第2話 魔王、お隣さんになる
翌朝。
セラフィナイト16歳。
鏡の前で身支度を整える。
魔法のかかった櫛でとき、金髪から銀髪へと…。
『聖サーヴァント学園』
初めての学園へと向かっていた。
今日から転入生として迎えられる。
彼女の計画では、初めだけは物珍しさを覚悟。後に教室の隅で石像のように静かに過ごすモブになる算段だった。
(完璧です。昨日も誰にも見られず、全世帯にお祈りを完遂しました。これで今日の町の結界も万全。私はただの、影の薄い転校生として……)
だが、学園の正門をくぐった瞬間、彼女は異変に気づく。
「いたぞ! あの銀髪の少女だ!」
「昨夜、彼女が通った後の道に、見たこともない聖花が咲き乱れていたらしい!」
……おかしい。
セラフィナイトの背筋に冷たい汗が流れる。
なぜか、生徒たちの視線が痛いほど自分に集まっている。しかも、皆一様に、救世主でも見るような熱い眼差しで。
その時
「道を空けろ!!」
地響きのような声と共に、人だかりが割れた。
現れたのは、昨夜のボロ屋敷にいたはずの男。
漆黒の外套を羽織り、隈の消えた爛々と輝く瞳を持つ、圧倒的なオーラを放つ巨漢だ。
(……あら? あの方は、昨夜のお隣の寝不足さん?)
セラフィナイトが首を傾げる。
魔王ヴォルガドは、全校生徒の前で、彼女の前に跪いた。
「貴様……昨夜、余に何をした」
「えっ……と、普通のご挨拶ですが……?」
「黙れ! 余の数千年の呪いを一撃で葬り去り、あまつさえ余の心を完膚なきまでに浄化しおって……! 貴様のような底知れぬ力を持つ者を、放っておけるはずがない!」
魔王は彼女の手を掴み、高らかに宣言した。
「よく聞け、聖女。余は今夜から、貴様の家で直接監視する。逃げ場などないと思え!
正体を暴き、その徳とやらを食らい尽くしてやる。恐怖に慄くがいい、クハハハハ!」
「……えぇっ!?」
セラフは家が少し散らかっていることを悔やんでいた。
彼女、何かズレている。
目立たないことに命をかけてきた彼女の「モブ生活」は、その日、魔王という名の最強の目印を立てられたことで、呆気なく幕を閉じたのである。
漆黒のマントを翻して去っていく魔王の背中を見送りながら、セラフィナイトはそっと頬に手を当てた。
「あら……。お泊まりの予行演習かしら? 賑やかになりそうですわね。部屋片付けないとですわ」
そして夕刻。
「あら、お待たせしてしまいました。プリンの甘い香りにつられてしまいましたわ」
セラフはそっと魔王に見せた。
そこには宣言通り、ボロ屋敷からの引越し荷物を背負ったヴォルガドが立っていた。
彼はドヤ顔で玄関の一歩を踏み出す。
――ズボォッ!!
鈍い衝撃音と共に、ヴォルガドの顔面が何もない空間で激しくひしゃげた。
そこには透明でありながら鋼鉄よりも強固な「聖域の結界」が厳然として存在していたのだ。鼻血をこらえながら、ヴォルガドは絶叫する。
「ぬぐっ……!? な、なんだ、この障壁は……! 貴様、余を家に入れぬつもりか!?」
「あら? ヴォルガドさん、どうなさいましたの? 玄関なら、そちらに開いておりますわよ」
セラフィナイトは不思議そうに首を傾げると、その結界をすんなりと通り抜け、家の中から彼を見つめる。
ヴォルガドはそれから数時間、持てる全ての暗黒魔術を叩き込んだが、その全ては「ハートマーク」や「小鳥のさえずり」へと浄化され、結界は微動だにしなかった。
夜の帳が下り、満身創痍で地面に膝をつく魔王を見かねて、セラフィナイトが窓から身を乗り出した。
「ヴォルガドさん。そんなに我が家を気に入ってくださったのなら、お庭にテントでも建ててはいかがかしら? キャンプみたいで、きっと楽しいですわよ」
「な……っ、余に……魔界を統べるこの余に、庭先で野宿をしろというのか……!?」
「ええ、とっても素敵だと思いますわ。あ、ちょうど良い布がそこにありますし」
彼女の提案は、もはや拒絶できない聖なる啓示のようだった。
ヴォルガドは呪詛を吐き散らしながらも、引越し荷物の中から「魔界産の最高級ドラゴンの皮(に、なぜかレースの刺繍がついたもの)」を取り出し、慣れない手つきで設営を始めた。
「おのれ……なぜ余が、こんな苦労を……! この紐はどこに結ぶのだ! 呪いか、これは新たな呪いなのか!?」
数時間後。
ようやく完成したのは、不気味な棘がありつつも、どこか彼女の徳に当てられて可愛らしく整ってしまった「少し豪華な黒いテント」だった。
一日中の魔力消費と慣れない肉体労働で限界を迎えた魔王は、いつの間にか足元に用意されていた「桃色のウサギさんスリッパ」を律儀に履いたまま、テントに潜り込む。
「ふん……。今日はこのくらいにしてやる……。明日こそは、貴様を……」
最後まで言い切る前に、テントからは幸せそうな寝息が漏れ始めた。
「ふふっ。お疲れのようですわね。ゆっくりおやすみください、お隣さん。これ召し上がれ」
ガラスに入ったプリンを上質な紙で包み、テントへと忍ばせるのだった。
セラフィナイトの優しい囁きが、静かな夜の帳に溶けていった。
彼女は何者?




