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徳を積みすぎたモブ願望の元聖女。 朝の挨拶で魔王が安眠し、なぜかお隣さんになりました!  作者: 黒武者


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第15話 町にフィットした勇者

 沈黙。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 帰れない勇者と、いつも通りの世界。

 その温度差だけが、中庭に残っている。


 ――そして。


「あの…」


 セラフィナイトが、小さく首をかしげた。


 その一言で、空気が少しだけ動く。

 彼女は、困ったように微笑んだ。


「お帰りになれないのですか?」


 勇者は、がくりと肩を落としたまま頷く。


「……はい」

「その……転移、できなくて……」


 弱々しい声。

 ついさっきまでの威勢は、どこにもない。


 セラフは少しだけ考えて――

 ぽん、と手を合わせた。


「でしたら」


 やわらかな笑顔。


「元の世界にお戻りになるまで、こちらで過ごされてはいかがでしょう?」


 勇者が顔を上げる。


「……え?」


 セラフは、にこりと続けた。


「ちょうど、町に素敵なパン屋さんがございますの」

「朝もとても早くて、働き者の方を募集していたはずですわ」


 モルディナが、くすっと笑う。


「戦闘職から一気に生活職ね」


 カトレアも小さく頷く。


「まあ、今の貴方にはその方が現実的でしょう」


 勇者、ちょっとだけ遠い目。


「……パン屋……」


 セラフはさらに続けた。


「それから、教会にもお話ししてみますわ」

「しばらく寝泊まりできるように、お願いしてみますね」


 さらっと言う。

 だが内容は重い。


 勇者、完全に固まる。


「……え」

「そこまで……?」


 セラフは不思議そうに首をかしげた。


「まぁ?」

「困っている方をお助けするのは、当然のことですもの」


 にこり。

 その笑顔は、あまりにも自然だった。


 沈黙。


 勇者の喉が、小さく鳴る。


「……なんで」


 ぽつり。


「なんで、そんなに……」


 セラフは、少しだけ考えて――


「皆様が、今日も穏やかに過ごせますように」


 それだけを、静かに言った。


 答えになっていないようで、

 一番深い答えだった。


 勇者は、ゆっくりと頭を下げる。


「……ありがとうございます」


 今度は、ちゃんとした声だった。


 モルディナが横でぼそり。


「完全に更生したわね」


 カトレアも小さく息を吐く。


「ええ。むしろ最初よりまともになっているわ」


 ヴォルガドが腕を組んだまま言う。


「勇者とは、かくも軟弱なものだったか」


 一拍。


「……いや」


 少しだけ、口元を歪める。


「これはこれで、悪くないな」


 勇者は、びくっと背筋を伸ばす。


(この人、まだ怖い)


 心の中だけで呟いた。


 セラフは、ぱっと明るくなる。


「では、決まりですわね!」

「明日の朝、一緒にパン屋さんへ参りましょう!」


 勇者は、こくこくと何度も頷いた。


 ――その日から。


 元・最強勇者は、

 町で一番忙しいパン屋で、

 朝一番に粉まみれになることになる。


 そして。


 誰よりも真面目に働き、

 誰よりも丁寧に「おはようございます」と言うようになった。


 ……ただ一人。

 絶対に逆らえない存在ができたまま。


 セラフィナイト・ゴールドステイン。


 彼女にだけは――

 最後まで、頭が上がらなかった。(何よりかわいすぎる)


 翌朝。


 町の空気は、いつも通り穏やかだった。


 だが一人だけ――

 明らかに“いつも通りではない”男がいた。


「……」


 パン屋の前。


 ぎこちなく立っているのは、あの元勇者である。


 昨日。

 すべてを失った男。


 レベル。

 スキル。

 システム。

 そして帰る手段。


 全部、ない。


「……はぁ」


 深いため息。


 だが。


「おはようございます」


 後ろから、やわらかい声。


 振り向く。


 セラフィナイトが、いつも通りにこりと微笑んでいた。


 ぺこり、と一礼。

 空気が、整う。


「き、来た……」


 元勇者、思わず頬を赤らめ背筋を伸ばす。


(今日もかわいい。頭が上がらん……)


 完全に刻み込まれていた。


「本日から、こちらでお世話になるのですよね?」


「は、はい!よろしくお願いします!」


 勢いよく頭を下げる。


 その様子を見て、店の奥から声が飛んだ。


「おやおや、ずいぶん素直な子じゃないかい」


 パン屋の店主、ブレンダが顔を出す。


「昨日の話は聞いてるよ。住むところも決まってないんだってねぇ」


「うっ……」


 元勇者、少しだけ目を逸らす。


 そこに。


「教会の方にもお話はしてありますわ」


 セラフが続けた。


「しばらくは、そちらで寝泊まりできるよう快く受け入れていただきましたわ。」


 元勇者、固まる。


「……え?」


「ですので」


 にこり。


「安心して、お仕事なさってくださいね」


 沈黙。


 そして。


「……神か幻か?」


 ぽつり。

 心の声が漏れた。


 セラフは首をかしげる。


「まぁ?」


 理解していない。


 だが元勇者はもう限界だった。


「ありがとうございます!!」


 深々と頭を下げる。

 九十度。


 もはや崇拝である。


 ブレンダがくすっと笑う。


「いいねぇ、その素直さ。じゃあ早速――」


 パンをひとつ、ぽいっと投げる。


「食べな。働く前に腹ごしらえだ」


 元勇者、慌てて受け取る。


「い、いただきます!」


 一口。

 かじる。


「……っ!?」


 止まる。

 目が見開かれる。


「うま……っ」


 思わず呟く。


「なんだこれ……めちゃくちゃうまい……」


 セラフが嬉しそうに微笑む。


「ブレンダさんのパンは、とても美味しいのですよ」


 元勇者、こくこくと頷く。


「これなら……いけるかもしれん……」


「何がだい?」


「……人生」


 ぼそり。


 ブレンダ、吹き出す。


「大げさだねぇ!」


 笑い声。

 空気が、少しだけ軽くなる。


「よし、じゃあまずは店内の掃除ね」


「はい!」


 元勇者、即答。

 動き出す。


 ぎこちない手つき。

 慣れない作業。


 だが――


「……」


 ふと、手を止める。


(なんだろうな)

(昨日まで、最強だったのに)


 一瞬だけ、考える。


 だが。


「――おはようございます」


 隣で、セラフが挨拶をした。

 店に入ってきた客へ。


 ぺこり、と。


 その瞬間。


 空気が、やわらかくなる。

 パンの香りが、ふわりと広がる。


 元勇者は、少しだけ目を細めた。


「……まぁ、いいか」


 ぽつり。


 もう一度、ガラスを磨く。

 今度は、少しだけ自然に。


「よし」


 小さく呟く。


「今日からバイトだ」


 その顔には――


 昨日より、少しだけ“人間らしい”笑みが浮かんでいた。

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