Interlude 003
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アリシア・エル・クリムヒルトは苛立ちを抱えたまま、一人物思いに耽っていた。
《ナイト・ヘッド》や《パンツァー・ヘッド》の操縦士が使用するシャワールームの個室の中――
めいいっぱいに熱くしたお湯を頭から浴びながら、アリシアは心の中の汚れを落とすように、丁寧で念入りに身体を洗っていった。少しずつふくらみはじめた乳房や、生え始めた下半身の体毛、変わり始めた自分の肉体を確かめるように泡立てた石鹸を纏う。
思い出したくないことを洗い流したくてシャワーを浴びているはずなのに、どうしてか思い出したくないことばかりを考えてしまう。
アリシアの靄がかった頭の中に、エーデルの言葉が木霊する。
「――――アリシア、あなた……一人で戦っているつもりなの?」
異世界の召喚者だというアオサキ・アオトと名乗った少年――
《ジークフリート》を起動させ、そしてその《アドミニスター権》を得て《パンツァー・ヘッド》三機を撃墜してラティファを救ってみせた少年のことが――
アリシアは気にかかって仕方がなかった。
だから、アリシアはアオサキ・アオトを見定めようと思った。
結果は――
「それは、もういい」とアリシアは胸の裡で断じた。
今はエーデルのことで頭がいっぱいだった。
アオサキ・アオトを背にして、甲板から艦内に戻ったところを、追ってきたエーデルに手を引かれて今の言葉を告げられた。
「今日まで、アリシアたった一人で戦って来たっていうの? 私たちだって、《クリムヒルト皇国》がなくなっちゃってから、必死になって――」
エーデルの言葉に何も返すことができなかった。
彼女は、アリシアの胸の裡を全て理解していた。
そしてアリシアもまた、エーデルのことを理解していた。
二人は幼馴染みであり、無二の親友だった。
こんな状況じゃなければ、アリシアは真っ先にエーデルに全てを打ち明けて相談しただろう。
今までずっとそうしてきたように。
だけど、今はエーデルに相談をすることも、弱音をはくことも、迷いを見せることもできなかった。
全てを断ち切ってでも、気丈に振る舞い続けなければいけなかった。
「――――私は皇国に残された最後の《騎士》。私が……もっとしっかりしなくちゃ、いけない」
アリシアは頭を振って呟く。
《クリムヒルト皇国》唯一の騎士団――“紅十字”を紋章に戴く、《皇国騎士団》。
小規模の騎士団ながら、一人一人の団員の実力は折り紙つきであり、少数精鋭を体現したような騎士団だったが――
しかし、多くの騎士団のメンバーは、この《ニーベルング》に残るものを除いて全て、アリシアが《ジークフリート》と《ブリュンヒルト》と共に、《クリムヒルト皇国》から無事に逃げ出すために皇国に残って戦うことを選んだ。
「――――お兄様」
アリシアは、たった一人の兄のことを思い出した。
《クリムヒルト皇国》最高の騎士と謳われていた兄――
次の戴冠式では、皇国が所有する最古の《ナイト・ヘッド》――《ジークフリート》に騎乗し、《アドミニスター権》を得て、名実ともに《皇国騎士団》の団長に就任するはずだった。
それなのに――
そして、他の《皇国騎士団》のメンバーの安否は依然分らず、それどころか現在の皇国の状況は何一つ不明だった。
《クリムヒルト皇国》は、中立を宣言した《ゴンドワナ》と《ローラシア》間の“緩衝国”で、そのため最低限の武力と小規模な騎士団しかもたなかった。
それでも今日まで皇国に平和が保たれてきたのは、最古の《ナイト・ヘッド》と呼ばれる《ジークフリート》と《ブリュンヒルト》のおかげであり、勤勉で真面目な皇国民たちによる先進的で革新的な技術力の賜物だった。
緑に溢れた美しい国であり、清廉で清新な人々だった。
アリシアが愛した全てがそこには在った。
目を瞑ったアリシアの瞼の裏に――あの日の光景が蘇る。
燃える皇都の街並み、空を覆う航空戦艦の大軍、一人また一人と散って行く《皇国騎士団》のメンバー、皇国の神聖な土地を蹂躙する帝国の《パンツァー・ヘッド》、そして悪魔のような黒い《ナイト・ヘッド》、クリムヒルト女学園の生徒たちの悲鳴――
「もう、何も失わない。何も失わせない。そのためなら――」
翡翠の双眸を見開き、握った拳を個室の壁に叩きつける。
アリシアの瞳の奥には、渦を巻く地獄の業火のような妖しげな光が灯っていた。
「――――復讐だってなんだって、やってみせます」