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3、Third Snow

 




 氷まつりの一番の話題である氷瀑は、町の中心から少し離れた山中にある。それを目当てに来る観光客がほとんどなので、まつりの期間中はメイン会場の近くからマイクロバスがピストン輸送をしていた。とくにライトアップされる夜が見もので、よほど天候が悪くならない限り、バスは遅くまで運行していた。

 明良とサトコもこのマイクロバスに乗って氷瀑を目指した。

 バスの中で明良は気になっていたことをサトコに訊いてみた。


「何故、直接お父さんの家に会いに行かないの? わざわざ混雑しているおまつりで探し回らなくても、住所くらい、調べればすぐ分かるでしょ」


 サトコはしばらく膝に置いた手を眺めていた。


「わたしね。この時期に、ここに来ることしかできないの」


 彼女は何か病気でも患っているのだろうか。明良はまずいことを訊いてしまったと思った。

 明良の様子を察してサトコは明るく続けた。


「父には会えなかったけど、今回ここに来てよかった。明良さんや町の人が親切に助けてくれて、とっても嬉しかったの。こうしておまつりを楽しむこともできたし。とてもいい思い出ができたわ」


 明良はほっとした。


「それなら、よかった」


 バスの終着点から、緩やかな斜面に施された階段を下りていく。本当なら雪に閉ざされた真っ暗な山道なのだろうが、このまつりの期間は、階段の周りの雪がきれいに取り払われて、いくつもの外灯が明るく照らしているので、どこかのテーマパークにいるようだ。

 階段を降りきると広い見晴台になっていた。見晴台の先には人が群がっている。人垣の隙間に割って入り見晴台の先に立つと、そこには七色の照明を浴びた氷壁がそびえていた。

 凍てついて流れを止めた幅の広い滝が、見晴台を囲うように氷のカーテンを垂らしている。

 明良はおもわず息を呑んだ。明良の心に残るあの写真そのものの光景が目の前に広がっていた。

 カメラを構える手が震えているのは寒さのせいばかりではない。明良は、隣にサトコがいるのも忘れて、しばらく夢中でシャッターを切っていた。

 カメラを下ろしてもなおぼんやりと滝を眺めていると、サトコが声をかけてきた。


「いい写真が撮れた?」


「ああ、ごめん。つい夢中になって」


「いいんです。明良さんにいい写真を撮ってもらいたくて誘ったんですから」


「昔、この氷の滝の写真を見て感動したんだ。それが写真家を目指すきっかけになった」


「そうだったんですか」


「ありがとう。あの頃の純粋な気持ちが蘇ってきたよ」


「そう。それは良かった」


 サトコはにっこりと微笑んだ。明良が滝を眺めながら呟く。


「冬眠する滝……。

 厳しい冬の間、再び動き出せる春を思って、じっと耐えているんだろうな」


 滝のほうを向いたまま、サトコも呟く。


「春を待っているのかしら。春までの短い命を惜しんでいるのかもしれない」


 サトコが意外なことを言うので明良は不思議そうに彼女のほうを見た。サトコは滝を見つめたまま続ける。


「雪や氷は春が来れば消えてしまう。氷の滝は春までの命。短い命をいま精一杯耀かせているんだわ。春は冬に息づいていた静かで力強いものをすべて融かしてしまうの。新しい命と交替するために」


「なるほど面白い。そういう見方もできるか」


 明良は感心して言った。しかしサトコの表情に、ただの感傷ではなく恐いほどの真剣さを感じ取り、それ以上何も言えなくなってしまった。


 


 まつり最後の日、明良は携帯の着信音で起こされた。まだうつらうつらとしていた明良の耳に、訛りのある男性の声が遠慮がちに訊いた。


「あのぅ。伏見さんの電話でいいんですかねぇ」


 それはあの運営委員のおじさんだった。


「まだこっちにいるんですかねぇ」


「ええ。今日は一日ゆっくりして、明日帰ろうと……」


 時計を見るともう九時を回っている。連日、朝早くから動き回っていたために、疲れて目が覚めなかったようだ。


「ああ、良かったぁ。そんで、サトコさんはまだこっちにいるんか、わかりますかねぇ」


「彼女は昨日帰ると言っていましたが。もしかして、お父さんが来ているんですか?」


「いや。そうじゃないんだけどねぇ。ちょっと見てもらいたいもんがあってぇ。伏見さんだけでもいいんで、役場まで来てもらえないかねぇ」


 サトコは帰ってしまったというのに、いったい何の用だろうか。

 それよりも、明良はサトコの連絡先も何も聞いていなかったことに、そのときはじめて気付いた。いつも女の子の電話番号とアドレスのチェックには余念がないのに珍しいことだと、自分で思っていた。 しかしこれでは撮った写真を送ることもできないではないか。

 明良は寝グセのついた頭をかきむしりながら、素っ気なく返事をした。


「あ……はい」



 その日も朝から快晴で昨日よりも暖かかった。メイン会場はすでに大勢の観光客でごった返していた。雪像たちは昨日からつづく暖かさでさらに表面が融けてしまい、どこか情けない姿になっている。

 町役場には相変わらず慌しく人が出入りしていた。係員が、迷子や団体からはぐれた人や道を聞く人の対応に追われている。最後に行われるイベントの設営だろうか、重そうに大道具を運んでいる人もいる。

 人で溢れかえるロビーを抜けて運営本部のドアを叩く。ドアを開けた女性が大声で呼ぶと、奥の席からひょこひょこと肩を揺らして、あのおじさんが出てきた。


「伏見さん、すまんねぇ。こっちへどうぞぉ」


 おじさんは、くもりガラスで仕切られた応接室のようなところへ案内した。左右に古びた皮のソファが並び、真ん中に細長い机が置かれている。机の上には分厚いアルバムがいくつか広げたまま置いてあった。


「わしねぇ、サトコちゃんのこと、どっかで見た人だなぁって思ってたんだけどねぇ。運営委員も今日で解散になるんで、片付けしてたら思い出したんだよねぇ。これ」


 おじさんは、広げられたアルバムの中の写真のひとつを指差した。アルバムは運営委員会の資料なのだろう。たくさんの雪像の写真が並んでいる。

 おじさんの指差すページの隅に貼られた小さな写真は、若い女性の氷の像だった。小さい像ではあるが細部まで細かく彫り込んである美しい像だ。

 まっすぐな長い髪、細身のコート、ほっそりとした足に長いブーツを履いている。手を前に重ね、少し上を向いてすっと立っている姿。

 そう、その像はサトコにそっくりだった。


「これは去年のもんで、こっちはその前の年、そんでぇ、これがその前……」


 おじさんは、下に重なっていたアルバムを引っ張り出して見せた。どのアルバムにも、多少ポーズや表情が違うものの、サトコに似た氷の像が写っている。


「この像を毎年見かけていたんで、サトコちゃんを見てどっかで見た人だなぁって思ったんだぁね。けんど、誰が作ったもんかはよう分からないんだよねぇ。運営委員の人間に聞いたんだけんどねぇ。みんな知らないって言うんで」


 明良はそのとき、頭の隅にひっかかっていたサトコの父親の名前に察しがついた。


「オオコウチ トウジロウって、『大河内 籐治郎』だ。有名な彫刻家ですよ」


「あれ、まぁ。そんな有名な人なのぉ。なんで、こんな田舎のまつりで氷の像なんか作っていたんかねぇ」


「雪像や氷像の制作は、運営委員会で依頼しているんじゃないんですか?」


「たいていのもんはそうだけどねぇ。ここに展示されてる小さいもんは、誰でも自由に作ってもらうコーナーでねぇ。近隣の学校とか、サークルの集団が作っていくんだよねぇ。個人で作っていく人もいてねぇ」


「彼女の知り合いがこの像をみかけて、お父さんがこのまつりに来ていることを教えたんだろうな」


「そんでぇ、やっと会えると思って来てみたら、今年はお父さんが来てなかったって……。なんて、かわいそうにねぇ。伏見さん、サトコちゃんに連絡取れんかねぇ」


「それが……」


 明良はサトコの連絡先を訊かなかったことをますます後悔した。


「あの、旅館の女将さんに大河内さんの住所訊いてもらえませんか? 俺、東京に帰ったら大河内さんを訪ねてみます」


「おお、それがいいねぇ」


 おじさんは真っ赤な頬をさらに紅潮させてパチンと手を叩くと、急いで自分の事務机に戻って受話器を取った。





 明良は久しぶりに自宅の暗室にこもっていた。家に帰り着くと、荷物の片付けも後回しにして、早速写真の現像に取り掛かったのだ。


 サトコの父親が住むところは、都心からそう遠くはなかった。サトコの写真を見せたら、どんなに喜ぶことだろう。少しでも早く彼女の写真を現像したかった。


 作業を進めながらおかしなことに気付き、明良はネガフィルムに顔を近づけて、ひとつずつ何度も見返した。首を傾げながらも念のため一枚を慎重に現像していく。


「そんな、ばかな……」


 大きな恐竜の雪像。その前で手を広げていたはずのサトコは写っていない。

 早まる鼓動を抑えて、一枚、もう一枚……。市場のおばあさんの像の前にも、雪の城のアーチ状の門の前にも、彼女はいなかった。

 最初に撮ったはずの振り返った彼女のアップもない。代わりにピンぼけした背景だけが写っていた。








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