河童の町
河童の街は、霧の向こうにある。山深いところにある谷まで、ガタガタ道の道路を、古くさいボンネットバスが日に一回だけ往復している。同級生の河童は、別に毎日この道を通っているわけではない、河童の為の寮があるので、そこから毎日通っているのだ。
私は河童と一緒に乗車するときに、運転手に承諾書を差し出した。運転手らしい帽子を深く被り、黒いジャケットから伸ばされた長い腕の先には水かきのついた手があり、やさしく紙を受け取ると、それをしばらく眺めてから静かに頷いた。
なるほど、人間じゃないんだ。多分、秘密の場所にあって、そう簡単に教えられないのかもしれないと思うと、私の胸は期待に高鳴った。知る人の数少ない秘密を私も知ることになるのだから、でもそんな大事なこと、こんな未成年に見せて大丈夫なのかな?ここを出る時に記憶を抹消させられちゃうのかなとも考えると不安も感じた。
でも、河乃子は、優しいし、とてもそういう事をするとは思えなかった。私は、バスにゆられながら、お父さんの書いているエッチな本について、河乃子に文句を言い続けた。日頃は、恥ずかしくて人に言えない文句だもの。もっとも話せる友達もいないけど。
河乃子は、頷いたり、相づちを打ってくれるだけだっけけど、胸の中がだんだんとすっきりとしてきた。
窓の外は、深山幽谷とでも表現すればいいのかな。すれ違いもできそうにない、道の片方は谷底、片方は木がこっちに傾いているような斜面。前を見ても後ろを振り向いても、木、木、木、ばっかり。その木がうっすらと、もや包まれ始め、河乃子と話しをして居る間に、いつの間にか、外の景色は一切見えなくなるほどの霧に包まれていた。その中をバスはごとごとと走り続けた。
「ねえ、こんな霧でよく運転できるって凄い運転手さんね」
「何時も、こんな感じだから、気にしたことがないよ」河乃子は、まるでそんな事を訊く方がおかしいとでも、言いそうだった。「霧を抜けると、私達の街だよ」
はたして、霧を抜けると・・・
そこは水の中だった・・・
手動でバスの扉を開き
地面に降り立ったとき
まるで、透明で大きな大きなボウルの中に私が居て
その外では、無数の魚が泳いでいる景色になっていた。
ここは・・・
大きな気泡の中?
ガラスのドーム?
何かの結界?
SFに出てくる力場?
幻覚?
夢の中?
酸素を求める魚のように、上を向いて口を開けっぱなしにしている私
「なんで・・・水の中なの」と後ろに立つ河乃子を振り返った。
「此処にくる人はみんなそういうけど、正直説明できないんだ」河乃子は、くくくと笑った。「そういうものだと受け入れて欲しいだけ、僕らはこうして水の中にも町を作っているし、森の中にも家を作っているんだよ」
「こうして、あるのだから。実際に受け入れるしかないわよねぇ」私は、ため息をつくばかりだった。一体どんな科学力を持っているのだろう、あるいは魔法?河童にこんな高度な技術があるのに河乃子が人の土木を習うと言ったのが不自然に思えた。
私達を降ろしたバスは、水の中の大きな気泡の街の路地を何処へともなく去って行った。回送になったのだろう。格好はレトロだけど、中にどれほどの技術が詰まっていることやらとしばらくそのずんぐりとした後ろ姿を見送った。
そして河童の街というだけに、あちこちに河童が歩いている。そして、地面・・・河床と言う方が正しいのかな、の上には、木造の家があちこちに建っている。商店らしいのもずらりとならんでいる。商店はどれも古くさいというかノスタルジックな看板建築。その看板に見た事も無いイトミミズが踊っているような文字らしいものと、扱っている商品の絵が描かれている。籐の籠屋、釣り道具屋、食器屋、金物屋・・・金物?河童は火を使うのだろうか?道路をお上りさん気分で私は歩いた。子供の頃は友達とこうして歩いたこともあったけど、今ではさっぱり、自分の買い物はいつも一人きりだ。
「ねぇ、河乃子たちの街では鉄を精錬できるの?」ふと気になっていたことを口にした。
「もちろんさ、でもこの空気玉の中じゃないけど、特殊な空気玉があってね、鞴の役割を兼ねるものがあるのさ、私達はたたら玉って呼んでいるよ」河乃子は、どこか自慢げだったけど、声を潜めて付け加えた。「もっともいまじゃ、ネット通販で人のを仕入れることが多いけどね、そっちの方が品質がいいのさ」
「お金はどうしているの?」
「人がもう作らなくなった伝統的工芸品みたいのが、とても高く売れるんだよ。私らは、自然の中で暮らしているから、そういったものを未だ作っているからね」そうして、道沿いにある籠屋を指した。
道を行く河童達は、別に私を振り向いたり、気に掛ける様子もない、まるで、此処にいても、違和感のある存在と見なされていないようなのか、あえて気づかないふりをしているのか?
自分の街で出歩いているときに、下手にいじめっこに出会ったりでもしたら、周りの大人達に気づかれないように、そっと物陰に誘導されて、お金をせびられることもあったので、独りで外出する時には、私は常に周りに気を配り、おどおどとしていたと思う。たとえ行き交う生き物の姿は違っても、ここは私にとって平和を感じる街に思えた。
「ここで買い物とかできるかな?」私は、河乃子に訊いた。せっかく来たのだから、お土産でも買いたいと思ったのだった。
「うん、できるよ。」と一軒のお店を水かきのついた指先で指し示した。「なんとかペイとかは無理だけど、ここでの通貨と円の両替ができるから」
「じゃ、後にするよ。今日の所は、河乃子の案内で充分」私の買い物といえば、携帯でなんとかペイばかりで、現金なんかあまり持ったことがない、当然今も小銭がちょっとだけ、両替なんて無理だ。そもそもここで買い物とか考えても居なかったから、用意をしてこなかったのだ。
「そう?じゃあ街を案内するね」水かきの手が、私の手を握った。知らない世界に私を導いてくれる、大きな水かき付きの掌。
「此処は、公園」河乃子が連れて来てくれた場所には、陸上の草花が花壇に植えられ、ベンチもあった。水との境の壁には、ホテイアオイが花や葉をこっちに向けている。半球型の水面の内側に咲く紫の花の群落は奇妙にしか思えない。
私は、面白がって、そっとその花の群落に近づき、人差し指でちょんと水面を触ってみた。水の感触があった。指先も濡れていた。
花の無い場所に駆け寄って、水面にちょんと触ると、水面がゆらめき、同心円の波が広がってゆく。それが楽しくて、不思議で、なんどもやっていると、足に何かが当たった。なに?と思って、足下を見ると、大きな生き物が水の方から、頭をこっちがわに突き出して、すーっと言う音を出すと。また水のほうに頭を引っ込めた。
もしこっちがわに、そのまま這ってきたら悲鳴を出しそうな、グロテスクな生き物だ。
「オオサンショウウオだよ」いつの間にか、河乃子が後ろに立っていた。「この水の中の主なんだ。初めてここにきて、いきなり見られるなんて幸運だよ。普通はなかなか姿を見せないのに、ショウフクさんが気に入ったのかな」だから、ショウフクじゃないってば・・・と言いたいけど、あまりにも悪意にない言葉に、こっちもそのあだ名を受け入れてしまいそう。
「ねぇ、水の中とこっちって行き来できるの?」私は、疑問を口にした。
「もちろん」と河童は、小石をひとつ拾うと、水の壁にむかって思い切り投げつけた、水が飛び散り、私の頬に当たった。石は水の中で失速するとゆらゆらと落ちて行った。
「・・・」一体、どういうシステムなのか想像も付かない。私は、言葉を失うばかりだった。普通に考えれば、この技術があれば海底都市だって夢じゃない気がした。
さらに、上から泳いできた裸の河童がジャックナイフで潜ってきて、河乃子が投げ込んだ石を拾いあげて、私達に手を振ると、上に向って泳いでいった。その河童が泳いでゆく先をみれば、何人?何匹?もの河童が、沢山泳いで戯れているようだった。
それがすごく楽しそうにみえた。河童たちは、自由に泳ぎ回り、時々息継ぎのためだろうか、この大きな空気玉にくちばしの先っぽを突っ込んで、まだ水の中に戻ってゆく
「私達は、ああやって、遊びながらパートナーを見つけるんだよ。自分と同じような者を選ぶ奴もいれば、自分にはないものを持っている奴を好むやつもいるけどね」
「あの人たちは、性が決まった人なの?」私は、面倒くさくなって河童にも人を当てはめてしまった。
「いや、パートナーが決まってから、どっちが男になるか、女になるかを決めるからね。彼らは、まだ相性のいい相棒を探している段階だよ。私達は、人のような性欲は無いし。欲望からパートナーを選ぶことはないんだ。大事なのは相性だからさ」
性欲とか聞くとドキっとしてしまう。多分私だって、年ごろだし、父のしょうもない小説の中には、思わず自分の中にある女性としての本能が、湧き上がって、男性に抱かれるシーンを妄想してしまうことさえあるもの。でも、読み終えた後、そんなことはきっと現実には来ないだろうなと、後で悲しくなることの方が多い。
白馬の王子様はブスの所には来ないものだし。
きっと彼氏という存在も無縁だろうな
SNSの中に良く書き込まれる私への誹謗の言葉
ーブス!目障りなんだよー
ーブス、早退しろー
ーブス、ブス、ブスー
ー臭いんだよ、ブスー
ー目が潰れる~前を通るなブスー
きっと私はブスなのだろう、皆がそう言うから。
鏡は見る気がしない、化粧もしない、素材がダメだもの、
やっても保湿とかくらい
ネットで可愛いと呼ばれる子の写真を見て妬みを覚える
どうしたら、こんな風になれるの?
そんな事を考えている自分も嫌。
周囲の言葉に扇動されて、私はなりたい私から遠ざかってゆく
独りでいるときが、唯一自分で居られる時
その自分も、人と接する度に削られてゆく気がする
思い出すと、ため息がもれ、気持ちが水底に沈んだ。私は、荷物の中にあった、小さいメモ帳を出すと、鉛筆で河童達の楽しそうな絵を浮かび上がらせた。自分でも下手クソと思うけど、気持ちが壊れそうになると、私は絵を描くことで、気持ちを落ち着かせる。だから学校のノートは、授業のメモより落書きだらけだ。
「上手だね」背中越しに河乃子が思わず私の絵を褒めた言葉に、私は思わず両手で絵を隠した。
「見ないで」まるで、自分の秘部を見られてしまったような感覚。
「隠さなくてもいいのに」と河乃子は、残念そうに言った。「きみの心の中が透けるような素敵な絵だよ」
なら、もっと見て欲しくない。私はメモ帳を荷物入れに仕舞い込んだ。学校に居ると、同級生は、それを無理矢理私から引き離し、皆で鑑賞しながら批判的な言葉を笑い声混じりで批評する、帰ってきたノートは落書きを追加されて無惨な姿だ。




