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009




「まずは、マーサのところに向かいます」


「マーサさんって……あの白衣の女性ですか?」


「そうです。彼女はこの艦の“医師(ドクター)”で、エーテル医学やエーテル体系学の学位も持っている博識な女性なんです」


「はぁ……エーテル医学? エーテル体系学?」

 

 僕には、アリシアさんが何を言っているのかよく分からなかったけれど、取り敢えずこの世界にもたくさんの学問があり、学位という単位までが存在しているおいうことを頭の隅に入れておいた。


「……アオサキ・アオト、シャツの襟が曲がっていますよ。それに袖のボタンもちゃんと閉じてください。もう、だらしがありませんね」

 

 艦内の廊下を歩きながら、目ざとく僕の服装のあらを見つけたアリシアさんが、僕に詰め寄って服装の乱れを直す。

 

 僕よりも少しだけ背の高いアリシアさんの小さな顔が、僕の顔のすぐ近くに来て、僕はそれだけでどぎまぎした。


 長い髪の毛が揺れるたびに、石鹸の良い香りがした。アリシアさんはさすがお姫さまという感じだった。綺麗なのは顔立ちだけでなく、一つ一つの所作や仕草がとても洗練とされ、優雅という言葉が相応しい女性だった。


「……何を呆けた顔をしているんです? 早く行きますよ」

 

 僕は慌ててアリシアさんを追った。

 

 マーサさんのいる艦内の“医務室”に入ると、部屋の中は中学校の保健室のようだった。


「いらっしゃい、そろそろ来るころだと思っていたわ」


 机の前に置かれた椅子に腰を下ろした白衣姿のマーサさんが、僕たちを見て言った。

 少年のように短い髪の毛をした女性で、今は赤いフレームの眼鏡をかけていた。


「私はこの《ニーベルング》の専属医のマーサよ。よろしくね――異世界の少年君」


「はい、青崎碧人です。よろしくお願いします」


 僕たちは互いに自己紹介をした。


「マーサ、準備はできている?」


「もちろんよ。だけど……場所は変えたいわね。患者が一名眠ったままだから」


 マーサさんが言った患者という言葉に、僕は敏感に反応した。


「患者って、もしかしてラティファのことですか?」


「ええ。そこのカーテンの奥――ベッドの上で眠っているわよ。顔を見ていく?」


「いいんですか?」


「ええ、お見舞いを断る理由は無いわ」


 僕はカーテンのかかった一角に足を運び、カーテンを引いてそっと中に入った。


「ラティファ?」


 ベッドの上で静かに眠る褐色の少女を見て、僕は思わず声をもらした。ラティファはまるで息をしていないんじゃないかと思ってしまうほどに静かで、まるで微動だにせず眠りについていた。


「……ラティファは大丈夫なんですか?」

 

 僕は隣に立ったマーサさんに尋ねた。


「ええ、身体的な異常は何もないわ」


「ラティファがこんなことになったのは……僕のせいですか?」


 僕は自分を責めるように言った。


「違うわよ。ラティファが眠ったままなのは、彼女自身のせいよ。症状も一時的な“エーテル欠乏症”。おそらく、色々なことに自身の“エーテル”を使い過ぎたんでしょう。でも……重症ってわけじゃないわよ」

 

 僕は“エーテル欠乏症”が何なのか分からないまま頷いた。


「それに、本当はいつ目を覚ましてもおかしくないの。後は……何か切っ掛けが必要なんだと思うわ」


「切っ掛け……ですか?」


「そう、例えば王子様のキスとかね」


「キスですか?」


 僕は驚いて尋ねた。

 そして、ラティファの花の蕾のように小さな唇を見つめてどぎまぎした。


「冗談よ」


マーサさんはくすくすと笑っていた。

どうやらからかわれたらしい。


「ふーん。異世界の少年君は、意外に初心(うぶ)みたいね。それに……見たところずいぶん平和な場所で暮らしてきたみたいね? 闘争や競争とは無縁の世界――それでいて……高度な知性と文明を要する世界で?」


「……どうしてわかるんですか?」


 僕は驚いて尋ねた。


「まずはアオト君の体格や体型ね――筋肉のつきかたが、私たちの世界《テラス》の男性と比べて著しく低い。これは普段から重いものをもたず、過度な運動や労働を行っていないことが理由の一つとしてあげられるわ」

 

 僕は自分の小さな体を見つめた。肩はなで肩で、力こぶはまるでない。僕は同世代の男の子と比べても著しく小柄だったから、マーサさんの指摘は僕以外には当たらないような気がした。。


「次に皮膚の色――陽に焼けた形跡はなく色素の沈着もない。これは……普段の生活において、陽の光を浴びていなくて、文明的な生活が営めることの証拠の一つね。もちろん、アオト君が寒冷地などの陽が差しづらい土地で暮らしているという可能性もあるけれど、そのような環境の特色は、肉体に現れていない。おそらくアオト君の暮らしてきた環境は……とても穏やかな気候と風土を持っていたんじゃないかしら?」


「そうです」


 マーサさんはとても的確に、僕が暮らしていた世界――日本のことを見抜いてみせた。

 アリシアさんが、マーサさんは学位を持っていると言っていた通り、とても聡明で博識な女性だった。


「なにより、私が着目した点はアオト君の知性ね」


「知性……ですか?」


「ええ、アオト君は……このような特殊な環境に置かれても、混乱して取り乱すことなく、環境や状況に適応し対処している。そして私たちとの取り留めのない会話からも、アオト君が高度の教育を受けてきたことが伺え、その理解力や適応能力は、文明の高度さの証明と言ってもいい。以上のことから……アオト君の元いた世界は、非常に発達した高度な文明を要しつつも、闘争や競争が必要ないほどに平和で穏やかであるという仮説が成り立つわ」

 

 ぜんぶが正解という訳ではないけれど、僕はマーサさんの仮説にとても驚いた。

 そして、あらためてこの《テラス》と地球との大きな違いを噛みしめた。


「さて、つまらない話はここまでにして……そろそろ本題に戻りましょう。不機嫌そうなお姫さまもいることだしね」

 

 マーサさんが手を叩いて振り返ると、そこには確かに不機嫌そうな顔をしたアリシアさんがいた。


「アオト君にこの世界の基本的な成り立ちと、“エーテル”に関して説明すればいいんだっけ?」

 

 

 何となくなんだけど、僕は今のマーサさんの話が――

 

 僕にではなくアリシアさんに向けたものなんじゃないって思った。


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