アドベンチャー
「ほら、みー君、あ~ん」
鬼胡桃会長が、フォークを母木先輩の口元に差し出した。
「あ~ん」
母木先輩が口を開いて、会長のフォークを受け入れる。
フォークの先に刺さっているのは、今日のおやつのトリュフチョコレートだ。
御厨の謹製で、細かく刻んだ旬の栗が、たっぷりと入れてある。
「うん、おいしい」
フォークのトリュフチョコを一口で食べて、母木先輩が言った。
「もう、ほら、みー君、口にチョコ付いちゃったよ」
鬼胡桃会長が、小指で母木先輩の唇をぬぐう。
そして、会長は自分の小指に付いたチョコレートを、ぺろっと舐めて微笑んだ。
「ホントだ。おいしいね」
会長の笑顔は、僕達が今まで見たことない、柔らかい笑顔だ。
ほっぺたが赤いし、眉尻も下がっている。
「じゃあ、今度はみー君が統子に食べさせて」
会長が言って、母木先輩にフォークを渡した。
ちなみに、「みー君」というのは、母木先輩の名前、「幹彦」からきていると思われる。
「統子のちっちゃい口だと、一口では無理かな。切ってあげるよ」
母木先輩が言って、フォークでトリュフチョコを四つに切り分けた。
「はい、あ~ん」
その一切れを、鬼胡桃会長の口に運ぶ。
「あ~ん」
鬼胡桃会長が口を開けて目を瞑り、ぱくっとトリュフチョコを食べた。
「四つに切ったから、あと三回、あ~んしてもらえるね」
鬼胡桃会長が上目遣いで、母木先輩を覗き込んで言う。
「なんだ、だったら、八つに切れば良かったかな。そうすれば、あと七回、あ~んって出来るし」
母木先輩が、会長の耳元に口を近づけて言った。
会長が、うふふと笑う。
「それなら、今度は御厨君にポップコーンとか、たくさん、あ~ん出来るおやつ、作ってもらいましょうよ」
鬼胡桃会長が言った。
「そうだね、そうしようか」
二人はそう言って手を握り合う。
「あー、うぜえ」
ヨハンナ先生が言った。
先生はFXで有り金を全部溶かしたみたいな顔をしている。
トリュフチョコの天辺にフォークをぶっ刺して、焼き鳥を串から食べるみたいに、口で抜き取って食べた。
「まあまあ、先生。二人は告白したばっかりで、一番幸せな時期なんだから、いいじゃないですか」
僕がそう言って、先生をなだめた。
僕達は、寄宿舎の食堂で、午後のお茶の時間を楽しんでいる。
母木先輩と鬼胡桃会長以下、古品さん以外の寄宿生と主夫部部員が、食堂のテーブルで、御厨が作ったデザートとお茶を味わっていた。
林の中の寄宿舎は、秋らしい、涼しい風が吹くようになっているのに、鬼胡桃会長と母木先輩の周囲だけ、真夏みたいに熱々だ。
「御厨君、今度チョコにブランデー入れてよね、強めに」
ヨハンナ先生が、完全にやさぐれてしまった。
「ほら、弩も、自分で自分にあ~んしない」
僕の隣に座っている弩が、熱々の二人を見ながら、自分に向けてフォークをあ~んしてるから、注意する。
「なんなら、僕がしてやろうか?」
僕が言うと、
「先輩、あ~んするってどういうことか、解ってるんですか!」
突然、弩が怒り出した。
「いや、分かんないけど」
「軽々しく、あ~んするとか、言わないでください」
弩が言って口を尖らせる。
「まったく、先輩は無神経すぎます!」
こっちはこっちで、なんか、面倒くさい。
それにしても、つい先日まで、会えば口喧嘩していた二人が、この有様である。
あの告白以来、どこに行くにも、鬼胡桃会長が母木先輩の腕に手を添えてるし、頭を先輩にもたれかけていた。
そして「統子」、「みー君」で、呼び合っている。
二人のラブラブぶりは、校内にも響いてた。
前に、鬼胡桃会長が生徒会の備品着服容疑をかけられて、犯人をおびき出すのに偽の恋人同士を装ったことがあったけど、今回はその比ではないラブラブぶりに、学校中が、騒ぎ出すというより、二人を見てうっとりしていた。
秋の気配も手伝って、みんな人恋しいのか、一部では告白ブームが起きてるみたいだし(僕のところにそんなブームは全然来てないけど)。
「ほら、萌花ちゃんも、二人の写真を撮らない」
萌花ちゃんが二人に一眼レフのレンズを向けているから、注意する。
萌花ちゃんが向けているのは85㎜F1.4の大口径レンズだ。
「篠岡君、いいのよ。美しいものは、誰だって残しておきたくなるもの。フォトグラファーの萌花ちゃんが、私達二人の姿に創作意欲を掻き立てられるのは解るわ。萌花ちゃん、存分に撮りなさい」
鬼胡桃会長が言った。
「はい、お二人、もう少し顔を近づけてください」
萌花ちゃんが言って、二人にポーズをつける。
駄目だ。もう、手の施しようがない。
「鬼胡桃会長と母木先輩が、大学進学で、古品さんはアイドルとしてメジャーデビュー。それで縦走先輩は、進路どうするんですか?」
僕は話題を変えて、縦走先輩に訊いてみた。
縦走先輩は部活の休憩時間に、御厨のおやつを食べるために、部活を抜け出して来ている。
「ああ、私は何校か、大学からのスカウトもあるが……」
御厨の分までトリュフチョコを頬張っている縦走先輩が言った。
夏休みには大学のトライアスロン部から合宿に誘われてたし、先輩は引く手あまたなんだろう。
「じゃあ、やっぱり、縦走先輩も、大学進学ですか?」
「ああ、順当に考えれば、そっちに進むことになるんだろう。でも最近、考えていることがあるんだ」
縦走先輩が言った。
「えっ、なんですか?」
御厨が身を乗り出して訊く。
「私はアドベンチャーレーサーになることを考えている」
縦走先輩が言った。
「アドベンチャーレーサー?」
みんなが疑問符を投げかけた。
「アドベンチャーレースって、あの、山岳地帯を何日もかけて走破したり、カヤックとかマウンテンバイクとかで、移動したりするエクストリームレースですか?」
錦織が訊く。
「ああ、そうだ」
縦走先輩が答えた。
「どうしてまた」
「自分をもっともっと厳しい場所において追い込むために、過酷な道を行くのもいいかと思っている。大学に行って、色んな人からのサポートを受けて自分を鍛えるのもいいかもしれないが、もっと自分を追い込みたい。それに世界も見てみたい。だから、そっちの道に進もうかとも考えている」
縦走先輩が言う。
「実際、それで食べていけるのか?」
母木先輩が、現実的なことを訊いた。
「いや、難しいだろうな。レースに参加するための費用や、海外で行われるレースの旅費を稼ぐ為に、アルバイトをしたり、スポンサー探しなんかも、しないといけないだろう。だが、そういう部分も含めて、自分を鍛えたいんだ」
縦走先輩は言った。
「親御さんとかは、なんて言っているの?」
ヨハンナ先生が訊く。
「もちろん、反対です。大反対です。でも、親くらい説得できないと、その先はないですから、根気強く説得します」
縦走先輩は、笑顔で言った。
陽に焼けた先輩の笑顔を見ていたら、親御さんも、絶対に説得しちゃうんだろうなという、余裕みたいなものも感じる。
「先輩が世界を目指すなら、僕、母と一緒に世界を回っているので、宿とか、色々なこと詳しいです。先輩のサポート出来ます」
御厨が言った。
「母の知り合いが世界中にいますから、スポンサー探しにも協力出来ますし、食事とかも作れます」
いつになく、積極的な御厨だ。
「もちろん、先輩が良かったらですけど……」
「そうか、世界に出ても御厨が作ったご飯が食べられるなら、それはそれで嬉しいかかもな。もし、そのときが来たら、お世話になろう」
縦走先輩が言った。
「は、はい」
御厨は、縦走先輩に見詰められて、顔を真っ赤にする。
「僕、紅茶のおかわり、入れてきます」
そう言って、台所に立ってしまった。
寄宿舎の中は時間が止まったみたいにゆったりしてるのに、中の住人は、それぞれの未来に向けて少しずつ動いている。
「あっ、ティーカップの底に残った紅茶が、ハートの形してるよ」
鬼胡桃会長が言った。
「本当だ、僕達を祝福しているみたいだね」
母木先輩が言う。
「う、うぜえ」
ヨハンナ先生が言った。
お茶の時間が終わって、縦走先輩が部活に戻り、鬼胡桃会長が生徒会の仕事に行くために、母木先輩と今生の別れみたいに、大げさな別れを演じる。
僕達がティーカップを片付けていたら、どこかに行っていてお茶の時間にいなかった古品さんが、遅れて食堂に来た。
「錦織君、ちょっといい……」
古品さんが錦織を呼ぶ。
古品さんは、なんかいつもとは違う、暗い顔をしていた。
そこにアイドルのカリスマ性みたいなものはないし、普段の古品さんの、ふんわりとした雰囲気もない。
「ゴメンね。本当に、ごめん」
古品さんは、いきなり理由も言わずに錦織に謝った。
「本当に、本当に、ごめんなさい」
そう言って、頭を下げる古品さん。
一体、なにがあったんだ。