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公爵閣下とメイドさん ~お断りします、旦那様!~ 中編

短めです。

自室のベッドからごきげんよう。

ブレトン公爵家の侍女、アンナです。横になった状態から失礼します。


生まれてこの方、風邪を引いて寝込んだことさえなかったのに、この年になって初めて一日をベッドの中で過ごすということになってしまいました。ちなみに仕事をお休みするのも初めての経験です。そうなってしまうのも仕方がありませんでした。立ち上がろうとしても自力で立てず、歩くことももちろん出来ず。


結局、旦那様がデボラを呼んでわたくしの着替えを用意させ、着付けた新しいネグリジェ姿のわたくしを自ら横抱きにして部屋まで運んでくださいました。他人の視線で死にそうでした。しかしながらおとなしく体を縮こまらせて、明後日の方を眺めるほかやりようはなく。


自分のベッドに潜り込んだものの、寝ようと思って寝られるものでもありません。

目を瞑っても、先ほどまでの出来事をぐるぐると思い返しては一体どうするのが正しかったのだろうと頭を悩ませ、胸の奥にずんと重い物がのしかかってくるのです。


寝返りをうとうとすると、やっぱり腰がじくじくと痛みました。

……旦那様。明らかにコレ、やりすぎです。そろそろと慎重に姿勢を変えて、ほっと一息つきます。


しばらくすると、デボラがふたり分の軽食を持って部屋に現れました。どうやら階下の方でも昼休憩になったようですね。


「ほら、お腹すいてるでしょ。食べなさい」

「うん。食べる……」


デボラの助けを借りながら上半身を起こして、プレートに乗ったパンとサラダ、スープに口をつけました。コンソメスープの優しい味わいが心に染みます。わたくしが次にぼそぼそとパンを食べ始めるのを確認してから、わたくしのベッドとは反対側にある彼女のベッドに座って、自分の分にも手を付けました。しばらくは食器同士がこすれる音だけが部屋の中を満たしていきます。


 デボラは、わたくしに気を遣ってくれているのでしょう。もしくは誰かに頼まれたからかもしれませんが、それでも一人でいるよりはだいぶ楽になりました。


 デボラはわたくしより三つ上の年齢ですが、入った時期がほとんど同じで、見習い中は互いの存在に励まされたものでした。デボラは楽天家で、場の空気を和ませることが上手く、下の者には面倒見の良いお姉さんのような人です。普段は対等な友人関係ですが、こうやってわたくしが落ち込んだ時には年上らしい包容力で親身になって話を聞いてくれます。なにかと他人に気が張りがちなわたくしにとっては数少ない「気を張らなくていい相手」でした。


「……ねえ、デボラ」

「うん?」

「わたし、これから何をすればいいのかわからなくなっちゃった」


人前では「わたくし」を一人称で用いるのですが、ふとしたときに子どもの頃のように「わたし」と言ってしまいます。もうそれでもいいか、と思えてしまうほど、わたくしは気疲れしていたのでした。


デボラはわたくしの顔を見ると、ふう、と肩の力を抜くように息を吐きます。その顔は穏やかなもので、今朝明るく「アンナ、おめでとう!」と告げた時とは違いました。


「旦那様はなんておっしゃっていたの」

「……『僕のものになって』と」

「アンナは?」

「お断りしたわ」



――僕のものになって。


旦那様の言葉が耳によみがえります。


責任を取られて旦那様のものになるということは、それは愛人ということでしょう。

わたくしが、旦那様の愛人?

そんな爛れた関係はごめんです。ルーメ川のドブに捨ててしまっていいでしょう。


だからわたくしは言いました、そんなつもりはございません、と、きっぱり。

半ば睨んでいるようなわたくしの目を見た旦那様は、そうか、と呟きながらわたくしの頭を撫でて何事かを考えておられたようでしたが、これ以上何もしないでいただきたいものです。


「アンナは旦那様が嫌い?」


デボラがナイフでデザートの林檎を切り分けながら聞いた言葉に、わたくしは軽く頷きました。


「今までも無気力でだらしのない旦那様だと思っていたけれど、ひどい方だと思ったわ。……もちろん、仕えるべき方だからこれは個人的な感情だけれど」


デボラの手元を見ながら言うと、切り終わった林檎を一切れ差し出されました。しゃくりと口の中で爽やかな音がなり、甘味が広がっていきます。


「でもね、旦那様はアンナのことが好きなのよ」


唖然とします。

デボラが何を言っているのかわかりません。


この文脈で言えば、旦那様はわたくしを女性として好きということになるのでしょうが、どこをどうしてそうなるのかがもっとわかりません。


「……本当に好きな女性だったとしても、やってはいけないことだってあるはずだわ」


じわりと両目に涙がこぼれそうになります。

情けなくて、悔しい。

好きだから? それがなんの免罪符になるというのです。

わたくしは嫌だった。……でもそれ以上に、付け入れられる隙を作ってしまっていた自分が憎い。


「うぅ……っ」


本日二度目の涙は飲み終わったスープの中に落ちていきました。

デボラが慌ててハンカチで目元を拭ってくれました。


「ごめんね……デボラ」

「いいのよ。私も悪ノリしすぎてしまったの。旦那様がようやく誰か一人に心定めてくれたと喜んで、アンナの気持ちを察してあげられなかったから。まだ混乱しているのにこんな話聞かせるべきじゃなかったわね」

「デボラ……う~」


デボラが抱きしめてくれると、本当に安心します。

わたくしには姉はいませんが、きっとわたくしに姉がいたらこんな感じなのでしょうね。

デボラが仕事に戻るまで、何度も何度も泣いて……それこそ一生分泣きました。

まだ困惑している部分もありますし、これからどうなるかもわかりません。

ただ一つ、わたくしが望むことがあるとすれば……それは今までどおりの日々を過ごすこと。


取り戻さなければ。


一度ついた色眼鏡はそうそう消えるものでないことはわかっています。昔、旦那様に色目を使ったとして解雇されたメイドでさえ、旦那様が実際に何をしたわけでなくとも、使用人たちがこそこそと噂話に花を咲かせたものでした。


わたくしには旦那様の愛人という疑惑がこれからつくでしょう。その疑惑を払うのに一番いいことは、旦那様とは二度と深く関わらないことと、今まで以上に仕事に励むことです。


わたくしはこの時、自分自身に誓ったのです。

もう何かが起ころうとも決して揺るがず、嫌味や悪口にも心を強く持つこと。

懸命に働き、誰にも文句を言わせない完璧な侍女になること。

昨夜のことで泣くのはこれで最後にして、人前では平然となかったように振舞うことを。


旦那様ですか? 「仕事」の範囲内でしたら恭しくお世話させていただきますよ。「仕事」外で流されもしません。当然のことです。



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