走が、時間通りに始まる。
僕達生徒は、クラスごとに楕円のトラックの周りに椅子で応援席を作って、競技を見守った。
僕が午前中に参加する種目は、トリの部活動対抗リレーの他に、プロクラムの三番目にある「借り人競争」だ。
「借り人競争」は、借り物競走の「物」が「人」になったバージョンと思えばいい。
直線百メートルのコースの真ん中に、借りてくる人の「お題」を書いたカードがあって、それに合った人物を、生徒や観客、先生の中から連れてゴールに向かう。
カードと連れてきた人物が合っているかをゴール地点にいる競技委員に審査してもらって、合格ならゴールだ。
「お題」は「眼鏡をかけた人」とか、「芸能人の○○に似てる人」みたいな定番の他に、「好きな人」なんていうのも入っていて、去年はかなり盛り上がった想い出がある。
七人が争う六組の競争で、僕は五組目でスタートすることになった。
スタートのピストルが鳴って、僕は「お題」の書かれたカード目指して走る。
中間地点にはカードが人数分、七枚置いてあって、どれを選んでもいい。
僕は選ばずに、とりあえず目の前にあったカードを取った。
裏返して「お題」を見た瞬間、僕が借りていくべき人はヨハンナ先生だと分かる。
僕はコースを外れて、教員のテントに走って、ヨハンナ先生の前に立った。
「先生、お願いします!」
僕が言うと、
「分かった」
と言って、先生が立ち上がる。
僕はヨハンナ先生の手を引いて走った。
先生と手を繋いでいることで、男子生徒からの視線が痛い。
みんなからのヘイトが僕に溜まってきた(みんな、ヨハンナ先生の中身が、中年男性だとは知らないんだろう)。
人物の選択が速かったせいか、僕は一位でゴールに着く。
競技委員にカードを見せると、一発で合格した。
「塞君。お題は何だったの?」
手を繋いでいるヨハンナ先生が、僕に訊いた。
「やっぱり一番に私の前に来たってことは、『美人教師』とか?」
先生が、目をキラキラさせて訊く。
「いえ、違います」
「だったら、あれかな。あの、もしかして、『好きな人』とか? 『結婚したい人』とか? それで、私を選んでくれたの?」
なんか、ヨハンナ先生が僕の前でもじもじしながら訊いた。
「いえ、お題は『金髪の人』です」
「へー、そう」
ぐうの音も出ないくらいの「お題」だった。
これなら間違いようがない。
先生を狙い撃ちしたみたいなお題だ。
「そんなことより先生」
「なに?」
「先生、なんで生徒と同じジャージと体操着、着てるんですか?」
上から下まで先生を見て、僕は訊いた。
ヨハンナ先生は、僕達と同じ、紺色のジャージに、上は胸に校章が付いた半袖の体操服を着ている。ジャージの裾を折って、七分丈にしていた。
「ああこれ? 動きやすいし、学校の購買で売ってるし、安くて物が良いし、だから着てるの」
先生が体操服の胸の辺りを引っ張りながら言った。
そんな理由か。
先生は、もう少しファッションとか、ブランドとかに興味を持ったらどうなんだろう。
全部ブランドとかで固めてるのも嫌だけど、ちょっとだけファッションに気をつかうだけで、モデルさんみたいになれるのに。
「これじゃ駄目?」
先生が僕に訊く。
「いえ、いいですけど」
別に体操服を教師が着たらいけない決まりはない。
だけどなんか、成人女性が体操服着てると、別の意味のヤバさがある。
コスプレ臭がする。
先生は今日、金色の髪を三つ編みにしてるし。
「JKみたい?」
「は、はい」
この体操服も寄宿生のといっしょに、後で僕が洗うことになるんだけど、まさか、先生の体操服を洗うことになるとは、夢にも思わなかった。
僕とヨハンナ先生が話してると、生徒から大歓声が上がる。
僕の次の組の走者が、問題の『好きな人』のお題カードを引いたみたいだ。
カードを引いた一年生の男子生徒に、全校生徒の注目が集まる。
指笛で茶化す奴がいたり、「告白しろ!」と、無責任なヤジが飛んだ。
カードを引いたのはサッカー部の一年生らしい。
百九十近い身長がある、がっちりとした男だった。
グランドの真ん中で、彼は顔を真っ赤にしている。
全校生徒の注目を浴びたまましばらく悩んで、やがて、
「行きます!」
と宣言して、生徒の中に入っていった。
「おおおっ」
生徒から、どよめきが上がる。
みんなが彼の行方を注目していた。
彼は一年生のクラスの応援席に向かう。
恥ずかしいのを振り切るように、小走りで行った。
他の走者は全員ゴールしてたけど、もう、そんなのは関係ない。
「ふええ」
やがて、そんな声が聞こえた。
リアルでそんな声を出す奴は、僕の記憶の中に一人しかいなかった。
サッカー部の男子が、弩の前に立つ。
弩まゆみの前だ。
体操服とジャージ姿の弩は今日、長い髪を二つにまとめていた。
「一緒に来て」
サッカー部男子はそう言って、弩の手を引く。
少し強引に、その手を取った。
弩は彼に手を引かれて、うつむいて、ちょこちょこと走る。
彼と弩では、身長が四十センチくらい違った。
同級生なのに、大人に手を引かれる子供みたいだ。
グラウンドは、今日一番の盛り上がりを見せる。
二人に向けて、歓声と拍手が起こった。
放送部が、ウエディングマーチをかけて二人を煽る。
二人は、全校生徒に見守られながらゴールした。
競技委員も、カードを確かめるまでもなく、無条件でゴールを認める。
一通り盛り上がったところで、グラウンドでは次の競技、大玉運びが始まった。
ゴール地点で少し離れて見ていると、サッカー部男子は弩に頭を下げている。
そして、何か語りかけていた。
うつむいている弩が、ぶんぶん頭を振っている。
彼に何か、話しかけていた。
二人で何を話しているんだろう。
気になる。
すごく、気になる。
この気持ちはなんだ。
なんか、急に、弩にツッコミを入れたくなった。
意地悪とか、したくなる。
なんか、弩のセーラー服とか、パンツとか、洗濯したい。
「塞君。そろそろ手を放してくれてもいいんだよ」
ヨハンナ先生が言った。
走り終わって、先生の手を握ったままだった。
それも、赤くなるくらい、強く握っている。
「すみません」
僕はそう言って、手を離した。
「別に、ずっと握っててくれてもいいけどね」
先生が言う。
午前中の種目は、大玉運び、綱引き、玉入れと続いて、最終種目、部活動対抗リレーを残すだけになった。
クラスの応援席を離れて、主夫部の五人がグランドの端に集まる。
「弩、大変だったな」
集まってすぐに、母木先輩が言った。
「はい、恥ずかしかったです」
弩が言う。
もう、あれから随分経つのに、弩の顔はまだ赤い。
「彼とゴールで何を話してたんだ?」
僕が訊いた。
なんか、訊かずにはいられなかった。
「はい、私なんかのこと、好きって言ってくれて嬉しかったですけど、すみませんって、お断りしました」
「どうして?」
御厨が訊く。
「好きな人がいるのでお受けできませんと、言いました」
弩が言う。
「そうか」
弩には、好きな人がいるのか。
でも、サッカー部の彼の告白を断ったと聞いて、この安心する感じはなんだろう。
「好きな人って誰?」
錦織が訊いた。
「秘密です」
弩が言う。
「でも、近くにいます」
弩がうつむいて言った。
「よし、この話はここまでだ。部活動対抗リレーに集中していこう。これから主夫部をアピールだ!」
母木先輩が、僕達に発破をかけた。
弩の好きな人って気になるけど、そうだ、今は主夫部のアピールに集中しよう。