苦い秋刀魚
七輪で、秋刀魚を焼いている。
今日の夕飯のメインは、炭火焼きの秋刀魚だ。
主夫部総掛かりで、寄宿舎の裏庭に七輪を三つ据えて、炭火を起こした。
七輪は寄宿舎の倉庫に長らく眠っていたのを引っ張り出してきて、埃を払って使う。
グリルで焼いても良かったんだけど、御厨が七輪での炭火焼きにこだわって、僕達もそれに従った。
でも、こうしてみんなで準備するのはバーベキューみたいで楽しいし、七輪を使ったことがないという弩には、いい勉強になるだろう。
十匹の丸々と太った秋刀魚を、網に乗せて焼いていく。
秋刀魚にはたっぷりと脂が乗っていて、滴る脂が炭に落ちて、もうもうと煙が上がった。
「ふええー」
風下にいた弩が煙を被る。
けほけほと咳をしながら、煙から逃げる弩。
「大丈夫か?」
僕が訊く。
弩は、煙が入って、目を瞬かせている。
「大丈夫です。煙たいけど、いい匂いです」
弩はそう言って笑った。
秋の、のんびりした夕暮れだ。
でも、こうして秋刀魚を焼きながら、僕達が考えているのは古品さん達、「Party Make」のことだった。
「やっぱり、僕が父に言った方がいいでしょうか?」
錦織が口を開いた。
あれ以来、古品さん達「Party Make」の三人は、衣装をデザインした三武回多や、事務所の担当者と交渉をしていた。
今日も話し合いがあると言って、古品さんは放課後、寄宿舎を出て行った。
傍から見る限り、交渉はうまくいってないみたいだ。
古品さんも、ほしみかも、な~なも、何も言わないけど、それは、ここでレッスンをしている三人の表情や声で分かった。
僕が言うのもおこがましいけど、三人のダンスに迷いがあるような気がする。
声にも張りがない気がした。
「いや、彼女達はデザイナーと自分達で交渉すると宣言したんだ。向こうから何か言ってこない限り、こちらから口を出すべきではないと思う」
母木先輩が言った。
「そうですよね」
錦織はそう言って、秋刀魚を引っ繰り返した。
皮の一部が弾けて、おいしそうにジワジワと脂が染み出してくる。
「これから、僕達が主夫になった場合、こんな場面には何度も出くわすだろう。結婚生活では、妻が仕事で悩んだり、上手くいかなくてイライラしている姿を見ることになると思う。そんなとき、僕達が彼女達の仕事に、中途半端に口を挟むのはいけないことだと思う。僕達が同じようにイライラしたり、悩んだりしてはいけないと思うんだ。そんなときこそ僕達主夫は、普段と同じ日常を作り出さなければならないと思う」
母木先輩が言った。
せっかく弩が煙から逃げたのに、煙がその弩を追って降りかかる。
弩が「ふええ」と言って逃げた。
実は、炭に風を送る団扇を操って煙を弩に誘導しているのは僕だ。
「向こうから何か言ってこない限り、僕達は黙って見守ろう。僕達は僕達に出来ることをしようじゃないか。今はこうして、秋刀魚を焼こう。最高に旨い秋刀魚を焼いて、帰ってくる古品さんを夕餉でもてなそうじゃないか」
母木先輩が言う。
さすが、母木先輩だ。
言うことが一々カッコイイ。
まだ主夫になってないのに、主夫の神髄を極めたみたいなことを言う。
だけど……
「さすがは、みー君。もう、カッコよすぎるんだからぁ」
鬼胡桃会長が言った。
「そう? そんなにカッコよかったか?」
母木先輩が訊く。
「うん、すっごく、カッコイイ」
鬼胡桃会長が答えた。
母木先輩と鬼胡桃会長は二人、僕達がいるのも忘れて見つめ合う。
さっきから、母木先輩の横に鬼胡桃会長がぴったりと張り付いていて、二人は手を繋いでいた。
手を繋ぎながら話すから、先輩がすごくいい話をしたのに、良さが半減したような気がする。
先輩の話が台無しだ。
あの告白以来、二人のラブラブ度は、下がるどころか、日に日に強くなってるみたいだ。
前の鬼胡桃会長の「ツン」の部分が強すぎたせいか、その反動で「デレ」たらこうなったらしい。
落差が激しすぎる。
ヨハンナ先生じゃないけど、「うぜえ」って言ってやりたい。
でも、言ったところで今の二人の耳には、全然入らないんだろうけど。
僕達の秋刀魚が焼き上がった頃、夕食を前に、古品さんが寄宿舎に帰ってきた。
「やっぱり、駄目だった」
帰ってくるなり、古品さんが言った。
「これからしばらく、あの衣装で行くことになりそう」
気丈にも古品さんは笑顔で言う。
不安なんか、おくびにも出さない。
「デザイナーさんも自信を持ってデザインしたから、あの服にこれ以上、手を加えるつもりはないって」
デザイナーさんとはつまり、錦織の父親、三武回多のことだ。
「デザイナーさんだけじゃなくて、事務所の上の人達も、こういう、セクシーな路線もいいんじゃないか、とか、言ってきて……」
古品さんが言う。
三人の意見は、大人達の前で掻き消されてしまったらしい。
セクシーな路線って、三人のキャラクターには全然合わないじゃないか。
今までの曲のイメージとも違うし。
事務所の大人達は、三武回多というビッグネームに負けてしまったのか。
「分かりました。僕が父に言ってやります!」
錦織が言ってスマートフォンを取り出す。
「いいの、錦織君!」
それを古品さんが止めた。
「もう発表会まで何日もないし、この衣装で色々なところが動いてくれてるみたいだから、もう私達の意見だけでは変えられない。プロモーションとかしてくれるスタッフさんも、私達のチームの一員だから」
古品さんが言う。
「それに、事務所の人が言うみたいに、少しくらいセクシーなほうがいいのかなって。もしかしたら、案外、そっちの方向で進んだら人気が出ちゃうかもしれないし」
古品さんは、言葉ではそういうけど、全然納得してないみたいだった。
言葉が少し震えている。
「でも……」
「いいの、錦織君ありがとう」
古品さんはそう言って微笑んだ。
「いい匂いしてるけど、今日の夕飯はなに? 私、もうお腹ぺこぺこで」
古品さんが言う。
その日みんなで食べた秋刀魚は、炭火の焦げを差し引いても、苦かった。
そうこうしているうちに、「Party Make」が衣装を披露するマスコミ発表の日が来る。
土曜の朝、マネージャーさんが寄宿舎に古品さんを迎えに来た。
土曜日だけど、僕達主夫部は当然のように、全員が寄宿舎に集まっている。
朝からもう、朝食の準備も、掃除も、洗濯もしていた。
「いってきます」
古品さんが笑顔を見せる。
その笑顔はアイドルとして、完璧だ。
とても大きな悩みを抱えているようには見えない。
見ている方を幸せにしてくれる。
「いってらっしゃい!」
主夫部と寄宿生、全員で見送った。
獣道を通って林に消えていく古品さんに、僕は(がんばってください)と念を送る。
隣で、硬く口を結んだ錦織が、古品さんが消えた林のほうをいつまでも見ていた。
発表会が始まる午後三時に、僕達は食堂に集まった。
新しい衣装のマスコミ発表は、ネットで生中継されることになっている。
みんなで見られるように、ヨハンナ先生が学校からプロジェクターを(無断で)持ってきて、パソコンに繋いだ。
壁にスクリーンを掛けて、カーテンを閉める。
リフォームしてネット環境を整えたから、HD画質でも動画はぬるぬるだ。
僕達はスクリーンの前に食堂の椅子を並べて、寄宿生と主夫部、全員で中継を鑑賞する。
中継が始まって、発表会があるホテルのコンベンションホールが映された。
学校の教室を二つ、横に並べたくらいの大きさの会場に、ステージが作ってあって、ステージの後ろのスクリーンに「Party Make」のミュージックビデオが流されている。
ステージ前の座席には、五十人強のマスコミ関係者がいるだろうか。
最前列には二十人ほどのカメラマンもいる。
でも、これは「Party Make」の人気というより、デザイナー三武回多目当ての人達なのかもしれない。
ネット中継が始まって間もなく、照明が落とされて、会場が真っ暗になった。
新曲のイントロが流れてくる。
いよいよ、始まった。
三人の勇姿を見たいけど、見たくない、そんな気持ちだ。
ステージに照明が焚かれて、それが段々明るくなると、もう既に三人がそこに立っている。
ステージの下手から、いつも通り、ほしみか、な~な、ふっきーの順番に並んでいた。
三人はサテンの黒いマントをつけている。
新しい衣装をマントの下に着込んで、外して見せる演出らしい。
イントロが終わって、三人がハンドマイクで歌い出す。
まだ、マントをつけたままだ。
Aメロ、Bメロと歌って、いよいよサビが始まる。
そのタイミングで、三人がマントを外した。
外したマントを放り投げて、衣装が露わになる。
「あれ? これ……」
錦織が零した。
現れた「Party Make」の衣装は、僕達が先日この食堂で見せてもらった衣装ではない。
な~なの胸元が開いてないし、ほしみかの太股も見えなかった。
古品さんの肩も、背中も隠れている。
見たことがない衣装で、キレキレのダンスを見せる三人。
やっぱり、衣装は作り直したのか。
直前で三人の意見が通ったのかもしれない。
でも、さすがデザイナー三武回多。
新しい衣装は、露出が少なくてもセクシーだし、カッコイイ。
「これ、僕が作った衣装です」
錦織が言った。
「僕が新曲のために作った衣装です」