第9話 第二聖女の独白、理外の存在について
夕陽が、聖サーヴァント学園の女子寮を赤銅色に染め上げていた。
廊下には西日が長く伸び、一日の終わりを告げる静寂が満ちている。
カトレア・ルミナスは、自室の扉の前で立ち止まった。
第二聖女としての仮面を剥ぎ取る、微かな躊躇。
小さく息を吸い込み、意を決して鍵を開ける。
カチリ。
扉が閉まり、再び鍵がかかる音が、静かな部屋にやけに大きく響いた。
カチリ。
……数秒の沈黙。
窓の外で風に揺れる木々のざわめきだけが、微かに聞こえる。
「…………はぁぁぁぁぁ……」
深く、底の方から絞り出すようなため息が、部屋の空気に溶けた。
カトレアはそのまま、吸い寄せられるようにベッドへと倒れ込む。
柔らかなシーツが、緊張に凝り固まった身体を受け止めた。
天井を見上げる。
視界の端で、夕日の光がカーテン越しに揺れている。
「……なに、あれ」
ぽつり。
誰に聞かせるでもない、独り言。
腕で目元を覆い、強引に思考を鎮めようとする。
(落ち着きなさい、カトレア・ルミナス。貴女は第二聖女。常に冷静沈黙であり、理を観測する存在のはずでしょう)
一呼吸。
……けれど。
「……無理よ」
小さく、しかしはっきりと、自分自身を否定した。
ごろり、と横を向く。
(まず、現状を整理しましょう)
指を一本、ゆっくりと立てる。
「一つ。……意味の分からない建物(魔女の城)」
指を折る。
「二つ。……魔王」
折る。
「三つ。……魔女」
折る。
「四つ。……その全てを『お隣さん』の一言で済ませる、あの少女」
沈黙。
カーテンが、ふわりと風に揺れた。
「……おかしいでしょう」
真顔で呟いた。
(どこから突っ込めばいいのよ、一体)
しばらく、思考が完全に停止する。
やがて、重い腰を上げてゆっくりと起き上がった。
「……いいわ」
小さく呟く。
「一つずつ、冷静に考える」
腕を組む。その仕草は、いつもの彼女の分析モードのそれだった。
「まず、魔王」
一拍。
「存在していいわけがない。……即座に排除すべき対象」
即答。
「なのに、いた。普通に、そこに」
沈黙。
窓の外で、鳥が一羽、所在なげに鳴いた。
「……しかも余計なことに、私、普通に会話したわね。魔王と」
額に手を当てる。
(何をしているの、私は。聖女としての矜持はどこへ行ったの)
「次に、魔女」
少し間を置く。
「……あれは、百歩譲って納得できる範囲。強力な魔術師。……まぁ、世の中にはいるでしょう」
小さく頷く。
一拍。
視線が、わずかに揺れる。
「でも、あの子の家の隣に、一瞬?で城を建てたわよね?」
沈黙。
「……やっぱりおかしいわ。物理法則が仕事をしていない」
即座に前言を撤回した。
「そして、問題は――」
言葉が止まる。
視線が、わずかに柔らぐ。
「……あの子よ」
セラフィナイト。
その名前を思い浮かべた瞬間――
ほんの一瞬だけ、心がほどけるような、とてつもなく甘やかな感覚。
「……」
すぐに目を細める。
「違う。流されてる場合じゃないわ、カトレア」
小さく首を振る。
(あの圧倒的な魔力。あの清らかな空気。……そして、あの『当たり前』のような顔)
思い出す。
「大切なお隣さんですの」
「……ダメ、でしょうか?」
「…………っ」
一瞬で、思考が乱れる。
頬に、わずかな熱。
「ち、違う! 勘違いしないで!」
思わず声に出た。
静かな部屋に、その声がやけに響く。
「可愛いとかそういう問題じゃないのよ、カトレア・ルミナス!」
ベッドを叩く。シーツが、彼女の動揺に合わせて大きく揺れた。
「私は聖女! 理を観測する側! 感情に流されてどうするの!」
肩で息をする。
沈黙。
風が、カーテンを優しく揺らす。
そして――
ぽつり。
「……でも」
視線が落ちる。
「あれは、ずるいでしょう……。あんな風に言われたら……」
小さな、本音。
すぐに顔を上げる。
「いえ、違うわね。切り替えるわよ」
軽く頭を振る。
(あの子は危険。理由は不明だが、確実にこの世界の『何か』が違う。……理の外にいる)
指先を顎に当てる。
「魔王と魔女が、あの子を中心に動いている。……ありえない構図」
一拍。
「従わせる側(魔王)と、従う側(人間)が、完全に逆転している。……本人にその自覚がないままに」
ここが一番の問題。
「無意識であれをやっている……? ……だとしたら」
背筋に、ぞくりとした寒気が走る。
「……何者なの、貴女は」
静かな問い。
答えは出ない。ただ、部屋の沈黙だけが返ってくる。
やがて。
ゆっくりと息を吐き出した。
「……決めたわ」
立ち上がる。
西日の光が、彼女の蜂蜜色の髪を淡く染める。
「観察する。……徹底的に」
一歩、前へ。
「聖女として。この国のために」
言い切る。
――そして。
ほんの少しだけ、間を置いて。
視線を逸らす。
小さく。本当に、誰も聞こえないほど小さく。
「……あと、ほんの少しだけ。……気になるから」
そう付け加えた。
その夜。
ベッドに入り、布団を被りながら――
もう一度だけ思い出す。
あの、屈託のない笑顔。
「賑やかが一番ですわね」
沈黙。
布団の中で、ぽつり。
「……本当に、調子狂うわ」
窓の外では、夜風が静かに流れていた。
第二聖女カトレアは――
その日、初めて。
自身の手には負えない、理外の存在に対して、
ほんの少しだけ、
楽しさを感じていた。
カトレア負けるな!




