2.無職ディエス
前回のあらすじ
上司と喧嘩して近衛騎士を辞職したあげく妻に離縁されたディエスは、聖都の長屋で暮らしている。長屋の主人の伝手で鉱山で働いていたが、事故で魔獣の巣穴が掘りてられてしまう。鉱夫たちを守るためディエスは応戦。何とか魔獣を倒し、自身も一命をとりとめる。
するとディエスの戦いぶりを見た聖騎士から「聖騎士団に入らないか」と言われたのだった。
「それで、どんなお返事をしたんですか」
「勿論断ったさ」
さも当然と言わんばかりに、ディエスは大きく首を振った。
空は青く澄み渡り、広い枝葉がほどよく遮る日差しは心地よい。時折ほんのりと草と土の香りを含んだ風が吹き抜け、春の終わりを感じさせる。
王都の下町にある長屋町は、いつも賑やかだ。通りの一画に置かれた古い椅子に座るディエスの目の前を、同じ長屋町の子どもらが駆けていく。向こうの井戸端では大きな洗濯カゴを抱えた女たちが文字通りの井戸端会議に花を咲かせているし、かと思えば反対側では少年を抜けた頃の男の子らがカードゲームに興じて時折野太くなってきた声を上げている。
「王都の聖騎士なんて、俺には向いてない」
「でも、前はザウの街で近衛騎士をなさってたんでしょう」
ディエスが座る椅子のすぐ真横にあいた窓の中からは、コトコトと足踏みミシンの音が響いている。踏んでいるのは、小柄なドワーフの女だ。
「私からすれば、そんなに違うようには思えないんですけど」
「うーんー……」
正直な意見に、ディエスは、振った首をひねる羽目になった。
ディエスが治療院を退院したのは三日前だ。病室はどこもいっぱいなようで、意識が戻って傷も塞がったのならと、目が覚めた翌日には退院させられた。呆れ顔のノインは自宅に戻り、ディエスも長屋の狭い我が家へ帰ってきた。
治療院での治療の他にノインが治癒魔法をかけてくれたので、傷はほとんど塞がっていて痛みはない。ただ、困ったのは、服だ。無一文よりちょっとだけマシな程度のディエスにとって、シャツは貴重品。その貴重な一枚が、魔獣との戦いで肩と脇腹にでっかい染みができ、裂けてしまったのである。
大家が見舞いにくれた洗剤で染みはなんとかごまかせるまで薄くなったが、穴は塞ぎようがない。
ほとんどぼろ布みたいなシャツを干しながら困っている時に声をかけてくれたのが、隣に住むドワーフのトリィだった。
裁縫を生業としているトリィは、ディエスのぼろ布みたいな布を繕うことを申し出てくれた。代金の代わりに壊れた棚を古道具屋に運ぶのを手伝って欲しいとも。この長屋ではこういった取引がよく行われている。おかげで誰もが顔見知りで、そして、お互いの得意を把握していた。
そうしてディエスは川向こうの古道具屋に棚を届け、代わりにこうして、トリィはディエスの服に新しい布をあてて繕っているのだ。トリィは家の中で待てばよいと言ってくれたが、それは遠慮した。彼女はまだ年若く、そして一人暮らしなのだ。
「そうだなあ、同じ裁縫の職人でも、服を縫う職人と鞄を縫う職人は少し違うだろ。そんな感じかな」
「当人でないと分からない違いですね」
聡明なトリィは手を止めないまま頷いた。
「やれといわれれば出来ますが、やりたいかと言われたら少し躊躇います」
「そう、それだ」
足元に転がってきたボールを、子どもたちの方に投げ返す。年長らしい子が幼い子の手を引きながらいっぱしな仕草で会釈するのがおもしろくて、ディエスは目を細めて片手を上げてやる。
「それにまあ、俺はこの暮らしが気に入ってるんだ。聖騎士なったら城下町にある詰め所に越さなきゃならんだろ。ああいうのはもう、ご免だ」
「以前は詰め所で暮らしていたんですか?」
「いや、城下町に家はあった。妻も。でも、碌に家には帰れなかったし、妻ともほとんど顔を合わせられなかった。ううん、そういう意味では、詰め所で暮らしていたという方が正しいか」
「あら、それは……」
トリィはディエスが一人暮らしをしていることを知っている。いろいろと察したらしく、それ以上は尋ねてこなかった。
「私は歓迎ですよ。ディエスさんがお隣になってから、安心です。うるさくもないし。前に住んでた方は、いつも酔っ払って怒鳴ってましたから」
「そうなのか」
「はい。それで、酔っ払ったまま真冬に川に落ちて、そのまま」
まるで何でもないかのようにトリィは言った。窓の奥にいる彼女の表情は見えない。ディエスも、わざわざのぞき込むようなことはしなかった。
「はい、縫えました。待っててください、外までお持ちしますから……」
ミシンの音が止まる。薄い壁の向こうでごそごそと何かが動く音がして、すぐに木戸が頼りない音と供に開いた。
「どうぞ……本当に、この布でよかったんですか?」
シャツの形に戻った布を渡しながら、トリィが少しだけ不安げに顔を傾けた。
「構わないさ。白い布は高いだろう」
受け取ったシャツを広げ、ディエスは満足そうに頷く。魔獣によってばっさりと切られた脇腹と肩の裂け目は、綺麗に繕われている。穴が空いたところには当て布がされているが……それがまた、色とりどりの布であった。肩のところはオレンジ色と緑色、脇腹は赤と青。トリィの家にあった端切れから選んだので、いろいろな柄が入っていたり素材が違ったりしている。
「賑やかでいいじゃないか。ありがとう、トリィさん」
「ディエスさんって、思ったよりずっと愉快な方なんですね」
トリィが丸い瞳を細めた。
「騎士様って、もっと気難しい方ばかりなんだと思っていました」
「元・騎士さ。俺はただの……」
鉱夫というほど鉱山で働いてはいないし、最近した仕事は薪割りとドブさらいと荷運び。
「……暇人、かな」
「お忙しい暇人ですね」
トリィがクスクス笑う。
「ではお暇なディエスさん、もう少しお時間頂けますか。実はお客様から少しいい紅茶を頂いたのですが、一人分を淹れるのは忍びなくて」
「いいのか?」
「ええ。折りたたみのテーブルがありますから、表に出しますね。そうだ、沢山沸かせば、通った方にお裾分けできるでしょうか」
狭い家に戻ったトリィが、すぐにテーブルを出してくる。ディエスがそれを受け取って広げている間に、トリィはまた中に戻って湯を沸かし始める。
「紅茶か……」
別れた妻も紅茶が好きだった。ザウの国の淑女は嗜みとしてだいたい紅茶が好きなのだが、ディエスの知るところではない。ただ、たまに家に帰ると彼女はいつも紅茶を飲んでいて、ダイニングのキャビネットには各地の紅茶の缶が並んでいた。ディエスが遠征の土産に買ったものもそこに並んでいた。なので、彼女は紅茶が好きなのだと勝手に思っている。妻の好きな物は、それくらいしか知らなかった。
そういえば、ここで暮らすようになって彼女のことを思い出したのは、ノインに経緯を話した時を覗けば今日が初めてだった。本当に、ろくでもない夫だったと自嘲する。
「ディエスさん、少し留守番を頼めますか」
ひょこっと顔を出したトリィが申し訳なさそうに言った。
「やかんは持っているけどポットは持っていないことを忘れていました。大家さんのところに行って借りてきます」
「わかった」
トコトコと早足で大家の家に向かったトリィを見送る。
すると、彼女の革靴が鳴らす音と入れ替わるように、金属同士がぶつかる物々しい音が近付いてきた。同時に、驚きとざわめきの声が小さく飛び交う。
ディエスはゆっくり顔を向け、そして、立ち上がることもせず大袈裟な様子で向けた顔を顰めた。
「……何の用ですかね、聖騎士様」
「長屋暮らしというのは本当だったのだな」
凜とした声で、聖騎士は言った。左右の腰に携えた長剣がわずかに揺れる。
「ええ、そうですよ。長屋暮らしの無職です。聖都の聖騎士様が、俺になんか用事はないでしょう」
「セイ二アールだ。セイでいい」
聖騎士セイは、ディエスの嫌な顔に一つも動じることなく言った。
「ディエス、どうして聖騎士の誘いを断ったんだ」
「興味がないからさ」
「待遇が不満か?」
華やかな顔立ちのセイが、困ったように首を振る。
「年俸は金貨一千二百枚。成果に応じて追加報酬もある。聖都の住民証も交付されるし、住むところが必要なら城下に部屋も用意させる」
この長屋の家賃は月に銅貨五千八百枚で、大家への積み立て込みだと六千二百枚。金貨一千二百枚あれば、この長屋ごと買い取れる。
だが、ディエスは首を振った。そうじゃないのだ。
「やれと言われればやれないことはないが、やれるかと聞かれればやりたくない」
「なんだと」
「宮仕えはもう十分なんだ」
ぐっと声のトーンを落とし、ディエスはセイをにらみ付ける。
「どこもかしこも人手不足なのは理解する。聖騎士の、おそらく小隊長クラスのアンタがわざわざスカウトに来るくらいには。だがな、だったらなおさら、俺はごめんだ」
「人手不足なのは事実だ」
躊躇いもなく、セイは言った。華やかな顔立ちを、少しだけ曇らせる。
「そして、人材不足もだ。剣は振るえるが、剣しか振るえない騎士が増えた。お前のように、守りながら戦える者はより少ない」
二刀流の騎士は臆面もなくそう言った。
「現に今、鉱山の調査が難航している。お前が立ち回ったあの鉱山だ。坑道の奥へ調査に入りたいが、調査隊を護衛しつつ魔獣と立ち回れる力のある者がいなくてな」
「……それはさすがに狡くないか」
ディエスが眉間の皺を深くした。
「その調査が終わらないと、親方も俺たちも仕事に戻れない」
「ああ。最悪はこのまま閉山だな」
「チクショウめ」
表情を変えずに言い切ったセイに、ディエスは短く悪態をつく。目の前の聖騎士に悪態をついたところで状況は変わらない。
「今回だけだ。今回だけの手伝いならやってやる。短期雇用の契約だ」
「面白い」
セイが笑った。
「ひとまずはそれでいいだろう。条件は?」
「最長五日間で金貨十五枚、装備一式と最低限の物資。あとはそうだな、調査隊ってことは少なくとも二人以上だよな……なら、若手でいいから魔獣と戦ったことのある奴を俺の他に二人。あとは必ず補助と回復の術士を付けること。これは兼ね役でもいいが、必ずだ。それが用意できるなら、今回だけの騎士になってやる」
「そんな程度でいいのか」
セイが形のいい目をにんまりと曲げる。予想通り、その程度の権限は持っている男だった。
「剣士も術士も、我が隊にちょうどいい者がいる。聖騎士の鎧と剣はここに届けたらよいかな?」
「やめてくれ。鉱山の麓に詰め所があるだろ」
大きなため息をついたディエスに、セイが嬉しそうに手を叩いた。
「君の偉大な決断に感謝するよ、聖騎士ディエス。出発は明後日でいいかな」
「さすがに急すぎる。せめて……三日後だ」
頭を抱え、ディエスは唸った。
トリィの淹れた茶を飲む時間はあるだろうが、茶を飲んだあとは時間がなさそうだ。
「マジで今回限りだからな、聖騎士セイ二アール。契約書にしっかり書き付けておいてくれ」
「いいだろう」
「あら、お客様……では、ないようですね?」
大きなポットを抱えたトリィが戻ってきた。頭を抱えるディエスと、その前で嬉しそうに腕を組んでいるセイを交互に見る。セイの胸に着いた聖騎士団の紋章を見て、トリィは何かを悟ったようだ。眉を下げ、気の毒そうにディエスを見る。
それから、トリィは臆することなくセイを見上げ「聖騎士様もお茶を召し上がりますか?」と尋ねた。
「お口に合うかは分かりませんが」
「光栄ですが、時計がそれを許さないようです」
丁寧な仕草でセイは会釈をし、トリィの誘いを断った。
「次の機会に是非、ご相伴させてください」
「ええ、機会があれば」
トリィも笑う。
「その時には是非、お繕い物のご依頼も持っていらしてください。傷口以外なら何でも縫えますから」
目を細めて笑うトリィに、セイも微笑みを返す。それから聖騎士は踵を返すと、短いマントをひらめかせながら長屋町をあとにした。
「人生はままなりませんね」
「全くだ」
去って行くセイを見送りながら、ディエスは深々とため息をついた。
「トリィさん……急ぎの仕事を頼みます。鎧の下に着る肌着と、籠手の中につける手袋が欲しい。明後日までに、間に合うか?」
「お代は、後払いでいいですよ」
職人の顔になり、トリィが答えた。
「お茶を飲んだら、採寸から始めましょう」
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