銀塩マジック
疲れた、ただそれだけ。
オッサンは、遊歩道のベンチに座っていた。未練がましく葉っぱが残っているイチョウの木に囲まれ、地面には黄色のじゅうたんが敷き詰められていた。
もう人にあうのが嫌になった。会社では上司と後輩に文句を言われ、実家に帰ると出世と縁談はなしで聞きたくない事ばかりだった。時計を見ると3時をさしていた。今日は調子が悪いと早退させてもらったが、これからどうしようかわからなかった。
何も考えずに遊歩道を見渡してみる。左を見ると大学生2人が分厚い冬服を着ているのにぴったりくっつきながら歩いている。少しずつ首を時計回りに向けてみる。冬服を着た犬と一緒に歩いているジジイ、スーパーの袋を自転車かごいっぱいに詰めて自転車を引っ張っているオカンの集団、共通することはみんな写真を手にとって唇をほころばせている。
「写真屋でもいるのか?」
オッサンは歩いている人の進行方向に逆らって目を動かした。遊歩道の奥にはカメラを構えている人とポーズをとっている大学生風のカップル2人組が見えた。カメラを持っている人は白色のコートにこげ茶色のズボン、青色のマフラーを身につけている以外わからない。撮影されていた2人組は写真を手にとっては声を出して喜んでいた。
「変わったカメラマンだな。しかしみんな喜んでいるってよほどのプロカメラマンだろう」
オッサンの視線に気づいたのか、カメラマンは彼のところへ歩いていった。彼が近づくにつれてオッサンの推測は裏切られた。カメラマンがオッサンの前へ立ち止まった時、彼は10秒ほど体中が固まってしまった。
「おじさんずっと見ていたよね」
顔にはヒゲとしわがまったくない。変声期になる前の甲高い声を聞いても女性でもない。カメラマンの正体は子供だった。
さすがに見下ろされるのは嫌な気分になるので、オッサンは立ち上がった。少年の背の高さはオッサンのあごぐらいである。少年の首にはポラロイドSX−70がぶら下がっていた。
「写真撮ってあげるよ。もちろんタダで」
「・・・・・」
オッサンは何もいえなかった。
「どうしたの? なぜ黙っているの?」
「なぜ写真撮っているのだ? 第一そんなカメラでいい写真がとれるのか?」
少年はカメラを手に取った。
「たまにオジサンと同じ質問する人がいるんだ。デジカメで撮ったほうがきれいに撮れるけど、いやなものまで見えてしまうから好きじゃないんだ」
「いやなものってどういう意味だ?」
「しわとしみだよ。あとはキズかな。人に見られたくないでしょ」
オッサンは不思議そうな顔をした。
「おれはデジカメで撮ったことあるけど、そんなもの見たことないぞ」
5秒間オッサンは少年の目を直視した。
「フィルムカメラと見比べたことあるの? 多分説明してもわからないからオジサンうつしてあげるよ」
少年は両脇を絞めてレンズをオッサンの顔に向けた。
不意の行動に、オッサンはしばらく動けなかった。
「そんないけてない顔より、かっこいい顔してよ」
オッサンはレンズをにらみつけた。
それから写真がでてくるまで早かった。ポーズができたと思えば少年は左指でオッサンの目にピントをあわせるよう動かし、右指で何もいわずにシャッターボタンをおした。写真がでると少年はそれを見て少し笑った。
オッサンはむっとした。
「どうせへんな写真だろ」
少年はオッサンに写真を渡した。
「そんなことないよ。別人みたい」
オッサンは写真を凝視した。そこには顔しか写ってないが、引き締まった目と少し微笑んだ口元を見ると思わず声をだした。いつもふぞろいの不精ヒゲが白くなって見えにくくなり、肌がつるつるに見える。
「これがおれか・・・。なにかマジックでもつかったのか?」
少年はカメラを折りたたんだ。
「な〜んも、カメラの絞りとシャッタースピードをいじっただけだよ。何も余計なものうつってないでしょ」
「すごいいい写真だよ。ねえ、この写真もらっていい?」
「もちろん、そのために撮ったんだから。じゃあ僕は帰るね」
少年は振り向きもせず歩き出した。
「おい、名前ぐらい教えてくれよ」
少年は足を止めて振り向いた。
「知ってどうするの? ここにいたらまた会えるよ。写真欲しかったら来てよ」
少年は再び歩き出した。また一人になったオッサンはまじまじと写真をみた。
いつも鏡でみるオッサンは目が外側に垂れ下がり、目元には青紫の三日月が左右に浮かび上がっている。何もかも疲れた顔をしていた。でもこの写真はまったく違う。何か真剣に取り組もうという顔だ。
カメラからもう一つの自分が見えたのだとオッサンは思った。