006
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《クリムヒルト女学園》とは――
《クリムヒルト皇国》と呼ばれる国に在った由緒正しき女学園のことで、清く正しく品行方正を理念に掲げたお嬢様学校のことを呼ぶ。現在は、この航空戦艦《ニーベルング》を校舎として、日々勉学や花嫁修業に励んでいるらしい。
そして、この《ニーベルング》の艦内では、学生としてだけでなく艦のクルーとしての活動にも勤しんでいると、エーデルワイス・グレートヒュンは笑いながら話をしてくれた。
「この艦のクルーの八割は女の子なの。だから私たちがいないと、この艦はまともに空も飛べないんだから。食事の用意に、お洗濯でしょう、艦内の点検とか、物資の搬入とか、通信士として艦橋で働く子とか……《ナイト・ヘッド》の整備を手伝っている子もいるんだよ」
僕の隣を歩きながら、エーデルワイスが指折りしながら言う。
ミルクティ色の髪の毛を肩のあたりで揺らし、大きな栗色の瞳と大きな口を忙しそうに動かして、とても楽しそうに色々と説明をしてくれる。
とても快活で、とても発育の良い女の子だった。
そして、とても面倒見の良さそうな女の子だった。
僕の面倒は、ウォーロック艦長がアリシア・エル・クリムヒルトに直々に指名したのだが、クリムヒルト女学園の生徒たちが流れ込んできたせいで、今はうやむやになってしまった。
艦長たちのいる部屋から無理やりエーデルワイス・グレートヒュンに連れ出された僕は、そのまま艦内を案内されることとなった。
「でも、どうしてエーデルワイスさんたち《クリムヒルト女学園》の生徒たちは、このニーベルングを校舎にしているの?」
「……エーデルって呼んでよ」
ミルクティ色の髪の毛を揺らして僕の顔を覗き込み、快活な声を上げてエーデルワイスが微笑んだ。
「みんなもそう呼ぶし、エーデルワイスなんて貴族名だから呼びづらいでしょう? 私も……英雄君じゃなくて――アオトって呼ぶから」
「わかったよ、エーデル」
僕は何となく気恥しくなって俯いた。
「うん、オッケー。それで私たちがこの《ニーベルング》を校舎……学園艦にしている理由なんだけど、実は私たちの国――《クリムヒルト皇国》は、なくなっちゃったの」
「……なくなった?」
「そう、一か月くらい前にね」
「どうして?」
「うーん、戦争ってやつなのかな? まぁ……だから私たちけっこうわけありなの」
「わけあり?」
「うん。でも、生徒の私たちは……詳しい事情を知っているわけじゃないんだ。だから、このこの《ニーベルング》が何を目的にしているとか、これからどこに向かっているかとかも……正直よく分からないんだよね」
エーデルは困ったように笑った。
「“クリムヒルト”って、アリシアさんの名前と同じだけど……もしかして?」
僕は気になっていたことを尋ねた。
「そうだよ。アリシアは《クリムヒルト皇国》のお姫さまなの。正確には皇女殿下。だから、あの子が一番つらい思いをしているのかも。そういえば、アオト……アリシアに頬を打たれて気を失ったんだって?」
「いや……頬を打たれたのは本当だけど、別にそれで気を失ったわけじゃないよ」
僕はアリシア・エル・クリムヒルトのことを思い出した。
厳しくて近寄りがたそうな人だけど、それにもちゃんと理由があったんだなと思い――彼女に打たれた頬に触れてみた。
「そうなんだ。まぁ、アリシアは真面目で堅物だから付き合いづらいと思うけど……本当は素直な優しい子だから、頬を打たれたことは許してあげてほしいな」
「別に気にしては無いよ。ただ頬を叩かれるなんて初めてことだったから……少し驚いただけだよ」
「へぇ、アオトってけっこう良いところのお坊ちゃんなの?」
「いや、ほんと……そんなんじゃないよ。でもアリシアさんも、この《ニーベルング》の人たちもみんな大変なんだね」
僕は話をはぐらかすように言った。
「うん。もうね……国を出てからの私たちの毎日なんてハチャメチャだよ。戦ったり、逃げたり、隠れたり、“航空海賊”とほとんど変わらない暮らしをおくっているんだから。さすがに盗みとかはやったりしてないけどね」
僕はエーデルからこれ以上詳しい話を聞く気にもなれなかった。
僕と差ほど歳の変わらない女の子たちが、自分たちの住む国を失って、毎日を海賊として生活しているなんて、それまでの僕には考えもつかないことだった。
この世界は、僕が思っている以上に複雑で危険な世界なんだと思った。
「でも……ぜんぜん平気なんだよ」
それでも、エーデルはあっけらかんと笑ってみせた。
「だって、私たちは生きてる。だから毎日を必死に生きるの。ちゃんと勉強して、ちゃんと花嫁修業をして、ちゃんと働くの。毎日を楽しく笑っていられるように、毎日をがんばるの。だから、アオトは……気をつけてね」
「気をつけ……てって?」
「この《ニーベルング》の女の子はみんな逞しくて積極的だから、君みたいな花婿候補が学園艦に入ってきたら、争奪戦が始まっちゃうかもしれないよ?」
「……争奪戦って――大袈裟な?」
僕がたじろいで言うと、エーデルは意地の悪い笑みを浮かべた。
「後ろ見てみて」
「――後ろ?」
言われて振り返ると、僕とエーデルが歩いてきた艦内の通路には、身を潜めたたくさんの人影があり、女の子特有の甲高い声がそこかしこで響いていた。
「きゃー」
「こっち見たよ」
「目があったかも?」
というよりも、隠れているようでぜんぜん隠れきれていない女の子たちで溢れかえっている。
「ほら、みんな君に興味津々でしょう?」
「僕のことが珍しいのかな?」
「そうだよ。私たちは幼い頃から女学院の寄宿舎で暮らして来て、年頃の男の子と顔見知りになる機会なんて滅多になかったんだ。この艦の男連中は、むさいおじさんたちばかりだし。それに君がラティファに召喚された異世界の住人で、“救星の英雄”だって聞いたら、興味津々にもなるでしょう?」
「その救星とか、英雄っていわれても……僕にはまるで思い当たる節がないんだ。僕なんかこの世界のことを何も知らないし……特別な何かができるってわけでもないし」
「そんなことないって。《ナイト・ヘッド》に乗って、発出撃で三機撃墜したんでしょう?」
「あれは無我夢中っていうか、僕にも何がなんだかよく分からなかったし……きっとまぐれみたいなもんだよ」
僕は《ジークフリート》に乗って砂色の巨人を撃墜した時のことを思い出して言った。
同じことをやって見せろと言われても、もう二度とあんなことはできないような気がした。
「普通の人には、まぐれでも無理なんだって。《ナイト・ヘッド》を操縦できるのだって選ばれた《騎士》だけなんだよ。それだけでもすごいことだよ」
「そうなんだ」
力説するエーデルの勢いに負けて、僕はとりあえず頷いておいた。
僕は右腕に刻まれたままの不思議な形の紋様を眺めた。
「そうなんだって。ああ、でも……“救星の英雄”についてはあまり深く考えないほうがいいかも。テラスに伝わる古い言い伝えっていうか、御伽噺みたいなものだから――」
そのもの異界からの扉を開き、
古の塔に立たん。
黒き巨兵を駆り、
青き刃をもって、
星と空と大地の全てを統べる英雄、
指輪の王とならん。
「――こんな感じ。テラスで暮らす人なら誰でも知ってるよ」
エーデルの諳んじた御伽噺を聞いた僕は――なんだ御伽噺かと安堵する気持ちと、僕と奇妙に符合することに驚く気持ちとで、複雑な気持ちになった。
僕がこの世界にやって来たのも――《エヴェレット》と呼ばれた塔に似た建造物の中だったし、黒き巨兵は《ジークフリート》と一致する。
僕はこの奇妙な一致を、僕の胸の中にどのように落ち着けていいのか分からずにいた。
「そんな難しい顔をしないでって。これから少しずつ慣れていけばいいんだから。私たちも協力するかさ」
エーデルが僕を気遣うように言ってくれた。
「ありがとう。少し気が楽になったよ」
「うんうん。それじゃあ、今日はもう遅いから、お風呂にでも入ってさっぱりしてきなよ。君……この三日間お風呂入ってなかったでしょう? けっこう臭うよ」
「……うそ?」
僕は指摘されて恥ずかしくなり、身体の臭いを確かめるように嗅いでみた。
確かに、この世界に来てから一度も風呂に入っていなかった僕の身体は汗臭いというか、なんだか嫌な臭いがした。
「……ごめん」
「だいじょうぶだいじょうぶ。《クリムヒルト女学園》の生徒たちは逞しいって言ったでしょう? ここの男連中に比べたらぜんぜんマシだし、こんなの慣れっこだから。さぁ、ここが大浴場だから入ってきな」
「ありがとう、エーデル。いろいろ良くして」
「いいってことだよ」
エーデルは微笑みながら首を振った。
「……アオト、さっきは救星の英雄についてあまり深く考えないほうがいいよって言ったけど――私はね、君に期待してるんだ」
「僕に期待?」
「君が、私たちのこの波乱万丈な暮らしを救ってくれるんじゃないって。ごめん……無責任だったよね? 今のは忘れて。それじゃあ……おやすみなさい」
少し気恥ずかしそうに頬を赤らめたエーデルが、手を振って足早に去って行った。
僕はエーデルの言葉を思い返しながら、この世界で僕に何ができるだろうと考えていた。
エーデルが話してくれた御伽噺が、僕の頭の中に木霊していた。