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002

 


 ☆



「――ああ、救星(きゅうせい)の英雄さま」


 僕を呼んでいた声が、今僕の目の前で少女の姿となってもう一度僕を呼んでいた。

 

 ――“救星の英雄”と。


 僕は訳も分からずに少女の元に駆け寄ったが、艶やかな褐色――まるで溶かしたチョコレートのような肌を露わにした、一糸まとわぬ少女の姿に思わずたじろいだ。未発達な少女の艶めかしい裸体を前にして、思わず僕は目を瞑る。それでも脳裏に焼き付いて離れない少女のふくらみのない乳房――


「だっ、ダメだ……」



 僕は頭を振って邪な想像と雑念を払う。

 そして直ぐに着用していた黒のブレザー制服を脱いで、褐色の少女にかけて抱き起した。


 小さく華奢な身体だった。

 まるで病身なのではと心配になってしまうほど。


「……だいじょうぶ? 僕を呼んでいたのは――もしかして、君?」

 

 僕が声をかけると、少女は冷たくなった身体を震わせた。

 白金色(プラチナ)の長い髪の毛が零れる。

 そしてこの不思議な世界の青い空のように、美しい瑠璃(ラピスラズリ)の双眸で僕を見つめた。

 

 少女はとても苦しそうだった。

 脱力して、今にも気を失いそうになっていた。


「ああ、英雄さま」


「英雄さまって……まさか、僕のこと? 僕は、そんなんじゃ。それに……ここはいったい?」

 

 僕は、思わずこの状況の説明を求め、多くの疑問をぶつけたくなる衝動を抑え込んでゆっくりと尋ねた。


 自分の双眸が見ているものが未だに信じられなかった。

 

 今でもこの建物の外では激しい戦闘が繰り広げられいる。

 身に覚えもない、見たいことない世界に僕はいて――目の前には会ったこともない少女がいて、今にも途切れそうな意識を必死に保っている。


 これが全部夢だったらいい。


 不意にそう思ってしまったけれど、僕の肌を通じて流れてくるヒリついた空気が、この腕の中にある少女の温もりが、僕の胸を激しく揺らす鼓動が――


 今僕の目の前で起こっていることの全てが、夢なんかじゃないってことを明確に告げていた。


「僕は、どうしたらいいんだ?」


 思わずそう尋ねていた。


 すると――


 円形の広間に大勢の人影が現れた。


「ラーラ・ラティフア・フォ・ラーニエ――《オラトリア神殿》からの逃亡罪及び、《エヴェレット》の無断使用の罪で、身柄を拘束させていただく」

 

 砂色のヘルメットと甲冑のようなものを身に纏った集団が下の階から現れ、その中の一人が荒げた声で告げた。どこかの国の兵士のようで、兵士たちは両手に抱えた自動小銃(ライフル)のようなものを僕と褐色の少女に向けていた。


「――報告ではオラトリアの人柱が一人という報告のはずだが……あの小僧は何者だ?」

 

 広間に現れた大勢の兵士たちを搔き分けて現れた男性が、怪訝な表情を浮かべて尋ねた。


 手入れのされていない鈍色の髪の毛を面倒くさそうにかきむしり、琥珀(アンバー)の双眸――鋭い眼光で僕たちを見据える。大柄で幅広の体躯の男で、他の兵士たちとは違い甲冑の様の上にマントを纏っていた。


「オルランド中佐……いかがいたしますか?」


 オルランドと呼ばれた男が、無精髭の生えた顎を擦って面白くなさそうに僕を見る。


「まさか、《エヴェレット》が正常に起動したというか? 先程の“エーテル”の光が本物だとしたら……この小僧は――いや、まさかな?」

 

 僕を見つめたまま、オルランドは首を横に振った。


「小僧、大人しく投降するなら命まではとらん。だが――抵抗するなら容赦はせんぞ」


 オルランドは威圧するよう言って僕を牽制した。


 僕はどうすればと、褐色の少女を見つめた。

 ラーラ・ラティファ・フォ・ラーニと呼ばれた不思議な名前の女の子は、身体を強張らせて小さく震えていた。


 そして、僕と目が合うと“いけない”と首を横に振った。

 

 僕は目の前の兵士たちが、この少女にとってよくない存在と理解した。

 

 だけど、どうすればいいだろう?

 

 唯一の出口とも言える下の階へ出入口は、兵士たちによって塞がれている。広間とはいってもこれだけの人数を相手に、小さな女の子を抱えて逃げ切れる自信なんてない。


 万事休す、そして袋のネズミという言葉が脳裏をよぎった。


 そして向けられる無数の銃口を前にして、僕の身体は震えていた。


 どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい?どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい?


 必至に頭を回転させるけど何も思いつかなかった。


 不意に、僕は褐色の少女が僕のシャツの袖のあたりを掴んで引っ張っていることに気が付き、少女に視線を向けた。


 瑠璃の双眸が僕を真っ直ぐに見つめて、そして小さな唇を動かした。


「――飛んでください」


「ヘっ……飛ぶって?」

 

 告げられたその言葉に僕は耳を疑った。

 けれど、この円形の広間を見渡して、この場から逃れる唯一の方法がそれしかないことを悟った。

 

 だけど――


「――君……もしかして空を飛べるとか?」

 

 僕は冗談交じりで尋ねてみた。

 少女は首を横に振って、もう一度口を開いた。


「あなたが飛ぶんです」


「――僕が? そんなこと……無理だよ」


「お願いします。私を信じて飛んでください」


 少女の瑠璃色の瞳に偽りの色は無かった。

 その声音に恐れや不安は無かった。


「わかったよ。飛ぼう」

 

 僕は少女を抱えて反転し、吹きさらしになった円形の広間の縁を目指して駆けだした。


「――貴様、待て」

 

 背中から激しい銃声が聞こえた。


「バカ者ッ、小僧はともかく人柱に当たったらどうする」


 いくつかの弾が僕の身体を掠めたが、僕は構わずに駆け続けた。


 走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。


 火線が撫でた頬が熱く、早鐘を打ったかのように心臓が鼓動しいている。


 僕は震える体を押さえつけるかのようにしっかりと足を踏み鳴らし、ぜったいに離しちゃいけないと少女を抱えた両手に力を込める。


 飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。

 

 そして、僕は広間の天井を支える柱と柱の間から――瑠璃色の大空に向かって飛び出した。



「いっけけけけけええええええええええええええ―――――――――飛べよおおおおおおおおお」



 ――空だって飛べるような気がしていた。


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