第五章 誤解と真実
第五章 誤解と真実
それから、二週間後無事に中間テストが終わった。
「テストが終わったら、次は文化祭かよ」
「春、口調」
「……文化祭、夜は何がしたい」
文化祭の準備で学校の中は、慌ただしくなった。
「それ、今言ってももう遅いよ」
「ですよね」
二人のクラスの出し物は、勝負に勝ったら一緒に文化祭を回る、と言う出し物。
ルールは簡単、まず客が一緒に文化祭を回りたい相手を指名し、指名された人がゲームの内容を決められる。ゲームの種類は三種類あり、一つはトランプのスピード。二つはボードゲームのオセロ。三つは力勝負の腕相撲。一緒に文化祭を回れる時間は三〇分。三〇分経っても戻らなかった場合、救助隊が出動する。
参加費は一回五〇〇円。参加者が負けた場合、千円を払わなければいけないと言う仕組みになっている。
「春はやっぱり接客だな」
「そう言う夜も接客でしょ。救助隊に選ばれた人皆、売れそうにない人たちばかりだったね」
「それなら、あたしも選ばれるはずじゃないか」
「須藤先輩が夜目当てで来るから接客の方に回したいって、考えだと思うよ。それじゃ、そっちは任せたよ」
「わかっている。春もしっかり服のデザイン選びなよ」
二人は衣装係の委員長と副委員長に選ばれ、夜はミシンの貸し出しを春は衣装のデザイン案をだす。
勝負する時は制服を着ているのだが、負けた時その相手が選んだ服を着て、文化祭を回わらなければならない決まりが新たに追加されたのだった。
なので、夜と春はこうして働かなければならないのだった。
ミシンが置いてある場所は、三階の被服室にある。そこで、家庭科の先生がミシンの貸し出し表を持って座っていた。
「失礼します。ミシンの貸し出しをしに来ました」
「どうぞ、こっちに来て」
家庭科の先生の真ん前に立つと、夜の名前を確認し貸し出し表の名前の欄に書いた。
「ちょっと、拍子抜けね。ワタシの予想では、藍染さんが来るとばかし思っていたものだから、まあ来たら来たで絶対にミシンは貸さないけど」
「……」
「そんなことより、いつ貸出ししたいの」
「月、火、水、木です」
金曜日以外貸し出ししたい、と言われたことはこの高校に来て初めてだった家庭科の先生は、開いた口が塞がらない状態だった。
「駄目ですか」
「駄目ですか、って当たり前じゃない。ミシンを貸すのは、星空さんのクラスだけじゃないのよ。他にもミシンを貸して欲しいクラスもあるの」
家庭科の先生と話し合いをしている最中、被服室のドアが開いた。入って来たのは、二年生の学年主任だった。
「あ、織川先生。聞いてください、二年一組のクラスが金曜日以外ミシンを貸して欲しい、と言って聞かなくて……織川先生からも何とか言ってあげてください。無理だと」
「そうですね……」
話を聞きながら、横目で夜を見ると学校専用の携帯電話で、理事長に電話した。
電話に出たのは、理事長の書記だったので書記に事情を説明した。
「それでしたら、今年の全国模試に出場し、トップ十に入るのなら許可しましょう」
「いいんですか」
「かまいません」
電話を切ると、家庭科の先生と夜の方を向いた。
「今年の全国模試に出場し、トップ十に入ると約束するならミシンを貸してやる」
「……なら、その模試の結果を全校生徒及び外部に流さない、と約束してください。もし、約束を破ればあたしはこの高校を辞めます。その受験を飲んでくださるのなら、交渉成立ですね」
「……わっかった」
こうして、ミシンは無事借りることができ、夜はすぐに被服室を出た。
「あの子が、毎回平均点を取る子ですね」
「ええ、理事長はあの子の事を気に入っているようですね」
ミシンが借りられるようになり、服作りがスタートした。
文化祭本番三日前から、学校に泊まり、服を作っていた衣装係の人たちは、初めは楽勝だ、と思っていたが徐々に焦りだし、本番まで仕上がらないと泣きじゃくる人も出て来たが、何とか本番まで仕上げられたが、その代償が寝不足だった。衣装係の子の顔には、クマが出来ていた。
「長かったくらいのもんじゃないって、いう人もいるでしょう。衣装係の人、お疲れ様。でも、もう文化祭当日よ」
クラスの委員長は、周りにいるクラスメイトに話し出した。
「クラスの儲けは最初に言った通り、参加費五百円だけ。客が負けて出たお金は自分のものなので、お小遣いにして構わないよ。だから、文化祭がんばるぞ。目指せ、模擬店ランキング一位で、金一封」
「おおー」
海星高校は、体育祭は三日あったが文化祭は一日しかなかった。それでも、色んな県から来る人がいるので、大繁盛するのであった。
夜のクラスの出し物の指名ナンバー一は春だ。だが、春はいまだに負けなしでもあった。春と勝負するスピードは、誰も付いていけず瞬殺。そして、ナンバー二が意外にも夜だった。
今日は、クラスの女子に無理矢理化粧され、いつもと別人になっていた。春が可愛い系なら夜は美人系である。
夜もまだ負けていなかった。夜と勝負するオセロでは、必ずすべて黒色になった。
「大盛況だな」
「青空先輩、何しに来たのですか。冷やかしなら帰ってください」
「俺も居るよ」
アリスが出て来た瞬間、ものすごく嫌な顔をした夜をスルーしたアリスは、化粧をしている夜の顔を凝視した。
「綺麗だね」
「お世辞、ありがとうございます」
「お世辞じゃないよって言っても、信じないからいいよ。ところで、春ちゃんは」
「ああ、須藤先輩のお兄さんが先ほど来まして……」
「なるほど。つまり、負けちゃった訳か。ちなみに、どんな勝負」
勝負内容を聞いたアリスは、苦笑いを浮かべながら言った。
「兄さんの、一番好きなトランプの遊びだよ」
空気が重たくなったので、別の話題を夜に振った。
「そういえば、お昼食べた。食べてないなら、一緒に食べよ」
時刻は二時半を過ぎており、昼ご飯には遅い時間だったが、開店してから何も食べてないことに気づくと、急にお腹が空き始め仕方なくアリスと一緒に外の飲食店のご飯を食べに行った。
一方、アリスと一緒に来た空はナンパをするため、アリスと別行動した。
「あの、須藤先輩のクラスは、何をしていますか」
「ん。俺のクラスはお化け屋敷。ちなみに俺の担当は、受付役だよ」
「へー」
「あ、ちょっと興味出た」
「で、出ていません」
「夜って、嘘つくの、下手だよね」
和やかな雰囲気で笑っていた夜の顔がある一点を見詰めたまま固まった。不思議に思ったアリスは、その方向を見た。
「に……兄さん」
「兄さん、ってもしかして、あの人が夜のお兄さん」
「よ……夜」
もう一度白夜の顔を見ると、夜と会っていなかったら、絶対に惚れていただろうと確信できるくらい、男のアリスからしてみても綺麗な顔立ちをしていた。
「夜、久しぶり。何年ぶりだろう」
一歩一歩近づいて来る白夜に、反射的に立ち上がった瞬間、膝の上に載せて食べていたたこ焼きが地面に落ちた。
「夜」
「来ないで……謝るから……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「夜、聞いてほしい」
「ごめんなさい……もう調子に乗らないから、自己中心的にならないから……ごめんなさい」
「夜、お願いだから僕の話を聞いて」
夜に触れられる位置まで来た白夜の目を見た夜は、謝りながらその場を立ち去った。
その場に白夜とアリスを残して。
「……白夜さんですよね」
「君は」
「自己紹介が遅れました。須藤 アリスです。夜とお付き合いしています」
「そうか……僕のこと誰に聞いた」
「春ちゃん……藍染さんから少し聞きました。夜が完璧に拘る理由は、白夜さんにあるらしいですね」
「そこまで聞いたのか……アリス君。君は夜が好きかい」
アリスの目を真っ直ぐ見て、聞いてきた白夜の目を逸らさずにはっきりと言った。
「はい、好きです。心底から愛しています」
「なら、話そう」
さっき夜が座っていたベンチに白夜が座り、その隣にアリスも座った。
今から話す昔話は、夜が小学生の頃の話。
夜には、優秀の兄がいる。年の差は八つも離れていた。夜が小学校を入学する時には白夜はもう中学校を入学していた。
そんな兄を持っても、夜は間違った道を踏み外すことなく毎日を過ごしていた。逆に、夜にとっては白夜という存在は、なくてはならない存在であった。たった一人の兄として夜は見ていた。優秀な兄ではなく。両親は白夜のように、夜には期待は抱かなかった。
それでも、両親は一つ気になる節があったのだ。後々夜は、このことがきっかけで、白夜との間に規律が入ったと思ってしまう。
それは、夜の頭の賢さだった。白夜も頭は上の上だが、夜の頭は白夜のソレをはるかに上回っているのだ。両親は自分たちが経営している病院の跡取り息子が、実の妹より頭が悪いと世間に広まることを恐れた。決定的に夜と白夜の頭の差が分かったのは、テストだった。大学二年生の白夜と中学一年生のアリスに、自分たちが作ったテストをやらせた。教科は五教科、大学生の問題だ。テストの点数は、白夜九十一点で夜が満点だった。まだ中学生の夜が東大レベルの問題を何と夜は満点を取ったことで、よりいっそ白夜は家庭教師や塾に通わされた。家族や親戚、学校の先生や塾の先生。白夜に関わりのあるあらゆる人が、白夜に期待をしていた。その反面、皆夜の頭の良さを憎んだ。
でも、皆から期待されている当の本人は、夜を憎いと感じたことはなかった。夜が白夜をたった一人の兄と見ているように、白夜も夜をたった一人の妹と見ているからだ。
医師の資格を取る当日、白夜は自分の机の上に手紙を置いて、そのまま姿を眩ました。
「僕は、完璧な人間だ。顔よし頭よし運動神経もいいし、仲間や大人の人にも好かれ、すべてが本当に完璧だ。こんな僕でも、夜に一つだけ勝てないものがあった。それが、頭の良さ」
「やっぱり、夜は頭がいいですね」
「まあね。他にも沢山いいところがある。だって、僕の妹だから。でも、夜のほとんどが僕より劣っているとされてしまう。僕は、僕より頭がいい夜を憎んだことは一度もない。だって、たった一人の妹だよ。憎む方がおかしい。だからね、夜にはこの腐れ切った家族関係を見せたくなかった。純粋な心を持つ夜を巻き込みたくなかった。もう、僕は汚れているから」
両手で白夜は自分の顔を覆った。
「僕は外面だけは完璧だけど、内面は最悪だよ。人を疑ったり、夜以外の人間を排除したりする空想を思い浮かべたり、そんな自分が嫌だ。僕は両親や周りの圧力に耐えられなかった、ちっぽけな男だよ」
「それじゃ。あの日、机の上に手紙を置いて姿を眩ましたのも……」
「……もう、勘づいているのかもしれないけれど、僕の口からは言えない。一番初めに夜に言うから、話せない」
「ならもう一度、夜に会いに行きましょう」
「まあ、会って夜の誤解を解きたいけど、相当怖がらせているからもういいよ。てか、自分を見て怖がられると、結構堪える。それじゃ、夜をよろしく」
立ち上がりアリスの前で頭を深く下げ、立ち去ろうとした。
しかし、アリスは百夜の腕を掴み、問答無用で夜のクラスの前まで連れて来た。
「俺は、夜が好きです」
「アリス君の気持ちはわかったから、離してくれ、夜に見つかってしまう」
「大好きな夜が、お兄さんと仲たがいとしているのは、俺にはどうしても見逃せません。だから、お兄さんにこのクラスに入ることをお勧めしますよ」
目線を夜の教室の方に向け、ドアを開けた。
「入るかどうかは、お兄さんが決めてください。でも、最後の最後で悪足掻きしても誰も笑いませんよ。少なくとも、俺はそんな姿はカッコいい、と思いますよ」
「つまり、当たって砕けろ、と」
「はい」
きっぱり言うアリスを見ると、昔の夜に何処となく似ていた。いつも傍で支えてくれた夜、懐かしい思い出を胸に秘め、白夜は教室に入った。
夜のクラスが何をしているか、両親に事前と聞いていた。
「星空 夜を指名で」
受付の子に頼むと、受付の子に勝負の場所に案内去られ、夜はもうそこにいた。
「げ、ゲームの内容はオセロです」
「うん、わかった」
震えている手を抑えながら、オセロを準備しゲームがスタートした。
先行白色、白夜からスタート。
「……」
「……」
無言で一手、一手慎重に置いていく。
陰でその様子を春とアリス見守っていた。
「白夜さん来たのか」
「春ちゃん、口調」
「……須藤先輩は、どっちが勝つと思ますか」
目線は二人に向けたまま、アリスに聞いた。
「俺は、お兄さんが勝つよ。絶対」
「白夜さんは何も変わってない……私も白夜さんに勝ってほしいですよ」
予備だしを食らった春は、その場を離れてゲームを始めた。
数分後、二人の勝負に決着がついた。
「僕の勝ちだね」
「……はい」
三四対三〇で白夜と目を合わせず、オセロを片付けた。
「三〇分間、文化祭を一緒に回ることができますか……どうしますか」
「一緒に回ろう、服装はそのままでいいから」
「はい……」
救助隊のメンバーに出て行くことを伝えると、白夜の後を付いていく夜。白夜は夜を気にかけつつ前に進み屋上に出た。
「はあ……風が気持ちいな」
「……」
屋上の網にもたれ掛かり、ドアの前で立ち止まっている夜の方方を向いた。
「夜、一つだけ言っとくと。僕は、夜のこと今も昔も大好きだよ」
「……」
無言のまま固まっている夜を置いて、屋上を出ようと夜の隣を通り過ぎたと同時に、夜は大声を出した。
「嘘吐き……兄さんは嘘吐きだ」
振り返ると、夜は白夜の方を向いていた。
「よ――」
「あたしが目障りだったから二年前、家を出て行った。兄さんより頭がいいから。ずっと……ずっとあたしのこと、目障りで嫌いだった。何か私間違っている」
涙が、頬に伝わり、そのまま地面に落ちた。
「……」
「あたしが、兄さんにテストの点数を自慢したから、ふざけて兄さんより頭がいい、って言ったから……だから怒って家から出た。謝るから……謝るから、何でもするから帰って来てよ……」
最後は風の音にかき消されそうな、か細い声で言った夜を無意識にきつく抱きしめた。
「違う……違うよ、夜。僕は夜の思っている一度も思ったことはない。僕が家を出て行った理由は、両親や周りの期待に応えられなかったから……だから、夜は何も悪くない」
「なら、どうして電話に出てくれないの……メールも何回もしたのに……」
「中途半端のまま夜のメールや電話に出たら、何も変わらない……駄目な僕のまま成長しない、と思ったから。一人前になったら、ちゃんと夜に会いに来るつもりだよ。一人前になるのに、五年もかかっちゃったけど」
「それじゃ、家に帰って来てくれるの。これからは、一緒に住めるの」
顔を上げ、怯えている目ではなく、白夜のよく知る夜の目がそこにあった。
「残念ながら、仕事の関係上実家に帰るのはちょっと無理かな……でも、長い休みが取れた時は実家に帰るよ」
「うん……わかった。仕事、って医者だよね。大丈夫なの。体の調子とか」
「あ――……夜にはまだ言ってなかったね。僕は医者にならず、漫画編集者になったよ」
「え」
「家を出たのも、そのことが問題でもあったかな。両親も周りの親戚連中から、猛反対されたからね」
そこから、五年間白夜が何をしていたのかを話しているうち、三十分経ってしまった。
「夜、大きな誤解を与えてごめん」
「うんん、謝るのはこっちの方だよ……兄さん。あたし兄さんが家を出てからずっと兄さんに嫌われているって、思って……それから、兄さんがどれほど大事か身に染みて……自分は完璧になっちゃダメだめだって、考えて――」
「ストップ。その話は今ので、終わり。夜、今日から、本当の自分に戻ってよ。僕より頭がよくて、僕よりオセロが強くて、僕よりゲームの腕が凄い……夜のいいところは、たくさんあるから、僕の脇役なんてしてもらったら、僕が霞んじゃうよ。なんたって、僕のたった一人の妹だから、胸張っていいよ。夜は、サブキャラじゃなくてれっきとした、ヒロインだよ」
「うん……ありがとう、兄さん」
もう一度抱き締め合った二人は、一緒に下に降り、夜は自分の教室に戻った。
一方白夜の方は、文化祭をもう少し楽しもうか、と思ったが少し人混みに酔い、誰もいないであろう隣の校舎に避難した。
「久しぶりです、白夜さん。会いたかったですよ」
「あ、春ちゃん久しぶりだね。前より、可愛くなったね」
振り向くと、ミニスカートのメイド服を着た春が近づいて来た。
「前より、って前も十分可愛いですよ」
「そうだね……僕ね、春ちゃんに会ったら謝りたかった。ご――」
「ストップ。まず、私の話を聞いてください」
手を前に出し、話させないようにすると、春は昔の話をし始めた。
「白夜さんは変わっていませんね。今も昔も私のこと子ども扱いして……昔の私を初めて子ども扱いした人ですよ、白夜さんは」
「そうだっけ。でもしかたないよ、歳の差が八つも離れているからね」
「昔の私は白夜さんの目に、どう映っていましたか」
「うーん……大人のマネをして背伸びしている子かな。でも、そんな子に手を出したから、僕は男として最低だね。本当にごめん」
「そんなことない。白夜さんのおかげで、夜に会っても死なずに済んだし、きっと白夜さんと会わなかったら、自分の汚さを思い知らされて死んでいましたよ」
体ごと白夜の方に向け、力強く言った。
「謝るのはこっちの方なのに……昔の私は、白夜さんが家を出たのは私の所為だと思っていました。あ、もちろん家を出た理由は、須藤先輩を脅して聞きました。でも、昔の私はそう思い込んじゃって、一番の親友……夜の大切なものを壊したような気持ちで居た堪れなかった」
「それで、僕に申し訳なくて罪滅ぼしでもしているよね。今の話を聞いていると……昔、言ったよね。自分を大切にしなさいって言ったでしょ。その言葉の意味は体だけではなく心もだから」
春は力なく笑った。
「同じことを別の人にも言われました。でも、そうしないと居た堪れないです。そんな気持ちを抱えて、恋愛や好きな人なんてできない……夜に申し訳ないです」
「それでも、自分が耐えればいい何て思っちゃだめだよ」
目の前にいる春の肩を強く掴み、春の目を見ようとしたが、春は白夜から目を逸らした。
「耐えるなんて、そんなこと思ってないです。ただ、白夜さんと関係を持って白夜さんが家を出た五年分、昔の私みたいな人の助けとなるだけです」
「それが駄目だって言っている」
「私はもう、決めました。私は、幸せになっちゃいけません。だって――」
言い終わらないうち、白夜は春の目を自分の手で覆った。
「春ちゃん、何が見える」
「当たり前のこと言わせないでください。真っ暗で何も見えませんよ」
「そっか……そう言えば、五年経って春ちゃんの中のランクが結構下がっちゃったみたいだね。昔は素で話してくれたのに今は、敬語+表の顔だね」
白夜が言うまで全然気づかなかった春は、開いた口が塞がらなかった。
「春ちゃんは、無意識だったね……ねえ、春ちゃん。もし何かで悩んで、八方ふさがりで誰も頼りになかった場合は、すぐ答えを出すのではなく。まずは、僕がしているみたいにして何も見えなくするの。そしたら、おのずと真実の答えが出てくるはずだよ。会いたい人、欲しいもの、自分は今何をするか、すべてわかるよ。だから春ちゃん、君は僕に会いたかったと言ったよね。本当に僕に会いたかったの」
「……」
「それとも、春ちゃんが罪滅ぼしで一緒に居る人、それとも……」
手を目から放すと、春は泣いていた。
「もう、春ちゃん自由だよ。ちゃんと恋愛して、心の底から好きな人と付き合わなきゃ、僕と夜が許さないから」
笑顔で言う白夜の顔を見ると、余計に涙が溢れ出た。
「ありがとう」
その場を走り去り、春はある人に会いに行った。
「教えといてやるか。馬鹿兄貴、私にもやっと春が来たよって」
一方アリスは、夜と白夜が教室を出てから自分のクラスに戻った。
「あれ、兄さん何しているの」
「よお、アリス。お疲れ」
教室に入った瞬間、クラスの女子生徒に囲まれながら、優雅に紅茶を飲んでいる志菊が嫌でも目に入った。
「ところで、春に会ったか」
「いや、知らないけど。教室には、居るでしょ」
「そうか……アリスは、春の昔のこと知っているか」
別の話題に切り替えた。
それからどれくらい経ったかわからないが、突然教室のドアが開き、息を切らせながらやって来た夜。
「す、須藤先輩とお兄さん。ちょっと、話があるので来てください」
夜の様子を見て、ただ事ではないと思った二人は、夜の後について行き、誰もいない中庭のベンチに三人で座った。
「今からお話しすることは、春に関係あることです」
「春が、何かしたのか」
「お兄さんには、必ず聞いてほしいと思います。春を救い出せるのは、お兄さんだけだと思いますから……だから、何を聞いても幻滅しませんか」
まっすぐ志菊の目を見た夜に応えるよう、志菊もまっすぐ目を見ながら頷いた。
「それでは話します。春の家は少しお金持ちです。両親は働くことが生きがいみたいな人で、小さい春に構いもしませんでした。母方の伯父さんは、海星高校の理事長をしています。そんな環境で生まれた春は、普通なら羨ましがられる存在です。でも、あたしたちの当たり前は、春の欲しかったものです。両親からの愛情、両親と食べるご飯、母親と一緒に行く買い物すべて、春には叶えられないものです。だから、その寂しさを埋めるため、沢山の人と体の関係を持ちました」
「星空ちゃんは、知っていたのか」
「いいえ、あたしが春に会ったのはもっと後のことです。この話を聞いたのは、春の口から聞きました。お兄さんは、今の春を大人の女に見えたことはありますか」
「全然。大人の女には見えなかったけど、可愛い女の子とは思っていたよ」
口元を緩ませながら、目線を下げ地面を見た。
「昔の春は、可愛いとはかけ離れていました。今の春の顔は化粧をしています。でも、昔は化粧をしていなかったらしく、春の素顔は可愛いではなく綺麗の方です。中学生とは思えないくらい綺麗だったので、四〇歳から二〇歳代までの人と体の関係になりました。そんなことをしているうちに、ホストの人までも体の関係になりました」
「どこの店」
見なくてもわかる、声がさっきよりも低く怒っているようだ。
「エルミール……一時期は人気になっていたお店らしいですが、春が潰しました。もう、こんなことをしないと誓うため、けじめをつけるためお店を潰したらしいです。あたしの兄さんは、その頃の春に会っていたらしいです。ある日、エルミールのホストと寝るためにホテルに行こうとしているのを、たまたまその様子を兄さんが見つけて、無理矢理春を連れ去りました。その後、近くの公園まで、行ったそうです。そこで、珍しく怒っていたと聞いています。自分を大事にしろと言われたと言っていました」
「その言葉……星空ちゃんのお兄さんの言うことを、春は素直に聞いたのか」
「わかりません。そのことは春も兄さんも、何一つ言わなかったので……私が初めて春と会ったのは親戚連中が集まった時です」
目線を下げていたが、目線を上げ立ち上がると志菊の前に立った。
「これが、あたしの知っている春の過去です。嫌いになりましたか、気持ち悪いと思いましたか、春から離れるのなら今ですよ。これ以上、春に傷ついてほしくありませんから」
「なら、一つだけ聞いていいか」
「はい。あたしが答えられる範囲なら」
「春の彼氏は、普通の環境に育った人間じゃないな」
目を閉じ夜は頷くと、志菊はその場を走り去った。その背中に向かって、大声で叫んだ。
「春なら、図書室に居ます」
走りながら片手を挙げ、階段を上がって行った。そんな志菊の背中を見届けた夜は、腰が向けたように地面にしゃがみ込んだ。
「春の彼、どんな人なの話してくれるかな」
「……悪いと思っていたけど、大切な親友だから調べちゃいました。春来君は、母子家庭です。昔、父親は若い女と不倫していました。そのことを知られるとすぐに離婚し、若い女と家を出て行きました。その日から、母親は朝から晩まで働きました。そんな、春来君と春が一つだけ、似ている個所があります」
「……愛情が欲しいところ」
「はい。春は言っていました。春来と付き合うのは五年間だけ、これは私の罪滅ぼし、って。何の罪滅ぼしかは聞いていませんが、春は過去の自分が犯した罪を悔やみ、苦しみしましたから、幸せになってほしいです」
「そうだね」
しゃがみ込んでいる夜の頭を優しくなで、抱き締めた。
何て愛しいのだろう、そう改めて感じたアリスだった。
「何一つ変わらない。あの頃の、小さかった頃の夜に。もっと頼って、俺なしではいられない位。どうせ、もう夜は誰にも触らせないから」
「須藤先輩。何か言いましたか」
言葉までは聞き取れなかった夜が、さっきよりも少しきつくアリスにくっついた。アリスも、それに応えるように強く抱きしめた。
夜の言葉を信じ、志菊は図書室に向かって走った。志菊は海星高校の卒業生だったので、どこに何があるかわかっていた。しかし、はっきりとはまだ思い出せていなかった。
図書室は、一年生から三年生までの生徒に気軽に使えるよう、西校舎にある。だが、一年生から三年生までの教室は東後者にあり、図書室をはじめとする、理科室や音楽室、美術室に被服室などは西校舎にある。しかも、図書室は西校舎の一番端にあるため生徒たちのほとんどは図書室を利用しない。
そのため、誰も出入りしないのなら施錠する必要はないだろうと会議で決定され、図書室はいつでも開いていた。
図書室の前に着くと乱れた息を整え、勢いよくドアを開けた。
「……志菊、どうして」
誰も来ないと思っていた春は、戸惑っていた。そんな春にお構いなしに近づく志菊は、春の手首を掴むとそのまま壁に押し付けた。春はもう、逃げ場を失った。
春は悩みがあると、毎回図書室に行く癖がある。その癖を知っている夜は、教室に戻ってきた春がまた、数分して教室を出たのを見た瞬間悟った。ああ、何かあったなと。だから、アリスと志菊に春の話をしたのだった。
「俺言ったよな。一緒に文化祭回っているとき。春の昔に何があったか、俺にはわかるわけない。けど、自分を大切にしろ。お前の耳は飾か」
「……」
「ダンマリかよ。なら、そのまま黙っとけ。俺は星空ちゃんから聞いたぜ。春の過去。隠しておきたかっただろ」
「……」
志菊の口調から、昔の春のしてきたことすべてわかったのだろう。春が多くの男性と体の関係を結ぶ他に、夜の兄、白夜とも体の関係があったこと。
「なあ、春は何がしたい。まあ、聞くまでもないな。春の考えることぐらい、検討がすぐ着く」
「……」
少し間をおいて、志菊は掴んでいる手の力を強めた。春の顔も、力が加わったと同時に歪んだ。
「償いだろ。夜空ちゃんと星空ちゃんのお兄さんに対しての」
「……どうしてわかる。ずっと夜に気づかれなかったことを、どうして一年もたってない志菊に気づかれる」
やっと口を開いた春の頬を、次々とあふれ出る涙が流れ落ちた。
「……だよ。何だよ。私の気持ち掻き回して、絶対揺るがないように……決心したことなのに……どうして……どうして今、私の前に現れる。どうして……どうして今なの」
声を荒げ始めた春は、志菊に訴えた。志菊は春の手首を離し、しっかりと抱きしめた。
「何で。ナイスタイミングの方だろ。春に我慢は似合わない。思っていることをそのままいうのが春だろ。自分自身に嘘つく必要はない。それに、春は別に償い必要もない」
「そ……そんなこと――」
「ある。でも、何か償いたいのなら、すべて話すことが春にとっての償いだろ。星空ちゃんに伝える。自分なりの言葉で、方法で伝えて謝ればいい。星空ちゃんなら、きっと許してくれるはずだろ。星空ちゃんのお兄さんの方も、本当はもう許してくれているはずだろ」
何もかもお見通しの志菊。その言葉を聞いた途端、小さい子供のように声を荒げて泣き始めた。
「大丈夫。大丈夫だからな。星空ちゃんは春を嫌ったりしない。もしも、世界中の人が春を嫌っても、俺は春の味方だ。春、好きだ。だから、彼氏と別れて俺と付き合ってくれ」
優しく春の頭を撫でる志菊。その旨で声を荒げて泣いている春。
ああ、やっと春に春がやって来た。
春が白夜と別れて会いに行った人物は、春来だった。もう、自分の気持ちに嘘をついて、春来と付き合えないと思ったからだ。そう、志菊を春は好きになった。愛していると言ってもいい。話し合いは上手くいかず、少し怪我をしてしまったが、無事に別れることができた。あの時の涙は、春来を思って泣いたのでなければ、白夜を思って泣いたわけでもない。もちろん、志菊を思って泣いたのだった。
図書室に来たのも、志菊に対しての気持ちを押し殺すためだった。昔の自分を知られたくなくて、自分が汚くて。今更後悔しても、もう遅い。だから、志菊の思いは自分の胸の内だけに秘めておくための心構えをしていた最中に、志菊が勢いよくドアを開けたのだった。
数分後、落ち着き始めた春の頭を撫でながら、志菊は春の目を見ながら言った。
「それで、返事は」
「……いいのか。こんな汚れた女でも……こんな、乱暴な言葉の女でも」
充血している目を、まっすぐ志菊に向けた。志菊は微笑みながら答えた。
「もちろん。そんな春だから、俺は好きになった」
その言葉と同時に、志菊は春とキスをした。一回目はすぐ離れたが、すぐに二回、三回と角度を変えながら、深く長くキスをした。
その後。二人は夜とアリスに会いに行き、春は夜と二人きりになると、すべて包み隠さず話、そして謝った。
夜は初めの方はすごく驚いていたが、春を許した。
何となく、わかっていたからもあるが、その当時の春が大変だったことは、痛いほど知っていた。それをすくったのが自分の兄、白夜だと思うと何と表していいかわからないが、なぜかホッとした。
こうして、二人はもっと仲良くなった。