第八話:静寂と結界の密室
深夜の女子部屋。
アリスの健やかな寝息だけが響く中、バルコニーの窓が音もなく開く。
夜風と共に現れた影――エリアスは、まず部屋全体を見渡し、冷徹に魔法を行使する。
(……まずは『障壁』。先生も生徒も、誰も入れない)
(次にリリアのベッド周りに『無音結界』。……君の可愛い声を、アリスに聞かせる趣味はないからね)
(最後に……)
エリアスはアリスの枕元に立ち、スッと指をかざす。
「……いい夢を、聖女様。君が守りたかったリリアは、僕が責任を持って可愛がってあげるから」
完璧な準備を整え、彼はリリアのベッドへ忍び寄る。 ふかふかの布団が沈み込み、その気配にリリアがうっすらと目を開ける。
「……んぅ……? アリス……?」
リリアの無防備な姿を見て、エリアスの理性がプツンと音を立てて切れる。 彼はリリアの上に覆いかぶさり、耳元で低く、甘く囁く。
「残念。アリスじゃないよ」
「……?」
「……昼間、約束したよね? 『写真よりも素敵な表情を見せてくれる』って」
「え……? エリ、アス……!?」
リリアは一気に覚醒したが、既に逃げ場はなかった。
「さあ……夜は長いよ、僕の愛しい奥さん」
「っ!?」
「……シッ。大きな声を出すと、アリスが起きるよ?」
悲鳴を上げそうになるリリアの口を手で塞いだ。
エリアスは、耳元で楽しそうに囁く。
「選択肢は二つだ。1つ目は叫んでアリスを起こす。……僕が君の布団にいるのを見られたら、修学旅行は中止、大騒ぎになるだろうね。2つ目は大人しく僕と一緒に寝る。……そうすれば、朝まで静かに過ごせる」
(1つ目はダメ! 絶対にダメ! 文化祭の二の舞、いいえ、それ以上のスキャンダルになっちゃう!)
「……うぅ……後者で……」
選択の余地はなく、涙目のリリアはエリアスが自分のベッドに潜り込んでくるのを容認した。
「偉いね。……じゃあ、昼間に物足りなかった分を補おうかな」
エリアスはリリアを背中から抱き込む。リリアの視線の先にはアリスの寝顔が見え、彼女にバレないようにするミッションが発生するのだった。
二人の体温が馴染む頃、エリアスはリリアの夜着の中に手を入れ、背中や腰の敏感なところをわざとゆっくりと撫でる。
「んっ……ふ……っ!」
否が応でもアリスの寝顔が目に入る。リリアは声を殺し、イタズラに動くエリアスの腕にすがりついた。
「……これじゃ、まるで共犯だね」
エリアスから見れば「熱烈に受け入れている」ようにしか見えず、エリアスは薄く笑みを浮かべた。
時折、アリスが「んぅ……リリア様ぁ……」と寝言を言うたびに、リリアの心臓は止まりそうになる。
エリアスはそれを見て、「バレちゃうかもね?」と囁いてさらに攻めを激しくする。
「……あっ……いや……」
リリアがそう言って涙をこぼした瞬間、エリアスの手がピタリと止まり、親指で優しく涙を拭う。
そして、それまでの強引さが嘘のように、宝物を扱うような口づけに変える。
「……泣かないで。いじめすぎたね。……愛してるんだ、リリア。どうしようもないくらい」
(……狡い。そんなに切ない声で名前を呼ばないで。拒めなくなるじゃない……。身体も、熱くて……嫌だなんて言えない……)
「快楽」だけでなく「彼からの深い愛情」に、心が降伏する瞬間だった。
エリアスのシャツをギュッと掴んで、恐怖だけでない快楽が混ざり合った潤んだ瞳が見つめ返す。
「エリアス……」
名前を呼ぶ声に拒絶ではなく懇願の色を感じ、エリアスはごくりと生唾を飲んだ。
(……っ!? なんだ、その声と瞳は。いつもの怯えだけじゃない。……僕を『男』として見ているのか?)
リリアから自分が抱いているのと同じ「熱」を感じ取った瞬間、エリアスの理性が焼き切れた。
「リリア……君って、人はっ」
エリアスの中から余裕はなくなっていた。
ここまでは余裕のある意地悪な愛撫だったが、余裕のない貪るような接触に変わる。
「あ……んっ……」
荒い息のまま首筋に貪りつくと赤い徴をつけ、性急な動きになった手は太ももの内側に伸ばされる。
隣で寝ているアリスの存在すら忘れて、二人だけの世界に没入していった。
エリアスだけでなくリリアの呼吸も浅く荒くなっていく。
「リリア……」
切なげな声音が名前を呼ぶ。
全身の熱がエリアスの下腹部の一点に集中していた。
「……あっ……」
リリアが小さく声を漏らす。
その声でエリアスははっと我に返った。
(……くっ。……これ以上は、ダメだ)
最後の一線を越えそうになったのを、ギリギリで動きを止め、リリアを強く抱きしめて自分の動きを封じる。
張り詰めた高ぶりを、衝動のままにぶつけてしまいそうになるのを堪え、彼はリリアの白い首筋に歯を立てた。
「んっ……」
「……そのまま……足を閉じてて」
エリアスは荒い息を飲み込むと、リリアの太腿の間に自身の熱を押し当て、腰を強く擦り寄せた。
硬い熱が、薄い布越しにリリアの柔らかい肢体を割り、沈み込んでいく。
「ぁ……っ、エリアス……っ」
「……すまない、もう、止まれない……っ」
逃げ場のない布団の中で、衣擦れの音と、濡れた水音が断続的に響く。 やがて、エリアスの喉の奥から獣のような低い唸り声が漏れた。
「――っ、く……ッ!」
ビクン、と彼の大きな背中が強張る。 首筋に押し付けられた額から、凄まじい熱が伝わってくる。 エリアスはリリアを壊れ物のように強く抱きすくめたまま、短く数度体を震わせ――そして、糸が切れたように脱力した。
エリアスは果てた後、リリアの首筋に顔を埋めたまま、荒い息をついて動きを止める。
そこには「やってしまった」という自己嫌悪と、怯えがあった。
少し間をおいて、リリアは震える手で、汗ばんだエリアスの髪をそっと撫でた。
「……エリアス……?」
その優しさに、エリアスはハッと顔を上げる。
自分を受け入れてくれたリリアを見て、エリアスの瞳が再び熱を帯びた。
今度は獣の目ではなく、「崇拝者」の目だった。
「……狡いな、リリア。こんな酷いことをした僕を、そんな風に撫でるなんて」
「僕だけが良い思いをして終わるなんて、許せないだろう?」
ふわりと笑って、エリアスは再びリリアの身体に手を這わせる。
「……声は、我慢してね。アリスが起きるから」
優しい声音で意地悪く囁きながら、リリアの身体をあまねく愛撫していく。
熱を帯びた手と指が白い肢体の敏感な場所を刺激する。
片手で胸の柔らかさを確かめながら、もう一方で腰から臍を辿り、最も敏感な場所にたどり着く。
エリアスの長い指が与える上下の刺激に、リリアはシーツをギュッと握りしめ、必死に唇を噛んだ。
「んっ……ぁ……待っ、て……同時は、だめ、そこ……っ」
「ああ、唇噛まないで。傷になる」
唇を噛み締めるリリアにエリアスは深く口付け、その悲鳴を飲み込む。
初めて味わう強い刺激にリリアが限界を迎える瞬間も、エリアスが深いキスでその嬌声をすべて封じる。
「んーーーっ……!!」
リリアの背中が弓なりになり、エリアスの腕の中でビクビクと震えた、
エリアスは震える彼女を愛おしそうに抱きしめ、余韻が収まるまで背中をさする。
「……愛してる。……可愛いよ、リリア」
リリアの身体から力が抜け、荒い呼吸だけが響く。 エリアスは愛おしげに彼女を抱きしめると、濡れた自身の指先を、ゆっくりと自分の唇へ運んだ。
「……ん。……甘いね」
妖艶に目を細め、リリアが果てた証を、舌先で愛でるように掬い取る。 それはまるで、極上のデザートを味わうような、あるいは聖遺物に口づけるような、冒涜的で神聖な仕草だった。
「……よくできました、リリア」
彼は満足げに微笑むと、汗ばんだリリアの髪を優しく梳く。 意識が遠のく中、リリアは抗うどころか、温かい彼の胸板にすり寄っていた。 それが、自分をここまで乱した捕食者への、完全な降伏だとも気づかずに――。
◇◇◇
そして、朝が来る。カーテンの隙間から朝日が差し込む。
エリアスはリリアより先に目覚め、隣で規則正しい寝息を立てる彼女を見つめている。
彼女の首筋や鎖骨には、昨夜自分がつけた赤い痕。
(……あんなに泣かせてしまったのに、幸せそうな寝顔だ)
顔にかかる髪を起こさないようにそっと避ける。
(……愛おしい。昔から、そうだ。彼女だけが、僕の世界に色を与えてくれた)
エリアスの意識は数年前へ飛ぶ。
エリアス・ド・グランヴェル。グランヴェル筆頭公爵家嫡男。
何でもできる天才。家柄も容姿も完璧。周囲はイエスマンか、媚びへつらう人間ばかり。 世界は退屈で、灰色だった。
(……あの頃の僕は、全てに絶望していた。人間なんて誰も信用していなかった)
10歳の頃。初めて会った婚約者は、僕を見て怯えるどころか、呆れたように腰に手を当てた。
『エリアス様! ご飯を抜くなんてダメです! ちゃんと食べないと大きくなれませんよ!』
それは、周囲の誰もが言わなかった言葉。 「公爵令息」へのへつらいではなく、ただの「子供」に対する真っ直ぐな叱責。
(彼女だけだった。僕の肩書でも、才能でもなく……『僕自身』を見てくれたのは)
(その瞳に、僕は救われたんだ)
赤い髪の少女がどこか泣きそうな表情でそう言った。
その真っ直ぐな瞳を見た瞬間、退屈だった世界が鮮やかに色づいた。
(ああ……見つけた。僕の探していた『本物』は、ここにあったんだ)
彼女が現れて、初めて呼吸できるようになった気がした。
誰かと話すことが楽しいと思えるようになったのだった。
回想から戻り、エリアスは眠るリリアの額に優しくキスを落とす。
「……ありがとう、リリア。僕を見つけてくれて」
「君は、僕が一生をかけて守り抜く、たった一つの宝物だよ」
――その時、隣のベッドでもぞもぞ動く気配があった。
アリスが「むにゃ……おはようございます……」とゾンビのように起床してくるのだった。
◇◇◇
のっそりと起き上がったアリスに対し、エリアスは爽やかに(しかしベッドの中からは出ずに)微笑む。
「やあ、おはようアリス。よく眠れたかい? 君があまりに熟睡しているから、心配したよ」
『睡眠魔法』をかけたのはエリアスである。
「はひ……? エリアス、さま……? なぜここに……?」
ただいま、アリスの思考回路が起動前でフリーズ中である。
二人の会話音で、リリアも目を覚ます。 ぼんやりした頭で、目の前にエリアスの顔があることに気づき――昨夜の記憶と、自分の首筋の違和感を一瞬で思い出す。
「ひゃっ!? エ、エリアス!?」
リリアはガバッと布団を引き上げ、首まで隠す。
エリアスはリリアに悪戯っぽく片目を瞑ると、スッとベッドから抜け出す(着衣は魔法で一瞬で整える)。
「ふふ。モーニングコール代わりだよ。 ……リリア。支度ができたらロビーへおいで。 ああ、それと……『虫刺され』には薬を塗っておくといい」
自分の首筋をトントン、と指差して、エリアスは颯爽と部屋を出て行く。
そして、バタン、とドアが閉まる。
「……虫刺され? この季節に蚊ですか? リリア様、大丈夫ですか? お首を見せてくだ……」
「だ、大丈夫よー!! ちょっと汗かいたからシャワー浴びてくるわね!!」
リリアはアリスを振り切ってバスルームへダッシュする。
「……うそ……こんなにくっきり……! コンシーラーで隠れるかしら……! バカエリアスぅぅぅ!!」
鏡の前で絶望するしかなかった。
「……ちょっと待って、これって」
鏡の中の私は、見事にパジャマのボタンが「一段ずつ」ズレていた。 そのせいで胸元がだらしなく開き、そこから――昨夜つけられた鮮やかな「赤い痕」が、これでもかと主張している。
「~~~~ッッ!!」
(バカエリアスぅぅぅ!! 着せてくれたなら最後までちゃんとやってよ! これじゃまるで、私が寝ぼけて変な着方をしたドジっ子みたいじゃない!)
(……いいえ、絶対ワザとだわ! あの性格だもの!!)
私が顔を真っ赤にして、震える手でボタンを直そうとした、その時だった。
「んぅ……リリア様ぁ……?」
背後で、ゾンビのようにアリスが半身を起こした。
「ひゃいっ!?」 私は変な声を上げて、バッと胸元を手で隠す。
「お、おはようアリス! き、奇遇ね! 私も今起きたところなの!」
「……? おはようございます……。 リリア様、お顔が真っ赤ですよ? それに、パジャマが……」
寝ぼけ眼のアリスが、私のズレたボタンを指差す。
「あ、あはは! 寝ぼけて変な風にボタン留めちゃったみたい! やだなぁ私ってば! すぐ着替えてくるわね!!」
私は脱兎のごとくバスルームへ逃げ込んだ。 背後でアリスが「リリア様、寝相が悪かったんですね……可愛いです……」と呟いているのを聞きながら、私はシャワーの音で絶叫を書き消したのだった。
◇◇◇
集合場所の広場。生徒たちがバスや馬車へ乗り込む準備をしている中、エリアスが涼しい顔でリリアに近づく。 周囲からは「公爵様、絵になるわ~」というため息が漏れるが、その口元は意地悪く歪んでいる。
「やあリリア。……首元のスカーフ、よく似合ってるよ。 ちゃんと隠せたみたいだね?」
爽やかな笑顔で、指先で自分の首元をトントンと叩くジェスチャーをしてみせる。
「っ……! 誰のせいだと……!」
周囲に聞こえないように、真っ赤な顔で睨みつける。
「はは、可愛い顔をしないでくれ。食べたくなっちゃうだろう? ……ところで、僕は緊急の呼び出しで先に帰らなきゃいけないんだ。 転移魔法を使うけど、君も来るかい? 僕の私室の寝台なら、ゆっくり続きができるよ?」
「け、結構です!! 私はアリスと一緒に馬車で帰りますから!」
(これ以上、貴方のペースには乗せられないわよ!)
リリアの拒絶(という名の照れ隠し)を聞いて、エリアスは満足げに目を細める。
「ふふ。つれないなぁ。……まあいいか。 友人想いの優しい君が、僕は大好きだよ」
言い終わるが早いか、エリアスは衆人環視の中でリリアの頬を指で掬い上げ、チュッと、音を立てて頬にキスを落とした。
「へっ……!?」
「じゃあね、リリア。家で待ってるよ」
リリアがフリーズしている間に、エリアスは魔法陣を展開し、光の粒子となって颯爽と消え去った。
シーン……と静まり返る周囲。 数秒後、生徒たちの黄色い悲鳴が爆発する。
「キャアアアア!! 今見た!? ほっぺにチューしたわよ!!」
「『家で待ってる』って言った!? もう同棲してるの!?」
「~~~~ッッ!!」
羞恥心でオーバーヒート、リリアは真っ赤になってその場にしゃがみ込むのだった。




