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4、The Last Snow


 上質なオーク材の調度品が置かれた広い応接室に、年老いたメイドが紅茶を運んできた。

 やわらかい革のソファに深く身を埋めて、明良は肩をこわばらせている。冬枯れしたけやきの枝の間から差し込む日差しが大きな窓を通って部屋の中で揺れている。背の高い柱時計の振り子の音だけがやけに大きく部屋の中に響いていた。

 無言で紅茶をポットから注いで差し出すと、メイドは無表情で会釈して出て行った。


 明良は落ち着かずに部屋を何度も見回した。

 熾き火の残る暖炉を囲っている立派なマントルピースには、小さな彫刻や花瓶が並んでいて、その中央に写真立てがいくつか飾られていた。

 明良は立ち上がってその写真立てを覗いてみた。

 西洋風のアンティークの額に似つかわしくない、着物を着た母娘の古い写真が入っていた。ほかのいくつかの額にも同じ幼い女の子の写真が入っている。どれも色あせた古い写真だ。サトコに似ている気もするが、時代が違いすぎるので、親戚の誰かなのかもしれない。


 コツンコツンと杖をついて歩く足音が響いてきて、大きなドアがゆっくりと開いた。

 真っ白な髪の背の高い老人が、部屋に入ってきた。老人は杖を前について立ったまま明良を険しい目つきで睨みつけていた。

 明良は老人に一礼して、話しかけた。


「はじめまして。伏見と申します」


 明良は『フリーカメラマン』という肩書きの名刺を差し出した。しかし老人はそれを受け取ろうともしない。

 明良は差し出した手をそのままにして、老人に訊いた。


「あの、失礼ですが……。彫刻家の大河内(おおこうち)籐治郎(とうじろう)先生ですよね」


「そうだが。

 娘が私を探しているなどと言って、私の住所を訊きだしたのは君か」


 大河内老人はますます厳しい目つきになった。どうやらあの旅館の女将が親切で連絡を入れていてくれたらしいが、それがかえって大河内の疑惑を招いているらしい。


「私には娘どころか子どもなどいないのだ。君はいったい何をしようと企んでいる」


 大河内の言葉に唖然とした明良は、名刺を差し出していた手を力なく下ろした。


「……そうですか。それは大変失礼を。こちらの勘違いでした。

 氷まつりの会場で出会ったサトコという女性が、生き別れた父親を探していまして。彼女の力になろうかと思ったのですが……。とんだ人違いをしていたようです」


「今、何と言った?」


 突然、大河内が驚いた顔になって明良に訊いた。


「え? 何と、というと」


「その女性の名前は、何と言ったのかね」


「サトコ……さんですが」


 その名を聞いて大河内の顔が引きつったのが分かった。

 彼は明良に近づいて軽く肩を叩くと、ソファを指し示し、座れという身振りをした。


「そのサトコとはどんな女性だったのか、話してくれるかな」


 明良の正面に腰かけながら、大河内は静かに訊いた。


「ええと、そうですね。細身でわりと背が高くて、髪は肩までのストレートで、色白の細面……」


 明良はとりあえずサトコの外見を細かく説明しようとしたが、大河内がそんな答えを期待していないことを察して言葉を切った。


「実は、まつりの運営委員会の方に昨年の氷まつりの写真を見せていただいたんです。そこに彼女にそっくりの氷の像がありまして……」


 明良は運営委員のおじさんから、大河内に確認するためにその氷の像の写真をもらってきていた。名刺を机に置くと、手帳に挟んであったその写真を大河内に差し出した。


「彼女はこの氷の像にそっくりです。何もかも。髪型も服装までも。

 もしかして、この作品は先生のものではありませんか」


 大河内は片手で顔を包むと、下を向いて肩を震わせた。声をころして泣いている。

 しばらくして顔から手を離すと立ち上がり、マントルピースの上の写真立てをひとつ取ってきた。

 幼い女の子の古い写真。それを慎重に額から取り出した。


 写真を裏返して明良に差し出す。黄ばんだ紙の下の方に青い万年筆で小さく文字が書かれていた。


―― 早都子 三歳 ――


「娘だ。この年に病気で亡くした。早都子という名は私と妻しか知らない。妻も昨年亡くなったので、今は私しか知らないのだ」


 明良は言うことがよく理解できず、写真を持ったまま瞬きも忘れて大河内を見つめていた。


「私が妻とともに氷瀑を観に、初めてあの町を訪れたのは、ちょうど氷まつりが始まった年だった。一般客も氷の彫像を作ることができると知り、早都子の姿を彫ったんだよ。

 次の年も訪れて少し成長した早都子を想像して作った。次の年はもう少し成長した姿を……。

 それから毎年、早都子の成長した姿を彫り続けた。私と妻は、年に一度氷まつりで娘に逢えることを楽しみにしていた。私たちの勝手な願望が作り上げた娘だが、大きく美しく成長していってくれたよ」


「今年はどうしていらっしゃらなかったのですか」


「昨年妻が亡くなり、私も足を悪くしてしまったのでね。もう終わりにしようと思っていたんだよ。それが……」


 明良は狐につままれたような気持ちで大河内の話を聞いていた。


「私の出会った彼女は……先生が作った氷の像の早都子さんということですか」


「そういうことなのだろう。昨年のままの……」


「しかし、今年は氷の像が無いのに私は彼女に会ったのだから、彼女はいつでもあなたに会う事ができるはずなのに」


 大河内は机に置かれた明良の名刺を手にとって見た。


「君は写真家なのだね。同じ芸術家なのだから分かるだろう。

 良い作品には魂が宿るものだ。心血注いで作り上げた作品はなおさら。

 私が早都子を氷に彫ったのはそれが恐かったからだ。早都子の魂を彫像に留めてはいけない。氷なら解けてしまえば魂がこもることはないと。

 しかし長年作り続けているうちに本当に魂が宿ってしまったのかもしれない。氷の像の中にではなく、雪や氷の中に」


「彼女はあなたのことを必死で探していました。しかし毎年まつりに来ていたことを知ったとき、とても安心していました。また会えることが分かったからなのでしょう」


「そうだね。来年は必ず行かなくてはいけないな」


 大河内は氷像の写真をしみじみと眺めた。


「早都子さんはあなたが来ないことを知りながら、まつりに留まって私の写真のモデルになってくれました。彼女のおかげで諦めかけていた写真をもう一度やってみようと思えた。見ず知らずの俺なんかのために……。優しい女性ですよ」


 寂しげな表情だった大河内が、それを聞くと穏やかな優しい笑顔になって明良を見た。


「氷の像を作り始めてちょうど二十年、早都子は二十三歳だ。年頃の娘だからね。恋も覚える頃だろう」


 今度は明良が寂しげに笑う番だった。


「……氷でなければ、最高の彼女を持てるところでした」




***



 老人……大河内は、ぼやけた風景が写る一枚のまえでしばらく動かなかった。


「どうしました?」


「早都子が、いる」


 明良が最初にサトコを撮った写真だ。彼女の姿が写っているとしたら、ちょうどこちらを振り向いて微笑もうとした瞬間だろう。


「見えるのですか?」


「ああ、確かにいるよ」



 明良は大河内に会いにいったあと、氷まつりでサトコを写した写真を全て展示用のパネルに仕上げていった。

 サトコの姿は写っていないが、彼女への想いがそこに籠められていた。サトコにピントを合わせたはずなのに、背後に映し出された風景はどれも活き活きと耀いて写っていたのだ。


 春が来る前にどうしてもFの作品として発表したい。そんな衝動に駆られて、明良はギャラリーを探し歩き、うらびれた雑居ビルに長年使われていなかったギャラリーを見つけたのだ。





 ギャラリーの入り口が突然、騒がしくなった。

 大勢の客が後から後からギャラリーに入ってくる。高校生くらいの若者からサラリーマン風の中年まで、実にさまざまな年齢層の人々がやってきた。

 彼らが話している内容からすると、近くで野外イベントをやっていたが雪で中断になり、電車も止まっていて、時間を潰す場所を探してやってきたらしい。


 写真にそれほど興味などなさそうな人も多いが、ぐるりと一周見て回ったころには真剣な表情で評価を始める。


「〈F〉って、アブナイ写真を撮るので有名だったよな」


「全然イメージが違うんだけど」


「でも、すごくきれい。あたし、この写真好きだな」


 大学生のグループが話しているのが聞こえる。


 そのとき明良は、出て行く客の中にすらりとした細身の白いコートを着た女性の後ろ姿を見た。慌てて追いかけたが、その姿はエレベーターに吸い込まれてしまった。

 明良は階段を全力で駆け下りて、エレベーターを追った。

 一階に着くと、エレベーターの客はすでに降りたあとだった。明良は外にとび出して大通りを左右見渡したが、どこにもその姿を見つけることはできなかった。


 大きなボタン雪が明良の顔の前をかすめていく。それらはやがて雨になって、この冬最後に積もった雪を全て解かしていくのだろう。


『粉雪が降る頃に、きっとまた逢える』


 明良は空を見上げた。

 夜の闇から天使の羽のように舞い降りてくる雪は、明良の顔で雫となって滴り落ちた。






 ――――――――――――――――――――



 ある ゆきぶかいむらに 

 おじいさんとおばあさんがすんでいました。


 こどもがなく さびしいふたりは、

 かわいい おんなのこが ほしいと

 いつも かみさまに おねがいしていました。


 あるひ、まっしろに つもったゆきで

 のぞみどおりの 

 かわいい おんなのこの にんぎょうを こしらえました。


 そのよるの ことです。

 とんとんと いえのとを たたくものが あります。


 おじいさんが とをあけると

 そこに おんなのこが たっていました。


 かみさまに おねがいしたような

 いろのしろい かわいらしい おんなのこです。

 ふたりは ねがいが つうじたのだと おもいました。


「さむかったろう。

 さあさ、なかに はいって ひに おあたり」


 けれど おんなのこは えんりょして

 すみのほうに ちょこんと すわりました。

 おばあさんが あたたかいしるを よそって すすめても

 くちに しません。


 やがて おんなのこは ねむってしまいました。


「かわいそうに。つかれているのだろう」


 おじいさんは、あるたけの ふとんを あつめてきて

 おんなのこに かけて あげました。


 つぎのひの あさ

 おんなのこの すがたはなく

 おじいさんの かけた ふとんのしたが

 ぐっしょりと ぬれているばかりでした。


 おんなのこは

 ふたりが こしらえた ゆきのにんぎょうだったのです。



          (日本むかし話より)

 


 ――――――――――――――――――――




                      (おわり)















最後までお読みいただきありがとうございました。


日本昔話の『ゆきむすめ』という話が好きで

現代の恋愛小説風にアレンジしてみたものです。


はじめは主人公の設定をいろいろと変えて作っていたのですが、

舞台も何処とも知れない田舎町ではなく札幌の雪祭りだったのですが。


いちばんしっくりときた作品になったのがこれです。


ひと月に一度、『初雪』から始まって四ヶ月で『なごりゆき』にしようと

変なこだわりで投稿していました。


これ以上暖かくなると興ざめしてしまうので

首都圏にちょっと雪の降った今日投稿。


非常に間の開いた気まぐれな投稿にお付き合いいただいてありがとうございました。


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