鍵と洞窟
明かりもない、夜の部屋でスマホの画面を独りでぼんやりと観ていると、河乃子の声が聞こえた。
「友人なら、ここでじっとしてちゃいけないよ」河乃子は、言った。
「だってひとりぼっちだもの、ねぇ何処に行ってたの」私の耳は河乃子に、心はスマホの中にあった。
「しょうふくが、本当に私の友人なら、鍵を探してきて・・・」
「鍵?しらないわ」
「私の友人なら、知っている。泉を出る時に持ち出した。秘密の扉を開く鍵」スマホの中の画面が変わった時に、声のする方を振り向いたが、そこには闇がよどんでいるだけだった。
学校に行ける心の状態でない私は、フリースクールに通った。出席日数が足りなくなって、学校は退学にさせられた。自分の勉強はオンラインでやっていたけど、なんとなく、同じように義務教育の年代ででここに来ている子達に勉強を教えることも成り行きでやるようになった。
ある日、からかいの対称になったノートの落書きが、たまたま勉強を教えていた男の子の目に留まって褒められた。
どこか、河童に似ている男の子。くりっとした大きな瞳。つやつやとした黒髪はおかっぱ頭のカット。
「ねぇ、もっと書いて」おねだりをする時の癖なのか、口を尖らせた。
子供でも人に認めて貰ったのが、とても嬉しかった。
まるで、初めて息を吸ったような感じ。それまでは、吸っても吸っても、息苦しいだけだったのに、空気が体の隅々に行き渡った気がした。
この子の言葉は、池に落とした石のようだった。私の絵の話題が同心円を描くように、このスクールの中やその親達に波紋を広げた。
ここの教師も、私の絵を褒めてくれて、私は少しずつ子供以外の人とも話すようになった。時折、鍵を探しに町の中や公園を歩いた。そんな所にはないだろうという気持ちはあったけど、どこかに行くという事に何か目的が欲しかった。
あるとすれば、河童のあの水の中の街だろうなと、思っていた。しかし、かつて河乃子と乗り込んだバス亭が、どこにあるのか判らない。あの時の道を辿ってみても、全く記憶と異なる風景に戸惑うだけだった。
ある日、私は学校の時折先生の替わりに勉強を教えていた子供達を連れて、水族館に行った。普通に学校に行っていれば行くことのない平日の水族館。私がノートに魚の絵を描いていたときに、それを見た子供たちが、本物の魚を見に行きたいと言い出したのが、事の始まりだったと思う。
なんとなく、そんな話しがまとまり、親達も喜んで送りだし、私は先生と伴に引率する側に入った。
大きな水槽、小さな水槽、まるで自分が水の中の回廊に迷い込んだかのような作りの水槽、沢山の海水魚。私は、河乃子と過ごしたあの日を思い出していた。あの魚のように、水の中を自由に泳げたら、彼らの仲間のようになれるだろうか。
唐突に一つの天啓のようなものが、脳裏をよぎった。一つの鍵のイメージ。
私は、持ち歩いていた小さなスケッチブックに、それを書き留めた。その瞬間、カランと何かが私の足下に落ちた。
一個の小さな鍵。
スケッチブックは真っ白になっていた。
私は、鍵を拾って、直ぐにポケットに入れた。
巨大水槽の中を、河乃子が、泳ぎ去って行った。床を蹴り追おうとしたが、その姿はたちどころに消えてしまった。
その夜、再び河乃子が現れた。
「鍵を使って、扉をあけるんだ。そこにある短剣を持ってこい、他の宝物を持ち去ってはいけない。そうすれば、命の保証はない。案内を一人付けよう」
いや、この声は河乃子ではない。暗く陰湿な声。
「扉ってなによ」私は、声の主に言った。
「案内についてゆけ」と声の主は、闇の中に消え、部屋の中を一匹のカゲロウがフラフラと飛んでいるのが目に入った。青い色のクサカゲロウに似ているが、大きさはウスバカゲロウくらいはある。
このカゲロウが案内なの?
カゲロウは、私の脇を飛び部屋のドアノブに留まった。
部屋を出ろと言う事なの?
私がノブを握ろうとするとカゲロウは飛び去り、私が部屋を出ると同時に、私の頭上を越えて前を飛んだ。ゆっくりとした飛翔。か弱い羽ばたき。風が吹けば飛んで行ってしまいそう
カゲロウは、階段を降りて行った。私もその後を追う。
そして居間のドアの前でゆらりゆらりとホバリングをした。
母か父が居るのではと思ったが、ドアを開けると、暗く静まった部屋。電気を点けると。小さな応接セットに、余り大きくはない液晶テレビがまず見える。
部屋の中で壁掛け時計がチクタクと立てる音が妙にうるさく聞こえた。
カゲロウは、壁にぶら下がっている、額縁に入った大きなシルクスクリーンの絵画の上に留まった。絵の中では、夜の海をイルカが泳いでいる。
なんで?と思った。絵画の何処をみても鍵穴はない。というか鍵穴のある絵画ってあるものなのか?
カゲロウは絵画の前でひたすら頭を傾げる私の周りをじれったりそうに飛び回った。
うるさいなぁ・・・と思いつつ、もしやと思って、絵画をそっと壁から外してみた。
壁に絵画と同じサイズのトビラがあり、そこに小さい穴が空いていた。
なんの為にこんな所に?こんな所に隠し金庫でも作ってあったのかしら?
私は、何も考えずに、鍵を穴に差し込み回した。カチリと解錠された音がした。
そして、観音開きのトビラに中央部についた二つの小さいマッシュルームのようなノブをつまんで引いた。
その奥には、周囲が、濡れた岩肌に囲まれた洞窟が見えた。その壁には、幾つもの壁龕が連なり、その中では蝋燭の炎が揺れていた。
カゲロウは、私の肩越しにその中に入っていった。
(ちょっと待って、何これ、家になんでこんな場所があるの?)そんな私の思いとは、裏腹にカゲロウはゆらゆらと奥に向って飛び、一つの壁龕の中に留まった。
(仕方ないないか)私は、覚悟を決めて、両手を洞窟の入り口にかけて、ぐっと体を持ち上げると、上半身を中に入れ足をじたばたさせつつ、肘を使って洞窟の中を匍匐しながら進んだ。足まで入れば、あとは立ち上がるだけだ。ふりむけば、小さく開け放たれた四角い明かりの向こうに、見慣れた部屋が見える。洞窟の奥は、薄暗く不気味だ。
私が、歩き出すとカゲロウも壁龕から飛び立ち、奥へと向った。奥へ、奥へ・・・怪物でもでたらどうしよう、ゲームなら沢山の怪物が私に向ってくることだろう、それを倒しても倒しても、進むほどに強い怪物が現れ、最期には、そのステージのボスが現れるだろうが、私が進む先には、いまだに敵はなく、自分の心だけが、恐怖にとらわれ、足が震え、筋肉が、脳が、心臓が、肺が、前進を拒み続ける。
そして、下を向いて一息つき、再び顔を上げたとき、カゲロウは姿を消した。
「頑張って」歩き疲れた私の耳元で声がした。可愛い声だ。
「だれ?」と横を見れば、そこに浅葱色のカゲロウがホバリングをしていた。いや、カゲロウと思ったいたのは、私の先入観だった。そこに居たのは、薄い青をしたカゲロウのような羽を背にした、一人の妖精だった。まるでピーターパンに出てっくるティンカーベルのよう。
「私は、あなたを案内するもの・・・」妖精は小さい声でささやいた。「さぁ行きましょう、怖くないから。」
「私は、島伏、島伏 直美あなたは?」
「名前?そんなのないわ」妖精は答えた。むしろ自己紹介したことで、何か癇に障ったような口調だった。「アインとでも呼んで。それより急ぎましょう」
ああ、そこだったのか・・・時間を僅かでも浪費したことに、腹を立ててしまったのか、ということは、急ぐ必要がある?
私は、怖くないという言葉を信じて、ひたすら進んだ。
どれほど歩いただろう。私は、洞窟の中の開けた場所に出た。壁龕の蝋燭の明かりに照らされ、うずたかく積もった金銀宝石がキラキラと輝きを放っている部屋。その中央にはとてつもない大きなカエルが、目をつぶって座っていた。テレビで見たことがある模様のカエルだ。緑色をベースとした地肌に、黒い縦縞の模様が散らばっている。
「彼は、今就寝中です。暫くは起きません。ただ絶対に短剣以外は持ってはダメ。カエルの王が目を覚ます」
アインは、私の肩の上に留まって注意を促した。
「判った、短剣でしょ。この山のどこにあるの?」
「どこかに・・・」
どこかにと言われても、野球のダイヤモンドの中くらいの広さに、宝物やらが山をなしている。
「時間は、どれくらいあるの?」
「季節が変わるまで・・・」
それはまた、たっぷりあるけど、そんなに時間を掛けたら、お腹が空いて死んでしまいそう。
私は、目を皿のようにして、輝く宝飾の山を彷徨い歩いた。あまりカエルの傍には寄りたくは無かったので、周囲からぐるぐると中心に向って、歩いた。でも、埋もれていたら最悪だ。しかし、アインは言った。短剣以外の物を持ってはだめ、ということは少なくても、掘り起こすような事をすれば、おのずとカエルは目覚めてしまう、すると短剣は表に現れている筈なのだ
短剣らしい宝飾の柄が飛び出ているのを見て手を伸ばすと。アインは、「だめ」と耳元で囁いた。「それは違う」
錫杖や、王笏の端っこに手を出し、綺麗な食事用ナイフに手を出し、長剣の握りを手を伸ばし、怒られては、ぐるぐると目のくらみそうな、宝飾の山を巡った。そして一番近づきたくない、ぬるぬる肌のカエルの前足の下に、古ぼけたみすぼらしい短剣が鞘に刺さったまま見つかった。
「まさか。これ?」と私は、それを指した。
「ええ、それだわ」アインは、嬉しそうに答えた。
「でも、カエルの下とはね・・・」私は、目をつぶったままのカエルの頭を間近で見つめた。カエルというより、獣脚類とでも言いたい。もし餌と思われれば、私なんかひと飲みだろう。
「大丈夫、寝ているから・・・」アインは、急かすように言った。
でもね・・・やっぱり、カエルって嫌じゃない?私は、そーっと手を伸ばしては、ひっこめる動作を多分10回くらいはしたと思う。
「早く」アインは、本当に急かした。
「判っているってば」意を決して、私は身をかがめ、短剣の柄と鞘を掴み、そーっと引いた。カエルを考えれば、相当重くて、取れないだろうと思ったが、以外とあっさりそれは私のモノとなった。
「さぁ、帰りましょ」アインは、高く飛び立った。
こんな所、もう一秒だって居たくないに決まっている
私は、さっさと宝飾の山を下りた。の、だ、が、
その山の端に、気になるものを見つけた。
ひとつの粗末なフォトフレーム、こんなキンピカの中にあるだけに、違和感を覚えたのだ。身をかがめてよく見れば、その中に入っている写真には、河童が二人映っていた。色あせたセピア色の写真。
私は、思わず手を伸ばした。
「ダメ!!!」悲鳴に似た声が私の耳に届いたが、手はそれが私の手でないように勝手に動き、そのフォトフレームを拾いあげた。
どこか懐かしさを覚え、胸が一杯になった。何?これは何?
「こそ泥が!!」太い声が洞窟内に響きわたり、壁龕の中の炎が揺れ、その暖かい明かりは青白い不気味な色に変化した。私の顔を、生臭い風がなでた。
振り向けは、大きなカエルが、大きな目を見開き。私を睨んでいた。
「返せ」とまたしても太い声が響き、手を叩かれるような感触がしたかと思うと、私の手にあったフォトフレームがいつの間にか、カエルの口の間に挟まれていた。
「にげろ、喰われるぞ」アインが悲鳴のような声をあげた。
私は、来た方向に向って、一生懸命走り出した。図体が大きなカエルは、洞窟の中では飛び跳ねての移動が出来ないので、うすのろのカメのように、進んでいる。私の方が早い、そう確信したが、アインは、「急いで、急いで」と私をあおりたてた。
ヒュン・・・なにかが頬を掠めた。頬にはぬるりとした感触が残った。
「奴の舌は長いから、充分に距離を開けないとだめ」アインは、速度をゆるめようとしていた、私に注意を促した。
なんてことなの、私は引きこもりが長く続いたせいで、体力に自信がない、息が上がり、足がもつれそうになる。部屋から直接この洞窟に入ったせいで、靴もないから、足の裏も痛い。
ふたたび、舌の攻撃が太ももを触った。おもわず転びそうになるところをなんとか耐えて、先に進む
それにしても、カエルの舌は百発百中かなと思っていたけど、意外に外すんだなと、頭の片隅で考えた。
やがて、正面に四角い明かりが見えた。やった、私の勝ちだ。
その瞬間、「きゃああああ」というアインの悲鳴が聞こえた。
「!」振り向くと、アインの半身がカエルの口からはみ出ていた。
「にげろ」最期のアインの言葉だった。あっという間にアインはカエルに飲み込まれた。カエルは、私を狙って、舌を出していたのではなかった、アインが囮となって、カエルの気を引き続けていたのでは?と私は、必死にラストスパートを掛けながら考えた。
そして、四角い出口に手を掛け、上半身まで私の家に入ったとき、膝あたりをぬるりとしたものに捕まえられた。ずるずると、いきなり洞窟の世界に引き戻される私。
ダメだぁと思ったとき、私の手を水かきのある手が掴んだ、力強い握力。痣ができそうだけど、洞窟にもどされるよりはまし。
カエルの舌がぬるぬるしていたせいだろう、ぬるっと感触がふくらはぎから、足首までぬける感触と共に、結構あっけなく私の足は自由を得た。
居間の真ん中には、河童が居た。河乃子だと思った。
「ごめん、アインが死んだ」私は、小さい声で詫びた。「私が、フォトフレームを拾ったばかりに」
「短剣以外は手に取ってはいけないと忠告したはずだ」河童は、河乃子ではなさそうだった。「ほんとうにお前は、王の娘なのか?」
「判らないわ」私は、首を横にふってこたえた。だって私にある記憶は、人としてのものだけだもの。
「来い」と河童は、私以外の誰かに向って言った。
すると、居間の戸をあけて河乃子が入ってきて、私の目の前に立ちすくんだ。
「河乃子でしょ?」私が思わず言うと、河童は頷いた。
「ねえ、どうして学校に来なくなったの?」あの頃の裏切られたような気持ちが溢れ出て来た。
「時間がない」河童が、言った。その手には二つのフラスコが握られている。
「娘、河乃子を短剣で刺して殺せ」
「え?」意味が分らない。
「そして、お前も自害しろ。そうすれば、お前らの魂を、ここに入れ。そして河童の卵に注ぐ事ができる。同時に、復活できる良い機会だ」
私は、短剣の事を思い出した。まだ手の中にある、短剣。鞘から抜くと、冷たい刃先に私の顔が映った。そして頷き、誘う河乃子。
どうせ、この世には未練はない、生きて居ても楽しみがない。そっと刃先を、差し出して見る。河乃子は一歩前に出て、自分の体を先端に当てた。
「さぁ、頑張って」河乃子の声は優しい。
でも・・・
「できないよ。痛いのはいやだ。私は、沢山、沢山痛い思いをしてきたから、そういうのは嫌というほど知っている。だから、痛い思いを河乃子にはさせられない」私は、剣を落とした。膝も力が抜けてへなへなと座り込んでしまう。
「無理だよ、そんなの絶対むりだよ」
私の頭を、河乃子の手が撫でた。「無理はしないでいいよ」
「やはり、娘だろう」河童が静かに言った。「痛みも優しさも知っている」
「島伏さん、大丈夫、きっとまた会えるから」河乃子が言った。「絶対逢えるよ」
それから、河乃子は本当に姿を消した。絵の裏にあった扉も鍵穴も無くなった。しかし、鍵も短剣も私の元に残された。




