第五話 開戦。
誤字脱字、読みにくい点や不備な点があるかもしれませんがご了承ください。
目覚まし時計の電子音が枕元で鳴り、心地良い睡眠の終わりを告げる。
「ん、んん……。朝が辛い……」
布団にくるまりながら手を伸ばし、アラームを手動で止める。眠気を晴らす不快な電子音は消えるが、裏側のスイッチを切らない限り再度鳴り出すので、俺は布団を自ら剥いで座りながらそのスイッチを落とす。
「むう……。もう一度寝たら学校に遅刻するが、やはりこの眠気には勝てそうにないな……。父さんと母さんは海外に出張に行ってるし、邪魔も無く最高の二度になるな……」
そう一人呟き、温もりが残る掛け布団に手を伸ばそうと視線を遣ると、
「すぅ……すぅ……むにゃ……」
「……」
朝起きたら、女の子が同じ布団の中にいた。
漫画などではよくあるありきたりな展開。大抵主人公の起き抜けシーンが冒頭で出てきたら、半分以上その可能性ありだ。
まあ、そんな前振りはさておき……だ。
「すぅ……すぅ……」
俺はかわいらしい寝息を立てる彼女を見つめる。できれば信じたくない光景だ。法律的にもきっとギリギリセーフなはずだし、俺もこんな程度で訴える出る気も通報する気も無い。……でも……さ。
起き抜けの頭ははっきりと目覚め、頭を抱えて寝息を立てる一人の女性に尋ねる。
「なーちゃん先生? どうして先生がこんなところにいるんですか?」
「……ふぁい? ……おはようございます、葉隠くん……なーちゃん先生は今日も頑張りますよぉ……」
ぼんやりと開く寝ぼけ眼を向け、礼儀正しく朝の挨拶をする未発達な身体を持った先生。
「んうっ……おはよう、芯……。昨日は激しかったね……」
俺の声で起きたのか、それともなーちゃん先生の声で起きたのかどうかは分からないが、同じように布団に忍び込んでいた幼馴染の繭が瞼をこすりながら起き上がり、挨拶をする。
「……」
因みに、昨日生徒会室で繭と話した後、シイと常夜を呼び出して今後どういった方法を執るのかを少し話し合った。結果はぼちぼちだが、その後は繭を自宅へと送り、その日は終わった。
要するに、こんな状況に陥るきっかけなどは一ミリも無かった。なのに、なぜこんな奇想天外なことになっているのか……。
「……だけど芯? なーちゃん先生を布団に連れ込むのは、さすがのわたしでもいけないことだと思うわ」
「前科も無い人間に対して、いきなり疑いの目を向けるのは良くないだろ……」
身に付ける下着まで見えるような、紅いセクシーネグリジェを着た吸血鬼の幼馴染は先生の方を向きながら言い、俺はため息を吐いて否定の言葉を唱える。
「そんなあからさまな嘘を吐くことは無いわ。十五年間一緒にいた幼馴染なんだから、例え芯にロリータ・コンプレックスな節があっても、あなたに対しての想いは変わらないわ」
「十五年間も一緒にいた幼馴染なら、俺の言葉を素直に信じてくれよ」
「芯はわたしのようなおしとやかな胸が大好きなはずだから、ロリコンでいいわね?」
「会話がまったく噛み合ってないんだが……」
俺は呟きをこぼし、再び寝入ろうとしたなーちゃん先生の掛け布団を引っぺがした。
窓から差し込む朝日に照らされ、その優美さと神々しさを醸す黄金色の髪。
学校に行く支度を終えた繭は、そんな自慢の髪をいつものように結うことも無く、滝のように垂らして自由に遊ばせる。
「朝ごはんも食べたことだし、後は芯がわたしに血をくれるだけね」
お皿を流しに運びに来た繭は、にこにこ笑顔を振り撒きながら俺に催促をする。
「そう言えば、天童さんは吸血鬼さんなんですよね?」
リビングのテレビで朝のニュースを見ていたなーちゃん先生は、俺たちがいる台所の方へと振り返り、幼くかわいい顔を向ける。
「ふふっ……なーちゃん先生が良い子にしていなかったら、わたしが先生の首に噛み付いて、血をチュウチュウ吸っちゃいますよ」
「な、なーちゃん先生を子ども扱いしないでください!」
「冗談ですよ先生。でも、わたしは今血に飢えているので、もしも吸血の邪魔をしたら思わずなーちゃん先生のことを襲っちゃうかもしれませんよ……?」
「そ、そう言えばなーちゃん先生は、お手洗いに行く用事を思い出しました!」
顔を真っ青にし、わざとらしく声を大にして先生はリビングから駆け出してトイレへと逃げ去る。
三人分の食器を片づけていた手を止め、ため息を一つ吐いてから幼馴染に注意する。
「先生をあんまりからかうなよ……。ああ見えて、大人らしい心意気は持っているんだぞ」
「どう見ても中学生にしか見えないけど?」
「そう言ってやるな。なーちゃん先生はなーちゃん先生で、結構苦労しているんだから」
「背が伸びないとか?」
「そうだ」
俺は真顔で言い切り、「なるほど」と美少女は手を打つ。ある意味納得してくれてありがたい。
「まあそんなことより……」
前台詞を口からこぼすと、繭は輝く金色の髪を揺らして俺の首元に顔をうずめる。心が蕩けるような、甘い香りが漂う。
吸血行為を抜きにしても……本当にこいつはかわいく、綺麗だな……。
脳裏でそう呟く――すると、うずめていた美麗な顔を少女は持ち上げ、ねだるように紅の瞳で見つめる。
「早く……あなたをちょうだい……」
ふと気が付くと、繭が肩を握る手は衝動をこらえるようにうずうずと震えており、俺が頷いた瞬間に彼女がどのような行為に及ぶかは今にも目に浮かぶ。
「そんなにしたい……のか……?」
赤い目で俺を真っ直ぐと映し、生温かい吐息を微かに吹き掛けてこくりと頷く。
頬を朱に染めて欲情するその様を、惜しむことなく晒す美少女に、ちょっとしたいたずら心が湧く。
「でもなぁ……俺はそう言う気分じゃないし、学校に着いてからじゃダメか?」
それを耳にした彼女は、一瞬「えっ」と目を見開き、不安げな表情に変わる。
「絶対にダメ……。今すぐに芯の血を吸わなかったら、おかしくなっちゃいそうなの」
「だけど俺は乗り気じゃないんだ。パートナーの意見も聞き入れてくれないか?」
「でも……」
その発言に、困ったような呟きを漏らす。ここまでだな。
「冗談だ、繭……。お前が望むまま……していいぞ……」
「……もしかして、いじわるをしてたの?」
形整った眉をひそめ、分かり切ったようなことを訊いてくる幼馴染。俺の口元が緩む。
「さあな、どうだろうか……」
「せっかく良い雰囲気だったのに……、もう勝手に血を吸っちゃうわ」
言うが早いか、彼女は抑えていた欲求を解き放つように俺の頭を引き寄せ、首筋に小さな歯を突き刺す。
「はむぅっ……チュウ……チュウ……」
「くっ……」
ゆっくりと、焦らすように、そして長く、繭は俺の中に流れる血を吸う。
全身にピリピリと快感が撫でるように神経を這い、気を抜けば脱力してしまう。
「チュウ……チュウ……。あはぁっ……いじわるした分……芯のことをいじめるから……」
一旦口を離してから熱を帯びた吐息混ざりの声でそう告げ、反応を待たずに噛み付く。
「はぐぅっ……⁉」
情けないことに、こらえていた声を上げてしまう。
「チュウチュウ……チュウ……。ふふっ……まだ吸い足りないんだから、まだまだ我慢してもらうわよ、芯……」
「さ、さすがにちょっと、立つのがキツイんだけど……」
しかしそんな弱音を少女は無視し、吸血を続ける。
「チュウチュウ……チュウチュウ……」
鳥肌が逆立ち、膝が笑う。
襲う快感に耐えるため、華奢な彼女の身体に寄り掛かり、制服の上からでも分かる柔らかな少女の温もりを感じる。
「チュウチュウ……チュウチュウ……」
こちらの状況などお構いなしに血を吸う繭。
とめどなく行使されるそれに、腰を抜かして尻を床に着く。
「くっ……」
「チュウチュウ……」
座り込んだにもかかわらず、幼馴染は己の利己、そして俺に仕返しするために吸血する。
「うぐぅ……はぁ……。勘弁してくれ……繭……」
「チュウチュウ……。ぷはぁっ……はぁ……はぁ……」
繭に寄り掛かりながら吐く俺の懇願を聞き入れてくれ、彼女は立てていた歯を離し、荒い息遣いを首筋に吹き掛ける。
「ふふっ……これで芯に対してのお返しはおしまい。どう……楽しかった……?」
余裕ありげに耳元で囁き、笑う少女。それと比べ物にならないほど俺は呼吸を荒くし、座り込んだまま身体を預ける。
「はぁ、はぁ……。限度……ってものがあるだろ……」
「その限度を超えさせるようないたずらをしたのは、一体誰だったかしら?」
クスッと笑う。そして美少女は耳元から美麗な顔を離し、俺と向き合わせる。
頬は朱に染まり、口からこぼれる吐息は相まって妖艶に感じられる。
「それじゃあ……おまけをさせてね……」
言うと、桃色の唇をゆっくりと抗うことができない俺へと近づけ、そして――、
「ふ、ふ、ふたりは、なんだか本物の大人みたいです……」
ビクッと、俺と繭の身体が震え、近づいていた繭は急停止し、快感の余韻に浸っていた俺は通常時の思考へと切り替え、声の方を向く。
「あっ……見つかっちゃいました……?」
そこには、台所をこっそりと覗く一人のロリ教師が物陰に隠れており、頬は真っ赤に、瞳は見開いて興味津々だ。
「な、なーちゃん先生……?」
すると先生は、眉をひそめながら笑い、嘘を吐く。
「なーちゃん先生は……何も見てないですよぉ……」
言い残すと、物陰から覗く幼い顔立ちを引っ込めてどこかへと去ってしまう。
「……」
「……」
残された俺と繭は、その姿を呆然と見つめ、互いに決意する。
「よしっ、ちょっと先生と話してくるか」
「その前にお仕置きをさせてね」
家の中を逃げ回るなーちゃん先生を確保し、俺と繭は各自先生に制裁を下した。
◆◆◆◆
『天童繭を一人で、河川の廃工場へと呼び出してほしい。時刻は明後日の零時』。
俺がメモに書かれている依頼内容を読み直すと、凛とした声を持つ天使の少女は口を開く。
「……それで、貴様は天童繭を守るために誰か一人を護衛に付けさせるつもりなのか?」
応接ソファに座りながら、白銀色に輝く『天羅』の刀身を凝視する大空シイ。彼女から醸し出される凛とした雰囲気は、こちらの気持ちを一層引き締める。
「それが一番妥当な選択だと、俺は思う」
シイと向き合いながら、きっぱりと主張する。
「一番妥当な選択……」
銀色の髪をポニーテールとして結う彼女は呟き、剣から切れ長の目を離してこちらに疑問反論と一緒に向ける。
「確かにそれは妥当な選択だろう。向こうからの手もある意味限られ、予測することができる。だが、なぜ一人なのだ? そして誰が天童繭の護衛に就く? 相手は吸血鬼の上、一人とは限らない。組み合わせによっては戦力のばらつきが出る」
彼女の言う通り、テンプレートな作戦を執れば、未知数な敵に対してこちらは少数。下手な作戦で自ら崖へと飛び込むのは望ましくない。しかしだ。
「三人以上での護衛は、他所に攻撃された際に手が回らず被害が大きくなる。囮などのほかの策を執るのは、こちら側の戦力的に望ましくない。だからあえてこの待ちの態勢をする。因みに、廃工場に行くメンバーは逃げを主とした戦法を取ってもらう」
それを役員席で聞いていた繭は、銀でできたリボルバーを綿棒でメンテしながら、意見を口にする。
「だったらわたし一人で動いた方がいいわ。力を出せばすぐに逃げれると思うし」
「だけど相手も吸血鬼……しかも純血だ。戦闘を避けずに繭が逃げるのは無理だと思うから、できればシイか常夜が一緒にいてほしい」
「芯くんは除外?」
すると繭の隣に座る生徒会長が、触角のように生える二本のアホ毛ぴょこぴょこと揺らして首を傾げる。
「俺にはまともに戦える力が無いからな。だけどシイには天使としての力。常夜には頭と常人を凌駕する運動能力があるだろ。総合的に、しかも機動力が特に俺よりも二人の方が明らかに勝っている」
「それはそうだけど……」
「あと、俺もちょっと手を回しておきたいことがあるんだ。だから頼む、この通りだ」
そう言って、頭を深く下げる。
「……芯よ。頭を一々下げていたら、その価値はその辺の石ころ同様になってしまうぞ」
頭の上から、シイの呆れた声が聞こえてくる。目瞑りながら頼む俺は、濁すことなく、自分が思うままの言葉を返す。
「石ころ同様になっても構わない。それだけ俺は、お前たちに危険な仕事を任せようとしているんだから、俺の信用が天から地に落ちようが一向に構わない」
「……だったら貴様は、その信用が石ころとなり、私たちが頼みを聞き入れなかった場合、一体どうするつもりだ? 自分の手で、自分の足で動くつもりなのか?」
彼女は脅すように告げ、返答に困るような問いをぶつける。だが、答えはすでに決まっている。
「俺の腕だろうが、心臓だろうが、命だろうが、差し出してやる」
目を開き、頭を下げながら続ける。
「俺の勝手なわがままで無理をさせているなら、それぐらいの代償は支払ってやる。それでもダメだった場合は……」
俺は頭を上げ、真っ直ぐとこちらを見つめる生徒会長の夜海常夜、そして目の前で俺を凝視する生徒会副会長の大空シイを光が差し込む眼に映し、言い切る。
「すべてを懸けて、俺一人で挑んでやる」
「……ふっ、貴様は馬鹿だ」
それを聞いたシイは口元を緩めて笑い、常夜はお腹を抱えて笑い出す。
「あははっ! 本当だよ芯くん! それはただの犬死にみたいなものだよ! 勇気と無謀は違うって、よく言うでしょ!」
整った顔立ちを柔らかくして笑う二人。俺は少し不機嫌色に表情を染めるが、天使の少女はこぼれてきた涙を指で拭いながら言ってくれる。
「安心しろ。貴様の頼みなら、どんなことだって聞き入れてやる」
「シイ……」
常夜の笑い声で騒がしい生徒会室の中で、大空シイは約束をしてくれる。
俺は静かに、はっきりと「ありがとう」と感謝の言葉を笑顔で告げ、彼女の頬が赤く染まった。
「あははっ! もちろんあたしも手を貸すよ! 夜海常夜は芯くんを守って喰らう、正義の味方だからね!」
「矛盾しているが、手を貸してくれるならありがたい限りだ。ありがとう」
二人が協力してくれると分かり、俺は繭と視線を交えて微笑み合う。
今日の夜中……日付が変わるのを皮切りに、俺たち『第二生徒会部』の戦いが始まり、実感する。
この世界は、奇想天外で溢れていると。
◆◆◆◆
深夜零時まで、残り三分。
河川敷の夜風は冷たく、草むらで夏虫が鳴く。
「涼しい……」
駆動音が今にも聞こえてきそうな廃工場の群れの中、わたしは両手を大きく広げて月と星が輝く空を仰ぎ、黄金色の髪を遊ばせる。
格好はなるべく動きやすい服を選び、体育の時に履く運動靴に太ももまで隠す黒いストッキングに、ショートパンツ。
上半身にはレースが付いた長袖のブラウスに、ガンホルダーを裏に付けたジャケット。
「あとは……わたしを呼び出した怪物と、戦うだけ……ね」
月の明かりは光が足りない河川を照らし、薄らと辺りを鮮明にしている。
一緒に来た夜海さんと見回ったところ、周辺にはタイヤ痕や足跡は無く、人っ子一人いなかった。
もしかして騙されたのかと予想したが、一応時間まで待機することとなった。
「会長さんはわたしのことを、離れて監視してるって言ってたけど、大丈夫かしら……?」
正直、大空さんとは何回か喧嘩をして実力がある程度分かるけど、夜海さんはどうなのかは分からない。芯が言うには、戦うことができる実力があるとは言ってたけど、それは普通の人間だった場合だ。
「本当に大丈夫かしら……」
口元に指を添え、二度目の不安をこぼす。その時、
「あんたが噂の吸血鬼かい?」
反射的に声の方へと顔を向けて片足を引き、ジャケットのガンホルダーに手を送る。
「あなたが……わたしを狙う吸血鬼……ではなさそうね」
暗闇から突如現れた、グレーのワイシャツとジーパンを合わせた小柄の青年を睨み、風貌を見て結論を口にする。
「ビンゴだぜ、天童繭ちゃん。オレは吸血鬼ではなく、純血の人間。あんたら風に言うならば、進化していない人間ってことだな」
「……で、あなたたちの吸血鬼は?」
ひょうひょうとした雰囲気に、へらへらと緩んだ笑み。わたしは眉をひそめ、強めの口調で質問をぶつける。
「慌てるなよ、天童繭ちゃんよ。オレとしてはもう少し、穏便な話し合いをしたいんだからな。例えば……」
と前振りを置き、男は左手の方向を見て大声で叫ぶ。
「そこで隠れているあんたについての話とかをなっ!」
「あたしのこと……いつから気付いていたの……?」
廃工場の影から姿を現す、夜海常夜さん。
彼女はいつものように二本のアホ毛をぴょこぴょこと動かし、青年を凝視しながら問う。
「たった今だ。オレは臆病なもんで、取引現場のどこに誰が隠れているのか、足音や臭い、物が動いた痕跡や埃の状態など、それらすべてを一瞬で読み取っているんだ」
その説明を聞いた会長さんは、にっこりと笑い挑発する。
「もしかして、グレーワイシャツくんはストーカーの趣味でもあるの?」
突拍子も無く売られるそれに、青年は頭を押さえ、空を見上げて笑い出す。
「はははっ! 素直なあだ名に面白い推測。凡人であるオレが見る限り、あんたは天才だ」
「どうもありがとう! それで、グレーワイシャツくんの本当の名前は?」
笑いながら行使される予想外の切り返しに、笑顔で告げられる率直な質問。奇妙な会話の交じり合い。
男は頭から手を離して常夜さんと視線を合わせ、語る。
「名前を名乗るほどじゃないが、要求されたのならば仕方が無い。オレは葉隠芯。しばしの間よろしく」
「それはあからさまな嘘だね! まあ、仕方が無いからあたしが先に名前を名乗るよ! 知っていると思うけど、あたしの名前は夜海常夜!」
「自己紹介をありがとう、夜海常夜ちゃん。それじゃあオレも偽名を名乗るのは程ほどにして、本名を名乗らせてもらう。鸛波広、それがオレの名前だ」
リズムが掴めない……いや、真意の知れない二人の会話。
わたしはただ耳を立て、話の意味を理解することに専念する。
「それは本名?」
「当然だ。はっきりと言って、あんたらはオレにとっては取引相手なんだぜ。互いに腹を割って話し合うのがセオリーだろ?」
「そうだね波広くん。で、取引って言うのは?」
「あんたと無駄話をしても、オレの身が危ういだけだから直入に始めるが、少し天童繭ちゃんに頼みを聞いてほしい」
夜海さんと話していた鸛波広は、こちらへと振り向いて真剣な面持ちで内容を口にする。
「約四年前の事件の真相について、教えてくれ」
「なっ⁉」
息を飲む――なぜ、彼がそれを……。わたしと芯しか知らないはずの、四年前の事件の存在を……。
会話から外された会長さんは、わたしと鸛波広を黙って眺める。たぶん、あの事件のことを芯から話されていないから、きっと事情を把握するためだろう。
そう認識し、真っ直ぐとわたしを見据える青年の姿を瞳に捉え、理由を訊く。
「……どうして、そんなことを?」
すると彼は瞼を閉じて考えるようにして俯き、わずかな沈黙が作られるが、すぐにそれは破られる。
「あの事件で殺された隊員の一人が、オレの親父だったんだ」
反射的だった。
わたしはガンホルダーからリボルバーを抜き、そして鸛波広に銀色の銃口を向けた。瞬間、
「避けてっ! 繭ちゃんっ!」
夜空の下響く少女の声。しかし、わたしは反応することができず銃口を青年に向けたまま、身動き一つ取ることができなくなった。
「下手に動けば、わたくしはあなたの首をはねることになります」
首筋に突き付けられる、鋭利に尖れた刃。視線を遣ると、わたしと同い年ぐらいの少女が、剣を手に立っていた。
「やめておけ、六両。彼女は大事な取引相手なんだぜ。殺しても手間が増えるだけだ」
「……かしこまりました」
鸛波広の言葉を受けた少女は刃を離し、跳ねるように彼の隣へと行く。わたしもそれに応えるため、リボルバーをホルダーにしまう。
「今は互いに、流血沙汰は無しにしておこうぜ」
仲介役のように青年は笑みをこぼしながら提案し、わたしたちは黙ってそれを了承する。
再度向かい合い、剣を手にする少女の姿を改めて観察する。
特徴的な服装。スポーティな運動靴とスパッツ、そして膝丈までの黒いストッキング。覗く太ももは細く、羨ましい脚線美。
動きやすく、女の子としてのセクシーさをアピールする足回りとは打って変わり、上半身はたぼっとしたスウェット。しかし、少女の胸元は羨望の眼差しを送ってしまうほどに確かな膨らみがあった。
「……水色の髪?」
観察眼を彼女のかわいらしい顔に遣り、一番印象が強い髪の色に意識を置く。
もしかして吸血鬼……? それにしても、肌の色はどちらかと言えば日本人らしい自然な色だし……。
疑問。愛玩動物のように大きい瞳の色も同色の水色で、確信は近いのだが……。
わたしは鸛波広が喋り出す前に、少女について尋ねる。
「彼女は一体何者なの? 普通の人間ではないわね……」
「正解だぜ」
青年は口元を緩め、嗤う。
「六両は普通の人間とは違う。だが決して、吸血鬼ってわけじゃない」
意味深に感じられる言葉。鸛波広はジーパンのポケットに手を入れて、余裕ありげに振る舞う。
普通の人間とは違う……だけど、吸血鬼と言うことではない……。
それじゃあ、一体この少女は何者なの?
「夜海常夜ちゃんとしては、どういう見解だい?」
悩むわたしから矛先を会長さんに向け、問う。
「普通の人間であるあたしに、しかも二人の経緯を知らないあたしにそんな質問をするのは酷だよ、波広くん!」
「だが、性格の良いあんただ。面白い予測は出てるだろ?」
「どうだろうね? でも、波広くんがどういったことに関わっているのか、それによってはあたしの仮説を披露してあげてもいいよ!」
青年は嗤い、少女は笑う。飾られた表情とは異なり、ピリピリとプレッシャーを感じられる会話。
きっとわたしだったら、とっくに相手のペースに乗せられていただろう。考えると、一緒に来たのが、常夜さんで良かった。
「本当にあんたは面白いぜ。まあ、互いに腹の内を探るのは不毛だ。ここはあえて、オレが観念することにしよう」
折れたのか。彼は動揺を見せることなく要求を飲む。
「吸血鬼の研究。お国さんから資金を得て、秘密裏に行われている、トップシークレット……。オレはそんな施設で暮らしていた」
「国が……? しかも秘密裏に……? じゃあやっぱり、その子は吸血鬼の細胞を組み込まれた、実験体だね!」
相変わらずの、子供のように無邪気で残忍な笑顔で、推測……いや答えを口にした。
「お見事だぜ、夜海常夜ちゃん。六両は複数の人間の中で、唯一部分進化させることができた、最高峰の人間だ」
正しいと認め、青年は嗤いながら説明を付け足す。
「人間の進化形態である吸血鬼の特徴は、身体能力の大幅の向上に吸血行動による栄養補給。あらゆる病原菌の抗体、そして第六感の開花など、遥かに人間を超えた存在へと変貌することだ」
わたし自身が吸血鬼のため、言っていることは理解することができる。
身体能力の向上は目に見え、吸血も毎日行っているので実感しているし、風邪も今まで一度もなったことが無い。第六感に関しては、わたしが大空さんと喧嘩をするときはそれを使っている。
そうわたしが体験を思い出していると、鸛波広は実験の経緯を語る。
「そこでお国さんは、あらゆる面でその力を生かそうと、吸血鬼の研究を始めた。だが、吸血鬼なんて存在はそう簡単に見つかるものではなく、試みは出だしから躓いたんだ」
そんな失敗すらも、嗤いながら話す。
「しかし研究者たちは考え、吸血鬼から取った遺伝子情報を元に細胞を作り出し、直接人間と組み替えれば人工的な吸血鬼が出来上がるのではないかと非人道的に計画し、それは見事実演、そして成功させた」
喜々として語る青年に、わたしは胸の奥からじわじわと湧く、気持ちの悪い嫌悪感を抱く。研究に関わった者は一体、吸血鬼を、そして人間を何だと思っているのかと。
「まあ、代償として、初期段階で吸血鬼の細胞を組み込まれた人間は、数日の内で肉体と精神に様々な異常をきたし死んでいる。何人かは生きてるが、一番安定しているのが彼女、花園六両だ。身体能力の向上のみを手にした、唯一の存在だぜ」
律儀に、ぺこりと下げる少女。
どう思っているのだろう……彼女は……。
先ほどわたしに剣を向けてきた時は、鸛波広のことを一身に思っていた。普通なら、憎しみや、怒り、過去母親を殺されたわたしのように負に満ちた感情を抱いてもおかしくないはずなのに、なぜ彼女はそこまで青年に付き従っているのか。
一人憶測をよぎらせ、ふと取引のことを思い出す。
「話を戻すけど、なぜあなたはあの事件のことを知りたいの? そしてそれを知って、どうしたいの?」
当時、わたしとお母様。そして芯を襲った犯人の息子として、謝罪でもしたいのか。だけど、それならば直接会いに来れば解決するはずだ。なのに、どうしてこんな面倒なことを……。
「なに、大したことじゃないぜ。あんたは吸血鬼の力を使って、残忍にもオレの親父を殺した。だからと言って、オレはあんたのことは恨んでないぜ。こちらとしても、大きな非があるんだからな。……けどよ」
月夜の下、女性のように小柄な青年は嗤いながら返答し、そして告げる。
「たった一人の肉親を殺された恨みは、どうすればいいんだよ……?」
それを口にした目は、虚無感と孤独感を醸し、わたしの心に訴える。
「あんたらはオレの親父を殺せて清々しただろうがよ、残されたオレはどうすればいいんだよ。身寄りのないオレは、下手に研究の証拠を出さないように研究所でほぼ監禁状態。だが、親父が務めていた研究所でオレを見る目や投げ掛ける言葉はすべて攻撃だ。挙句ストレス発散のために暴力を振るわれ、試薬は死んでも構わないオレへと投与される」
加害者側の身辺へと振るわれる理不尽。
被害者であるわたしとは違い、否定もできず、同情もされない立場に立つ青年。
彼は、黒く、悲痛な苦しみを吐く。
「訳が分からないだろ。オレは何もしていないのに、なんでオレが責められるんだ。なんで責任が親父に、そしてオレへと流れてくるんだ。なんでこんな仕打ちを受けなければならないんだ」
「……」
わたしと会長さんは、黙ってそれを聞く。鸛波広の隣に立つ、六両と呼ばれる少女は心配そうに彼を見つめ、なぜ彼女が青年に付き従っているのかが、分かるような気がする。
しかし、彼は落ち着いた様子で、耳を疑うような発言をする。
「だからオレは、あいつらのすべてを奪ってやった」
禍々しい憎悪を含んだ言葉。彼に対しての同情が、揺るぐ。
「ある試薬のおかげで、オレは一時的にではあるが、吸血鬼と同様の力を得た。その力を使って研究所を占拠し、そしてあいつらの大切にしているものを目の前で壊してやった。形見に子供、親に恋人。最後に、奴らの自身の栄華である研究資料とそいつらを、研究所と共に焼き払ってやった」
憎しみが募り、起こった凄惨な事件。しかし、決して彼が悪いことをしたのかと問われても、迷わずに断定付けることができない。次のセリフを聞くまでは。
「そのオレの悲劇を終わらせるために、あんたたちには死んでほしい」
「っ⁉」
わたしはガンホルダーからリボルバーを抜き、夜海さんは身構える。
青年を護衛するスウェット姿の少女も、剣に手を遣り臨戦態勢に入る。鸛波広はその素振りを見せず、続ける。
「まあ落ち着け。あんたを殺すのは確かだが、今すぐにってわけじゃないぜ。むしろ、ここでオレたちと時間を食っていて大丈夫か?」
「どういうこと?」
口調に威圧を乗せ、相手の動きを睨む。すると、
「あんたらが気にしていた吸血鬼は、一体どこにいるだろうな?」
「……っ⁉ もしかして⁉」
嗤う鸛波広から聞き、わたしと夜海会長は一度目を見開き、彼を睨みつけてから廃工場群から抜ける道を駆け出す。夜空の月は、道を照らす。
「あんたらの大切な人間が、壊れないようにな」
背後でわたしたちにそんなことを言うが、立ち止まらずに安否を祈りながら速度を上げた。
◆◆◆◆
夏至も近いこの季節。梅雨だというのに雨は降っておらず、じんめりとしていなくて心地が良い。しかも、今日は金色の月が夜のカーテンに縫われ、神秘的な時が実現される。
「本当に……良い夜だ……」
胸元が開いた長袖の灰色セーターは、涼しげな風を体温がこもる中へと送り、黒一色のカーゴパンツはほんのりと蒸れるが、動きやすさと安全性を機能させる。
「ふぅ……。あいつら、無事だよな……」
深夜零時の住宅街の特徴は、点々と灯りを点ける家々に人の通りが皆無な道路。
一人で歩いていると、この世には俺しかいないのではないかと、妙な想像と錯覚が働いてしまう。
ポケットに手を突っ込みながら歩く俺は立ち止まり、手入れが行き届いたアスファルトを見つめながら考える。
赤髪の吸血鬼……。まさか、繭以外にも吸血鬼がいたなんて思いにも寄らなかった。
もしも、廃工場群で戦うことになったら、ちゃんと繭と常夜は無事に戻って来れるだろうか……?
「やっぱり俺が行けば……だが、まともに戦える力が無い俺が行ったところで、繭の足を引っ張るだけだ」
過去に降り掛かったあの事件。それを終わらせた力は、三人の人間を殺して消失した……というか、消失していた。
正直、この手で人を殺したことや、自分自身が常人離れした力の存在を得ていたことに関しては覚えているのだが、どのようにあのような能力を得てどのようなことがあって力を失くしたのかは、きっぱりと記憶が抜け落ちていて理解していない。
ただあの時の俺は、大切な幼馴染……天童繭を守ることだけを考えていた。もしかして、それが何かしらのトリガーになっていたのかもしれない。
「まあ、勝手推測だ。それよりも、とりあえず手を回しておいたから、後日相手をおびき寄せて――」
激痛。
「あ……がぁっ……」
腹部から突き出る、己の鮮血に染まる腕。
口の中は血の味がし、貫かれた腹は全痛覚を震わせる衝撃が走り、気が遠くなる。
俺は壊れたブリキのおもちゃのように、ゆっくりと首を動かして背後の相手を確認する。
「てめぇ……は……ごほっ……」
逆流する血液が喉を通り、むせる。身体が震えるたびに死の足音が近づく。
「お前が葉隠芯じゃぜ? 違う場合でも、死神から逃れることはできないじゃぜ……」
「は、はは……。ダンディな声で……バカみたいな語尾をしてんじゃねぇ……」
乾いた笑い声でバカにし、サングラスを掛けた中年のおっさんを見つめる。
「ふんっ……。お前が葉隠芯と言うことは正しいようじゃぜ。腹を貫かれながら、まだそんな減らず口をこぼせるのは、吸血鬼だけじゃぜ」
黒の戦闘帽と赤い短髪。情報通り……繭を狙った吸血鬼……か。
しかし、それをいまさら分かったところで、この状況の俺には勝機どころか命すら危うい。
「まあ……元から勝つ見込みは……無かったがな……」
「当たり前じゃぜ。おれはプロでお前は素人……。はなから勝つことなど不可能だったじゃぜ」
「ははっ……そうかもな……、だけどよ……」
口元に無理やり笑みを作り、言い切ってやる。
「死神が俺の味方だったら、可能かもしれないぜ」
傷口を抉るような強烈な風が吹き、穢れを知らぬ純白の羽根が一枚、俺の目の前にヒラヒラと舞い落ちる。
「貴様の味方に死神などいない。いるのは天使だけだ」
「礼を言うぜ……シイ……」
俺は舞い落ちた羽から視線を外し、空を見上げて「ありがとう」と言葉を唱える。
「な、なんじゃぜ……⁉」
背後の中年は腹に腕を突き差したまま、同じように空を見上げて感嘆の声を漏らす。
「とっとと私の芯から離れろ。早く手当をしなければ死んでしまうだろ」
大空シイは自前の剣、『天羅』を片手に持ち、切れ長を細めて冷たい視線を送る。
「天使……だと。ほかにそんな力を持った仲間がいるなんて、聞いてないじゃぜ⁉」
「安心しろ。私は吸血鬼、しかも芯の半径五十メートル内に入っている奴が嫌いなんだ。だからすぐに死ねるぞ」
「じゃ、じゃぜ……」
想定外の出来事に、先ほどの余裕など消え去るじゃぜ野郎。だがそれは一時で、すぐに立ち直る。
「お前が天使だとしても、依頼に支障はないじゃぜ! 速攻で終わらせるじゃぜ!」
そう言うと、勢いよく俺の腹から腕を引き抜き、俺は血を口から吐いて力無く地に倒れ込む。
「芯っ! 天童繭が来るまで貴様は生きていろ! 万が一でも死んだら貴様との約束を破るぞ!」
激痛と、自分自身の身体から流れ出す生温かな血液を感じながら、はっきりと耳に届くシイの声。
返事を返すことはできないが、あいつを残したまま俺は死ぬつもりもないし、繭と常夜も同様だ。
「ふんっ、死にぞこないに期待しても無駄じゃぜ。なんせ、今からおれに止めを――」
「させると思うか? ゴミ虫よ」
否定と攻撃、どちらが早いのかと問われても分からないほどの速度で、天使の少女は俺の元へと舞い降り白銀の剣で相手に切り掛かる。が、男は回避し、俺たちと距離を取る。
「チィ……これはおれも本気を出さないといけなさそうじゃぜ……」
「本気を出さないと勝てない雑魚には興味は無い。だから死ね」
「ふんっ、命乞いをしても助けないじゃぜ」
「安心しろ。私は貴様にその時間を与えてやる」
相手の発言に対して、完全に挑発的な言葉をこぼす少女。瀕死の俺は、襲い掛かる痛みにこらえながらまた笑う。
「後悔するなよ、小娘……」
「後悔してもいいぞ、ゴミ虫よ……」
その暴言が発せられた瞬間、肌をピリピリと逆立てる殺気を、吸血鬼の男は放つ。
「吸血鬼、高宇都浩二の力……その身で味わうがいいじゃぜ」
トレンチコートを羽織っていた男は、その上から漆黒の色を持つマントを霧のように出現させ、先ほどの様子とは打って変わる鋭い雰囲気。対し、体型に見合わない妖艶な胸に、月に輝く神々しい銀色の髪。そして、人ではありえない白き翼を背に持つ天使は微笑む。
「これを待っていたんだよ、私は」
凛とした雰囲気に真っ直ぐと芯の通った声色で、心の奥底から出てきたような言葉を漏らす。
美しい戦乙女は俺の方へと笑みを向け、告げる。
「安心してくれ、芯よ。私はあいつ以外殺すつもりは無い。あの時、貴様が救ってくれたことは、絶対に忘れるつもりは無い」
「いいぜ……あいつをぶっ飛ばせ……」
返事は来ない。彼女はポニーテールをなびかせて、弾丸のように敵へと向かったからだ。
頼んだぜ……シイ……。
俺はゆっくりと瞼を閉じ、意識を落とした。
お読みしていただき、ありがとうございました!
異能系のバトル……というかバトルものは、きっと苦手です! 今作品を書いてて、少しだけ実感しました! ミリタリーものだったらまだ書けると思うんですが、魔法とかはちょっときついですね。でも実際、私の温めている作品はバトルものなので、その苦手を改善しないと一流どころか二流にもなれないかもしれません。
そんな作者の反省はさておき、今作も読んでいただきありがとうございました!
今回書いたこの作品は、キャラクターにかなりの動作描写を入れていると思っています。
それについて楽しんでいただければ、作り手として光栄です!
では最後に、私のような人間が書いた作品を何度も読んでいただき、本当に嬉しいです!
ありがとうございました!




