さよなら、殿下──魔力を注いだ十年の果てに
宮廷の謁見室は、いつもより明るかった。
壁に飾られた鏡が光を弾き、私の姿を何重にも映し出している。
十年もこの場所に仕えたのに、今日はどの鏡の中の私も他人のようだった。
王子――いいえ、今はもう“殿下”と呼ぶ気にもなれない人が言った。
「リディア、おまえの支援が足りない。私が成果を上げられないのは、おまえが本気で支えていないからだ」
言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
(支援が足りない? この十年、私は何を削ってきたというの……)
王妃マリアンヌが微笑む。
「殿下のお言葉は正しいわ。あなたの魔力供給は不安定だと、最近皆が言っているのよ。
その怠惰な姿勢のせいで、殿下の力が伸びないのではなくて?」
穏やかな声音の中に、棘が隠れていた。
王妃の隣には純白の衣をまとった若い女――“聖女”と呼ばれる少女が立っている。
その目だけが、冷たい湖のように光っていた。
「もうすぐ、私が殿下に魔力をお分けしますの。神に選ばれた力ですもの。
今までのような、血のように濁った供給とは違いますわ」
濁った――
その言葉が胸の奥に突き刺さる。
私は幼いころから、王家に仕える名家の娘として“殿下を支えるのが務め”と教えられてきた。
彼が病で倒れた日も、夜通しそばにいて魔力を流した。
発熱して倒れた朝も、彼の安定が最優先だった。
それでも足りないというのなら、もう何を差し出せばいいのだろう。
「リディア、もう下がれ。
おまえがいなくても、私はやっていける」
——その言葉が、最後だった。
(ああ、この人は母の顔色ひとつで私を捨てるのね。
弱いのは魔力だけじゃなかったのかもしれない)
膝を折り、一礼する。
「かしこまりました。どうか末永くお幸せに」
振り返るとき、王子の手がわずかに震えていた。
だが、それを確かめる気も起きなかった。
廊下に出ると、窓から春の風が吹き込んだ。
頬に触れた空気が、やけに軽い。
(十年間、私はあなたの中に魔力を流し続けた。
その流れが途絶えた今、どんな世界が見えるのかしら)
私はゆっくりと歩き出した。
背後で扉が閉じる音。
二度と、あの部屋には戻らない。
馬車の中。
遠くの城から光が閃いた。
一瞬、城の塔が白く輝き、次の瞬間にはその光が弾けて消えた。
(あの聖女の供給量では、彼の魔力は保てない。
今ごろ、結界も術も崩れ始めているでしょう。
けれど、私にはもう救う理由がない)
幼いころに信じた“義務”は終わった。
夫も、義母も、救わなくていい。
「ここからは、自分のために生きる」
その言葉が、ようやく胸の奥で形になった。




