第16話 放課後の火花と、至高のひとつのお誘い
放課後の聖サーヴァント学園。
黄昏時の廊下には、窓から差し込む琥珀色の光が、長い影を落としていた。
本来ならば、生徒たちが部活動や談笑に励む穏やかな時間。
しかし、中庭に面した一角だけは、大気が物理的な重圧を伴って軋んでいた。
そこに揃ったのは、およそ学園という枠組みには収まりきらない三つの影。
漆黒の覇気を纏った巨漢・ヴォルガド。
夜の帳を織りなしたようなローブに身を包む魔女・モルディナ。
そして、神の加護を体現したかのような凛々しき第二聖女・カトレア。
静かな沈黙――。
だがそれは、互いの出方を伺う剣客同士の合間に似た、極限の緊張状態だった。
「……で。いい加減に白状したらどうかしら?
なんで貴女が当然のように、この『お隣さん会議』に混ざっているの?
暇なの? 聖女様は」
モルディナの冷ややかな一言だった。
扇子を弄ぶかのような優雅な仕草で、じとりとした湿り気を帯びた視線をカトレアへ向ける。
カトレアは一切動じず、腕を組み、不敵に鼻で笑った。
「不愉快な問いね。私はこの学園の特別講師よ。
放課後に校内を巡回するのは当然の職務でしょう」
「へぇ。風紀、ねぇ。貴女が言うと随分と高潔に聞こえるけれど。
……仮にも、聖女なんでしょ? 王都の聖堂で祈りを捧げていればいいじゃない」
ぴくり、とカトレアの眉が跳ねた。
「……今、『仮にも』と言ったかしら。訂正しなさい。
私は正真正銘、この国の信仰の要よ」
「あら、ごめんなさい。じゃあ訂正してあげるわ。
『聖女兼・しがみつき講師』さん。これで満足?」
「その言い方、雑すぎる上に明らかにトゲがあるわよ!
誰がしがみついているっていうのよ!」
激昂し、一歩前へ出るカトレア。
その剣幕に、モルディナは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、さらに追い打ちをかける。
「認めなさいな。貴女、聖女としての義務だの候補生の見守りだの、もっともらしい理屈を並べているけれど。
……本当はただ、あの子のそばにいたいだけじゃないの?」
「――なっ……!」
カトレアの言葉が詰まった。
正論という名の矢が、聖女の防壁を真っ直ぐに貫いたのだ。
その光景を、柱に背を預けて眺めていたヴォルガドが、深く、重厚な地鳴りのような声で頷いた。
「左様。認めよ、カトレア。貴様は実に分かりやすい」
「ちょっと!? 貴方までそっちに加勢しないでよ!」
完全に包囲され、頬を朱に染めるカトレア。
モルディナは満足そうに肩をすくめた。
「ほらね。聖女も魔王も、結局はあの子の引力に抗えない『ファン』の一人ってわけ。……見苦しいわね」
「貴女にだけは言われたくないわよ!
さっきから何よその扇子。何で『セラフちゃん❤︎』って書いてあるのよ⁈」
「……これは研究用よ」
三者三様の、言い訳にもならない罵り合い。
学園最強の三人が、一人の少女の「お隣」という特権を巡って、醜くも熱い火花を散らしていた、その時――。
「みなさま!」
ぱっと、淀んでいた空気が一瞬で浄化された。
廊下の向こうから、白銀の髪を揺らしながらセラフィナイトが駆け寄ってきたのだ。
その表情は、春の陽だまりのように明るく、一点の曇りもない。
「実は明日の放課後、わたくしのお部屋でお茶会を開こうかと思うのです!」
三人の視線が、獲物を狙う猛禽類のごとき鋭さで、一斉にセラフィナイトへと集まる。
「クラスメイトの方をお誘いしたくて。
……とてもかわいくて、素敵な子なんですの。ぜひ皆様にもご紹介したくて!」
にこり。
世界を祝福するようなその微笑みに、全員が言葉を失った。
「……セラフちゃん。当然行くわ。魔法が枯渇しても死んでも行くわ」
最初に正気を取り戻したのは、やはりモルディナだった。
即答である。
「余は当然だが。むしろ余がその茶会の警備を担当してもよい」
ヴォルガドも重々しく頷く。
そして、カトレアは内心の喜びを必死に隠し、ツンとあごを引いて腕を組んだ。
「……ふん。まぁ、そこまで言うなら仕方ないわね。付き合ってあげるわ。
聖女が同席すれば、その茶会の格式も上がるでしょうし?」
ぴくり。
モルディナの眉間が険しくなる。
「……なんで貴女はそう、一言余計なのよ。上から目線で誘いを受けるなんて、百年早いわ」
「別に上からじゃ――」
「セラフちゃんが主催なのよ?
当然私にお願いしないと、貴女だけ結界の中に入れてあげないわよ?」
「何ですって!? そんな権限、貴女にあるわけないでしょ!
適当にいい加減なことを――!」
「カトレアさん、モルディナさん」
にこにこしながら、すっと争いの中心に割って入る、綿菓子のようにやわらかな声。
一触即発だった二人の動きが、魔法にかけられたように止まる。
セラフィナイトは、その二人を慈しむように見つめ、くすりと微笑んだ。
「ふふ。いつも本当に仲良しですわね。そんなやり取りを見ていると嬉しくなりますわ」
沈黙。
「仲良し」というパワーワードの前に、毒気を完全に抜かれる二人。
セラフィナイトにそう言われると言い合いもバカらしくなる。
「……え、ええ。そうね。少し大人げなかったわ」
「そうよ、とても仲良しよ」
冷や汗を流しながら肯定する二人に、セラフィナイトは両手を合わせて満足げに頷いた。
「では、明日。そのクラスメイトの方をお誘いしてまいりますので、皆様、予定を空けておいてくださいね。
わたくし、張り切って美味しいお菓子を準備いたしますわ!
そうだ、ブレンダさんのパンも買って帰りましょう」
にこり。
そして彼女は、その場に留まる理由がないとばかりに、軽やかにスキップを始めた。
「るん、るん、るんっ♪」
見えない音符を振り撒きながら、廊下を駆けていく。
……と。
「あっ」
ぴたりと止まる。
くるり、と振り返るセラフィナイト。
「お先に失礼しますわ! 皆様、素敵な放課後を!」
最後にもう一度、太陽のような笑顔を振り撒いて。
今度こそ彼女は、角を曲がって去っていった。
静寂。
後に残されたのは、魂を抜かれたかのような魔女と聖女。
そして、ニヤリとする魔王だった。
「…………」
「…………」
長い沈黙の後。
「……もうダメ。尊すぎて無理。
今の振り返り見たわよね? 心臓に悪すぎるわ。……気絶しそう」
モルディナが片手で額を押さえ、フラフラと壁に手をつく。
「貴女、いつも大袈裟なのよ……。
でも、確かに今の『にこっ』は、聖典に記述すべきレベルの神聖さだったわ。ヤバかったわ」
カトレアが呆れたように言いながらも、その頬は緩みっぱなしだ。
「仕方ないでしょ。……あの子の笑顔がガチャなら、間違いなく廃課金するわ。
天井叩いてでも、今の表情を永久保存するわよ」
モルディナが小さく、重い溜息を吐く。
その横で、ヴォルガドが腕を組んだまま、地平線の彼方を見るような遠い目で呟いた。
「確かに…………あれは、反則といえるだろう」
暗黒の時代を支配した魔王の言葉に、反論する者は誰もいなかった。
ただ、夕暮れの校舎に。
彼女の残した甘い「徳」の残り香だけが、静かに漂っていた。




