第10話 魔女モルディナと、導き出された「真理」
朝の授業。
聖サーヴァント学園の教室は、開校以来の密やかな熱気に包まれていた。
「魔女、アストレア様が教壇に立つなんて……」
「魔導理論の生ける伝説だろ? かなり厳しい人らしいが……」
窓際の席。
セラフィナイトは、使い込まれたノートを静かに閉じた。
「新しい先生、楽しみですわね。どんな素敵な教えを授けてくださるのかしら」
隣で腕を組んでいたカトレアが、真剣な面持ちで頷く。
「有名な方よ。……モルディナ・アストレア。その名は、全魔導士の憧憬よ」
セラフィナイトは、宝石のような瞳を輝かせた。
「まぁ。アストレア様……夜空の星のような、とても美しいお名前ですわ」
――その時。
漆黒のローブを翻し、魔女モルディナが悠然と教壇に立った。
一度だけ教室内を見渡し、その鋭い視線が窓際の銀髪の少女を捉えて止まる。
(……いたわね。昨日、あれだけ私を振り回しておいて、なんて涼しい顔をしてるのかしら)
一拍。
モルディナは鉄の理性を総動員し、冷徹な教師の仮面を被った。
「初めまして。本日より魔導理論を担当する、モルディナ・アストレアです。早速ですが、皆さんの実力を見せてもらいましょうか」
彼女はチョークを手に取り、黒板へと向かった。
流れるような動作で書き込まれていく、一見すれば完璧に見える「高次魔導循環式」。
だが、その深層には、彼女が意図的に仕組んだ「致命的な陥穽」が隠されていた。
「さて。この理論式には、ある一箇所だけ致命的な誤りがあります。……誰か、指摘できる者はいるかしら?」
静まり返る教室。
モルディナは冷ややかな笑みを浮かべ、次々と生徒を指名していく。
「貴方」
「え、ええと……魔力効率の計算が……」
「表面的な数値ね。次、貴方」
「安定化補助式の第3項が……」
「惜しいわね。半分正解。……次、そこの貴方」
指名されたエリート生徒たちが、冷や汗を流しながら沈黙に沈んでいく。
モルディナは内心、冷徹に分析していた。
(……やはり、このレベルの学生には無理かしらね。この式は、理を根本から理解していなければ解けない「テスト」だもの)
そして、彼女の視線が最後に、本命の少女を射抜いた。
「――セラフィナイトさん。貴女はどう思うかしら?」
教室中の視線が集中する。
セラフィナイトはびくっと肩を震わせ、おろおろと立ち上がった。
「は、はいっ!? ええと……わたくしのような知識の浅い者が……目立ってしまいますわ……」
「構わないわ。貴女が感じたままを言いなさい」
セラフィナイトは困惑しながらも、黒板の数式を見つめた。
「その……少しだけ、違和感がございますの。……ええと」
「続けて」
「途中で……魔力の流れが、ほんの少しだけ『寂しがっている』ように見えますわ。……因果が逆になって、お互いに背を向けてしまっているような……」
教室内から失笑が漏れる。
だが、モルディナの瞳だけが鋭く見開かれた。
「……書いてみなさい」
セラフィナイトはおそるおそる教壇へ進み、震える手でチョークを握った。
彼女がさらさらと書き換えたのは、ほんの数行の補足式だった。
だが、その瞬間。
黒板上の冷徹な理論が、まるで命を吹き込まれたかのように、光り輝く「真理」へと昇華された。
(……!! 私が用意した『正解』の、さらに上を行く美しさ……。補助理論を通さず、本質を直接結びつけたの!?)
モルディナは内心、震えるような衝撃を覚えていた。
(さすがね。私の意図を読み取ったどころか、理論そのものを完成させてしまうなんて……。末恐ろしい子だわ)
セラフィナイトは、申し訳なさそうに振り返った。
「……この程度しか、わたくしには分かりませんでしたわ。間違っていたら、お叱りくださいませ」
静寂。
窓の外から「始まっただけだ」というヴォルガドの低い声が響くが、今のモルディナには聞こえない。
「……完全に、正しいわ。お見事ね、セラフィナイトさん」
教室が、爆発的な騒音に包まれた。
モルディナは、小さくため息を吐きながらも、満足げに微笑んだ。
(ああ……ダメね。この子を試そうなんて、私が甘かったわ)
――――――――――
授業後の夕暮れ。中庭。
モルディナは手元のノートに、今日の記録を刻んでいた。
《セラフィナイト:魔導的感性。理論を超越した『直感』。……要警戒。同時に、非常に興味深い》
「余と同じことをしているな。分析しても無駄だぞ」
背後から覗き込む魔王。
「研究よ。……私のテストを、あんな鮮やかに解き明かすなんてね」
その時、セラフィナイトがパンの袋を手に歩み寄ってきた。
「モルディナ様。お疲れではございませんか? お口に合うか分かりませんが、こちらをどうぞ」
そして、にこりと。
「おはようございます(午後ですが)」
その瞬間。
モルディナの持っていたノートが、祝福の光を帯びて金色に輝き出した。
「……三分ね」
「何がだ」
「私の築き上げた理性が、彼女の笑顔一つで崩壊するまでの時間よ」
ヴォルガドは腕を組み、不敵に笑った。
「早い方だ。余などは、一瞬で『魔王』の看板を捨てそうになったからな」
セラフィナイトは不思議そうに首を傾げる。
「どうかなさいました? お顔が少し、赤いようですけれど」
モルディナはゆっくりと顔を上げ、少女を見つめた。
「いいえ、なんでもないわ。……ただ、これからの授業が、恐ろしく面白くなりそうだと思っただけよ」
その足元で。
季節外れの花々が、彼女の歩いた跡を追いかけるように、一斉に蕾を解き始めていた。
さすがはモルディナ先生だね。




