第87話 煮え方の違う斑殻豆と、人のやり方ばかり正しく見える家畜商
ルディ・カーヴェンは二十九歳になる人間の男性であり、レーヴェン南門の外に広がる家畜取引場で、羊や山羊、小型の荷曳き獣を扱う家畜商として働いていた。焦げ茶色の髪は耳にかからない程度へ短く切られ、屋外で過ごす時間が長いため肌はよく日に焼けている。細身に見える身体にも十五年近い積み下ろし仕事でついた筋肉があり、右手の親指と人差し指の間には、縄を引き続けたことで厚い皮ができていた。
家畜商という仕事は、動物を安く買って高く売れば成り立つほど単純ではない。羊なら毛の状態だけでなく、歯から推測できる年齢、脚の運び、蹄の傷み、腹の張り、鼻息まで確かめる必要があり、山羊なら角や乳房、餌食い、群れから離した時の落ち着き方まで判断材料になる。荷曳き獣ともなれば、身体の大きさだけではなく、長距離を歩ける脚があるか、金属音や人混みに過剰に反応しないか、知らない人間に触られても暴れないかまで見なければならなかった。
見た目が立派だから優秀とは限らない。痩せていても、冬越し直後で一時的に肉が落ちているだけなら、餌を戻せば十分回復することがある。反対に、毛艶のよい羊でも歯の摩耗が進み、売り手の申告より年齢が高い場合がある。脚についても、関節そのものに異常はなく、蹄へ石や泥が詰まったことで一時的に歩き方が崩れているだけということがあった。
そうした違いを見つけ、買い手が求める用途へ合うか判断するのが家畜商の仕事だった。
ルディは十四歳から取引場で働いているため、年数だけならすでに十五年になる。羊へ縄を掛ける位置や、荷車から家畜を下ろす順番、暴れ始めた山羊を壁際へ追い詰めず落ち着かせる方法、口の開け方を嫌がる個体から無理なく歯を確認する方法など、身体へ染みついた技術も少なくなかった。
それでも本人は、自分を一人前だと思えなかった。
年上の商人を見れば、自分より判断が速く見える。
山羊専門の仲買人を見れば、自分より腹の状態を読むのが上手い。
羊毛を専門に扱う商人を見れば、毛を一度触っただけで品質を判断しているように見える。
そういう相手に出会うたび、ルディは、
(やっぱり、自分の見方は間違っている)
と考えた。
問題はそこで終わらない。
上手い人から方法を聞くと、それまで自分が使っていた方法を一度脇へ置き、翌日から新しい方法へ丸ごと入れ替えてしまうのである。
北側の取引場で評判の商人が、
「羊はまず脚を見ろ。遠くへ運べない羊は用途が一気に減る」
と言えば、翌日からどんな羊でも脚を最初に確認する。
別の商人が、
「脚から見るなんて遅い。最初は口を開けて歯だ。年齢を外したら値段全部がずれる」
と言えば、それまでの順番を捨てて歯から見る。
山羊商から、
「腹を最初に見れば餌食いの悪い個体を拾いやすい」
と聞けば、山羊だけでなく羊でも腹を優先しようとする。
値段交渉についても同じだった。
「最初はこちらから価格を言え。話の基準を握れる」
と教えられれば、その方法へ変える。
少し後で別の古参商人から、
「先に値段を言ったら、相手がもっと安く売るつもりでも分からないぞ」
と聞けば、今度は買い手側へ希望額を言わせるようになる。
どちらの方法にも理由がある。
しかしルディは理由を比較するより先に、
「上手い人が使っている方法なのだから、こちらが正しい」
と受け取ってしまった。
人の話を聞かないのではない。
むしろ聞きすぎる。
その結果、十五年も働いているのに、
「自分ならまずここを見る」
という軸がほとんど育っていなかった。
◇
ルディが他人の方法を正解として受け取りやすくなった背景には、父ダイルの存在があった。
ダイル・カーヴェンも家畜商であり、南門外の取引場で三十年以上働いた男だった。牛から羊、山羊、荷曳き獣まで幅広く扱い、若い頃には王都方面へ家畜を送る隊商へ同行した経験もある。
父は動物を見るのが速かった。
荷車から羊が下りた瞬間に、
「左前、少し嫌ってるな」
と言い、実際に確認すると蹄へ傷がある。
毛艶の悪い山羊を見ても、
「病気じゃない。子を離した直後で食いが落ちてるだけだろ」
と売り手へ尋ね、その通りだったこともある。
幼いルディには、父が何を見ているのかまったく分からなかった。
十歳の頃からよく質問した。
「今の、どこ見て分かったの?」
「全部」
「全部って何?」
「歩き方も、毛も、目も見るし、売りに来た農家の顔も見る」
「農家の顔で山羊の脚が分かるの?」
「脚は分からん。でも急いで売りたがってるかは分かる」
父の答えは、少年には抽象的すぎた。
十四歳で正式に取引場の仕事を手伝うようになっても変わらなかった。
「羊って、最初にどこ見るの?」
「その羊による」
「じゃあ山羊は?」
「山羊にもよる」
「何から見れば失敗しない?」
「そんな順番が一個で済むなら、皆もう金持ちだ」
父に悪気はなかった。
三十年近い経験によって、いくつもの確認をほとんど同時に行えるようになっていたのだろう。
しかし若いルディが欲しかったのは、もっと具体的な手順だった。
一番目は脚。
二番目は歯。
三番目は毛。
そこまで見たら値段を決める。
そういう形にしてほしかった。
ある日、父が別の取引へ出ている間に、古参商人へ相談した。
「羊なら最初に脚だ。脚が使えなければ、他が良くても買い手が減る」
それは父の、
『その羊による』
より遥かに分かりやすかった。
翌日から、ルディは脚を最初に見るようになった。
一週間後、別の家畜商へ言われた。
「若いやつほど脚ばかり見る。先に歯を見ろ。年齢を一歳外したら値付けを間違えるぞ」
それも正しく聞こえた。
翌日から、歯へ変えた。
その様子を見ていた父が尋ねた。
「お前、最近見る順番がころころ変わってないか?」
「色んな人のやり方を試してる」
「試すのはいい。何でその人がそうしてるかは聞いたのか」
「上手いからだろ」
「上手い理由と、順番の理由は別だ」
「でも父さんは順番教えてくれないじゃん」
「一個に決めてないからな」
「だから覚えにくいんだよ」
若いルディは苛立っていた。
父はできる。
自分はできない。
なのに父は、
「見れば分かる」
としか言ってくれないように感じた。
ダイルは少し考えてから、息子へ言った。
「人のやり方を借りるのはいい。ただ、借りたまま全部自分にするな。自分で使って、使えるところだけ残せ」
ルディには、その言葉も分かりにくかった。
「正しい方法なら全部残せばいいだろ」
「正しいかどうかは、何を見るための方法かで変わる」
「だったら最初からそう言えばいいじゃん」
「今言ってる」
父子の会話はそこで終わった。
二十二歳になった頃、ダイルは脚の病気で長時間取引場へ立つことが難しくなり、家畜商を辞めた。命に関わる病ではなかったものの、以前のように一日中家畜の間を歩き回ることはできなくなり、郊外の小さな家へ移った。
ルディは自分で取引を担当するようになった。
本来なら、そこから自分の経験を積み上げていく時期だった。
しかし父がいなくなったことで、ルディは逆に新しい「正解を知っている人」を探し続けるようになった。
判断を外す。
誰か別の人の方法へ変える。
それで上手くいけば、
「やはりこの方法が正しい」
と思う。
次に別の失敗が起きれば、また方法を捨てる。
そうしている限り、
「自分自身の判断が間違った」
と向き合わずに済んだ。
方法が悪かったことにできるからである。
◇
春の大きな家畜市を前にしたある日、ルディは近郊農家のベルドが連れてきた六頭の山羊を見ていた。
ベルドは毎年何頭かを取引場へ連れてくる顔見知りで、今年は群れが増えすぎたため、若い個体を残して三歳以上を売りたいという。
六頭を柵の中へ歩かせる。
四頭は目立った異常がない。
一頭は少し身体が細いが、毛艶と目の状態は悪くない。
残る一頭は六頭の中でも体格がよく、角も立派だった。
ただし右後脚を地面へ置く時だけ、歩幅がほんの少し狭い。
ルディは一瞬それへ気づいた。
以前なら、その時点で脚へ触れただろう。
ところが数日前、山羊専門の仲買人セルドから、
「山羊はまず腹を見る。餌食いの悪さは腹へ出る」
と聞いたばかりだった。
(まず腹だ)
自分へ言い聞かせる。
六頭の腹を順に見る。
身体の細い一頭は腹もやや落ちている。
そこで売り手へ餌の状態を聞く。
ベルドが説明する。
「そいつは子を離したばっかりで、少し食い落ちしてる。ここ三日は戻ってきてる」
なるほど、と納得する。
次は毛を掻き分ける。
皮膚を見る。
口を開けて歯を確認する。
その間に別の買い手がやってきた。
「ベルド、その大きいのどうする?」
右後脚に違和感があった個体である。
ベルドがルディを見る。
「ルディが一度買うか見てる」
大きな山羊は体格がよく、腹も悪くない。歯から見た年齢も申告通りだった。
ルディは、
(セルドなら、この条件なら買うかもしれない)
と考え、仕入れることにした。
取引を済ませ、自分の囲いへ移す。
他の商談が終わった後でもう一度歩かせると、右後脚の運びがやはり少しおかしい。
そこで初めて脚を持ち上げた。
蹄の隙間へ小さな尖った石が深く入り、その周囲が赤く腫れていた。
重傷ではない。
石を取り除いて洗い、数日休ませれば回復する可能性が高い。
しかしルディは、その山羊を翌日に遠方の農家へ転売するつもりだった。
その予定は崩れた。
隣で荷縄をまとめていた同僚マルクが言った。
「お前、前なら歩かせた時に脚見てたよな」
「最近、山羊は腹から見るようにしてる」
「何で?」
「セルドがそうしてるから」
「セルド、何十頭もまとめて買うだろ」
「そうだけど」
「群れの中から餌食い悪いの早く拾うために腹から見るって、自分で言ってたじゃん。お前、今日は六頭しかいないんだから全部歩かせる時間あっただろ」
ルディは何も返せなかった。
「腹を見るのが悪いって話じゃないぞ」
マルクは続ける。
「脚も見ればよかっただけだろ」
その言葉が、その日は妙に残った。
しかし翌週、ルディは反省を別の方向へ使った。
(やっぱり最初は脚だ)
そう決めたのである。
今度は羊を買う際、取引場へ入ってきた歩き方を注意深く見て、脚を一頭ずつ確認した。
四肢に問題はない。
そこで安心し、歯の確認を後回しにした。
取引成立後、念のため歯を見直す。
売り手は三歳と言っていたが、摩耗状態からすると四歳を超えている可能性が高かった。
用途によっては一歳の差が値段へ影響する。
「今度は歯か……」
ルディが呟く。
マルクが近くで聞いていた。
「次は歯だけ見るのか?」
「少なくとも、脚だけじゃ足りない」
「だから両方見ろって」
「順番決めないと抜けるだろ」
「なら確認項目作ったら?」
「帳面に?」
「何でもいい。頭で抜けるなら書けばいい」
「父さんは書いてなかった」
マルクが呆れた顔をする。
「お前の親父じゃなくて、お前が仕事してるんだろ」
その一言は、ルディが思っていた以上に深く刺さった。
◇
家畜取引場の近くには、農家や仲買人が帰りに立ち寄る小さな市場がある。
その一角で、ルディは《斑殻豆》という見慣れない豆を見つけた。
薄い茶色の皮へ濃い焦げ茶色の斑点が入り、一粒ずつ模様が違う。大きさも完全には揃っておらず、同じ袋の中にふっくら丸いものと、少し細く乾いたものが混じっていた。
店番をしていた老婆が言う。
「今年の斑殻豆は、少し乾きに差があるよ」
「同じ袋なのに?」
「畑の端と真ん中で日当たり違ったからね。収穫日も二日ずれた」
「どう煮ればいい?」
「乾いてるのは長めに戻して、柔らかいのは少し後で水へ入れな」
「見分け方は?」
「触ればだいたい分かるよ。軽さと皮の張りも違う」
ルディは袋を持ち上げた。
「大きさで分けるの?」
「大きさも見るけど、それだけじゃない」
「全部一粒ずつ?」
「そこまでしなくていい。差が大きいのだけ拾えば十分さ」
言われた通りにすればよかった。
しかし家へ帰り、豆を机へ広げると別の記憶が次々に出てきた。
取引場の仲間から、
「乾燥豆なんて一晩水へつければ全部同じだ」
と聞いたことがある。
昔、母からは、
「豆は最初だけ強めの火で煮ると灰汁が取りやすい」
と教わった。
別の農家は、
「皮が破れやすい豆は最初から弱火だ」
と言っていた。
どれが正しいのか。
ルディはしばらく豆を前に考え、結局一番最近聞いた、
『一晩全部水へ浸ければ同じ』
という方法を選んだ。
翌朝、水を吸った豆を一つの鍋へ移し、同じ火加減で煮始める。
しばらくして一粒を食べると、大きいものは中心がまだ硬かった。
小さい粒は、すでに十分柔らかい。
大きい粒へ合わせて煮続ける。
すると柔らかかった粒の一部が割れ、煮汁へ崩れ始める。
慌てて火を弱める。
それでも硬かった粒の中心には少し芯が残る。
最後には、ちょうどよい豆、崩れた豆、まだ少し硬い豆が同じ鍋へ混在した。
食べられないほどではない。
しかし、老婆から、
「差がある」
と教えられていたのに、その差を無視した結果がそのまま鍋へ出ていた。
翌日、ルディは市場へ戻った。
「昨日の豆、揃わなかった」
老婆は笑った。
「分けろって言っただろう」
「どう分けるのが一番正しい?」
「またそれかい」
「また?」
「家畜商だろ、あんた。生き物見てる人が、豆だけ全部同じだと思うのかい」
「豆と家畜は違う」
「そりゃ違うさ。でも今年の豆と去年の豆だって違うよ。乾いて軽いものは長めに戻す。皮が柔らかいなら短めにする。まず見て、それから煮ながらまた見るんだよ」
「決まった時間は?」
「目安ならある。でも鍋まで見ずに時間だけ信じたら、また同じことになるよ」
ルディは、
『その家畜による』
と言った父を思い出した。
やはり、好きになれない答えだった。
自分で見ろ。
途中で考えろ。
それでは、正しい方法を知らない人間には不安が残る。
とはいえ同じ失敗を繰り返したくもなかったため、残っていた斑殻豆を持って、《持ち込み食堂》へ行ってみることにした。
◇
悠斗は持ち込まれた豆を袋から平皿へ広げ、いきなり鍋へ入れずに何粒か手へ取った。
「結構違いますね」
「全部、同じ畑らしい」
「乾き方が違うんですか?」
「店ではそう言われた。分けて戻せって」
悠斗は大きく丸い粒、小さく軽い粒、大きさは同程度でも皮の張りが弱い粒を並べていく。
「全部一粒ずつ分けるの?」
ルディが聞いた。
「そこまではしません。差が大きそうなのだけ、大まかに分けます」
「何を基準に?」
「まずは大きさ、重さ、皮の張りです。でもこの豆をちゃんと料理するのは初めてなので、途中で分け方を変えるかもしれません」
「最初に決めたのに?」
「実際に水を吸わせたら、見た目と違うこともありますから」
悠斗は乾燥の強そうな豆を先に水へ入れ、少し時間を置いてから比較的柔らかそうな群を加えた。途中で何粒かを取り出し、膨らみ方や表面の張りを確認する。
「こっち、思ったより早く水吸ってますね」
悠斗は最初に乾燥が強いと判断した群から数粒を取り、後から入れた方へ移した。
ルディがすぐ聞く。
「最初の分け方、間違ってた?」
「この粒については、そうみたいです」
「それでいいの?」
「今分かったなら、今変えればいいと思います」
「客に出す料理なのに?」
「だから変えます。間違ってると分かったのに最初の判断へ合わせ続けたら、その方が変じゃないですか?」
ルディは黙った。
戻し終えた豆は、硬さの違いがまだ少し残っていた。
悠斗は硬そうな群を先に鍋へ入れ、薄い出汁と根玉葱で静かに煮始めた。少し時間をずらして残りの豆と細切りの燻製肉を加え、煮汁が激しく動かない程度の火加減を保つ。
一定時間が経つと、悠斗は先に入れた豆を一つ取り出して冷まし、指で割って中心を確かめた。
「まだ少し硬いですね」
再び鍋へ戻す。
少し後には後から入れた豆も確認する。
ルディが不思議そうに見ていた。
「何回も見るんだな」
「初めてに近い食材なので、特に」
「上手い料理人なら、最初から時間分かるんじゃない?」
「同じ豆を毎日使ってるなら、かなり分かると思います。でも今日の斑殻豆は初めてですし、今年の乾き方まで知らないので」
「じゃあ料理人も、最初から正解知らない?」
「知らないものは知らないですよ」
悠斗は特に気にした様子もなく答えた。
「その代わり、火を入れながら見る。前に似た豆を使った経験があれば、その経験から始める。でも違ったら変えます」
「誰か上手い人の方法を教えてもらって、そのままやればいいんじゃない?」
「教わった方法は使いますよ。ただ、何のための方法かは見ます」
「何のため?」
「例えば『乾いた豆は長めに戻す』なら、目的は中心まで水を入れることですよね。なら十分戻った豆まで、教わった時間が来るまで水につけ続ける必要はないかもしれない」
ルディは自分の仕事と同じ言葉を聞いているような気がした。
「料理のやり方って、一個じゃない?」
「食材も目的も違うので。煮崩してとろみを出したいなら、さっき柔らかくなった豆をそのまま煮続ける方法もあります。でも今日は粒を残したいと言われたので、崩さないようにしています」
ルディは、昨日の自分の鍋を思い出した。
柔らかい豆が崩れた時、
「失敗した」
と思った。
しかし崩す料理なら、それ自体は失敗ではない。
目的によって変わる。
やがて豆の硬さがほぼ揃うと、悠斗は塩気を確かめ、最後に乳酪を少量だけ溶かした。豆を完全に覆うほど濃くはせず、煮汁へ柔らかな厚みだけを足す。
完成した《斑殻豆と燻製肉の乳煮》では、大部分の豆が形を保ちながら柔らかく火を通され、自然に崩れた数粒だけが煮汁へ溶けて、とろみに近い役割を果たしていた。
ルディは一粒を噛んだ。
硬い芯はない。
次の豆も柔らかい。
「全部同じ?」
「完全には同じじゃないです。少し柔らかい粒もあります。でも一皿として気になるほどではないと思います」
「最初に完璧に分けなくても、途中で揃えられるんだな」
「最初の分け方は、完成じゃなくて始め方なので」
その言葉が、ルディの中へ妙に残った。
◇
料理を食べながら、ルディは自分が家畜商であることを話した。
十四歳から十五年働いていること。
父も家畜商だったこと。
人から方法を教わると、すぐ全部変えてしまうこと。
脚を最初に見る人が上手く見えれば脚へ変え、歯を見る人から失敗談を聞けば歯へ変え、山羊商から腹の見方を聞けば腹を優先する。
値段交渉についても、誰かの成功例を聞くたび方法を入れ替えてきた。
「その人たち、全員同じ種類の家畜を扱ってるんですか?」
ミレイアが聞いた。
「違う。羊が多い人も、山羊が多い人もいる」
「買い方も?」
「セルドは何十頭もまとめて買う。俺は一頭ずつか、多くても十頭くらい」
「なら仕事の条件、結構違いますね」
「でも上手い人のやり方なら参考になるだろ」
「参考にはなると思います。でも全部同じにする必要あるんです?」
ルディはすぐ答えられなかった。
悠斗が聞いた。
「ルディさん自身は、家畜が入ってきた時に自然と見てるところあります?」
「歩き方は見る」
「意識しなくても?」
「取引場に入ってくるところを見てれば、変なのは分かる。今日も山羊の脚に一回気づいた」
「じゃあ、それは十五年の中で身についたものですよね」
「でも腹から見る方法へ変えて、結局脚を後回しにした」
「腹を見ることと、歩き方を見ること、両方やったら駄目なんです?」
「順番が増えると抜ける」
「なら順番を変えるより、確認したいこと自体を残す方法が必要なのかもしれませんね」
マルクから帳面を勧められたことを思い出した。
「家畜商なのに、項目を書いて見るのは格好悪くない?」
ミレイアが首を傾げた。
「何で?」
「父さんは書かなくても全部見てた」
「お父さん、何年やってたんです?」
「三十年以上」
「ルディさんは十五年」
「半分はやってる」
「十分長いですよ」
慰められたように感じて、ルディは少し嫌そうな顔をした。
悠斗は別の方向から聞いた。
「お父さんは、本当に最初から書かなくても全部できたんですか?」
ルディは止まった。
「分からない」
「子どもの頃に見てたお父さんは、もうかなり経験ある時ですよね」
その通りだった。
自分が父へ憧れていた十歳の頃、ダイルはすでに四十歳を超えている。
ルディが今まで比べていたのは、
『二十九歳の自分』
と、
『三十年近く経験した頃の父』
だった。
「父さん、若い時どうしてたんだろ」
「聞いてみてもいいかもしれませんね」
ルディは皿へ残った斑殻豆を見る。
「俺、失敗すると方法ごと捨ててた」
「上手くいった時は?」
「たまたまって思うことが多い」
「なら、上手くいった理由も残りにくいですね」
悠斗が言う。
「人から教わった方法を使うのは悪くないと思います。ただ、『誰が言ったから』じゃなくて、『何を見るための方法か』まで分かれば、別の方法と一緒に持てるんじゃないですか?」
父の言葉が、今になって別の形で戻ってきた。
『人のやり方を借りるのはいい。ただ、借りたまま全部自分にするな。自分で使って、合うところだけ残せ』
十五年前の自分は、
「合う」
という言葉を、
「自分の好みに合う」
程度に受け取っていた。
今なら少し違って聞こえる。
何を確認するために使えるか。
どんな取引へ向くか。
自分の仕事量や客に合うか。
使った結果、見落としが減るか。
そこまで確かめて残すという意味だったのかもしれない。
◇
翌日、ルディは家畜取引場へ小さな帳面を持っていった。
売買額や仕入れ先を書く帳面は昔から持っている。
新しく用意したのは、掌より少し大きいだけの安い紙帳だった。
最初の頁へ、
『見る順番ではなく、気づいたことと確認した理由を書く』
と記した。
マルクが横から覗いた。
「何それ」
「試してみる」
「誰かの真似?」
「料理屋で少し言われた」
「やっぱり真似じゃないか」
「丸ごと真似はしない」
「言うようになったな」
最初の客として、近郊の村から四頭の羊が来た。
ルディは帳面へ書かれた順番を一から読み上げるようなことはせず、まずこれまで通り、荷車から下りて柵へ入る様子を見た。
一頭だけ、左前脚の歩幅が少し狭い。
その時点で、
『灰毛雌。進入時、左前の歩幅狭い』
と書く。
次に口を開けて歯を確かめる。
三歳程度。
売り手の申告とも合う。
毛を掻き分け、皮膚の状態を見る。
問題はない。
最後に違和感のあった左前脚を詳しく触ると、関節そのものには腫れがなく、蹄の内側へ乾いた泥が厚く固まっていた。
泥を取り除き、少し歩かせる。
先ほどより歩幅が戻った。
帳面へ、
『左前違和感→関節腫れなし。蹄内側の固泥を除去後、歩幅改善』
と書いた。
そこで、
『やはり脚を最初に見るのが正しい』
とは書かなかった。
次の羊には歩行の異常がなかった。
脚も悪くない。
しかし歯を見ると、売り手が言う三歳より一歳ほど上に見える。
『歩行異常なし。歯摩耗から四歳前後。売り手申告三歳。価格再確認』
と記した。
その一頭では、脚より年齢確認の方が重要だった。
午後には若い山羊を見る。
腹が少し落ちている。
セルドから教わった方法を思い出し、売り手へ最近の餌食いを尋ねる。
「昨日まで子と一緒だった。朝から離したからあんまり食べてない」
念のため口と腹を確認し、病気らしい兆候がないことも見る。
帳面へ、
『腹やや落ち。子離し当日。食い落ちの可能性。三日程度様子必要』
と書いた。
一日の終わり、ルディは頁を見返した。
脚。
歯。
腹。
順番は揃っていない。
それでも、
「何を見たから次の確認へ進んだか」
が残っている。
これまで仕事が終わるたび、
(明日は誰の方法を使おう)
と考えていた。
その日は初めて、
(今日、自分は何を見たんだろう)
と考えながら帰った。
◇
帳面をつけ始めてから数週間のうちに、記録は少しずつ増えた。
『若山羊――腹が落ちていたが、口・目に異常なし。子離し後の食い落ち。三日後に再確認すると回復』
『白羊――毛艶良好、歩行良好。歯の摩耗強い。繁殖用としては価格下げ、毛用途なら相談可』
『荷曳き獣――体格・脚問題なし。金属音で大きく後退。鍛冶区方面の運搬には注意』
人から教わった方法も、少しずつ別の書き方へ変えた。
『セルド――山羊の腹を見る』
ではなく、
『腹を見る理由――餌食い、痩せ方、消化状態の異常を早く拾う』
と記す。
『古参ベルク――脚を先に見る』
ではなく、
『長距離移送・荷役予定の家畜では、脚の問題が用途を大きく制限するため早めに確認』
と書く。
歯についても、
『年齢と餌を取る能力を見る。繁殖・長期飼育では重要度高い』
とした。
こうすると、複数の方法が互いを押し出さなくなる。
腹を見るから、脚を見てはいけないわけではない。
脚を先に見たから、歯を後回しにして忘れてよいわけでもない。
買い手が何を求めているかによって、詳しく見る場所と順序を変えればいい。
それが分かり始めると、父の、
『その家畜による』
という昔の言葉にも、ようやく具体的な中身が見えてきた。
ただし、帳面を始めたから失敗が消えたわけではない。
ある日、若い荷曳き獣を仕入れた。
脚に異常なし。
歯から年齢も申告通り。
体格は十分。
取引場の端で金具を鳴らしても驚かず、荷車の軋む音にも落ち着いていた。
ルディは、
「街中運搬にも使える」
と判断した。
翌日、買い手に見せる前に市場近くの石畳へ連れていく。
人が増えた途端、獣は耳を伏せ、歩かなくなった。
大きな音ではない。
左右から何人もの人間が近づくことそのものを嫌がる性格だった。
無理に引けば後退する。
ルディは人通りの少ない道へ戻した。
マルクが後から聞く。
「今度は何の方法捨てる?」
「捨てない」
「お、珍しい」
「音を見るのは必要だった。ただ人混みへの反応を別に見てなかった」
帳面へ、
『音反応問題なしでも、人が複数方向から近づくと強く緊張。街中用途は人混み確認を別に行う』
と加えた。
それまでなら、
「音で気性を見る方法は使えない」
と捨てたかもしれない。
今は不足していた一項目だけを足す。
次の荷曳き獣では、音と人混みの両方を試した。
少しずつだが、自分の仕事の中へ経験が残り始めた。
◇
初夏になった頃、ルディは父ダイルの家を訪ねた。
郊外の小さな家で、父は庭の一角へ鶏を五羽ほど飼いながら暮らしていた。長時間立つことは難しくなったが、体調そのものは悪くなく、昔より髪と髭に白いものが増えただけで、口調の強さはほとんど変わっていない。
「最近どうだ」
父が聞く。
「普通」
「お前が普通って言う時は、だいたい何かある」
「帳面つけてる」
「売買帳なら昔からあるだろ」
「家畜を見る方」
ルディは腰から小さな帳面を外し、父へ渡した。
ダイルは最初の数頁をめくり、その後は思ったより丁寧に読み始めた。
「細かいな」
「父さんは書かなかったけど」
「俺は頭に入ってたからな」
「俺は抜けるから書く」
以前なら、
『父よりできない』
と自分から認めるようで嫌だった。
今は、その部分を隠しても仕方がないと思えた。
ダイルは頁をめくる。
「セルドの腹の見方も入ってる」
「使える」
「真似したのか」
「一部は。でも大量買いする時ほど優先度高いって分かった」
父が顔を上げる。
「やっと意味分かったか」
「十五年前の説明が悪い」
「お前が『一番目は何、二番目は何』って答えばっかり欲しがったんだろ」
「初心者なら欲しいだろ」
「まあ、それはそうだな」
父があっさり認めたため、ルディの方が少し驚いた。
「父さん、若い時から全部見てたの?」
「そんなわけない」
「初めて聞いた」
「聞かれなかった」
「聞いたよ。何見てるって」
「お前が聞き始めた頃、俺もう二十年以上やってただろ」
ダイルは庭の鶏を眺めながら続けた。
「若い頃は脚ばっかり見てた時期あったぞ。隊商へ家畜送る仕事が多かったからな。脚が丈夫ならいいって思って、歯で何回も外した」
「父さんでも?」
「何だと思ってたんだ」
「最初から分かってる人」
「そんなやついるか」
ルディには、そこが一番意外だった。
「じゃあ、どうやって今の見方になった?」
「人の真似して、外して、残した。農家にも聞いたし、獣医にも聞いた。俺より若いやつのやり方取り入れたこともある」
「父さん、若いやつから習ったの?」
「使えるなら年齢関係ないだろ」
「でも父さんのやり方じゃなくなる」
ダイルが笑った。
「人から一個教わったくらいで、三十年分全部他人になるか」
ルディは黙った。
「お前、人のやり方を使うことと、人の仕事になることを一緒にしてたんじゃないか?」
それは考えたことがなかった。
ダイルは帳面を返す。
「続けろ。俺は頭の中でやってたけど、お前には書いた方が合うかもしれん」
「父さんと違ってもいい?」
「同じ家畜商だから同じ方法でやれなんて、俺は一回も言ってないぞ」
言われてみれば、その通りだった。
ルディが勝手に、
『一人前になるとは、父のようになることだ』
と思っていた。
◇
夏の終わり、再び斑殻豆が市場へ並んだ。
ルディは前年と同じ老婆の店へ行く。
「今年はどう?」
「去年より乾きは揃ってる。ただ北側の畑だけ、雨の後に採ったから少し柔らかいよ」
「大きく分けた方がいい?」
「自分で見な」
以前なら、その答えに苛立った。
今回は袋を開け、掌へ数粒出す。
極端に軽い豆は少ない。
皮の張りも去年より揃っている。
それでも何粒かは少し柔らかい。
「去年ほど細かく分けなくてもよさそう」
ルディが言う。
老婆が笑う。
「それが正解?」
「戻してみないと分からない」
「随分ましな答えになったね」
一袋買い、自宅で試した。
乾きの強そうなものだけを先に水へ入れ、時間をずらして残りを加える。途中で何粒かを取り出して膨らみ方を比べると、今年は予想した通り差が小さかった。
そこで、早い段階で二群を一つへ戻した。
煮る時も硬さを何度か確認し、大きな粒だけ中心が少し硬いと分かると、その粒だけを先に鍋へ戻した。
前年のように、
『最初に分けたのだから、最後まで別にしなければ』
とは思わなかった。
途中で分かったことへ合わせて変える。
肉は家にあった塩漬け肉を使い、黄芋も加えた。乳酪は入れない。
《持ち込み食堂》で食べたものとは違う料理になったが、豆の硬さはほぼ揃い、大きく崩れたものも少なかった。
ルディは一人で食べながら、かなり久しぶりに、
(上手くできた)
と思った。
誰かの方法を完璧に再現したからではない。
今年の豆を自分で触り、水を吸った状態を見て、途中で分け方を変え、その結果として狙った状態に近づけられたからだった。
その経験は、
『たまたま』
とは思わず、家畜用とは別の紙へ簡単に書き残した。
◇
秋の大市が始まる頃、ルディは初めて見習いを一人預かることになった。
十八歳のネイという少年で、近郊農家の三男として育ったため羊や山羊へ触れることには慣れているが、売買の経験はほとんどない。
初日、ネイは一頭の羊を前にして尋ねた。
「最初、どこを見ればいいですか?」
十五年前の自分と同じ質問だった。
ルディは反射的に、
「まず歩き方」
と言いかけた。
しかし途中で止める。
「この羊、何のために買う予定?」
「毛商人へ売るって聞きました」
「なら毛はよく見る。年齢も必要だ。取引場へ入ってくる時の歩き方も普通に見て、変なところがあれば脚を詳しく確認する」
ネイが困った顔をする。
「順番、決まってないんですか?」
「最初は決めてもいい。でも順番だけ覚えると、その順番をやったことで安心する」
「じゃあどうすれば?」
「抜けるなら項目を使え」
ルディは自分の帳面を見せた。
ネイが驚く。
「家畜商って、こういうの書くんですか?」
「書かない人もいる。俺は書く」
「どっちが正しいんです?」
昔のルディなら、
『上手い人の方が正しい』
と答えただろう。
「お前が確認漏れを減らせて、続けられる方を使え。最初は両方試してもいい」
「ルディさんのやり方じゃなくても?」
「いい。俺のも試せ。でも何でそうするかは聞け」
ネイは帳面を受け取った。
その日から、ルディは教える時にも、
「脚を見ろ」
だけでは終わらせず、
「遠くまで歩かせる個体なら脚の異常が使い道へ響くから、早めに詳しく見る」
と理由まで話すようにした。
歯を見る時も、
「年齢を知るため」
で終わらず、
「繁殖用、長期飼育、餌の取り方まで値付けへ関わる」
と説明する。
話しているうちに、自分自身の理解も整理された。
◇
大市の三日目、ネイが若い羊を一頭見ていた。
「毛はきれいです。皮膚も問題ないと思います」
「年齢は?」
「歯から二歳くらい」
「歩かせた?」
「普通でした」
ルディも少し離れたところから羊を見る。
歩き方は悪くない。
ただ、人が横を通るたびに耳が細かく動き、頭を上げる。
「ネイ、横から近づいてみろ」
少年がゆっくり手を出す。
羊が一歩大きく身を引いた。
「臆病ですか?」
「人への反応は強いかもしれない。もう一回、前から触ってみろ」
正面からなら、少し警戒しながらも逃げない。
「これ、駄目ですか?」
「何に使うかによる」
「毛用なら?」
「近場の農家で飼うなら、大きな問題じゃないかもしれない。遠くまで市場を移動させるなら、扱いにくさは値段へ入る」
ネイが帳面へ、
『耳をよく見る』
と書こうとした。
ルディが止める。
「耳が動いた羊は全部悪い、って覚えるな」
「でも今、耳で気づきました」
「耳はきっかけ。確認したかったのは、人へどう反応するかだ」
ネイは一度書いた文字を消し、
『周囲への警戒強い時、人への反応確認』
と書き直した。
ルディはそれを見て、十五年前に自分へ同じ説明をしてくれる人がいればよかったのにと思った。
すぐ、
(父さんは似たこと言ってたな)
とも思う。
ただ、父は自分が理解できる形へ言葉を崩すのが上手くなかった。
だから今度は、自分がネイへ伝わる形へ変えて渡せばよい。
父と同じ教え方をする必要もなかった。
◇
大市が終わった翌日、ルディは今年の斑殻豆を一袋持ち、《持ち込み食堂》を再び訪れた。
ミレイアが顔を見る。
「家畜商の……」
「ルディ」
「そう、ルディさん。また斑殻豆ですね」
「今年のやつ」
悠斗が袋を開け、何粒かを確認する。
「去年より揃ってますね」
「俺もそう見えた」
その言葉を自分で言えたことが、少し嬉しかった。
「今日はどうしましょう?」
悠斗が尋ねる。
ルディは豆を見ながら答えた。
「去年みたいに最初は差を見て分けたい。でも今年は差が小さいから、水を吸わせた後で揃ってるなら早めに一緒にしていいと思う」
「分かりました」
「家でも一回やった」
「どうでした?」
「ちゃんと食えた。去年よりは揃った」
「なら、そのやり方も参考にしましょう」
悠斗は今年の豆を大きく二群へ分けて戻したものの、途中で差が小さいと判断すると早い段階で一つへまとめた。今回は乳酪を使わず、細切りの燻製肉と茸を合わせ、根玉葱の甘味を煮汁へ出す。
前回とまったく同じではない。
しかし前回の経験は消えていない。
水を吸う速度を見る。
硬さの差を確認する。
必要なら投入時刻をずらす。
その考え方だけが残り、今年の豆へ合わせて使われている。
「前と違うんだな」
ルディが言う。
「豆が違うので」
「前にやったこと、無駄じゃない?」
「前を知らなかったら、今年が揃ってることにも気づきにくかったと思います」
その答えは、今のルディにはよく分かった。
家畜も同じだった。
前回外したことがあるから、次は見る。
別の人から方法を聞いたら試す。
それが使えたなら残す。
使えなかった部分だけ変える。
過去の方法と新しい方法は、どちらか一方しか持てないものではなかった。
◇
数日後、取引場でネイから相談された。
「セルドさんに、『山羊は腹から見ろ』って教えてもらいました」
「言うだろうな」
「ルディさんは歩き方を先に見ること多いですよね。どっちにした方がいいですか?」
少し前のルディなら、自分とセルドのどちらが上手いかを考えただろう。
「セルドさんが何で腹から見るか聞いた?」
「群れで大量に仕入れる時、餌食い悪い山羊を早く拾えるからって」
「じゃあそれごと覚えろ」
「腹から見るってこと?」
「大量に見る時には、早めに腹を確認するのが使いやすいってこと。俺みたいに一頭ずつ見られるなら、歩いて入ってきた時の違和感を拾ってからでも間に合う」
「どっちでもいいんですか?」
「目的が同じなら、自分が漏らしにくい方でもいい。ただ、必要な確認は最後までしろ」
「ルディさんの方法を使わなくても?」
「使ってもいいし、合わなかったら変えていい。その代わり、何が合わなかったか覚えろ」
ネイは頷いた。
その日の終わり、ルディは自分の帳面へ家畜の記録とは別に、
『教える時は手順だけでなく、何を見るための方法かも伝える』
と書いた。
誰かから聞いた知識。
自分で外した経験。
父からもらった言葉。
《持ち込み食堂》で見た豆の扱い。
そういうものが少しずつ混ざり、自分なりの教え方へ変わり始めていた。
◇
冬へ入る直前、ルディは仕事を終えた後も少しだけ取引場へ残り、柵へ背を預けながら帳面を見返していた。
最初の頁には、
『見る順番ではなく、気づいたことと確認した理由を書く』
という自分の文字が残っている。
そこから何十頁も増えた。
歩き方。
蹄。
歯。
毛。
腹。
目や耳。
人混みへの反応。
餌の内容。
子離し直後かどうか。
売り手が急いでいる理由。
買い手が遠方へ運ぶのか、近場で飼うのか。
どれも自分だけで生み出した知識ではない。
父から教わったことがある。
セルドから聞いたことがある。
マルクに指摘されたことがある。
農家が教えてくれたこともある。
自分で金を損して覚えたこともあった。
それでも、それらを自分の仕事の中で使い、結果を見て、必要な形へ変えて残してきた以上、
「誰かの方法を使っているから、自分には何もない」
とは思わなくなっていた。
取引場の端では、ネイが一頭の羊を歩かせている。
しばらく見た後、少年がこちらへ来た。
「右後脚、少し歩幅が狭い気がします」
ルディはすぐ答えを言わなかった。
「じゃあ何を見る?」
「蹄と関節。売り手にも、前からか今日だけか聞きます」
「やってみろ」
「一緒に見てもらえます?」
「最初はお前が見ろ。その後で俺も確認する」
ネイは羊のところへ戻り、脚へ無理な力を掛けないよう身体を支えながら、蹄から関節まで順に確かめた。しばらくして蹄の外側に小さな欠けを見つけると、今度は羊を数歩歩かせ、欠けた側を地面へ置く時の反応まで見てからルディを呼んだ。
「蹄の外側が欠けてます。これが原因だと思うんですけど、断定はできません」
ルディも同じ場所を確認した。
「いい。売り手にいつからか聞いて、今日は無理に長く歩かせない。腫れが出てないかも見よう」
「買わない方がいいです?」
「そこまで見てから決める」
ネイが頷き、売り手のところへ向かう。
ルディは後ろからついていった。
以前なら、自分より上手く見える人の方法へ出会うたび、それまで使ってきた方法を丸ごと捨て、新しい正解へ取り替えようとしていた。
今は違う。
人から習ったら、まず理由を聞く。
自分の仕事で試す。
合えば残す。
一部だけ使えるなら、その一部だけ残す。
失敗したからといって、それまで積んだものを全部捨てない。
そして必要なら、昨日まで自分が正しいと思っていた方法も途中で変える。
それは、誰の真似もせず一人で仕事を作るという意味ではなかった。
誰かから受け取ったものを、自分の目で確かめ、自分の仕事の中へ置き直していくということだった。
父ダイルもきっと、そうやって三十年分の判断を作った。
ルディはようやく、自分が父と同じ場所から始める必要はなく、父が辿ったのと同じように、今日見えたものを昨日までの経験へ少しずつ足していけばよいのだと分かっていた。
ネイが売り手から事情を聞き終え、羊の方へ戻っていく。
ルディもその後を追った。
今度の一頭をどう見るかについて、最初から完璧な答えは持っていない。
それでも十五年間に見てきたものと、ここ数月で残してきた記録を使いながら、目の前の羊が次の一歩をどう踏み出すのかを見ればよい。
その判断を誰かのやり方へ丸ごと預けることなく、ルディはネイと並んで柵の中へ入り、もう一度ゆっくり羊を歩かせた。
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