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配管工

作者: 大西啓太

伸二は今年で五十歳を迎えようとしていた。若い頃は歌舞伎町でホストをしていたが長年の不摂生と浪費癖がたたり、今では配管工の日雇い生活へと転落してしまった。借金こそしてはいなかったが貯蓄もほとんどなく、安アパートで細々と生活していた。

ある晩のこと、仕事の仲間や同僚と居酒屋で前の夜から明け方まで飲み明かしていた。彼らの話題と言えば野球のことや、相撲などのスポーツや、好きな歌手はどこのどいつか等の芸能のこと、少しばかり高尚な話題と言えば長引く不況に打開策はあるか、等の政治家のこと、もしくは自分の若かりし日はこんなことをやっていた、等の自慢話でもちきりだった。

しかし、大抵の男ならば時折涙を浮かべて飲んでいるか、黙々と飲んだり料理を食べたりしているかのどっちかだった。伸二の場合ひいつも黙って飲んでいる方だった。人から聞かれない限り、自分のことや昔のことを喋ったりはしなかった。喋ったとしても自慢になるようなことは何一つ持ち合わせていないと思っていたからだ。

それから男たちは明け方の四時ぐらいまで飲み明かし居酒屋空解散した。伸二はいつも通りに自宅のアパートまで歩いて帰ることにした。飲み過ぎたために足元はふらつき頭の中はモ―ロ―としていた。伸二はタバコを吸おうと懐をさぐった。ところがタバコの箱にはもう一本も残っていなかった。伸二はもう頭にきてタバコの空き箱を道端に放り投げた。それから急に小便がしたくて仕方がなくなり、そこらの民家の軒先で立ちショウベンをした。

用をたしていると、民家の庭にいた番犬が伸二のことを察知したのか起き上がってワンワン吠え出した。伸二はその吠えている犬がしまいにウザッタク感じてきた。

「このノラ犬め、あっちに行くか、吠えるのを止めねえか。さもないとこの家に火ぃ点けるぞ、コラッ、止めろ、止めねえか、オイッ」伸二がムキになればなるほど、犬はワンワン大ぼえした。

「ああっ、こと野郎め、火ぃ点けてやる」伸二は手元にあったライタ―を取り出すと、犬の方に投げつけた。ジッポ―のライタ―だったため、放り投げても火は点いたままだった。

「フン、ザマア見ろ」

伸二はその場を後にした。



伸二が目覚めたのはそれけら約十二時間後の夕方の四時だった。頭は二日酔いでクラクラしていたが、とりあえず下のポストから新聞を取ってきた。朝刊と一緒に今日の夕刊もすでに入っていた。伸二はタバコを吹かしながら新聞をめくっていると、今朝の明け方に伸二のアパートからそう遠くない民家で不審火があったとの記事が夕刊の方に載っていた。伸二はその記事を読むと、顔が青ざめて明け方から夕方まで続いた酔いがいっぺんに覚めた。

シマッタ、これはおれがやったことだ。あん時は酔っ払ってて訳が分からんかったが、今になって急に思い出してきちまったぞ。おまわりがここまでやって来たらどうするよ。まあいいさ、ここから一週間ほど行方をくらませてやる。まてよ、ここからいくら行方をくらませても必ず捕まるのは目に見えている。

あっ、そうだ。伸二は押入れの中にある段ボール箱を取り出した。その中から昔勤めていた運送業者のユニフォームを見つけ出した。これだ、これだ。こいつで運送業者を装ってムリヤリにでもかくまってくれる所を探してやる。このユニフォームも勤め先の社員とケンカして、その後おれが会社から逃げるように辞めちまってうやむやになっていたモンだ。こいつが役に立つ日が来るとはな。

伸二は早速着替えると自転車で逃亡することに決めた。ポケットにはカッターナイフを忍ばせて、衣服を段ボール箱に詰め込みガムテープで封をした。これで完璧。それから段ボール箱を抱えて、部屋の鍵を閉めてからアパートの下にある自転車置き場まで行った。自転車の後部に段ボール箱を紐でくくりつけ、明け方歩いて通った道とは正反対の方面に向けて自転車を走らせた。

無我夢中で三十分ぐらい走っただろううか、しばらくすると新興住宅地が見えてきた。そこはかつて伸二が配達を受け持っていた一戸建ての住宅地であった。頭の中では当時の思い出が蘇ってきた。

たしかこの住宅地の一画に美人の奧さんが住んでいたっけ。もうこうなりゃ自棄だ、配達を装って殴り込みでもしてみるか。伸二は住宅地にある一戸建ての家の前に来ると、目立たない場所を見つけて自転車を置いた。それから玄関の前まで行き、ドアのチャイムを鳴らすことにした。ピンポーン。出てくるかな、出てくるか・・・。出てこない。よーし、もう一度チャレンジだ。ピンポーン。しばしの辛抱だ。早く出てこい。「ハイ」女の声がインターホン越しに聞こえた。よーしいたぞ、いやがったぞ。

「お届けモノでーす。印鑑お願いしまーす」昔取った杵柄だ、上手くやれた。伸二はポケットにあるカッターナイフを確認した。

「ハイ、ちょっとだけお待ちください」

相変わらずいい声してやがる。やがてドアが開くと伸二は家の中まで滑り込み、ムリヤリ持っていた段ボール箱を玄関に置き、カッターナイフをちらつかせながらこう言った。

「奥さん、おれは配達員なんかじゃねえ。かくまってくれる所を探していただけだ。おとなしくするといい」

「なによ、アンタ。なに考えているのよ。アンタ配達しに来たんじゃないの?」

「だからそうじゃねえって。おとなしくしろって言ってんだろ。変に騒ぎたてると容赦しねえぞ」

「じゃあ、そのかっこは何なのよ。どこをどう見たって宅急便の人でしょうが」

「だからいろいろと事情があるんだよ。おとなしくするか?」

「ハイ、ハイ。おとなしくするからその事情とやらを聞かせてちょうだいよ。あとそれからその物騒な刃物だかなんだか知らないけど、引っ込めてちょうだい。さもないと話を聞こうにも聞けないじゃない」

「ホントにおとなしくしてるか?変に騒ぎたてるとホントにブッ殺すからな」

「ええ、いいわよ。その代わりその物騒な刃物、退かせてもらえるかしら」

「よーし、信用してやろう」

伸二はカッターの刃を引っ込めた。

「アンタもしかして疲れちゃってるんじゃないの?さっきも言ったけど、事情があるんなら聞く時間はあるわよ。それともおカネ目当て?何があったか聞かせてもらえない?」

「その前にノドが渇いて仕方がないんだ。水を一杯もらえないか?」

「ええ、いいわよ」

「アッと、ちょっと待った!中まで入れてもらうぞ」

「大丈夫よー、ぜったい警察なんかに通報したりしないから」

「ダメだ、水道がある所まで一緒に行くぞ」

「じゃあ、お好きなように」

女は伸二と台所まで一緒に行き、コップに一杯水を汲んでやった。伸二はそれを一気に飲み干した。

「ダンナさんはどうしたんだ。仕事か?」

「大丈夫よ。出張でイギリスまで行ってて一週間ほど帰ってこないから」

「そうか・・・。なら安心だ」

「ねえ、アンタさっきから変にソワソワして落ち着かないじゃない。ホントに何をしたのか教えてくれないかしら。さもないと先に進まないよー」

「奥さん、さっき新聞読んだか?」

「いいえ、あたしいつも週に4日パートに出ているかr新聞なんか読む時間ないのよ。何かあったの?」

「イヤ、それなら良いんだ」

「ねえ、まだ落ち着かないんならアンタの住所か電話番号を教えてくれればいつでも話相手になってあげるわよ。ちょっと待ってて、今ボールペンとメモ用紙取って来るから」

「いいかrおとなしくしてろって。ボールペンならここにある」

「じゃあ紙はどうするの。分かった、ここに書けばいいのね」

女は伸二が持ってきた段ボール箱を指差した。

「ああ、そこならいい」

「中身は何が入っているの?まさか爆弾かなんか入っている訳じゃないでしょうね」

「んなもん入っている訳ねえだろう!こっちは着の身着のままで逃げ出してきたんだぞ」

「ああ、そうよね。じゃ、いいわね。住所教えて」

「市内で南北町1-6-2-201号室」

女はすらすらと誰でもがハッキリ読めるぐらいデカイ字で、ダンボール箱の上に住所を書き込んだ。

「それからお名前は?」

「名前聞いてどうすんだよ」

「黙ってアタシの言う事にしたがって頂戴よ。何もアンタをお巡りさんに突き出すとは一言も言ってないじゃない。それにアンタだって寂しかったんでしょ?」

「分かった。言うとおりにしよう。オオヌマシンジだ」

女はその名前を書き取った。それから女は優しい口調で言った。

「ねえ、お茶でも飲まない?ノド乾いているんでしょ」

「ああ、済まんな」

女はその場にいた台所から湯を汲んでコーヒーをいれた。

伸二は黙ってコーヒーカップを受け取るとコーヒーを啜った。黙ってはいたものの、それは確かに美味かった?伸二は全部飲み干すと女にコーヒーカップを手渡した。それから女は言った。

「ねえ、悪いけどもう帰って下さらない?アタシもうアンタの相手してたらちょっと疲れてきvはった。今度来たときにはお食事でも一緒にしてあげるから」

伸二はここに来た本来の目的をすっかり忘れていた。

「そうか。それじゃあ今度一緒に頼むよ」

「ウン、気をつけてね」

女は魅力的な笑顔で伸二を玄関の外までへと見送った。



伸二は翌日の早朝、部屋の呼び鈴の音で目を覚ました。伸二が寝ぼけまなこでドアを開くと、そこには見たことも無い背広姿の男が二人立っていた。

「大沼伸二さんだね。警察のものです。実はあなたに強盗未遂の容疑がかかっているんだが・・・」

シマッタ。あの女に騙された。伸二は後悔の念で一杯になった。

「一応あなたには任意で警察署までご同行願いたいんだが・・・。いろいろと話に不自然な点が多くてね。朝っぱらから申し訳ないが」

「分かりました。すぐに着替えてから行きます」

伸二は二人の刑事を玄関で待たせて、パジャマから普段着に着替えると顔を洗面所で何回か洗い、それかrパトカーに乗り込んだ。

警察署に着くと、さっそく取調室へと連行されて、取調べを受けることになった。

「大沼伸二さん、これはあなたの本名に間違いないね。それから自宅の住所は南北町1-6-2-201号室。これも間違いないね」

「ハイ、間違いありません」

「それから、あなたが夕べ押し入った人と何か面識は?」

「全くの初対面です」

「フン。それからあなたがどうしてあの家に押し入ったのかその動機を教えてもらえないかね」

「いやあ、それがおとといの晩に仕事の仲間と一緒に飲んだくれていて何にも記憶が無いんですよ」

「おとといの晩に仕事上の付き合いでかね」

「はあ、そうです」

「それから昨日は何時に起きたの?」

「たしか夕方の四時ごろだったと思います」

「よっぽど飲んだんだな。いつも飲む時はどれぐらい飲むの」

「だいたい生中を7杯はいきます」

「ずいぶん飲むんだな。それで、あなたは昨日起きてから何で人の家に押し入ろうと思ったの?」

「それは自分でもよく分かりません。何しろ二日酔いで頭がフラフラしてモーロー状態だったんで」

「その状態で車を運転したの?」

「いいえ、私は車は持っていないんで」

「自転車でも酒気帯び運転は罪になるよ。微罪だが・・・」

「それが自転車に乗ったかすら、よく覚えていないんですよ」

「なるほどね」

と、そこへ別の若い刑事が入ってきた。それから今まで取調室の中で取調べをしていた年配の刑事に耳打ちをした。それからいったん表に出てから、数分もしないうちに刑事が戻って伸二にこう言った。

「悪運が強いやつめ。アチラの奥さんはあんたへの告訴を取り下げるし、起訴もしないでくれ、と言ってきたぞ」

「そ、それはどういうことですか?」

「もうここにいる必要は無いっていうこと。あなたはこれで釈放です。二度とバカなマネをしないように。それからあまり飲み過ぎないようにな」

伸二はボー然としたまま、署の玄関先までたどり着いた。

朝の強い日差しを浴びながら、伸二はフラフラ歩いていた。もしかすると、あの奥さんはおれのことを助けてくれたのかもしれないな。伸二はそう思いながら、また新たな1日が始まるのを肌で感じ取った。

それからタバコを吸うつもりでライターを探した。ポケットの中にあるライターを取り出すと、それは伸二が今まで見たこともない、白人の女の水着姿のシールが貼ってあるライターだった。

あの奥さんがひょっとしたらおれに気づかないうちに差し入れてくれたのかも。そうだ、そうに違いない。これなら民家に火なんか点けずに済むだろう。伸二はそう思った。

そしてそれは実際にそうだった。





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